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以上が ︑オコ w. 体験の内容︑つまりガザーリー の 云う第四の紬 毛 日色である︒次に我々はこれ を ︑﹁神秘体験﹂と 云
われているものと比較してみなければならない︒
註
あたかも杯のみありて酒の無ぎが如く ︵ 1 ︶岸本英夫﹁宗教神秘主義巳一八五一八六頁
先の引用文の直ぐ後に︑ガザーリーは次のような持を
ガラスの色はよく酒の色もよし
二つの色は互に似通いその区別は難い グラス あたかも酒のみありて杯の無ぎが如く グノス
このように︑ガザーリーにとっては︑ 酒と 杯はあたか も 湛然一体となっている如くであるが︑そこには 何 らの本質的一体
化は倣い︒神と人間の関係についても同様で︑両者の 間 には決して本質的﹁一体化﹂︵ ぎ丘注 ︶︑﹁化身﹂ G 口 宙こ︑ あるいは
﹁融合﹂︵ 韻 万日︶の 如 ぎものはあり得ない 0 この心理と 現実を混同して︑﹁われに栄光あれ ソ ﹂㊧三キ ゅ呂 ︶ と か ﹁われは真実 @0 ll ︶ ことは稀である︒ しかし︑ 鹸コ w. のこの状態は決して永くは続か
一なる真実在︵ 日 1 目ゅ 日 Ⅰ 田 l% 台︶以外には 何 物も現われてこないこ しばらく続く︒しかし 又 ︑時には電光石火の如 く 瞬時の出来事に終る︒ の神秘的観照︵ ョお ヰ学 り印 じは︑時には
そして︑これが普通の場合で︑永く続く ︵ 9 ︶ の神秘が顕示される・・・⁝︒ 人間の側の準備が終ると︑ 今や神がその 僕 ︵︑ u 庄 ︶の心の世話役となり︑ 叡智︵日日︶の光で心を照 し 出すに至る︒神が僕 の心の世話を引 1
き 受け︑︵神の︶恵みがその上に満ち溢れ︑光が さし込んでくると︑心は開き︵ ぎ紳銭告じ︑神 の国︵ヨリす村 由 ︵︶ 鮨 0 ︶
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︵︵︶ ‑0% 巳叶宇 のの拝む︵の︶ @ 竿 吹の五つの項目の下に 特徴づけてみたい︒
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Ⅲ彼岸者意識
困難な 臣業 と細心の注意を要する準備と努力に ら か加わらず︑神秘的合一を体験した者は︑自分
的力 ・真理・細射的一者・神に 担 えられた︑ そ れに触れた︑又はそれと一体となったという異常
理由は︑神秘家がこの合一状態に到達するのは あるいは︑それが神の特別な恩寵として与え られるの ぱ 自我 の 意識・努力・ 音ギ代 更には自我の意識を払拭 し たと亡うその意識をも完全に取り除くことによ り︑ 彼が担対酌静寂 の 境地に達してからである︒今や彼は完全に受身 の 状態にある︒しかし︑すべての﹁ 我 ﹂を取り
て ﹁真空﹂になるわけではない︒それは何ものか により満たされる︒そして︑もし何ものかが 彼 の心を占めるとすれ ば ︑それ ば ﹁外から﹂︑抗し 虹い 強い カ として 心 に 迫ってくる︒これが︑究極的存在に触れた︑ 究極的真理を休得し たという意識となって表れる︒これが神秘 家の 心の申に消え 尭い 刻印となって残る︒それは︑ 彼 の 内的生活を根本的 に 変革する 理 強いものてある︒前述の如く カ ︑ 白己 白身︑観照の対象及び 健照 行為自体から の 死滅︑ 更
サ
に神の威光と崇高さに直面した際の畏怖と困惑 について語っている︒
㈲歓喜と高揚感
この状態は又︑強い歓喜と高揚感を伴 う ものであ る ︒それは︑﹁個体としての個人に課せられて いる制約が完全に 崩壊したことによるもので︑この崩壊は単なる 消極的な出来事ではなく︑有意義で積極的な価値 をもっものである︒
というのは︑それは個人の無限なる拡大を意味 する﹂からである︒我々は ?
︶既にガザーリーが
︑ こ の 状態を﹁耐えられ ない程の欣喜﹂として特徴づけたことを知って㈲表現の困難さ
神秘 家 達はこぞって︑神秘的合一体験は表現不 可能で︑舌口薬では伝達できないと云う︒なぜなら ︑それは主客未分
(572) 114
が験
︵臼の岸田ヰ せ のの︵ 斡 ︵の︶に他ならないとい︐っ ことがわかる︒だとすれば︑我々は︑この合一 の 云う第四の旺 まア Ⅱ 往 ︑つまり守弘・体験は ︑
体験が神秘家の内的生活 ェ 我々の云う神秘的合一体 ‑ 二 リノ あるいは自我意識に墓 く 様々な汚れから完全に 解放された時︑磨き清められた鏡の如く︑それは 事物の真の本質︑ 眼
に見えない神の国の世界︵ ︐巴 ㏄ヨ凹 1 日日芝き︵︶
想 この状態は普通水くは続かない︒﹁稀な 場 合を除いて 三 0 分 ︑精々 一 乃至二時間というの が 限度のよ う である︒ そ @4* ︶ 秘 れを過ぎると︑日常の元の中に霞んでしま ︐ っ ︒﹂同様のことがガザーリーの場合にも云える ことは︑先にみた通り・で のある︒
(573)
‑3‑ レ ︶ 宙下 ︶︑﹁神の智﹂︵ 日 p ︒︵目の︵ 臣目 こと云う時︑ この合一体験を指している︒彼によれば︑人間 の 心が﹁自己﹂から︑ 化の状態において体験される特殊な経験である からだ︒従って︑それを舌口語により表現しようと すると︑人間の知性
は 常に困惑する︒ 仮 りに表現できたにしても︑ そ れは生の体験とは別のものになっている︒従っ て︑ 常に直接体験が
強調される︒ガザーリーも同様に ︑守コ W ︑体験 0 表現不可能性︑それを表現しようとする際の知 性の困惑と混乱︑直
肢体験︵ 宙 すの ミロ ︶の必要性について 詰 っている︒ そして︑神秘家が強いてそれを表現しょうとす る 際の危険について
警た 口を発している︒
㈲ 直 他阿知的性 格
だがしかし︑この合一状態は知的次元に属する ものとして 体 敬され︑ 又衷哩 される︵ 倒 えば︑ 悟
啓示等︶︒勿論それは︑普通日常に用いられる 分 別知 とはまったく 異る ︒そのために︑ 音述 特別 の 用語が用いられる
㏄ コ 0 の中の ‑ で ︵ ゅ古 P ヨ p ︑ ︵ 円 bp 等︒このことは ガザーリーについても同じである︒彼が﹁ 神 を智 ること﹂︵ げ qphu
重凸た曲準 となり得る 0 この意味で︑アンダーヒルが ︑これを神秘的合一件 牡 ︵日の仁王︵ ぎ のの︵ド宮︶ と呼ぷ べ き だと提案し ているのは正しい 0 我々もこの用詰を用いることにし ︑神秘体験と云う時には︑合一作駅を含めて︑神秘宝 がその生涯に 亘
彼女が︑神秘主義の木ロ 的 性格として﹁生きた人格的 な 愛の対象一を
強調する時︑それは 尹 人格調を特徴とする 輝 体験には 妥当しな
する際に通過す
る 一つの段階にすぎない︒しかし︑上述の諸持世に ょ り 性格づけられた 体駐は ︑神秘幸り通る必然的一過程 として︑一つの
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