第二章 コンテンツからの
第九節 比較検証―新聞における
※ コア・ターゲットとは20代〜30代の男性であり、そのなかにそれぞれ のスポーツ が大小異なって存在する。様々な種類のスポーツが好きな読者もいれば、あるひとつ のスポーツだけが好きな読者もいる。そして潜在マーケットとして、「女性」や「子 供」、「高齢者」など、これから成長する余地のあるマーケットが存在する。
載せられなくなったりとか、小さくなってしまったという、それは明らかなことです。できれば、
そういうサッカー偏重になるのではなく、関心がないスポーツが載っていても、「ああこういう スポーツも楽しそうだな」ということを読者に思ってもらえるような紙面を作ることが使命、役 割だと思います。
なるほど、潮氏のこの発言には、新聞というのは限られたスペースのなかで伝えたい ことを伝えなくてはならない、という新聞の特性を考慮してのものだろう。
東京新聞社の財徳健治氏は、前出の『日本サッカーは本当に強くなったのか』(中央 公論社)のなかで、サッカーの記事を書くときの難しさを次のように述べている。
サッカーは野球と違って絶えず動いているスポーツでしょう。例えば、絶好調のストライカ ーに最初にボールが渡ったときに、相手チームのディフェンダーが素晴らしいタイミングで当 たっていってボールを奪ったプレーが、その後の試合の流れを決めたかもしれないわけです。
でも、そんなことを書いてある記事にはまずお目にかかれない。試合全体を通して、勝敗を 決める伏線となるプレーはあるにもかかわらず、そういう捉え方のできる記者がまず少ないし、
そんなことを書いてもわかりにくいと言われて喜ばれない。ついつい派手なゴールシーンだ けを書いてしまう。実際、その試合をあまさずに描くには、一般紙の限られたスペースでは難 しい競技だな、ということがあります。(1 )
また、読者ターゲットが明確に定めてある雑誌と違って、新聞はスポーツ欄以外にも 政治・経済・社会などあらゆる分野の記事が掲載されているわけで、その読者層も不特 定多数に及んでいる。スポーツに詳しい読者もいれば、スポーツに関して全く無知な読 者もいるわけである。この点について潮氏は次のように述べている。
J リーグが開幕した当初、「ハットトリック」という言葉を載せたところ、「それはどういう意味 だ?」という問い合わせがきたんですね。となると、「じゃあヒットエンドランは分かります か?」なんていうことになってしまう訳ですよ。そこは難しいところですが、バランスを取りなが らやっているつもりです。しかし、新聞というのはある部分では読者を啓蒙するというか、そう いう役割も持っていると思うので、偏ることなくバランスを取りながらですね。例えば、J リーグ を 10 年 20 年の長い目で見て、少し難しいけど読者の興味を引くような書き方とか、少し専門 的なことに触れたりとか、そういうことを重ねていくことがとても大事だと思います。また、サッ カーの本質を伝えるために、こういう見方もありますよとか、ひとつブロックを積み上げていく ような感じで、読者の興味をより引き上げたりとか、そういう文章の書き方など、バランスを取
(1) 大住良之/後藤健生『日本サッカーは本当に強くなったのか』、2000 (中央公論社)p159
ることも大事ですけど、一方ではそんなことも考えています。
財徳氏もこれと全く同じことを述べている。
一般紙の難しさは、読者が不特定多数であることです。10 代の若者から 60〜70 歳のおじ いさん、おばあさんまでを読者として想定しなければならない。サッカーに縁が薄かった高齢 層の読者にも、わかりやすく記事にしていかなきゃならない。でも、わかりやすく書くくらい、し んどい作業はない。どう書いたらわかりやすいか、難しい問題なんですよ。(1)
発行部数についても、自分の記事がどれだけ部数に反映されているのかなど、把握す ることは難しいだろう。では、紙面を作る上でのモチベーションはどのように高めてい るのだろうか。
発行部数については、少なくとも原稿を書く上では気になりませんし、気にしません。現場 記者の傲慢な部分なのかもしれませんね。仕事へのモチベーションはまったく別になります。
基本的には、この事実を、この話しを伝えたいという気持ち。ひとよりいいと思える原稿を書き たいという気持ち。あとは自己満足で終わることなく、常に物書きとして「いい記事を書いてい るね」と評価されるように向上したいという気持ち。これらがモチベーションにしています。これ は結果論ですが、自分の記事への読者からの反応は大きなモチベーションになります。それ は記事への批判的な内容であっても、とてもうれしいものです。記事についての評価というの は、なにを持って評価をはかるのかが難しいものです。テレビのように視聴率が数字として出 るわけでもなく、文章そのものが好き嫌いとか、例えば絵画をみるときの価値観の違いのよう な部分がありますから。関係者や周囲から言われてうれしかったのは「批判記事を含めて、
あなたの記事にはその競技や選手への愛情がこもっている」というものです。そういう一言が 大きなモチベーションを生むことになります。
こうして潮氏の話を聞いてみると、新聞という媒体はスペースが限られていることと、
読者が不特定多数であるという特性を持っている。サッカーや野球のようなメジャース ポーツにおいて大きなニュースなどがあると、その限られたスペースの多くを占めてし まう。しかしその一方では、様々なスポーツを読者に伝えていきたいという想いも持っ ていて、これらをバランス良く報道していくことが新聞には求められているのである。
これは、特集主義を採用していると同時に、その残りのページを使って様々なスポー ツを書いていかなければならないというスポーツ総合誌と共通の問題である。
上に述べた新聞の特性と雑誌を比較してみると、雑誌はある程度の分量の自由はある
(1) 大住良之/後藤健生『日本サッカーは本当に強くなったのか』、2000 (中央公論社)p158
し、また読者を限定して発信することもできる。こうした点は雑誌の強みといえるので はないだろうか。