第 1 節 正統的周辺参加論による木育のモデル化 1.1 正統的周辺参加
本節では、正統的周辺参加論を用いた木育のモデル化について検討を行う。そこでまず、
本項では正統的周辺参加について整理する。
人間が「学習する」とはどの様な行為であろうか。たとえば、学校教育での学習を考え た場合、学習はあくまでも個人の中で起こっている認識論的な問題として捉えられがちだ った。しかし、「学習に関する過去の説明は、学習が本来持っている社会的な特性を無視し てきた」とウェンガー(Etienne Wenger)は指摘する。状況論的な思考の下においては、
人間の「学習」は単なる知識の獲得のために、教授者によって教え込まれるもの、あるい は、獲得されるものではなく、学習活動を取り巻く雑多な環境から様々な情報を享受しな がら、環境に取り込まれていく、または順応していく過程を「学習」と捉えている。
そこで、学習とそれが引き起こしている社会的状況との関係に焦点をあて、新たな学習 観を提示したのが「正統的周辺参加(LPP : Legitimate Peripheral Participation)」であ る。この「正統的周辺参加」とは、人間はある目的を持った企業、組織、コミュニティな どに属していると認識しており(正統的)、誰が中心人物というわけでもなく新参者と古参 者が渾然一体となり(周辺)、実践共同体を形作るという参加形態のことを指している
[Wenger 1991,1993]。
ウェンガーは学習の新たな概念を明らかにする試みの中で、「学習とは社会的実践の統合 的かつそれと不可分の側面であるという考え方」に到達したという。その新しい考え方を
「正統的周辺参加」という標語で捉えた。その正統的周辺参加による学習の例として、リ ベリアのヴァイ族とゴラ族の仕立屋や海軍の操舵手、アメリカのスーパーの肉加工職人な ど5つの徒弟制度の研究を分析し、学習とは実践共同体への参加の過程であり、その場合 の参加とは、初めは正統的で周辺的なものだが、次第に関わりを深め、複雑さを増してく るもの(十全的)だとした。そして、「学習者としての個人から社会的な世界への参加とし ての学習に分析の焦点を移したこと」と、「認知過程の概念から社会的実践のより総括的な 見方に分析の焦点を移したこと」に大きな意義があったと結論づけている。
学習を、教育とは独立した営みとみなすとともに、社会的な実践の一部である「実践共 同体への参加」や「アイデンティティーの形成過程」などであるとした正統的周辺参加論 的学習観は、教育実践の場にも様々な示唆を与えている。つまり、「学習」は自らの好奇心
世界が相互構成的であるとみなすことによって、学習を事実についての知識や情報の受容 とする支配的な仮説から逃れる機会を提供したといえる。
このように、「学習する」ことは当人のみに依存するものでなく、実践と学習の場である 実践共同体が大きく影響している。実践共同体では徒弟と親方の単純な二元論ではなく、
徒弟同士で強い相互作用の中で徒弟は成長する。親方は徒弟と交替しうる、経験がモノを いうなど、「学習」はまさに複雑系な世界をなしている。
1.2 正統的周辺参加論の木育への導入
日本国民に対する森林に関するアンケート結果をみると、ほぼすべての国民が「森林に 親しみを感じる」「森林は大切であり守るべきもの」としている41。この意味からは、森林 保全に対する国民の合意はとれているといえる。しかし、現実をみるとヒトと森林との関 係性は遠のき、その行動も森林保全とはかけ離れたものである。このような無関心・不理 解な層は、一般的には実践共同体から排除される層である。しかし、正統的参加論を用い ることで、これらの人々を実践共同体の一員と見なすことができ働きかけることができる。
一見かけ離れた存在であり役に立たない存在に見えるが、これらの存在を認めることによ りコミュニティ政策は変わってくる。
このように、国民の多くは問われれば「森林は大切で守るべき」と答えるが、いざ日常 生活になると木や木を使うことに全くと言っていいほど関心を払っていない。徳野の言葉 を借りれば、意識と行動が分離している消費者「分裂型消費者層42」という位置づけであ る[徳野 2007,2011]。あえて、それらの層を森林に対して関わる人たちの実践共同体の 中に引き込むことにより、森林保全運動が変化する。一見かけ離れた層を、正統な森林の 担い手であると位置づけ運動を展開することが、木育のスタート地点となる。
それでは、木育のゴールは何であろうか。林野庁であれば、森林の公益的機能を理解し、
国産木材の需要拡大に貢献する人の育成であろう。北海道の木育であれば、水産林務部木 材振興課の意向としては道産木材の需要拡大であるが、人間教育にも重点が置かれている。
森林保全運動でみるならば、最も高い位置にいる者(十全的存在)が、たとえば森林保全 運動や里山運動に先導的に関わっている人たちであろう。さらに、実際にこれまで生活し ていた都会を離れ、職を変え森林保全に関わる人たちの姿もある43。森林親和運動として の木育では、「木や森林との関係性を高めた人」となる。
41 たとえば、内閣府(2007)の「森林と生活に関する世論調査」では、森林に親しみを感じる とする割合は91.5%(2001年は88.0%)、同様に、山口県(2010)による「森林づくりに 関する県民意識調査の結果について」では96.6%であった。また、「森林は、国土保全、災 害防止などの公益的機能が高度に発揮されるよう、たとえ経済効率が低くても整備すべき」
と答えた者の割合が74.6%であった(内閣府(2007))。
一方、その実践共同体の一員ではあるが周辺的存在となる者が、都市部の住民に多い。
木や森林、自然を守ることに対して否定はしないが、木や森林との関係性は薄く、森林の 公益的機能を十分理解してもおらず、理解しようともしない。自ら森林保全運動に積極的 に関わろうとしない人であり、公益的機能は享受しながらも、それに対する対価を払おう としないフリーライダー的な存在の場合もある。
そこで、ウェンガーの提唱する正統的周辺参加論に基づく取組により、都市部の住民を 緩やかに自身と木や森林との関係性を高め、森林保全活動の中心へと導く試みがなされて いる。たとえば、沢畑の行う愛林館での「水源の森づくり」(春の植林)、「働くアウトドア」
(夏の下草刈り)は、直接森に入り、林家の仕事を手伝いながら易しい仕事から体験をし ていく活動である。いろいろな体験を数年にわたり行うことで、森林を保全する実践共同 体の一員という自覚と行動が身についてくる[沢畑 2005]。その他、各地で植林や下草刈 りを行う活動・イベントが開催されるようになったが、これらも同様の取組とみることが できる。
このように、直接森林・里山と関わらせることにより国民の関心と意識の形成をねらっ た活動も有効であるが、都市部の住民にとってはハードルの高い活動であり参加者も増加 したとはいえ、依然一部の市民に止まっている。多くの市民が住む都市部において森林化 社会実現のための裾野を広げる活動を捉え直す必要がある。
繰り返しになるが、これらの都市部の住民に対して、林野庁の目指す「啓発的な消費者 教育」を行おうとしても、その素地ができておらず拒否反応さえでる可能性もある。実践 共同体の一員でありながら周辺部にいる人々を、少しずつ中心部に導くのが木育の役割で あろう。この森林化社会という目標があり、その一翼を担う社会運動の1つである木育を すすめる過程について、正統的周辺参加論により説明することが理解を容易にする。
まず、「くまもとものづくりフェア」等で、子どもやその保護者、一般市民を対象に実施 する木を素材にしたものづくり教室がある。ここには、木や森林に興味をもつ人以外にも、
ものづくりや子育てに関心がある人が集う。そこでの体験により、木や森林についても緩 やかであるが関心が向くこととなる44。さらに、素材としての木材や木が好き、木を使っ たものづくりが好きな人が存在する場にいるだけでも、自然に多くの刺激と影響を受ける ことになる。
また、ものづくりフェア等の指導者を養成する講座(木育推進員養成講座等)には、多 くの受講希望者がある。ここには、行政や教育関係者、林業や住宅メーカー、NPOなど多 様な職種・団体に所属する者が集う。参加者の目的は、林業の再生、木材の需要拡大ばか りでなく、子育て、環境、福祉、地域おこしなど様々である。参加者は、この講座から自 らの目的を達成するだけでなく、木や森林についても緩やかに関心が向くと共に、自らの