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ドキュメント内 『宗教研究』203号(43巻4輯) (ページ 109-114)

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(569) 

以上が ︑オコ w. 体験の内容︑つまりガザーリー の 云う第四の紬 毛 日色である︒次に我々はこれ を ︑﹁神秘体験﹂と 云 

われているものと比較してみなければならない︒ 

註 

あたかも杯のみありて酒の無ぎが如く  ︵ ︶岸本英夫﹁宗教神秘主義巳一八五一八六頁   

先の引用文の直ぐ後に︑ガザーリーは次のような持を   

ガラスの色はよく酒の色もよし 

二つの色は互に似通いその区別は難い グラス あたかも酒のみありて杯の無ぎが如く グノス 

  このように︑ガザーリーにとっては︑ 酒と 杯はあたか も 湛然一体となっている如くであるが︑そこには 何 らの本質的一体 

化は倣い︒神と人間の関係についても同様で︑両者の 間 には決して本質的﹁一体化﹂︵ ぎ丘注 ︶︑﹁化身﹂ 口 宙こ︑ あるいは 

﹁融合﹂︵ 韻 万日︶の 如 ぎものはあり得ない この心理と 現実を混同して︑﹁われに栄光あれ ソ ﹂㊧三キ ゅ呂 ︶ と か ﹁われは真実  @0 ll ︶ ことは稀である︒  しかし︑ 鹸コ w. のこの状態は決して永くは続か   

一なる真実在︵ 日 1 目ゅ 日 Ⅰ 田 l% 台︶以外には 何 物も現われてこないこ  しばらく続く︒しかし 又 ︑時には電光石火の如 く 瞬時の出来事に終る︒  の神秘的観照︵ ョお ヰ学 り印 じは︑時には 

そして︑これが普通の場合で︑永く続く  ︵ ︶ の神秘が顕示される・・・⁝︒  人間の側の準備が終ると︑     今や神がその 僕 ︵︑ 庄 ︶の心の世話役となり︑ 叡智︵日日︶の光で心を照 し 出すに至る︒神が僕 の心の世話を引 1 

き 受け︑︵神の︶恵みがその上に満ち溢れ︑光が さし込んでくると︑心は開き︵ ぎ紳銭告じ︑神 の国︵ヨリす村 由 ︵︶ 鮨 0 ︶ 

      ‑ Ⅰ ‑ 

  

︵︵︶ ‑0% 巳叶宇 のの拝む︵の︶ 竿 吹の五つの項目の下に 特徴づけてみたい︒    

一の神秘 

五 

(571) 

  E 

  

10   9   8   7  

  

、 退 

  

5  4  3  2 

     

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Ⅲ彼岸者意識 

困難な 臣業 と細心の注意を要する準備と努力に ら か加わらず︑神秘的合一を体験した者は︑自分   

的力 ・真理・細射的一者・神に 担 えられた︑ そ れに触れた︑又はそれと一体となったという異常   

理由は︑神秘家がこの合一状態に到達するのは あるいは︑それが神の特別な恩寵として与え られるの ぱ 自我  の 意識・努力・ 音ギ代 更には自我の意識を払拭 し たと亡うその意識をも完全に取り除くことによ り︑ 彼が担対酌静寂  の 境地に達してからである︒今や彼は完全に受身 の 状態にある︒しかし︑すべての﹁ 我 ﹂を取り   

て ﹁真空﹂になるわけではない︒それは何ものか により満たされる︒そして︑もし何ものかが 彼 の心を占めるとすれ  ば ︑それ ば ﹁外から﹂︑抗し 虹い 強い カ として 心 に 迫ってくる︒これが︑究極的存在に触れた︑ 究極的真理を休得し  たという意識となって表れる︒これが神秘 家の 心の申に消え 尭い 刻印となって残る︒それは︑ 彼 の 内的生活を根本的  に 変革する 理 強いものてある︒前述の如く カ   ︑ 白己 白身︑観照の対象及び 健照 行為自体から の 死滅︑ 更 

サ 

に神の威光と崇高さに直面した際の畏怖と困惑 について語っている︒ 

㈲歓喜と高揚感 

この状態は又︑強い歓喜と高揚感を伴 う ものであ る ︒それは︑﹁個体としての個人に課せられて いる制約が完全に  崩壊したことによるもので︑この崩壊は単なる 消極的な出来事ではなく︑有意義で積極的な価値 をもっものである︒ 

というのは︑それは個人の無限なる拡大を意味 する﹂からである︒我々は 

︶既にガザーリーが 

︑ こ の 状態を﹁耐えられ  ない程の欣喜﹂として特徴づけたことを知って   

㈲表現の困難さ 

神秘 家 達はこぞって︑神秘的合一体験は表現不 可能で︑舌口薬では伝達できないと云う︒なぜなら ︑それは主客未分 

(572)   114 

が験 

︵臼の岸田ヰ せ のの︵ 斡 ︵の︶に他ならないとい︐ 

  

っ ことがわかる︒だとすれば︑我々は︑この合一  の 云う第四の旺 まア Ⅱ 往 ︑つまり守弘・体験は ︑ 

体験が神秘家の内的生活 ェ  我々の云う神秘的合一体   ‑ 二 リノ  あるいは自我意識に墓 く 様々な汚れから完全に 解放された時︑磨き清められた鏡の如く︑それは 事物の真の本質︑ 眼 

に見えない神の国の世界︵ ︐巴 ㏄ヨ凹 日日芝き︵︶ 

  

  

想 この状態は普通水くは続かない︒﹁稀な 場 合を除いて 三 分 ︑精々 一 乃至二時間というの が 限度のよ う である︒ そ   @4* ︶ 秘 れを過ぎると︑日常の元の中に霞んでしま ︐ っ ︒﹂同様のことがガザーリーの場合にも云える ことは︑先にみた通り・で   のある︒ 

(573) 

‑3‑ レ ︶ 宙下 ︶︑﹁神の智﹂︵ 日 p ︒︵目の︵ 臣目 こと云う時︑ この合一体験を指している︒彼によれば︑人間 の 心が﹁自己﹂から︑  化の状態において体験される特殊な経験である からだ︒従って︑それを舌口語により表現しようと すると︑人間の知性 

  は 常に困惑する︒ 仮 りに表現できたにしても︑ そ れは生の体験とは別のものになっている︒従っ て︑ 常に直接体験が 

強調される︒ガザーリーも同様に ︑守コ ︑体験 表現不可能性︑それを表現しようとする際の知 性の困惑と混乱︑直 

肢体験︵ 宙 すの ミロ ︶の必要性について 詰 っている︒ そして︑神秘家が強いてそれを表現しょうとす る 際の危険について 

警た 口を発している︒ 

㈲ 直 他阿知的性 格 

だがしかし︑この合一状態は知的次元に属する ものとして 体 敬され︑ 又衷哩 される︵ 倒 えば︑ 悟   

啓示等︶︒勿論それは︑普通日常に用いられる 分 別知 とはまったく 異る ︒そのために︑ 音述 特別 の 用語が用いられる 

㏄ コ の中の ‑  で ︵ ゅ古 P  ヨ ︑ ︵ 円 bp  等︒このことは ガザーリーについても同じである︒彼が﹁ 神 を智 ること﹂︵ げ qphu 

重凸た曲準 となり得る 0 この意味で︑アンダーヒルが ︑これを神秘的合一件 牡 ︵日の仁王︵ ぎ のの︵ド宮︶ と呼ぷ べ き だと提案し  ているのは正しい 0 我々もこの用詰を用いることにし ︑神秘体験と云う時には︑合一作駅を含めて︑神秘宝 がその生涯に 亘 

  

彼女が︑神秘主義の木ロ 的 性格として﹁生きた人格的 な 愛の対象一を 

強調する時︑それは 尹 人格調を特徴とする 輝 体験には 妥当しな 

     

する際に通過す 

る 一つの段階にすぎない︒しかし︑上述の諸持世に ょ り 性格づけられた 体駐は ︑神秘幸り通る必然的一過程 として︑一つの 

     

  

  

  

  

  

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