東京都北区特別養護老人ホームみずべの苑 配置医 碓井 亘氏
4章では、「在宅医療コーディネーターの課題」を整理すること。どんなにやる気のあるひとが 集まっても、必ず「必要性」への懐疑がでてくる。在宅医療コーディネーターへの期待が高まる 一方で、その検証なくしては、一歩も前には進まないことがわかる。
期間と地域限定の医療コーディネータと地域包括ケア
東京都北区特別養護老人ホームみずべの苑 配置医 碓井 亘
2014 年のなかばに医療コーディネータの研究会に参加することになった。私 は当初はオブザーバーであったはずがいつの間にか委員にされてしまったが 5 回の会合を通して考えてみるとやはり内容はオブザーバーであろうと思う。最 初に疑問を感じたのがこの研究会がなぜ必要で、何を目的にしていて、誰を対象 に、誰が計画したか、事前に我々委員に明確に提示されなかったことであった。
これはコミニュケーションの基本であると思う。会の主催者側の方々は何とな くほぼディストワールが決まっていてそれを現場に持って行ってワークショッ プするというプランのように思われた。参加者の方々は貴重な時間を割いて集 まっているのであるがそれに対してのマインド(気遣い)があった方がよいと思 う。やはり先ず研究会の立ち上げに必要な方々に事前に会の趣旨を説明するべ きではなかったかと思う。
ところで、ある特定の情報が自分にとって必要か否かの吟味がされないとな かなか身にならないのではないかと思う。こういう会を立ち上げると概して参 加している方々は既にこの問題点は実行済みという人が多く本当に理解してほ しい人が参加しないことの方が常に問題である。今回やはりどうしても参加し て欲しかったのは医師も含めたがんの治療を行っている病院とがん患者を受け 取る在宅医療現場の医師、看護師を含めたスタッフであろう。
さて、よくあることだが何か新しいことを行う時には生み出す力が必要にな る。今回考えさせられたのはこのことであった。
随分前に cordinator (コーディネータではなくて)という言葉を聞いて漠然と私
の心に思い浮かんだのが受胎告知をするガブリエル大天使やネイティブアメリ カンのスピリットガイドであった。
最初に再確認が必要なのは極めて基本的な事柄であるが社会システムとして独 立した立場としてのコーディネータは本当に必要なのだろうかという問題であ る。必要であるならばなぜそういう状況であるのか?誰が必要としているの か?または誰が必要と考えたのか?あるいは本当は医療コーディネータの問題 点は実は何もないのではないか?医療コーディネータの問題点としているのは 本来は当事者の問題ではないか?という基本的な事の確認は飛行中のスペース シャトルを解体して直しながら飛び続けるようなものであるかもしれないがや はり必要だと思う。
コーディネータは社会の基本単位に関わる事、つまり人間関係そのものが仕事
ということになる。関係自体は自己と他者の間で築かれるものだが医療コーデ
ィネータの場合は最終的に両者の相互理解を目的として関わることになる。こ のために第3者としてこの関係にどう関わるかが問題である。関わるためには すでに体験している必要があるのではないだろうか。これを知識として確立し 得るのだろうか。知識は十分条件だろうが必要条件ではないと思える。なぜなら 関係については殆どが初めての経験になるからである。
とにかく最初に現場の意見をよく聞いて集める事、困っている人の話を聞い て見る事だろう。人の話をよく聞くことである。聞くときには表情、仕草、言語 以外の情報も大変重要である。人間関係は人それぞれである。あるペアの関係は 他のペアの関係には差し替えることは難しい。関係に携わる人が変われば新し い関係が生まれる。ある人の人生には代理の人生はない。構造的には全く同じあ っても、人が違えば反応も違うのが当たり前である。だから人に関わる仕事は替 えが効かない。将来介護ロボットを作るときにこれが問題になると思う。同じ単 語でも受け取り方、イメージ、様々である。音楽や絵画なら更にわかりやすい。
学問的にはこの分野はコミニュケーションサイエンスであろうと思うが巷では 船の水先案内人や町の御隠居さんや大家さん、お坊さん、神父さんという人々が 担っているのだろうと思う。学問になるはるか昔から人はこのことに携わって いる。これらの職種の人々のなかには天職であるとする向きもあるようだが私 はむしろ社会的な関わりで必然的にそうなったのだろうと思う。そうなれない ひとは消えてゆけばよいしほかの事で携わることができる。無理はよくない。追 い詰められたところでどの位展開できるかである。窮地、その先には信頼が待っ ている。もちろん向き不向きもあるのは当然である。何もできなくても誰も文句 は言えないしまたいうべきではない。
最近は量子化されないメッセージはメッセージではないと思っている人が多 いような気がする。当初はそういう事はうっとうしいから排除しようとしてき たが、実はそちらの方がエッセンスであったということが多い。本当に大事な事 は今でもどの国でもみな口承伝承で行われる。メディアリテラシーについても 日本は遅れている。こうなっている原因を改善するにはやはり社会教育を含め 教育の再考が必要であろうと思う。医療の現場では患者時自身の一番つらい部 分に携わざるを得ない事が多い。今一度医師も看護師も原点に立ち返って人間 とは何なのかを考える必要があると思う。どうしたら目の前のひとが幸せにな る事ができるのか、そこに自分はどう立ち入ることが許されるのか、自分は社会 の一員としてどうすべきなのか?このことを最優先にチームワークなりケアが あるコミュニティを取り入れた地域包括ケアなりを組んでいけばよいと思う。
それには医療の在り方も再考する必要があると思う。医療と介護、キュアとケア の間には境はないと思う。もともとは一つのものであるからである。
5回の研究会でも話したことだが日本ではまだまだ社会福祉士という職の認識
が低い感じがする。社会生活を営む上で一番個人にアプローチしやすいのはこ の職種ではないだろうか。会でも触れたが本来ならコーディネータのかなりの 部分をソーシャルワーカーが担うべきではないかと私は思う。コーディネータ という視点はよいと思うが昔から関係する人々が皆行ってきたことである。コ ーディネータという職種を新たに作るよりも既にソーシャルワーカーという職 種の醸成を行う方が合理的ではないだろうか。心情豊で慈愛を常としてこの職 業をなす人々を社会が育てていくことが必要なのではなかろうか。改めて書く こともなくどれをとってもすべてが普通の社会であれば当たり前の事であり、
取り立てて新しいものはない。今の世の中は少し前まではこの普通の当たり前
だった社会が壊れて来ているのが原因だと思う。今一度、社会について再考すべ
きことが課題だと思う。
5 章 在宅医療コーディネーター養成講座案 1. 在宅医療コーディネーター養成講座案
日本医療コーディネーター協会 理事 水木 麻衣子
ドキュメント内
「在宅医療コーディネーター養成カリキュラムの開発」
(ページ 35-39)