1 はじめに
かつて最高裁は「そもそも、人類の歴史において、立憲主義の発達当時に行われた政治思 想は、できる限り個人の意思を尊重し、国家をして能う限り個人意思の自由に対し余計な干 渉を行わしめまいとすることであつた。すなわち、最も少く政治する政府は、最良の政府で あるとする思想である。そこで、諸国で制定された憲法の中には、多かれ少かれ個人の自由 権的基本人権の保障が定められた。かくて、国民の経済活動は、放任主義の下に活発に自由 競争を盛ならしめ、著しい経済的発展を遂げたのである。ところが、その結果は貧富の懸隔 を甚しくし、少数の富者と多数の貧者を生ぜしめ、現代の社会的不公正を引き起すに至つ た。そこで、かかる社会の現状は、国家をして他面において積極的に諸種の政策を実行せし める必要を痛感せしめ、ここに現代国家は、制度として新な積極的干与を試みざるを得ざる ことになつた。これがいわゆる社会的施設及び社会的立法である」と述べた1。日本国憲法の もとでも近代立憲主義の精神が、その中心的地位を占めていることを明言したのである。そ うである以上、この立憲主義の基本知識なくしては裁判所の姿勢を理解することはできな い 2。ここで近代立憲主義およびそれを修正した現代立憲主義を明らかにする。
2 近代立憲主義の概要
立憲主義は多義的であり、アメリカ合衆国やフランスのような国民主権国家だけでなく、
君主制とも結びつく3。「国民主権を出発点にして、主権者たる国民が憲法を制定し立法権・
執行権・裁判権を創設する」モデルと、「君主制原理(君主主権)が出発点に置かれ、そこ から君主が憲法を欽定して自己の権力を制限する」モデルがみられるのである4。立憲主義が 憲法によって国家権力を拘束するということだけを意味するのであれば、このような思想は 古典古代においてもみられる5。が、わが最高裁のいう立憲主義はこの意味ではない。最高裁 がいうそれは、「個人の尊重」「個人の意思の自由」を基礎とするもの、とりわけロックの
1 最大判昭和23年9月29日刑集2巻10号1235頁
2 戸松秀典『憲法』(弘文堂、2015年)6頁は、近代立憲主義の「基本知識なくしては日 本国憲法の意味内容を理解することはできないといってよい。」と断言する。
3 辻村みよ子『憲法 第6版』(日本評論社、2018年)7頁は「立憲主義の概念は本来多義 的であり、前近代の君主制のもとで君主の権力を制限しようとする立憲君主制とも結びつく ことができた」とする。
4 高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第4版』(有斐閣、2017年)29-30頁
5 佐藤幸治『日本国憲法論』(成文堂、2011年)5頁
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自然権思想に基礎づけられた基本的人権を基礎とするもののことである6。このような立憲主 義を、こんにち近代立憲主義と呼んでいる。
近代立憲主義の定着は、1776年、アメリカ合衆国がイギリスからの独立を宣言し、
1789年、フランスが人間と市民の権利の宣言によって王制を打倒し共和国を樹立した頃に はじまる。こうした大変革は、君主または国家の専制権力に制約を加え、国民の自由を確保 するとこを目的としたものであった。そして、このような考え方を取り入れて制定された憲 法が、立憲的憲法(近代的意味の憲法)である。フランス人権宣言は、多くの自由及び権利 の宣言をするとともに16条で「権利の保障が確かでなく、権力分立も定められていないよ うな社会はすべて、憲法をもつものではない。」と、近代立憲主義の核心を謳っている。
フランス革命から100年後、わが国では大日本帝国憲法が制定された。この憲法は、権利 の保障も君主の権力の制限も不十分で、立憲主義の見せかけにすぎないという批判をこめ て、「外見的立憲主義の憲法」と呼ばれることが多い7。
日本国憲法は第二次世界大戦の敗戦を機に大日本帝国憲法を改正する方式で成立したが、
その内容は、先の憲法との連続性を絶っているといってよいほどである8。制定手続の問題は 措くにしても、日本国憲法は、草案作成の過程からアメリカの影響を強く受けながら国民主 権原理を採用し、基本的人権の思想を取り入れ近代立憲主義の憲法の要素を充たした。さら に社会権が保障され、違憲審査制度の導入によって権利の保障が強化された現代立憲主義の 憲法となった。
6 浦部法穂『憲法学教室 第3版』(日本評論社、2016年)12頁
7 高橋・前掲書(注4)35頁。戸松・前掲書(注2)6頁は「不完全な立憲主義」と評する
。浦部・前掲書(注6)33頁は、大日本帝国憲法が神話に結びついていることから外見的立 憲主義とさえいえないようなものであったと評する。しかし、当時、わが国では天主の思想 が十分に浸透していなかったこと、国際社会が不安定であったことを考慮するならば、近代 立憲主義の要素を充たしていないからといって批判されるべきものではなかろう。松井茂記
『日本国憲法 第3版』(有斐閣、2007年)29頁は、国王が実質的な権力を喪失したイギ リス型立憲君主制はともかく、国王が憲法以前に権力をもっていて、ただ憲法に従って権力 を行使することを宣言しただけのドイツ型立憲君主制(外見的立憲主義)は立憲主義にあた らないと考えるべきだと述べる。ただ、松井のように、「国王が憲法以前に権力をもってい る」ことを基準とするのであれば、大日本帝国憲法の天皇は、憲法によってその地位と権力 が創設されたとみるのが事実にちかいだろうから、ドイツ型立憲主義とも異なろう。
8 戸松・前掲書(注2)6頁
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3 権利の保障
わが日本国憲法が立憲主義の憲法であり、アメリカの影響を強く受けているのであれば、
アメリカの独立や憲法制定に影響を与えた、ホッブス、ロック、ルソー、モンテスキューな どの思想にも触れねばならないだろう。彼らの思想がそのまま受け継がれているわけではな いけれども9、わが国では馴染みのなかったキリスト教的な天主の思想に由来する基本的人権 を理解するにはその思想を振り返ることは必要なことである。
(1)ロックの自然権思想
近代立憲主義の目的は、国民の自由の保障にあった10。この自由は、とりわけロックの自 然権思想に基礎をおく基本的人権としての自由を意味する11。「もっとも多く引用され、
もっとも少なく読まれる著者12」と評されるロックの論文「市民政府論13」を辿ると、ロッ クはまず、「すべての人間が天然自然にはどういう状態に置かれているのか」(自然状態)
ということから出発し、それを「平等の状態」であり「そこでは一切の権力と権限とは相互 的であり、何人も他人より以上のものはもたない。」とする14。この自然状態は、神の意志 の表れである自然法によって支配されており、この法は「すべての人類に、一切は平等かつ 独立であるから、何人も他人の生命、健康、自由または財産を傷つけるべきではない」とい うことを教える15。そして「万人が他人の権利を侵害したり、お互いに傷つけ合ったりする ことを抑止され、かくして平和と全人類の存続とを目的とする自然法が守られるように、自 然状態においては自然法の執行は各人の手に託されているのであって、このようにして、こ の法に違反する者を、法の侵害を防止する程度に処罰する権利を、各人が」もつ16。しか し、自然状態において、各人が自然法の執行権力をもつということは、錯綜と混乱を生む。
9 戸松・前掲書(注2)6頁
10 辻村・前掲書(注3)11頁
11 近代立憲主義の権利の保障を基本的人権に限るのであれば、わが大日本帝国憲法は立憲主
義ではないことになる。
12 清宮四郎『権力分立制の研究』(有斐閣、1950年)15-16頁は、ドイツのヘラーがボ ダンについて評した言葉を引用し、これをロックにも当てはめた。
13 本稿では、鵜飼信成訳「市民政府論」(岩波文庫、1968年)を用いる。以下、引用の際 には、節番号を示す。
14 市民政府論4
15 市民政府論6
16 市民政府論7
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そこで、「神は、人間の偏頗と暴力とを抑制するために政府を設けた」とする17。本来、万 人が自由平等独立であるから、「人が自分の自然の自由を棄て市民的社会の羈絆のもとにお かれるようになる唯一の道は、他の人と結んで共同体を作ることに同意すること」によって である18。その目的は、「彼らの所有権の享有を確保し、かつ共同体に属さない者による侵 害に対してより強い安全保障を確立し、彼らに安全、安楽かつ平和な生活を相互の間で得さ せること」19にある。共同体を結成するに際して、人々は「社会を結成した目的に必要な一 切の権力」を譲渡するが、人々はなお、所有(Property)権、すなわち「生命自由及び資 産」に対する権利を有する20。
国家の有する権力はすべて国民の信託によるものであり、ロックは、立法権を最高権力と するが21、この立法権は、人々の所有(Property)を保障するために、自然法の下で、「公 共の福祉」の範囲内で行使されなければならない22。人々は「自然状態にあっては他人の生 命自由または財産に対してなんらの恣意的権力をもたず、ただ自然法が彼自身および、その 他の人類の維持のために与えただけを有つのであるから、これだけが彼が国家に、したがっ てまた立法権に譲り渡し、また譲り渡すことのできるすべてであり、そのために立法府はこ れ以上のものをもつことはできないのである。彼らの権力は、その究極の限界としては、社 会の公共の福祉に限定されている」という23。
各人の自由が最大に保障されることが前提であり、国家はそれを保障するために作られる のだから、国家による国民の自由への干渉は、論理必然的に、最小でなければならないこと になる。人権思想のもとでは、自由の規制は、常に、最小なのである。
(2)ロックの思想のアメリカへの影響
ロックの思想がアメリカ合衆国憲法の中に取り入れられていることはよく知られている。
まず、ロックの説いた、自然法原理に立脚する人権を歴史上初めて宣言したのが1776年6 月12日のヴァージニア権利章典である24。その1条は「財産を獲得し所有する方法によ
17 市民政府論13
18 市民政府論95
19 市民政府論94、95
20 市民政府論123
21 市民政府論149、150、153
22 市民政府論131
23 市民政府論135
24 高橋・前掲書(注4)74頁