第 5 章 宗教と道徳の関係 ― 澤柳政太郎の信仰と道徳教育 ―
第 2 節 修身教科書からみる宗教・道徳
現代の日本では、宗教知識教育や宗教文化教育など、多文化共生や地域文化の再発見を 目的として、知識教育に限定して宗教教育の必要性が論じられる場合がある。だが近代の 日本において教育に宗教を用いるということは、ほとんどが人格の完成であったり、道徳 教育を補完したりすることが目的とされていた 15。それゆえ、宗教に関する教育の動向は、
実際の道徳教育や道徳教育論のなかで宗教が語られていたのかいないのか、もし語られて いたのならば、どのような文脈で語られていたのかを考えなければならない。よって、こ こでは澤柳の道徳教育論をみていくが、特に実際の学校教育でどのように教えられたかを 検討するために、澤柳が執筆した『中学修身書』を用いる。
澤柳が生涯かけて何を目指していたかというと、人格を完成させるための教育をいかに
83
作るか、であった。そのことは澤柳が数多く残した著作において、西欧社会が国際的に成 功しているのは人格が優れている、だから日本の教育は人格教育を中心に展開させなけれ ばならない、というような主張をよく目にすることからもわかる。国際社会において日本 をどのようにして第一級国に登りつめらせるかと考えると、教育畑で生きている澤柳にと って学校教育の充実を図ることは当然のことである。しかし、学校教育のみで人格の完成 を果たすことは到底できることではない。それゆえ、宗教による信仰心の涵養が必要にな る。すなわち、澤柳は教育と宗教の両者を、人格完成における補完関係として捉えていた のである。
それならば、学校教育で宗教を教えればよいのではないか、と率直に疑問を持つだろう。
学校教育において宗教を教えるべきか否かについては、前章で詳しく論じたのでここでは 簡単に述べるが、澤柳は宗教教育を学校教育に導入することについて、明治30年代の文部 官僚時代以降、一貫して反対していた。反対の理由として、①少年期で信仰心を涵養する には早すぎる点、②学校教育は時間的・経済的・人材的な制限がある点、③学校で宗教を 教えようとしてもどの宗教を採用するかにおいて混乱をきたす点、④たとえどの宗教にも 共通な観念があったとしても教える際には結局のところ宗派的になる点などを挙げ、反対 以前に学校教育では宗教を教えることは不可能である点、を挙げていた。明治30年代に義 務教育を司る普通学務局長の職にあった澤柳の影響力がどこまで波及したのかはここでは わからないが、結果として昭和10年まで宗教を学校教育で用いることはできなかった16。 このように、学校教育で宗教を教えることを不可能と断じた澤柳であるが、道徳教育に ついては特に大きな関心を払っていた。澤柳は、文部官僚時代の明治24年に当時の倫理学 の概説本である『倫理書』を著し、明治33年の小学校令を改正した際に国民道徳の重要性 を訴え、明治 36 年の教科書国定化の際には編集委員の幹事を務めるなど数々の業績を持 つ。たとえば小学校令の改正の際に澤柳は学科科目の統廃合を行った。
統廃合の一連の動きのなかで特筆すべき事項が「国語科」の設置であった。「国語科」
はそれまでばらばらであった「読書」「作文」「習字」を統合した新しい科目であった。国 語教育の成り立ちを研究している小笠原拓は、「国語科」統合における文部省内の審議を 参照し「「国語科」という名称が採用された背景には、むしろ道徳教育や他教科の知識教 育をそこで行おうとする意識があった」17と総合的な科目として目論まれていたとする。
審議の中心にいた澤柳も『実際的教育学』で「国語科に於て此等情育、美育の目的を或る 程度まで達せられるのではなかろうか」18と国語科の道徳教育の側面を期待している。澤 柳にとっては、学校教育全体が道徳の涵養の場であって、科目は形式的なものに過ぎない と考える節もあった。そのようななか、自らが中学修身科用教科書『中学修身書』を執筆 し道徳教育を行ったのであるから、並々ならぬ意欲であったことがうかがえる。
以下では、中学校修身科の教科書を検討していくが、驚いたことに戦前の小学校用教科 書については数多く先行研究が存在していることに対して、中学校用教科書についての先 行研究は管見のかぎりでは見当たらなかった。その理由として、中学校の修身教科書は、
義務教育である小学校の修身教科書とは異なり国定化されておらず、従来通りの検定制で あり多数の教科書が存在した点や、当時の国民のほとんどが中学校に通っていなかったた めその影響度は低いと判断されていた点が考えられる。
明治41年には義務教育の年限が4年から6年に延長され、義務教育の就学児童数は500
84
万人(就学率は約98%)を超えていた。一方で、義務教育ではなく男子のみが入学できる 中学校への進学者は 11 万人を超える程度と、その割合は初等教育における就学人口の約 2%でしかなかった19。
しかし、明治42年に刊行された澤柳の『中学修身書』について、戦前戦後に渡って日本 教育界の重鎮であった小原国芳は「当時、日本一で、一番多く売れもした」20と述懐して いる。実際、この教科書は大正14年まで何度も版を重ねて出版されてもいる。
小原の言や何度も版を重ねたという事実から、『中学修身書』は当時の中等教育を受け たエリート層には多く読まれていたと推測できる。また、中学校教科書を研究する利点と しては、教科書というメディアのため一般性が担保されているというのはもちろんのこと、
検定制ゆえに国定教科書よりも執筆者の思想の偏向を読み取りやすいということが挙げら れる21。
『中学修身書』は全5巻からなっている。各巻50頁くらいの量で、巻一から巻四までは それぞれ各学年につき一冊を使用し、巻五はそれまでの 4 巻の総括と位置付けられている。
情操と良心
澤柳宗教論・教育論の核であった、何かしらを「信じる」ことの重要性は、教科書のな かで直接論じられていない。しかし、人間の罪悪感を克服する方法については、宗教的な 表現は除かれながら論じられている。巻四第七「情」の項目で、情操には知的情操(知識 欲を満たす)と美的情操(美に感動する)の他に、道徳的情操(善行を喜び悪行を憎む)
があるとし、他の 2 点に対して道徳的情操を澤柳は重視する。道徳的情操を育む方法とし て澤柳は以下のように論じる。
道に志すものは此の如き浅ましき心根(悪行を恥じないこと―筆者註)を絶たざるべ からず。悪を為して後に気付きたらば飽くまでも我と我が心を責むべし。一室に閉じ 籠り手泣き明すも可なり、父母師長に向いて懺悔する更に可なり。かくて悪を再びせ ざることを吾が心に誓うは男々しき振舞ならずや。自ら進んで父母師長に誓う、その 勇気や真に宏大なり。22
ここでは、人間が悪行をおこなうことを決して否定せずに、悪行をした後に罪悪感を持 つことを普通であることとする。そしてその罪悪感は自分自身で克服することも良いが、
両親や年長の者に相談することはもっと良いこととしている。このように澤柳にとっての 道徳論は、悪行をしないことを前提としない。悪行をした後に、罪悪感を持ち自己を省み るかどうかが焦点となっている。
澤柳の信仰論が、罪悪感を取り除き安心感を与えるためのものということは先にみてき たとおりであるが、道徳教育においても自己を省みる良心が道徳的情操を育む前提となる。
巻五第十「良心」の項目では、良心の特徴およびその意義を論じている。
良心は其の特性として権威を以て服従を要求するものなり。良心の命令は、これに 伴なうに拘束の感情を以てす。故に人は良心に従わんとする者、若し他の誘惑により てその命に背かんか、良心の呵責を免れず。世に一旦悪事を為して後、良心の呵責に
85
堪えず、或は自白し、或は苦悶の極間から精神の錯乱を来すものあるは之がためな り。23
自分が従うべき(あるいは従おうとするべき)ある権威の命令に背くとき、良心の呵責 が起きる。良心の呵責にさいなまれるとき人は苦しむ、と澤柳は論じる。この後、善行を 為さなければならない/悪行を為してはいけないと感じるのが良心の「命令的感情」で、
善行を為して快/悪行を為して不快に感じるのが良心の「審判的感情」と、良心の種類を 区別する。良心の発達の方法については、常に良心の命令に従うことだ、と澤柳は結論付 けている。
ここでの議論を注意深くみていくと、先述した信仰論に非常に近いことが分かる。ここ までの道徳論を簡単にまとめると、何かしら権威を立てた上でその権威の命令に従って行 動すべきであり、それが人格形成において重要な良心の特徴であると同時に育む方法でも ある、と言っているのである。ここでは、何かを「信じる」ことが殊更強調されているわ けではないが、権威に「従う」ということはその権威を「信じる」と非常に近い意味を持 つものと思われる。ある権威に「従うべき」と信じる良心によって人間は行動を規定され、
それに外れたものは苦痛を伴う。この論理は、信仰なきものは安心を得難い、という信仰 論と類似している。
忠孝と日本人
それでは、道徳教育を受ける側である中学生はどのような良心の命令に従うべきであろ うか。澤柳は、中学生が学ぶ修身科の根拠として教育勅語を挙げる 24。なお、修身教科書 を教育勅語の趣旨に基づいて執筆することは、教育内容に先立つ施行規則に定められてい る25。
教育勅語は、国民に対し忠孝愛国の精神を示したものであるが、澤柳の『中学修身書』
はいたるところに忠孝愛国精神の重要性を論じている。忠孝愛国精神の重要性を説くのは 決して澤柳だけの特徴ではない。当時の教科書執筆者はみなそのことを記述した。
たとえば、井上哲次郎が執筆した『中学修身教科書』巻二第二章「国家に対する心得」
で、「国民は、忠孝節儀の至誠を尽して、皇室に仕え奉れり」26としている。また井上円了 の執筆した『中学修身書』巻之一第二課「国体」では、諸外国に例を見ない万世一系の天 皇を戴く日本の国体が現存しているのは「よく忠孝二道を守りたるに由らずんばあら ず」27とし、両者とも忠孝精神の重要性を論じている。
澤柳の忠孝論も基本的にはこれらの枠にはみ出るものではない。ただし、一点のみ例に 挙げた二者とは異なる点がある。それは、忠孝における孝の重視である。巻二第二十「日 本人」では、日本人は忠孝思想どちらも兼ね備えることが必要であることを説くが、まず は先んじて孝を重視するべきことを説く。
忠ならんと欲すれば先づ孝ならざるべからず。孝行の人にして始めて忠義の人とな ることを得べし。父母に孝なる能はずして如何にして君に忠なるを得んや。「君父の 教同じかるべし、孝子の門に必ず忠臣あり、臣子の道何ぞ異ならん」と菅公も教へら れたり。我等が学業を励み、日々の務に服して父母の心を安んずるは、同時に忠を尽
86