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第 2 章 「宗教的情操」の誕生 ― 能勢栄と明治 20 年代 ―

第 5 節 「宗教的情操」の展開

まとめに入る前に、日本において「宗教的情操」がどのように展開したのかをみていこ う。「宗教的情操」が登場する萌芽的な位置の日本人の著作として『心理学百問百答』が ある。本書は、明治期の有力な教育雑誌『教育報知』を主宰し、国家主義的教育を提唱し た教育評論家の日下部三之介によって著わされ、心理学に関する一般的な疑問に対して、

日下部が一問一答式で答えるという形式をとっている41

「宗教的情操」については、「知力上」「美術上」「道徳上」の情操を述べた後に、「宗教 上の情操を説け」で説明している。

宗教上の情操には単純なるものと複雑なるものとの二者あり。左記即ち是れなり。

(一) 単純なる宗教上の情操 不思議力を有する者を恐怖するの情緒と従うて之れ に服従せんとする情緒との相合して起りたるもの。

(二) 複雑なる宗教上の情操 宗教上の情操の大に発達して起りたるものにして左 記の如きものなりとなす。

(一) 知力上の情操の加わりたるもの 知識を愛するよりして人智の根源なり と信ずる一切の知者を信向するが如きもの。

(二) 美術上の情操の加わりたるもの 美麗宏壮を楽むるよりして一切の智徳 を全備し時間空間及び宏大なる勢力にも制限せらるることなくして更に 数層を超出する無限の物体を信向するが如きもの。

(三) 道徳上の情操の加わりたるもの 正義正道を尊むより人類よりは大に優 れたる道徳を有する者の意より出でたる道徳法則なれば必ずや之れを厳 守せざるべからずとして信仰するが如きもの。

右の如く宗教上の情操は、其の複雑なるものに至れば総べての情操皆之れに加わるも のとなすべしと雖も、此等宗教を信向する所の感情は主として道徳を訓練せられ而し て之を生ずるものにして、又此の情操を起すに至るときは道徳は益々堅固なるを得べ きなり。之れを以て此の情操は総べての情操に対して大なる関係を有すれども、之れ を道徳上の情操に附加するものなりとなすなり。

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此の情操は之れをして独立ならしめんとするときは、之れを退歩せしむるを免がれず、

即ち他の情操と連合するに於て能く其の発達を遂ぐるべきものとす。42

ここでの「情操」は、「苦楽を共にせんとする高尚なる感情」であり、「知力上」「美術 上」「道徳上」と 3つに分類できるとする 43。「宗教上の情操」は「単純」と「複雑」の二 系統あり、「単純」は「不思議力を有する者を恐怖するの情緒と従ふて之れに服従せんと する情緒との相合して起りたるもの」として位置づけられる。また、「複雑」は3つの情操 を包含するものであるが、主に道徳上の情操に関わり「正義正道を尊むより人類よりは大 に優れたる道徳を有する者の意より出でたる道徳法則」を「信向」することによって、道 徳心がますます堅固になる、と日下部は定義している。

日下部の論をみると、「単純」な「宗教上の情操」はコンペーレが説いた「発達」して いない「宗教の情操」と似たような意味を持たせている。一方で、「複雑」な「宗教上の 情操」は、道徳と宗教の信仰が関連して説明されていて、道徳心の向上については信仰を 持つことが重要であると主張している。また、「人類よりは大に優れたる道徳を有する者」

という表現からコンペーレが言うような「神の観念」を想定していることがわかる。

おわりに

さて、ここまで明治20年代にどのように「宗教的情操」が定義され、どのように展開し ていったのかを、能勢栄の著作と翻訳書を中心にみてきた。「宗教的情操」は宗教につい て論じる言説ではなく、教育、特に道徳教育について論じる言説か、心の動きを論じる心 理学の言説で多く語られていた。しかも、そのなかでもよく登場するのはヘルバルト主義 教育の文脈であった。

ヘルバルト学派のコンペーレの主義主張は、能勢のそれと非常に似通っていた。いや、

能勢がコンペーレ(をはじめとするヘルバルト主義教育学)の影響を大きく受けたと考え るのが自然であろう。どちらにせよ、宗教と教育は分離すべきと考えていた点や、教師を 模範することこそ最大の道徳教育であると考えていた点などで両者は共通していた。また、

能勢は「信仰」については具体的に語ることはなかったが、森有礼の宗教理解を共有して いたとすれば、宗教色を抜いた上での「信仰」を重視していた点でも共通であったといえ よう。

ヘルバルトやそれを受け継いだコンペーレの議論にみられるように、「宗教的情操」が 西洋の概念であることはもちろんであるが、宗教の基盤には道徳があり、道徳の命令の結 果が宗教であるという考え方が根底としてあった。コンペーレは、道徳教育で神の観念を 教えるのは道徳的行為の遂行のためと考えていた。つまり、あくまで、「我々は神を信じ ている」前提のもとで、神がどのような存在か(機能を持っているのか)を教えるために 限定する場合のみ、学校で宗教教育(「宗教的情操教育」)は可能ではないかという意見で あった。

日本における「宗教的情操」の展開は、「情操」の一分野として捉えられていたことか ら始まる。コンペーレが主張するものと同じく、「宗教的情操」は道徳的機能を持つもの

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として論じられていた。また、この「宗教的情操」を持つことにより、ますます道徳的機 能が堅固になることも同様であった。一方で、日下部三之介の著作のなかでは、コンペー レが「神」と設定していた概念が「人類よりは大に優れたる道徳を有する者」に置き換え られていた。この置き換えについてはさらなる検討が必要であるが、「信向」=「信じる」

ことが「宗教的情操」では重く見られていたことは共通であった。

また、明治20年代に登場した「宗教的情操」を検討し興味深い点を挙げるとすれば、序 章で挙げたような国民道徳と関連して「宗教的情操」を用いるという政治的な意図は確認 できなかったことである。むしろ日本においては、国民道徳や国家主義とは相反する教育 家である能勢が「宗教的情操」の先駆者となったのである。能勢は、宗教と教育は分離す べきと主張していたが、後世に宗教と教育が接合するための「切り札」として「宗教的情 操」が使われたのは、時代のアイロニーかそれとも必然であったのであろうか。いずれに せよ、本章で明らかになった点は、世俗主義的な文脈で「宗教的情操」が登場したという ことである。

「宗教的情操」の必要性や重要性がさらに高まる大正期は、ヘルバルトの教育理論が改 めて注目される時期でもある。その際に「宗教的情操」という概念も見直されたのかもし れない。検証する時代を拡大しての再考を要する問題である。

1 木戸若雄『明治の教育ジャーナリズム』大空社、1990年。なお、『国民之教育』は、明 治21年に第13冊で閉刊している。

2 『教育功労者列傳』信濃教育会、1935年、『朝河貫一と四人の恩師―「ふくしま」が育 んだ朝河貫一シリーズ②』朝河貫一博士顕彰協会、2010年。

3 山下恒男『日本の教育心理学―その役割と思想を問い直す―』明治図書、1982年、山下 恒男『日本人の「心」と心理学の問題』現代書館、2004年。

4 佐藤達哉『日本における心理学の受容と展開』北大路書房、2004年。

5 稲垣忠彦は制度的なルートから日本にヘルバルト主義者のハウスクネヒトが招聘された 経緯を論じているが、その実態は国家主義的な見解の持ち主であったからとのことである

(稲垣忠彦『明治教授理論史研究』評論社、1966年、193-215頁)。

6 日本におけるヘルバルト主義教育学の展開については、海後宗臣『日本教育小史』日本 放送出版協会、1940年、竹中暉雄『ヘルバルト主義教育学―その政治的役割―』勁草書 房、1987年を参照した。

7 原聰介他『近代教育思想を読みなおす』新曜社、1999年、102頁。

8 久木幸男他編『日本教育論争史録 第2巻 近代編(下)』第一法規、1980年、99頁。

9 『日本近代教育史事典』平凡社、1971年、596頁。

10 今野三郎「ヘルバルト主義論争」『教育学雑誌』第20号、1986年。

11 ヘルバルト著、三枝孝弘訳『一般教育学』明治図書、1980年、78-79頁。

同情が、人間の心情の中にみられる感情の動きをただ単に受容し、その動きの進行に従 い、動きの相違、軌轢、矛盾などにかかわり合うなら、それは、単に共感的であるに過ぎ ない。詩人の同情は、もし彼が芸術家として彼の素材を創造しあるいは自由に使いこなせ ないならそのようなものであるに違いない。

しかし、同情は、また多くの人びとのさまざまな感情の動きを個体から抽象し、それら の動きの矛盾を調停することを試みるものであり、全体における幸福に対してみずから興 味をもち、更に再び個体を考慮してそれを分配する。――これは社会に対する同情であ

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