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森林資源を利用した地域振興の事例

Ⅰ 知恵と工夫が生きる豊かな町―乙部(北海道乙部町)

1.乙部町の概況

乙部(おとべ)の語源は、アイヌ語の「オトウンペ」(川口に沼のある川)を意味して いる。このオトウンペがオトベに転化し、現在の町名になっている。乙部町は、北海道の 渡島半島の中部にあって、日本海に面している。町の総面積は 162.5

㎢、人口は5千人。

主な産業はスケトウダラ、イカなどの漁獲と加工、馬鈴薯などの農産物及び自然景観を生 かした観光である。乙部町の東部は乙部岳をはじめとする森林地帯、中部は河川沿いに開 けた平坦地、西部は海岸地帯で構成され、山、川、海の3つの資源に恵まれた美しい自然 豊かな地域である。

(1) 地勢と土地利用

乙部町は、檜山支庁管内のほぼ中央部に位置し、南は江差町、北は熊石町に接し、東は 厚沢部町及び渡島山脈を境にして渡島支庁管内八雲町に隣接している。西は日本海に面し、

河川はすべて日本海に流れている。姫川、突符川の流域は細長い平野をなし、農耕地が広 がっている。なお、町の面積で最も多いのが森林 12,265ha(75%)で、全体の4分の3を 占める。次いで、田畑 1,209ha(7%)、原野 1,044ha(6%)、牧場 214ha(1%)などとな っている。

乙部町の市街地。市街地は、日本海を縫うように走る海岸線に沿って発達している。姫川の 河口には乙部漁港が整備され、11 月初旬から2月上旬までスケソウダラの水揚げで賑わう。

左前方の奇岩は館の岬(たてのさき)。姫川の上流は丘陵地域が広がり農耕地となっている。

図4―1―1 乙部町の地形図

乙部町の東部は乙部岳をはじめとする森林地帯、中部は河川沿いに開けた平坦地、西部は海岸地 帯で構成され、山、川、海の3つの資源に恵まれた美しい自然豊かな地域である。河川はすべて 日本海に流れ、姫川、突符川の流域は細長い平野をなし、農耕地となっている。なお、町の面積 の 75%は森林で全体の4分の3を占める。

(2) 気象

乙部町の気象は、日本海を北上する対馬海流(暖流)の影響を受け、概して温暖である。

年平均気温は 9.6℃、年間降水量は 1,209mm である。5〜10 月は平均気温 17℃で比較的に 過ごし易いが、冬期間は北西の強い季節風の影響を受ける。なお、積雪は 0.5〜1.2m 程度 で、沿岸部は比較的少ない。

(3) 歴史

乙部町への和人入植は、嘉吉年間(1441 年〜1443 年)に福井地方からとの言い伝えが ある。その後、ニシンの豊漁などで越後、佐渡、能登方面からの移住者が増え続け、天明 年間(1781 年〜1789 年)まではニシンの千石場所として発展した。1869(明治2)年、明治 政府軍(官軍)が乙部に上陸し、函館戦争を有利に展開した。1871(明治4)年には廃藩置 県により館県、続いて弘前県、青森県の統治下となり、1879(明治 12)年に乙部と三ツ谷に 戸町役場が置かれた。1886(明治 19)年には北海道庁函館支庁管下に置かれ、戸町役場の合 併が行われて、現在の乙部町の区域となった。1902(明治 35)年、町村制の施行により村名 を「乙部村」とし、1965(昭和 40)年に町制に施行し現在に至っている。

(4) 産業・経済

乙部町の主な産業は、スケトウダラやイカなどの漁業及びその加工業である。ただし、

回遊資源型の漁業であるため漁獲の豊凶に左右される。ちなみに、平成 14 年度の漁獲高は 16 億円、平成 15 年度のそれは 12 億円であった。このため、サクラマス稚魚放流、ヤリイ カ産卵礁、タコ産卵礁、アワビ種苗放流、コンブ養殖施設、ウニ増殖など「採る漁業」か ら「育てる漁業」への定着を推進するとともに、主力のスケトウダラ漁については資源保 護対策に努めている。また、平成7年には、近隣の8漁協が合併し「ひやま漁協(注)」を 誕生させた。一方、拠点となる漁港整備も推進され、平成 12 年には豊浜漁港が完成し、乙 部漁港、元和漁港の整備も進められている。

農業は、馬鈴薯が最も多く全体の2、3割を占める。次いで、水稲、百合根、小豆、大 豆などとなっている。その他、イチゴ、メロン、温泉熱を利用したトマト、キュウリなど の栽培にも取り組んでいる。製造業は、水産加工、農産物加工、漁船などの造船で主であ ったが、近年は化粧品、ミネラルウォーターの製造などが伸びてきている。なお、商業は 小規模経営の域に留まっている。

(注)「ひやま漁協」は、江差、上ノ国、乙部、熊石、久遠、貝取澗、瀬棚、奥尻の8漁協が一体になっ て誕生した。1本所8支所体制で本所は乙部町にある。支庁管内の合併漁協は、道内でも初めての試み で組合員数約 1500 人。年間水揚高は 100 億円で道内最大規模である。

乙部港に水揚げされるスケソウダラは、一匹づつ釣り上げる「はえなわ漁」である。水揚げ されたスケソウダラは競り(せり)が終わると、直ちに切り子屋に運ばれ生きた卵が取り出 される。新鮮な真子は、氷漬けされて福岡に運ばれ「博多明太子」に加工される。

2.まちづくりの施策方針

現在、乙部町では豊かな自然の恵みと先人たちの足跡を生かして「知恵と工夫が生きる 豊かな町―乙部」をメインテーマに掲げ、漁業、農業、商工業の振興、社会福祉、教育文 化、観光産業の育成、生活環境の充実に取り組んでいる。

(1) 智業巧商による産業づくり

乙部町では、活力ある豊かな地域をつくり上げるため、「知恵」を活かした新たな産業 展開を図っている。乙部町には、手を加えれば名産になる可能性を秘めた産物が数多くあ ることから、この地域の特性を最大限に活かした「智業巧商による産業づくり」を積極的 に展開している。

(2) 次の世代に向けた人づくり

知恵を生かした新たな地域振興を図るためには、英知と活力を有する人づくりが重要で ある。このため、生涯学習の出発点となる幼児から高齢者まで生涯各期間に応じ、地域の 生活文化に密着した学習活動の場と機会の提供に努めることとしている。

(3) 地域に連帯に根ざした福祉活動

今日、施設面での社会福祉サービスに加え、人的サービスが求められている。このため、

地域の生活者が、自立して積極的に社会参加ができるよう、町民の一人ひとりがふれあい と助け合いの精神を大切にし、地域の連帯に根ざした福祉活動の展開に努めることとして いる。

3.先人たちが残した歴史と文化 (1) 乙部の縄文遺跡

乙部町には、縄文時代〜擦文(さつもん)時代の埋蔵文化財が

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箇所ある。滝瀬台地、

元和台地、姫川河口など海岸部に集中しているのが特徴である。縄文時代の恵山式土器、

刷毛で擦ったような模様を持つ北海道ならではの擦文土器が出土している。また、本州で つくられたと思われる土器もたくさん出土しており、擦文時代は本州との交易が盛んだっ たことが伺われる。

(2) 心の安らぎを与える円空仏(えんくうぶつ)

1665(寛文5)年頃、美濃国の遊行僧円空が蝦夷地にやってきた。円空は、修行を重ね ながら柁で仏像を彫り、約 40 体の仏像を北海道の各地に残している。うち、乙部町に存在 する円空仏は、観音堂(鳥山)、本誓寺(花磯)、三ツ谷研修会館(三ツ谷)、八幡神社(元 和)に安置され、現在6体が確認されている。独特の優しい顔立ちの仏像は、今なお人々 に心の安らぎを与えている。

(3) 苦難の末に万里の長城を見た漁師たち

1795(寛政7)年、突符村(現、元和)に住む漁師の重兵衛、孫太郎、安次郎の3人は、

コンブやアワビ漁をするために奥尻島に向かっている途中、強いヤマセ(東北東の風)に 遭い、韃靼(中国吉林省)に漂着した。3人の漁師たちは、1797(寛政9)年清国政府によ って長崎に送還され、幕府の厳しい取り調べ受けたのち 1798(寛政 10)年に帰村した。当時、

日本は鎖国下にあり海外渡航は厳しく禁止されていたが、3人の漁師たちは苦難の末に万 里の長城を見ることができた。

(4)

箱館戦争と新時代の幕開

1868(慶応4)年8月、旧幕府海軍副総裁榎本武揚が率いる艦隊が江戸湾を脱出し、蝦夷 地の鷲の木浜に上陸した。新政府側の松前藩は旧幕府軍と戦ったがこれに敗れ、渡島半島 南部の海岸線は旧幕府軍に占領された。1869(明治2)年3月、新政府軍は蝦夷地奪回のた め諸藩の軍艦を青森に集結させ、旧幕府軍の警戒が無防備の乙部を上陸地と定めた。山田 顕義(長州藩士)が率いる官軍が津花(現元町)および相泊(現舘浦)に上陸し、旧幕府 軍と村南の坂上で戦い江差、松前、木古内を奪回、次いで箱館市内を占拠して戊辰戦争は 事実上終了した。その後、新政府は蝦夷地を北海道と改め、開拓使を設置して本格的な北 海道の開拓を始めた。このように、新政府軍が乙部に残した足跡は、北海道の新時代の幕 開けとなった。

(5) 乙部の歴史を伝える蝦夷錦(えぞにしき)

山丹地方(現在の中国黒龍江下流地域)との交易で蝦夷地へ持ち込まれた中国製の絹織 物を蝦夷錦という。龍紋や牡丹紋など華やかなものが多く、布地も上質の絹を丁寧に織っ

たものである。その豪華さ、美しさは江戸時代からもてはやされ、衣服や端切れなどに作 り替えられて、現在日本で 55 点が残存している。専得寺で所有している蝦夷錦七条袈裟は、

乙部町の歴史を知る資料的、工芸品としての価値が認められ、乙部町指定有形文化財第1 号に指定されている。

(6) 豊漁を祈願する豊浜三鹿獅子舞

唐草模様を身にまとった三頭の鹿が、ヤンコ(歌い手)の美声と鳴り物の心地よい調子 に合わせて、悲哀や歓菩の情景を勇壮に舞う。元々は山岳信仰から生まれた獅子舞である が、今日では豊漁を祈願するものとして引き継がれる郷土芸能となっている。

(7)

おとべ館の岬チームと地方車

北海道のさわやかな季節はよさこいソーラン祭りで彩られる。この祭りに「おとべ館の 岬チーム」が参加し、日本海の荒波と舞い踊る鯛をイメージしたおとべ館の地方車が6回 地山車(じかたしゃ)賞に輝いた。この賞は、地方車と踊り、衣装、音楽とバランスが優 れているチームに与えられるもので、「おとべ館の岬チーム」の実力が高く評価された。

(8)

江差追分の若いホープ「寺島三姉妹」

江差追分の起源は、越後追分と謙良節が結合したものとされ、民謡の中でもとりわけ難 しいと言われている。乙部町在住の寺島絵里佳さんは第1回江差追分少年全国大会で優勝、

第3回大会では妹の絵美さんが優勝、さらに真里絵さんも審査員奨励賞を受賞した。「声の 続く限り民謡を続けたい」という寺島三姉妹は、江差追分の若いホープとして期待されて いる。

4.自然と共存する観光施設

乙部町の観光は、

1981(昭和 56)年の館浦温泉の湧出に始まる。道立自然公園に指定され

ている館の岬(たてのさき)、鮪の岬(しびのさき)、縁桂(えんかつら)森林公園、乙部 岳、姫川(ひめかわ)の自然景観など美しい観光資源が豊富である。元和地区では、元和 台海浜公園「海のプール」、道の駅「ルート

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元和台」を核とした海洋型レクリエーシ ョン基地も注目を集めている。この他、館浦地区の「おとべ温泉いこいの湯」、温泉旅館「光 林荘」や美容ホテル、日本一長い健康遊歩道、全天候型テニスコートなども整備されてい る。乙部町では、こうした自然景観を生かした施設に中に、独特のストーリー性を織り込 み、農林漁業と一体となった滞在型観光の振興を目指している。

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