沖縄島大浦湾沿岸における甲殻類の種多様性について(速報)
2. 材料と方法
本研究では、沖縄島大浦湾における甲殻類相の解明を目的としている。より網羅的かつ効率的な調査 を実施するため、複数の分類学研究者(本報告書の著者)から成る調査チームを結成した。調査対象地 としては、当初は、従来十分な調査がなされてこなかった金武湾および大浦湾の両湾を対象としていた が、調査チームを組織できる期間が短く、短期間の調査としては金武湾の規模が大きすぎるという理由 から、大浦湾において集中的な調査を行うことになった。
調査期間は、 2008 年 10 月〜 2009 年5月にかけての3日間(2008 年 10 月 24 日、2009 年5月 25 日、
5月 27 日)の予備調査と、 2009 年6月 19 〜 25 日の7日間の本調査であった。採集調査は、河川の河 口部および海岸潮間帯から水深約 60m までの、主に非造礁サンゴ群集環境をカバーする様々な微環境(干 潟、マングローブ林、飛沫転石帯、海草藻場、砂泥底など)において行った(図1、2)。なお、大浦川 の河口のマングローブ林は、名護市の指定天然記念物「大浦のマングローブ林」に指定されているため、
調査に際して現状変更許可を申請し、許可取得の後に調査を実施した。
採集調査方法としては、1) 沿岸部における踏査およびスノーケリング採集と、2)船を用いて SCUBA 潜水調査、ドレッヂ調査、トラップ調査を行った(図3、4)。沿岸部における踏査およびスノー ケリング採集調査では、徒手、タモ網、ヤビーポンプ(図3B)、スコップなどを用いて直接採集を行った。
一方、 SCUBA 潜水調査でも、陸上と同様にタモ網、ヤビーポンプ、スコップなどを用いて直接採集した。
トラップ調査では、網かごトラップ(商品名:お魚キラー)や筒状トラップなどに餌として冷凍サンマ を入れて水深約 38 〜 60m 付近の海底に投入し、翌日に回収した(図3E, F)。また、泥底や砂礫環境に おいては、口幅約 40cm の簡易ドレッヂ(図3A)および三角ドレッヂ(図3B)を用いて底質ごと採取
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ルで固定・保存した。
なお、種同定については、コエビ類は奥野が、異尾類と口脚類は大澤が、カニ類は成瀬が、その他の 分類群の大部分(根鰓亜目、テッポウエビ類、エビジャコ類、アナジャコ類など)は駒井が、その他の 一部の種(ヌマエビ類やテナガエビ類など)については藤田が、それぞれ担当した.また、十脚目の分 類体系については、 De Grave et al.(2009)に従った。カニ類の分類体系については Ng et al(2008)も 参考にした。シャコ類の分類体系については、Ahyong (2001) に従った。
3.結果・考察・提言
1)大浦湾における甲殻類の種多様性
現在(2009 年 11 月 23 日)までに 61 科 241 属 496 種の十脚目甲殻類を得た。それらの中には、少な くとも 36 種の未記載種および 25 種の日本初記録種と見られる標本が含まれていた(図5)。加えて、口 脚目(シャコ類)についても4科8属 14 種(3未記載種、4日本初記録種を含む)が記録された(図6)。
したがって、本調査で採集された十脚甲殻類とシャコ類のうちの、実に 13%が未記載種あるいは日本初 記録種ということになっている。上述した十脚甲殻類のうち、すでに一種については新属新種として記 載が終了し、Uruma ourana Naruse, Fujita & Ng, 2009 として発表されている(Naruse et al., 2009; 図5F)。
なお、分類作業は現在進行中であるため、本報告では、各分類群における種数のみを示した。
口脚目および十脚目の各分類群における出現種数を表1に示した。特筆すべきは、口脚目、Axiidea,
Gebiidea などの分類群における未記載種および日本初記録種の高い割合である。これらの未記載種およ び日本初記録種の多くは、砂泥底中からヤピーポンプ(図3B)などを用いて、干潟だけでなく SCUBA 潜水水深から得られたものである。中井ら(2009)は、すでに大浦湾の生物多様性における泥地の重要 性を指摘しているが、本研究においてそれが実証されたことになる。また、SCUBA 潜水にてヤピーポ ンプを使用して砂泥底中の生物を吸引採集する方法は前例が少なく、今後も同様の調査方法を用いるこ とで、新たな発見があることが期待できる。
本研究では、大浦湾という規模の小さな湾で、短期間の調査期間ながら 510 種もの甲殻類を採集する ことができた。しかし、本研究では「典型的なサンゴ礁環境」を主な研究対象から外していることから、
今後の調査によって種数はさらに増えるものと思われる。実際、造礁サンゴ群体に依存するサンゴガニ 類や、サンゴ礁性岩礁域に多産するイセエビ類などの大型種は、本研究ではほとんど得られなかった。
また、オカガニ類やオカヤドカリ類などの陸性の十脚甲殻類についても十分に調査を行なっておらず、
加えて甲殻類には夜行性の種が多いにもかかわらず、夜間踏査や夜間潜水調査は1度しか実施すること ができなかった。より正確な甲殻類相の解明のためには、これらのことに留意してさらなる調査を行う
沖縄島大浦湾沿岸における十脚甲殻類の種多様性について(速報)
果は、大浦湾における甲殻類の高い種多様性を示すものであるが、これが直ちに大浦湾の「特殊性」や「希 少性」を意味することにはならないことに十分注意すべきである。なぜなら、生物多様性の保全と持続 的利用を進める上で、正確な生物相の把握は必要不可欠な情報であるにもかかわらず、本調査のような 分類学者を中心としたチーム研究は、南西諸島地域においてこれまでにほとんど行われてこなかったた めである。大浦湾は、米軍普天間飛行場の移設候補地に隣接した海域も含まれており、本研究の結果が、
大浦湾の特殊性や希少性を議論する際に必要以上に強調される(「道具」として利用される)懸念もある。
しかし、大浦湾の生物多様性の「価値」を科学的に議論するためには、大浦湾以外の沿岸域や陸域にお いても、分類学的素養を持つ研究者によって生物相の把握を徹底的に行い、その上で大浦湾との比較を することにより生物多様性についての評価がなされるべきである。
近年、「生物多様性」という言葉が一般にも浸透しはじめ、その重要性や保全の必要性が少しずつ認識 されるようになってきた。2010 年 10 月には、生物多様性条約第 10 回締約会議(COP10)が名古屋市で 開催され、「生物多様性」は、自然・環境分野において今後最も耳にする(目にする)言葉の一つになる と思われる。しかし、その一方で、まだ「名前(種名)」すら付いていない種が多数存在し、我々の「真 の生物多様性への理解」がいっこうに進んでいないという現状や、種多様性を解明する研究者(分類学者)
の数が極めて少なく、若手分類学者の育成もままならないという現状は、現在の生物多様性保全活動の 現場で取り上げられることはほとんど無い。例えば、中井ら(2009)は、大浦湾の生物多様性を紹介す る過程で、「辺野古・大浦湾の海は、非常に多くの種類の生物が生息する、いわゆる生物種レベルの多様 性が非常に高い場所だということが分かってきた。(中略)。しかし、たくさんの生物がいることはわか りやすいが、生態系レベルの多様性については、なかなか理解されにくい。……」と記述している。し かしながら実際には、本研究をとおしても明らかになったように、大浦湾に「どれだけの種がいる」のか、
「どんな種がいるのか」については未だにほとんど解明されていないのである。生物多様性保全において、
守るべき対象を明確にする上で、各地域における正確な生物相の把握、さらには種多様性の理解は必須 である。それに貢献する分類学および分類学者の重要性を再考し、県内にこれらの基盤となる標本を恒 久的に保管するために、設備・人員の十分に確保された博物館等の機関を整備する必要があると思われる。
4.謝辞
本研究を進めるにあたり以下の方々にお世話になった。名護市在住の西平 伸 氏には調査船の操縦や 大浦湾の生物や環境に関する様々な助言をいただいた。琉球大学の小渕正美博士には大浦湾産の十脚甲 殻類の標本の一部を提供いただいた。同大学の琉球大学サンゴ礁生物研究会 Reef の部員の皆さんには、
沿岸部における踏査およびスノーケリング採集調査に参加いただいた。 SCUBA 潜水調査に関しては、
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5.引用文献
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