第 2 章 「宗教的情操」の誕生 ― 能勢栄と明治 20 年代 ―
第 3 節 明治 20 年代の「情操」
第1項 「情操」の辞書的意味の展開
次に、能勢栄の「情操」論を検討していきたいが、その前に日本における「情操」とい う言葉の受容と展開について整理する。
「情操」は現代では大きく言えば喜びや悲しみ、ねたみ、そねみなどの心の動きを総括 した意味で使われ 25、狭義としては「比較的複雑な、殊に知的作用に伴なう静かな、高尚 な感情」で、「情緒」とは異なり「個人の修養や教養の程度により著しい差を生じ、した がって価値観の基礎となり、人格や品性を形成する重要な因子となる」26とされる。他に も「情操とは価値的側面からみた複合的感情」27として定義され、情操がなければ、人は 心から感動することができないとされる。
また、「情操」は、明治時代以前は「情感ゆたかな心、また、その働き」の意味で日本 では使われていたが、西周が明治 12 年に“sentiment”、“feeling”の訳語として「情操」と あてたことで、意味にさらなる含みを持つことになった。明治20年代からは、“sentiment”
の訳語の一つとして定着をみせた28。
その後の「情操」の展開をみてみよう 29。明治 16 年刊行の麻生繁雄編・井上哲次郎閲
『倍因氏 心理新説釈義』では、「彼の体機の動作より挑発する快楽苦痛は感覚に属すと雖 も全く体機に関せずして思想上に発起するの喜憂之を情操と云う。即ち特殊の物に傾注す る状態なり。宗教上に関する喜憂の如き即ち是なり」30という意味でつかわれておる。さ らに、明治19年の『教育心理倫理術語詳解』では「センチメント。特別の事情に傾注する より発動する情感」というように記される。
ここからみてもわかるとおり、すでに「情操」は「特殊の物に傾注する状態」「特別の 事情に傾注するより発動する情感」という、ある特定の価値への傾倒を含んだ概念であっ たことがわかる。さらに、『倍因氏 心理新説釈義』で「宗教上に関する喜憂の如き即ち是 なり」と記されているように、「情操」の行き着く先は宗教的な価値への傾倒とも捉えら れていたのである。「情操」は当初より「宗教」と深く関連している言葉として日本に
「輸入」された。
さらに時代が下ると、明治39年の西山哲治編『日本家庭辞書』では「情操とは吾人の理 想を考え知力複雑となり、推理作用を行う快不快の情にして、情緒は身体に密接すれども 情操は主として精神の要素にのみ関するが故に情緒よりは高尚なり」とし、明治44年の金 沢庄三郎編『辞林』では、「最も複雑なる感情にして、其発作のおもに精神に関するもの、
即ち、真理をたうとび美を愛するが如き感情をいう」とそれぞれ記述されている。この時 代の「情操」は、何かしらの価値への傾倒から、「高尚」で「真理をたうとび美を愛する」
感情として使われている。つまり明治10年代の「情操」と比較すると、その言葉自体にす でに何かしらの価値が含まれた言葉として使われているものとして扱われていたのである。
第2項 能勢栄の「情操」
本項では明治26年に刊行された能勢栄『実践道徳学』を中心にみていこう。本書は緒言
39
に刊行の意図が述べられている。それによると、学校で修身科を教えるにあたり、教育勅 語の奉読とその意味を教える他に、国民が遵守すべき義務、倫理事項を教えるべきだと述 べられている。
一方で、能勢はあくまで教育勅語が道徳の基本であるが、「普通道徳の理論を説き、各 種の義務を教へ、各種の徳行を実践せしむる場合には、此の書を用いるを宜しとす」31と、
「普通心」が道徳教育において重要であるという姿勢を崩してはいなかった。
本書はまず、人間が備えるべき道徳の標準である「普通心」を説明する。「普通心」と は善悪を理解する能力として「良心」を重要とすることは先に述べたが、さらにここでは もう一つの重要な要素として「情操」が語られている。「情操」は、道徳の原理が語られ る「第一章 緒論 (八)良心及び道徳上の情操」で登場する。
良心とは道徳の法則を指示する処の一般の規程を格段なる場合、即ち当に行う可き行 為、若くは行われたる行為に適用する、吾人の心意の能力にして、絶対的に道徳上の、、、、、、、、
真理を発見する道理力なり、、、、、、、、、、、、
。人の行為を命令する権力なり。人の行為を駁議し許容す る判断力なり。而して一方に於ては為さざる可からざる事を命令し、為す可からざる 事を禁止する無限の権力を有する君主たり。又一方に於ては既往の行為を判断し、其 の責む可きは之れを責め、其の赦す可きは之れを赦す判官たるなり。
(中略)
良心の作用たる已に此の如し、然りと雖も独り良心のみにては、未だ以て吾人の行為 を完うすること能わず、別に一種感情の之を補佐するありて、始めて吾人の行為をし て完全ならしむることを得可し、此の感情を名けて道徳上の情操と、、、、、、、
云う。
道徳上の情操 良心は唯是非善悪を弁別する判断力なれば、一種の智力作用なり、然 れども吾人が道徳上の行為を弁別して、善に就き悪を避くる事を為すは、独り智心の 作用のみにあらずして、又情心の之れを補助するものあり、此情心を名づけて道徳上 の情操と云う、即ち善行に対して快楽を生じ、悪行に対して苦痛を感ずる感情是れな り。蓋し善悪の判断は、或は人によりて異なることあり、又時として誤謬無き能わず と雖も、善を嘉し悪を悪むの情に至りては、人皆之れを有せざる無し。故に吾人が一 行為を決行するに当り、其の事善なるときは、忽ち之れに誘導せられ、若し熱情強く して之れを妨くるに至らざるときは、必ず之れを成し遂げんと欲する情を生じ、又其 の事悪なるときは忽ち之を嫌忌して、務めて之れを避けんとする情を発す可し(但し 習慣或は其の時の事情によりて、多少此の情の増減せらるることあり)。
(中略)
又、道徳上の情操は他人の行為に対しても等しく発作するものにて、親愛、尊敬、賞 賛等は他人の為したる善行に対して生ずるものなり。憎悪、軽侮、非難等は他人の為 したる悪行に対して生ずるものなり。
(中略)
又彼の道徳上の行為に醜美の情を経験することも、亦此の情操の働きに依れるにて、
善行は此の情と調和するを以て、之れを美なりと感じ、悪行は此の情と調和せざるを 以て之れを醜なりと感ずるなり。32(傍点はママ)
40
ここで語られている「情操」とは、善を喜び悪を憎む、といった価値判断としての感情 である。当時の教育学(心理学)が「知・情・意」と分類して、人間の認識を理解しよう としていたことと同様に、能勢も「良心」=知、「情操」=情と分けて、道徳的行為を捉え ている。そして、2 つが備わって初めて道徳が備わった行為ができると考えている。そこ では「良心」は「絶対的に道徳上の真理を発見する道理力」と位置付けられ、一方で「情 操」は「善行に対して快楽を生じ、悪行に対して苦痛を感ずる感情」として語られる。能 勢は、「普通心」と同様な意味を持たせながら、道徳の標準として「良心」を設定するが、
道徳的な行為に人間を働かしめる原動力として「情操」を置いていたのである。
何を善とし何を悪とするかを分類する基準や、どのような善を尊びどのような悪を憎む といった感情の振れ幅は国家や文化によって異なるだろう。しかし、能勢は「良心」を人 類普遍の基準として、さらには「情操」も人類普遍の感情として考えていた。
たしかに能勢は、国家によって道徳が異なることを認めていた。たとえば、教育勅語登 場後に刊行された本書では「我が国固有の道徳」という節を設けて、教育勅語を主題に挙 げて説明している。しかし、あくまでこれは「親切、真実、適度を善と為し、残酷、虚妄、
過度を打善とするが如きは、世界普通の普通心」に対する「万世一系の皇室に対して忠誠 を尽す心、身体の清潔を好む心の如きは、我が国固有の普通心」と、対比されて論じられ ている。そしてこの節では、「我が国固有の道徳」である聖訓の解釈と讃美に終始してい る 33。そこには、児童・生徒に対する具体的な効用や、具体的な教育方法の解説をみるこ とはできない。本書全体の分量からしても、全68節中ごく1節で扱っているだけであるこ とからも、能勢は人類に普遍と考えていた「普通心」を「我が国固有の道徳」よりも重視 していたことがわかる。
第 4 節 「宗教的情操」の登場
能勢栄が、明治 20 年代に海外の教育学専門書を多く訳したことは先に話した。本節で は、そのなかでも能勢の代表的な翻訳本であるガブリエル・コンペーレの『教授論』をみ て、「宗教的情操」が日本にどのように「輸入」されたかについて考えていきたい。
明治 20 年代の心理学や倫理学の専門書において、「情操」についての説明している著作 として、前節で紹介した能勢栄『実践道徳学』のほかに、宮川鉄次郎『心理学』(明治 23 年刊行)、久保田貞則編『教育学』(明治 24 年刊行)、安東辰治郎『人倫道徳要旨』(明治 25 年刊行)、井上円了『日本倫理学案』(明治 26 年刊行)などがある。また、翻訳本では ジョンネー『倫理学(惹涅氏)』双々館(明治23年、24年刊行)がある。
ただ、上記の著作では「宗教」と「情操」が接続して説明はされていない。一方で、コ ンペーレの『教授論』は明治24年、25年に刊行されたが、「情操」概念の教育言説への導 入をみることができ、さらには「宗教」と「情操」を接続しての説明がある。管見の限り、
これ以前に、人々に多く読まれたと考えられる著作で「情操」を体系的に論じ、かつ「宗 教」と「情操」を接続させて論じている著作をみることはできなかった。このことからも、
コンペーレ著、能勢栄訳の『教授論』は、日本における「宗教的情操」議論の嚆矢であっ たと考えられる。
41