1 はじめに
知る自由とは、既に表現されている情報を、公権力によって妨げられることなく受領す る自由である1。日常の生活において、新聞や書物を購入したり、インターネットで情報を 収集したりすることが公権力によって妨げられることはない。知る自由の行使は、他者を 害するものではないから、制約されない自由のはずである。
しかし、私たちは、無償で発信されている情報を得ようとすると、その情報の発信者と 異なる者のために経済的負担を強いられることがある。テレビ放送の受信である。放送法 64条1項前段が「(日本放送)協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者 は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。」と定めるからである。
「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置」することで、協会(以下、NHK)
の放送の視聴と無関係に受信契約の締結が強制され、受信料という経済的負担が課される ことになっている2。
現行の受信料制度では、民放は視聴したいが NHK を視聴する意思のない者にとって、
受信料を支払わず民放だけを受信するという選択肢がないことから、かねてより、受信料 を支払いたくない者の「思想の自由」に対する強制ではないかとの問題が指摘されていた が3、憲法学界の反応はほとんどなかったようである。
しかし「民放だけを視聴したいのに、なぜ、NHKのために受信料を支払わねばならない のか?」という素朴な疑問は常にあり続けた。通常の人の感覚としては当然であろう。そ れでも、多くの人は、テレビを設置すれば、NHKも民放も視聴するので、実際にはその素 朴な疑問を表に出すことはなかった。そこに度重なる NHKの不祥事があってか、一部の 者は受信料の不払いを実行するに至った4。不払いに対して、NHKは、当初、特段の措置 を講じてこなかったが、この姿勢は受信料を支払っている国民から不平等だと言われるよ うになり、ついに訴訟に踏み切った。さらに NHKは、NHKの放送を受信することのでき
1 松井茂記『日本国憲法 第3版』477頁。なお、同書は、「公権力」ではなく「政府」
としている。
2 契約締結の強制については、昭和 28年 8月7日の衆議院電気通信委員会で、放送法 の規定は契約自由の原則に反し、場合によれば憲法にも違反しないかと問われた国務大臣 が「私も一般の観念からすれば、まさに御指摘のように、若干の無理があると思いま す。」と答弁している。なお、この契約締結強制の問題を分析するものに、谷江陽介『締 約強制の理論 契約自由とその限界』(成文堂、2016)がある。
3 鈴木秀美・山田健太編著『放送制度概論 新・放送法を読みとく』(商事法務、2017 年)169頁、土屋英雄『NHK受信料は拒否できるのか 受信料制度の憲法問題』(明石書 店、2008年)69頁以下
4 札幌地裁平成 22年3月19日でも、協会の不祥事が不払いの理由として主張され た。一連の不祥事とされるものについては、小山和伸『これでも公共放送かNHK!』(展 転社、2014年)、西村幸祐『NHK亡国論』(ベストセラーズ、2014年)。
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る受信設備を設置していながら受信契約を締結していない者に対しても訴訟を提起した5。 この受信契約締結承諾請求訴訟は最高裁まで到達した6。最高裁で審議されることにな ったとき、この判決次第では社会的に大きな影響がありえたから、法務大臣は「国の利害 に関係のある訴訟についての法務大臣の権限等に関する法律」に基づいて、最高裁に受信 料制度を合憲とする意見書(以下、意見書)を提出した7。結果、現在の放送「制度の枠を 離れて被告が受信設備を用いて放送を視聴する自由が憲法上保障されていると解すること はできない」、つまり、経済的負担なく民放だけを視聴する自由は、憲法上の自由としては 認められなかった。
だがこの訴訟によって「NHK受信料支払い拒否は、NHKの報道等に対する不満を表明 する政治的運動として行われたという面もあり、憲法との関係で放送法制をどう理解する かという非常に難しい憲法問題が背景に存在する8」と、憲法問題として認識されるに至っ た。国民の素朴な疑問が、憲法問題に昇華したのである。
本章では、この最高裁判決とそれに至る下級裁判所および被告が同様の主張をしている 他の判決を、知る自由の侵害という観点から分析するとともに、近い将来実施されるであ ろう「常時同時配信」つまり「NHK が放送するテレビ番組を、原則としてそのまますべ て、放送と同時にインターネットを通じて配信すること9」の問題を検討する。
なお、この一連の訴訟で被告は、①契約自由の原則の侵害、②財産権の侵害、③幸福追 求権・思想良心の自由・表現の自由の侵害(民間放送を視聴する自由)、④平等原則違反、
⑤国家の権限逸脱(立法に一般性がないこと)、⑥租税との類似性、を主張した。意見書も これに反論するように作成されている。
訴訟では「知る自由」ではなく「知る権利」の語を用いているから、本章では、2つの 用語をどちらも本章冒頭に記した「知る自由」の意味で用いる10。判決中の「原告」は常
5 受信契約未締結者に対する訴訟は少ない。そもそも訴訟とすることが困難だからであ る。というのは、受信設備の設置の有無を確認する手段が法的に担保されていないから、
受信設備を設置している者が、NHKの受信契約の「お願い」に対して一切対応しない場 合、NHKは受信設備の設置の有無を確認しようがなく、「設置しているのに未締結」で あることを実証できないのである。ホテルの客室等であれば、宿泊することで受信設備の 設置の有無が確認できるが、個人宅ではそれができない。近年は、カーナビが受信契約義 務がないことの確認訴訟など、受信契約未締結者が提訴するなど、裁判所が、何らかの意 図をもった者によって利用されている感もある。
6 最大判平成29年12月6日民集71巻10号1817 頁
7 法務大臣の意見は権力分立の観点から訴訟においては証拠としてではなく参考として扱 われるだけであり、初めて提出された森林法事件(最大判昭和 62年 4月22日民集41 巻3号408頁)では、最高裁は法務大臣の意見と異なり違憲判決を下している。本件は 2例目。
8 芦部『憲法 第 7版』(岩波書店、2019年)193頁。同書は「表現を受け取らない自 由」の侵害をみているが、本件は「知る自由」の侵害を主張している。
9 NHK受信料制度等検討委員会「常時同時配信の負担のあり方について」答申(平成
29年7月25日)
10 準備書面では被告は「知る権利」を「一般的に近づき得る情報源について、好きなと
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に「NHK」を指し、「被告」は「受信料未締結者」または「受信料未払者」である。
【本章で参照する判例一覧】
東京地方裁判 所 東京高等裁判 所 最高裁判所
A ①平成25年8月26日 平成24年(ワ)第22468号
⑦平成25年12月26日 平成26年(ネ )第5413号 B ②平成25年8月30日
平成24年(ワ)第21358号
⑥平成25年12月18日 平成26年(ネ )第5442号 C ③平成25年10月10日
平成24年(ワ )第3922号
⑧平成26年4月23日 平成25年(ネ )第6245号
⑨最大判平 成29年12月6日 民集71巻10号1817頁 D ④平成26年3月27日
平成25年(ワ)第22204号 E ⑤平成26年7月16日
平成26年(ワ )第295号
※地裁判決日 時順
※⑨を除いて 判例集未搭 載
2 下級裁判所における「知る権利」と「公共の福祉」
受信料をめぐる訴訟は、大別して、受信契約を締結しているものの、何らかの理由で受 信料を支払わずにいる者に対して提起される訴訟と、受信契約未締結者に対して提起され る訴訟の2つがある。両者は訴訟の要因が異なるが、受信契約締結強制によって「知る自 由」が侵害されるという問題を検討する上では、特に両者を区別する必要はないと考え、
一緒に扱う。
以下、東京地裁の判断を分析する。文中①~⑨は、上表の判例番号と対応する。
(1)東京地方裁判所判決
被告は各訴訟において、「受信契約を免れようとすると受信設備を設置しないという選 択をせざるをえないから民放を視聴することができない」という趣旨の主張をしている。
これに対して NHKは「放送法64条1項は、受信設備設置者に対し、受信契約締結義務 を課すのみであるから、原告の放送を受信できる設備を設置せずに契約を締結しないこと も自由であるし、同条項によっても、受信設備設置者は原告の放送の視聴を強制されるわ けではなく、一般放送事業者による放送の視聴は何ら妨げられない。」と反論する。
以下は裁判所の判断である。短いので全文を記す。
ころで求めるときに自由に知ることができる」権利と主張したのに対して、NHKは「憲 法論として議論される『知る権利』とは、国家等に関する関係で論じられるもので、被告 が主張するような」ものではないと反論しており、当事者の知る権利についての認識が異 なる。