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中  初  め

ドキュメント内 『宗教研究』203号(43巻4輯) (ページ 41-46)

学者の実践 

の主調 

で  発  あ  ,  L の 因縁とは何であろう 、 

う ︑その基本として 六  か ︒ 経 所説によ 

波羅蜜の実践を  ると般若 波羅 

あげている︒  蜜呂 の 間思惨 

いま︑例証を  であ 軋   あげ 

    

ぬ  ることができる︒ここにまとめた論述の裏付  けとなる見解は次項以下において示されるであ  ろう︒ 

られる︒例えば金岡り心と利益安楽心とは正覚 後に実践保持すべき誓願と心情で︑他の三心は 

キ  ‑ の 以前のものと考え 

それら五種  心  には正覚前  後の各々において実践保持すべき誓願と心情とを  説述していると考え 

この五種 心 が正覚の前後のいずれにおいて実践さ れるべきものか︑作者は何も説明を示していな ぃ ︒しかし内容を検  なう るまでに︑あるいはうるために実践︐保持 すべき心情なのか︑それとも正覚後に実践・保持 すべき心情なのか︒  では 不捨 衆生の心情を基調とする五種 心は︑発 心した人にとってどんな意味をもつものであろう か ︒すなわち正覚 

     

つ 。 

ある︒本絵衆生の意味はこのような重苦から 逃 避 したいと切実に希求願望する心情を察知し ︑そ れを叶えてやるとい  ぅ 現実的立場からの実践を示している︒しかし ただ 不捨行 がこの意味だけで満たされるというの ではない︒苦悩する  衆生がみ ば 求道の心情を起す動機は ︑ やほ 0 所 述の生物的満足から生じるのであるが︑それが 求 めた対象への愛情に  変化し尊敬の念に高まってゆく︒この段階まで は 即世である︒これが進んで衆生が自己完成の欲 望を起し︑同時に他  の人の可能性をも実現させたい欲望を併起すると いう自己実現の動機を斎らし︑その実現に精進 するよ う 勘助教導す  るに至る︒これを産地と考えたい︒ 不捨 衆生は このように利益したのちに 救度 をなす二つの実践 を 成就するにあると 

㌧ q. つ ・ ︑ロ ・けのゆ︶ 

②世尊が般若波羅蜜を説法されていた時︑三百 比丘 従 ︒ 座起 ︒ 以 二所︒苦衷 ‑ 上 ︒ 仏 ︒登三河 褥 多羅一一 一読三菩提心 4% 大 

口 ㌍大正八・二二九 申 ‑ 下ぎ ・ キ ・アロ・ 臼 ︶ 

③ 復次若 五 % Ⅲヂ善女人 づ於ニ此 般若沖離生多イ 未 ︒ 能 : 聴 愛読話 ‑ 者︒所有 己発 二 河褥 多羅二親一一 垂ロ 捉ふ弍 諸天子 衆 

桂二 彼 入所為 ‑ 作二曲金の勘合下船 二此 般若波羅蜜多 ィ 穂麦読話 如 ︒ 説 修行㏄ 谷 仏画 出 ヒ大正八・五九 四丁︑ここは梵文 

の 抄訳であるが﹁小ロ 囲 大正八・五四一下より 明 確 ︶︒ 

梵文は重複部分が多く長文なので要約して出す と︑ 

無上正尊 旦へ 向けて進んだ人で︑まだ絶対完全 の 智慧を得てい低い諸天人達は︑絶対完全の智慧 を 聞き読話し修学 

した人に親近し︑かれの絶対完全の智慧につい ての説法を聞き読話 し 修学するであろう︒ 

宮 

㌍ づ q. つ ・ ︑ づつ・母の1の ︶ 

④ 仏 諸弟子皆川二河 褥 多羅三親三菩提 法 Ⅱ 護 二念 諸菩薩摩 詞薩づ令ドニ 二河 褥 多羅三親三菩提心り 令 レ住 二河幅多羅三鏡 

三菩提 り何以故 ︒過去諸菩薩摩 詞祀 ︒ 皆因 ︒半工 是 六波羅蜜多 ‑ 故 ︒発 こ 菩提心 ‑ 往こ 菩提 果弍 宮仕 母   

セ下 ︶ 

︵梵文は長文になっているので喀出り 

もし ボサッ 大士が菩提心を発起しないで正覚を ︐ つるために六波羅蜜を椎 学 することがなかったな らば︑かれらはっ 

いに正覚を証得することがなかったであろう︒ し かし ボサッ 大士達は ボサッ 行である六波羅蜜を 修学するために︑ 

それゆえにかれらは菩提心を発起し︑それゆえ に 正覚を︐﹁与るのである︒︵ 臣 ㌍・ 宙 ・ ト︐ やお牛口 二万五千 頒 L. ﹁ 十 

万頗 ではここに相当する文はない︒︶ 

(500) 

①十方諸仏説二足般若沖縄 み下 ︒無量阿僧祇 衆 生 小祭三河 褥 多羅二 三菩提心り︵﹁人品ヒ大正 人 二上ロ三缶 十 ‑ ㌧㏄ 白い     

般若経における ,菩提心 

㈲般若波羅蜜への 侮学 ここでは般若波羅蜜 修 学は具体的に何を意味しているのか︑所説をもと に 考えよう︒ 

﹁八千 頒 ﹂所説 

世尊高 く︑ スブーティ よ ︑絶対完全の智慧を修学 する﹁初学者﹂︵ ぎ守 銭ヨ ぎさ ・ ボサッ 大士は ︑主 口 友を助け愛し尊敬 り   

  

の 智慧のために教導し諭してくれる人々である︑ 

  

説述してくれる人々である︒かの善友達はつぎ のように説諭するであろう︒ 刊 ここへ来て六波羅 蜜 を一生懸命に実 4  ぬ ために六波羅蜜を修学しょうとする心情が 起って来るところにあるようである︒    蜜 説法の聞 聴 によって︑本給衆生の誓願を起し︑ 般若波羅蜜の完成の  縁 ともなっている︒なぜか︒六波羅蜜は菩薩 た ちの善き友達であり︑ 

ニ  ︑ 

‑7 

I   ︶ 

過去現在未来の諸仏の正覚 淫薬の王国であるか  0 次ぎに 読 謂も発心の因縁となっている︒説法 内容を読 謂し 熟慮瞑想することが無上正等覚 へ 志向するものに必要 

であるようだ︒この後で六波羅蜜の修学をしよ 

︐  つ 

とする心が生起して来る︒この修学をしようと する心情が発心の囚  どうかが大切であり︑この菩薩を不退転菩薩 と 

  

ている︒ 聞 聴の因縁  あり方が問題である︒ ﹁八千 頒 L に︑般若波羅蜜を聞く聞かぬに拘ら ず ︑本人の心に不浩一切衆生の心情があるか  四例によると︑般若波羅蜜説法を聞聴すること が 発心の一つの因縁となっている︒聞くといって    るのであり︑その性学をしない人の発心も誓願 も 無意味である︑という︒ ム  る 人で六波羅蜜を皓学しないものは︑真の発 菩 捉ふ 者とはいえない︒大波 毘軍 に学をなすものだ けが無上正等覚を ぅ  する人でなければ︑またそれをしようと 蕾ゅす る 人でなければ真の発心をなしたとはいえ低い︒ 無上正等覚 へ進越 す  右の四例中︑①②の例では世尊が般若枝 薙 蜜を 説法されている時︑また説法された後でそれを 聞 いて感動をうけ 無 

上玉等覚をえようとして発心する衆生や比丘 ら ほ ついて述べている︒③④の例では︑般若波羅蜜 を聞 聴し 読謂し 修学 

右によると︑まず初学者は善友達に親近し ︑か れらを愛護し尊敬すべきだと述べ︑善友達の所説 するであろう内容を  明かす︒Ⅲ六波羅蜜修学を成就 し ︑その功徳 善 根を無上正等覚へ向けること︑㈲一切智和 は 敗着 されないもの︑㈲ 二 

乗 位を慣れないこと︑などの三点を教え︑この 

一  二点を修学するならば自然に般若波羅蜜 

へ趣 爪す るであろうという︒ 

いま般若波羅蜜多への修学について考えたが︑ で はその修学の心情はど う あるべきだろうか︒ 心 のあり方について 

具体的に知る必要がある︒ 

㈲初学者の心のあり方前項の問題をつけて︑ そ  の 解答を刊八千 頒 ﹂に求めるとしょう︒ 

①世尊旨 く︑ スブーティ よ ︑無上正等覚へ志向 せんとする ボサツ 大士は︑すべての衆生に対して ﹁等しく﹂︵ ぎヨ の七︶ 

あるべきであり︑また﹁平等の心﹂︵ ぎミ リ七の @ ︵︵㏄七︶を持たなければならない︒﹁憎悪の心を ︒って﹂︵ ヰ 丘ゆ ゅヨ㏄︒ 

住 ︵ de コの ︶他人を取り扱ってはならない︒﹁友情 ある心をもって﹂︵ヨ日︵︵ ギユ ︵︵の コハ ︶︑﹁利益を与 える心をもって﹂ 

︵田斉 お ・︶︑﹁敬いの心をもって﹂︵ 帝ゅ与卸セの lc. ︶ ︑ 一 ︒謙下の心をもって﹂︵ コゴゅ ︵ゅヨ鉤墨 蕊 ・︶︑﹁ 瞑志の ない心をもって﹂ 

︵の ロ ︵ 曲 ︵ ぎ ata‑c. ︶︑﹁ 損 悩めない心をもって﹂ 丘 ゴ 0% 空山 お ・︶他人を遇すべきである︒  ︵ 9 ︶ @ キ よ ん Ⅰ @ Ⅴ  浅 しなさい︒善男子よ︑布施波羅蜜をなし︵ 乃 至 ︶智慧波羅蜜をなすことによって︑あなたが 成 就 したものはすべ 

て ﹁それを無上正等覚へ回向しなさい﹂︵ tatsu Ⅱ せゅ さ Ⅰ ㏄ コ仁 二のハ セ囲 七の笘〜︵︶㎏㏄ ガの ㏄七サ 印すい口ロ リ ユ 囲 ヨ ㏄Ⅱ め ︶︒しかし 血偲  土工等覚を色またはそのほかのいかなるあっ ま りなどと間違って理解してはならない︒﹁なぜな ら ︑善男子よ ︑一  切 智は収着のないものであるから﹂︵︵㏄︵オド 几ド ㏄ 胡の tO 甘 ︑ので㏄ ぺ囲日 ハ 囲 三村 け 寸で仁田Ⅱ斡の㏄Ⅱ つ と印の計 囲 ︶︒ ﹁そして声聞 位 ・ 

  

の末の すゴ目 〜︵︶ む 仁ヰ卸でⅡ㏄片田の方 のす 日色色目㏄ ヴ 下目 ヨ ㏄ け せ り ㏄ つ Ⅰ す卸 七 パリ ︵ ゅ円 ︵︶  と ︒このようにスブーティ よ ︑初学者・ ボサツ 大士は次第に善友達によって絶対完全の智慧に 趣 入しなければなら 

(502)   44 

%  て ︑﹁私はすべての衆生の救済者である ヒと い う 自覚と使命感とを持っべきだと教える︒ こ の 自覚に立っ使命感が不   

お捨 

行の原動力となる︒①②③の三 つは 他人に 対する自分の心構え︑心の持ち方をいっている が ︑では 心 そのものにつの     柵 いてはどうであろう︒④では自らすべての 悪 を制適 した心の状態をもっべきという︒悪を根 絶した状態ではなく︑ 悪 ︵ 

  般 が 活動を止めた状態・悪が勢力を失った状態・ 亜 ゅが 支配された状態にしておくべきであるという 意味であろう︒この 4 

菩提 

であり︑最も崇高な心情のあり方である︒親子の 愛情はすべての愛情の基本形といえよう︒③は この情愛の上に立っ 

  し、 ぎ寺 

②すべての有情に﹁母の想い﹂︵ ョ注 rl 終 七古 ゅ旧 ︶を︑﹁父の想い﹂︵口耳 八こを ︑そして﹁娘の 想いし︵色目玉︵ ハ ーの・︶ 

を ︑﹁息子の想い﹂︵で け ︵ ぺが ︒ ダ ︶を抱き︑侍従 し て過 すべきである︒ 

③またスブーティ よ ︑無上正等覚を証得しよう と 欲する ボサッ 大士は︑すべての衆生の前に進み 出て ︑ 次のように 

言って修学すべきである︒﹁私はすべての衆生 の 救済者である︵ き ︵ 春お ︵︵ ゆ コ囲ヨ日 団七 コゆ ︵ゴ ロ さ ︒ ヒと ︒ 

④また自ら﹁すべての 悪 八の活動 が休止した 状態にあるべきである 1 一 ︵の arval つ醐 注目アヤ︵︵入目の ︵ ゴゆ円 ㏄ せ Ⅱ 曲 巾 Ⅰ ︶ ︑ 

⑤贈物を与えるべきであり︑戒を保つべきであ り ︑忍耐を完全にすべきであり︑精進に努力すべ きであり︑禅定に 

入るべきであり︑智慧を完成すべぎであり︑ 順 逆の縁起の法を達見すべきである︒ 

⑥また他人をも︵自分と同じように︶よく 証得 させ︑それ︵無上正等覚︶を讃美し説法 し ︑そし   

達 にも︶知らしめるようにさせるべきである 守 

  

せ 目色 ‑ 口目 叶 の 吋1 の㏄ ミリ 

コ 三曲の口ロ OP オゴ の くコゆへ せ めヨ ︶ 

右の例文中︑①は平等利益の心情︐謙下の心情 ・ 不 害の心情を一切衆生に対してもっべきであり ︑これが一切衆生 

を 捨てない行為の心情でもある︒②ではもっと 具体的に説く︒親に対する子供の気持のような︑ 子供に対する親の気 

持 のような情愛を衆生のすべてに注ぐべきとい︐ っ ︒これは人間をはじめ他の動物におけるも同様 ︑原初的愛情の形態 

ドキュメント内 『宗教研究』203号(43巻4輯) (ページ 41-46)

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