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V. 仏国における外国人問題への取り組みと課題

1. 歴史的・社会的背景と特徴

(1)外国人問題の歴史的・社会的背景

仏国は 19 世紀後半以降、多くの移民を受け入れてきており、20 世紀の初めには既 に人口の3%近くを移民が占めていた20。第1次世界大戦により、仏国の労働人口は 大幅に減少したため、この労働力不足を補うため、1919年以降仏政府は、欧州の国々 と移民受入の協定を締結した。また同時に、仏国は、革命後のロシアやアルメニア等 からの庇護を求める人々の受入先となった。こうして、1931年には、仏国の移民は総

人口の約 6.6%を占める約 270万人までに上った21。さらに、第2次世界大戦以降は不

足する労働力を補うため、政府はイタリア、スペイン、ポルトガル等の国々から労働 力としての移民受入を奨励する政策を採用した。この時期の移民は、鉱山や自動車産 業等の労働力となる男性が主であった。こうした移民の労働力は戦後の経済成長の原 動力となり、仏国の「栄光の 30年」(30 ans de glorieuse)の実現に貢献した。

国家による移民奨励政策はオイルショック後、1974年、当時のジスカールデスタン 大統領(シラク内閣)によって大きく転換する。これは就労を目的とする「移民の停 止」(arrêt d’immigration)であり、完全な移民の流入の停止ではなく、雇用者が移民 を自由に雇用することができなくなったことを意味する。したがって、雇用者が外国 人を採用しようとする際には、仏国内ではそのポストに適当な人材を見つけることが できなかったということを雇用者が証明をしなければならなくなった。その一方、こ の 「 移 民 の 停 止 」 以 降 で も 定 住 し た 移 民 労 働 者 に よ る 家 族 呼 び 寄 せ (Regroupement familial)は認められていたため、「停止」以前に移民労働者として仏国に入国し、居 住している労働者が、自国から配偶者や子どもを呼び寄せる家族呼び寄せは継続して 行われ、移民流入が増加することとなった。

1980年代の初めには、当初は、一時的な労働力と考えられていた移民労働者が家族 とともに仏国に永続的に滞在するようになってきたため、こうした移民出身の人々及 びその家族の社会的統合という問題が議論されるようになった22。また、この時期に は、50、60 年代に仏国に移民労働者として入国した人々の子どもが、仏国で出生し、

教育を受け、仏国市民であるにもかかわらず、人種差別といった問題に直面するよう になり、人種差別反対や文化の多様性を擁護する社会運動等も起こるようになった。

2004年及び 2005年の国立経済統計研究所(Institut national de la Statistique et des

Etudes économiques; INSEE)の調査によると、仏本土には、総人口の8.1%に相当する

490万人の移民が居住している23

20 INSEE, Les immigrés en France, édition 2005, p. 44.

21 同上。

22 Haut conseil à l'intégration, Le bilan de la politique d'intégration 2002-2005, 2006, p.19.

23 http://www.insee.fr/fr/recensement/nouv_recens/resultats/france.htm (平成19115日)

図表- 39 移民流入の推移

0 % 1 0 % 2 0 % 3 0 % 4 0 % 5 0 % 6 0 % 7 0 % 8 0 % 9 0 % 1 0 0 %

1 9 6 2 1 9 7 5 1 9 7 5 1 9 8 2 1 9 9 0 1 9 9 9

(年)

カンボジア、ラオ ス、ベトナム トルコ チュニジア モロッコ アルジェリア ポーランド ポルトガル イタリア スペイン その他

資料)INSEE, Les immigrés en France, édition 2005より作成

(2)特徴と問題点

外国人労働者の大部分を占めていたイタリア、スペイン、ポルトガルといった文化 的にも共通点が多い国出身の場合、仏国社会になじむ面も多く、社会的統合は問題と して取り上げられなかった。しかし、近年の移民労働者の多くを占めるマグレブ諸国 やトルコ等の国々の場合は、文化や生活様式の点で異なる点が多く、移民の仏国社会 への統合が社会問題として議論の対象となっている。

近年、仏国に長期滞在する外国人労働者や移民の社会問題で特に問題となったのは、

仏共和国の基本原則とされる政教分離(Laïcité)という概念である24。特に、イスラム 教徒の女子生徒の学校におけるスカーフ着用について、学校という公共空間で、スカ ーフを被ることができるのか、またそれを禁止することは個人の自由の妨げにならな いのか等さまざまな議論が行われた。また、宗教や文化に関しては、移民の出身国の 文化や慣習が男性優位であるため、男女平等という仏共和国の基本原則に適合しない 面も問題となっている。具体的には、夫の側からの一方的な離婚、強制的な結婚等が 指摘されている25

さらに、外国人や移民に関する法律の改正がその時々の政治状況により、さまざま な改正が繰り返されてきたことが仏国における外国人や移民の法制度の特徴として挙 げられる。例えば、1998 年5月 11 日の外国人の仏国入国及び滞在、及び庇護権に関

24 「国家の統治・行政権限のすべてが、宗教団体に関与することもなく、世俗的機関により行使される 原則。国家が反宗教的であるべきこと(laïcisme)を意味するわけではない。国家の宗教的中立性ある いは国家と教会(宗教団体)の分離を指すこともある。フランスでは政教分離原則は第三共和制下で 確立した。」(山口俊夫編「フランス法辞典」(平成14年)東京大学出版会、p.325)。政教分離の 一例としては、例えば政府は、宗教に関して公的支出をすることができないことが挙げられる。

25 Haut conseil à l'intégration, Le contrat et l'intégration, 2004, p.40-81.

する法26では、長年仏国に滞在している不法移民に対する滞在資格の付与について改 正が行われ、長期間仏国に滞在している不法移民への滞在許可を一定の条件のもとで 認めた。また、2003年11 月26日の法律(通称サルコジ法)は、不法移民に対する取 締りの強化を行っている。2006年5月17 日に議会で可決された、2006年7月24 日の 移民及び統合に関する法律では、移民の仏国社会への統合が重視されると同時に、移 民に関する規制が強化された。なお、主な外国人に関する法律の改正は下表の通りで ある。

図表- 40 外国人に関する法律の主な改正

法律 主な改正事項 大統領 首相

1993

1993824日移民管理、外 国人の仏 国へ の入国、 受入 及び 滞在条件に関する法律 1027

(通称パスクワ法)

- 国 籍 取 得 の 要 件 の 厳格化

ミッテラン 大統領 (社会党)

パラデュール 首相

(共和国連合27 1997

1997424日移民に関する 規定を定める法律第396号(通 称ドゥブレ法)

- 出入国管理強化 ジュッペ首相

(共和国連合)

1998

1998511日仏国への入国 及 び 滞 在 に 関 す る 法 律 349

(通称シェベヌマン法)

- 長 期 間 仏 国 に 滞 在 し て い る 不 法 移 民 に 滞 在 許 可 を 一 定 の 条 件で発行

- 宿 泊 証 明 書 の 査 証 制度廃止

ジョスパン首相

(社会党)

2003

20031126日、移民規制、

仏国にお ける 外国人の 滞在 及び 国籍に関する法律 1119 号(通 称サルコジ法)

- 不 法 労 働 の 取 締 り 強化

- 外 国 人 の 国 外 退 去 強 制 執 行 に つ い て 拘 留期間を以前は12 間だったが、32日間 まで可能にする

ラファラン首相

(UMP)

2006

2006724日移民及び統合 に関する法律911

- 社 会 的 統 合 の 重 要

- 移民管理の強化

シラク大統領

(共和国連合

→UMP28

ドビルパン首相

UMP 資料)各種資料より作成

26法律や政令等の日付は、大統領が法律に執行文及び署名入りの日付を行った(審署)日であり、審署 後、法律が官報に掲載されてから発効となる。

27 共和国連合、RPR ;Rassemblement Pour la Republique。1976年シラク現大統領により創設された。2002 4月のシラク現大統領が出馬した大統領選に際して、大統領与党連合(UMP ; Union pour la majorité présidentielle)を結成した。

28 UMP ;Union pour un mouvement populaire、国民運動連合。200211月に、大統領与党連合は国民運動 連合(UMP)へと改組された。

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