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第 5 章 宗教と道徳の関係 ― 澤柳政太郎の信仰と道徳教育 ―

第 2 節 副読本・読み物資料の量的検討

今回は、道徳の授業で実際に使われている小学校用副読本の読み物資料を対象にした。

使用した副読本の出版社は、学校図書、学研、教育出版、光文書院、東京書籍、文渓堂、

光村図書の7社である。7社の副読本に掲載されている計1,254編の読み物資料のうち「生 命尊重」と「畏敬の念」をテーマとしている資料について、さまざまな項目で分類してど のようなテーマがよく扱われているかなどを比較しながらみていきたい。

第1項 生命尊重

「生命尊重」をテーマとして副読本に掲載されていた読み物資料は延べ 111 編であった

(重複含めなければ100編)。これを、学年別にみると、1年生が20編、2年生が18編、

3年生が19編、4年生が18編、5年生が18編、6年生が18編となる。

次に、読み物資料に出てくる登場人物はどうなっているかというと、子どもが77編に、

家族が50編に、動物が22編に登場してした。

それから、どのようなテーマが扱われているかというと、重複も含めて 5 編以上のもの として、病気・怪我が35編、死が26 編、誕生が21 編、動物愛が19 編、自己犠牲が 11 編、海外の話が11編、自然が7編、戦争が5編であった。

最後に、「現実的な話」か「非現実的な話」かで分ける。これは、フィクションかノン フィクションかではなく、現実的に起こり得るか得ないかという分類である。たとえば、

動物が登場人物となって話したり動いたりする話や、超常現象が起こる話などは非現実的 な話、と分類する。そうすると、現実的な話は101編、非現実的な話は10編となった。

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第2項 畏敬の念

「生命尊重」同様に、「畏敬の念」をテーマとして副読本に掲載されていた読み物資料 は延べ 74 編であった(重複を含めなければ 55 編)。これを、学年別にみると、1 年生が

13編、2年生が14編、3年生が12編、4年生が14編、5年生が10編、6年生が11編と

なった。

次に、読み物資料に出てくる登場人物はどうなっているかというと、子どもが44編、家 族が28編(そのうち母子が24編、父子が4編、両親と子はなし)、そして、人間以外(動 物や月、妖精など)が29編に登場していた。

それから、どのようなテーマが扱われているかというと、重複も含めて 5 編以上のもの は、自然が26編、自己犠牲が24編、病気が20編、宗教が15編、星が10編、人間を超 えたものが6編、死が6編であった。

最後に、現実的な話か非現実的な話かの分類であるが、現実的な話が35編、非現実的な 話が39編となった。

ここまでが、副読本の構成と読み物資料の構造について様々な項目ごとに抽出した結果 である。全体の掲載数では、「生命尊重」の方が「畏敬の念」よりも多いこと、学年別の 掲載数では、「生命尊重」と「畏敬の念」ともに各学年偏りが無く配置されていることが わかった。

また、登場人物には子どもが最も多く登場し、次に家族が登場していることがわかった。

やはり、教育の対象となる児童に合わせて資料が掲載されていることが推測できる。しか し、人間以外が登場する比率は、「畏敬の念」の方が高かった。これは、現実的か非現実 的な話かという分類をみてもわかるとおり、「畏敬の念」は「生命尊重」と比べて、非現 実的な話が格段に多いことにも要因が求められる。そして、さらに興味深いことに、高学 年用の副読本に掲載されている「畏敬の念」の資料で非現実的な話は、5年生1編、6年生 1編しかない。

テーマ別では、「生命尊重」が人間の身体や生命に関わるものが多くを占めたが、「畏敬 の念」は自然や天体に関するもの、自己犠牲や宗教に関するものなど、さまざまな内容の 資料が掲載されていたことが見てとれる。

第 3 節 読み物資料の質的検討

第1項 「七つの星」

ここでは、「畏敬の念」の代表的な読み物資料に焦点を当てて、なぜ「畏敬の念」が特 に教えることが困難かを考えていこう。扱う資料は「七つの星」である。この話は、先に 挙げた7社の副読本全てに掲載されている(「七つぼし」「ひしゃくぼし」も同じ話)。対象 学年は、3社が1年生、4社が2年生であった。

「七つの星」はロシアの文豪トルストイが著わした物語である。トルストイは子どもた

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ちのために、自宅を開放して学校をつくり、「子どもたちのための本」シリーズを書いた。

その際、ロシアにある民話や伝説をベースにして作ったと言われている。

物語は、干ばつが原因で水不足が深刻なある村が舞台である。病気で寝込んでいる母親 に水を飲ませてあげたいと思った女の子が、木のひしゃくを持って村の外に水を探しに行 くところから始まる。

全く水が見つからずに疲れて森で女の子は寝てしまう。そして、目を覚ましたところひ しゃくに水が入っていることに気づく。驚いた女の子は疲れ切っていたため思わず水を飲 もうとするが、母親のために水をくみにきたことを思い出して我慢する。

急いで家に帰る途中、のどが渇いた犬に出会い、可哀そうだと思った女の子は水を分け る。そうすると、木のひしゃくは銀のひしゃくへと変わった。

無事に家に着いた女の子は母親に水を飲むように言う。しかし、母親は断って、疲れき っている女の子に水を飲むようにひしゃくを返す。そうすると、銀のひしゃくは金のひし ゃくへと変わった。

そこに水を求める旅人が訪ねてきたので、女の子と母親は水が入ったひしゃくを渡す。

そうすると、ひしゃくから水があふれ出て、水の中から 7 つダイヤモンドが飛び出した。

7 つのダイヤモンドは夜空にのぼり星に変わる。これが、ひしゃくの形をしたおおぐま座

(北斗七星)になった、というところで物語は終わる。

第2項 話の構造

この話は、聖書のヨハネの手紙Ⅰにある一節「子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけ で愛するのではなく、行いと真実をもって誠実に愛し合おうではないか。」をテーマにし ていると言われる。そして、この話を通して、無償の愛をもって行動することこそ、銀や 金、ダイヤモンドのように貴重であるとトルストイは語っていると伝えられている5

このように「七つの星」はキリスト教思想が背景にあると考えることができるが、ここ で宗教思想の分析はしない。ただ、話の構造をみていくと、非現実的な話であり、病気の 母と看病する子が登場し、自己犠牲が求められ、最終的には不思議な現象で締めくくられ るという、「畏敬の念」をテーマとする資料のなかでも、代表的な要素が詰まっていると 言える。

他にも、病気の母のために水を探しにいくというのは親孝行を、見知らぬ人のために水 を与えるというのは公共心をテーマとしている。さらには、良いことをやっていればいず れ良い結果が得られる=努力は報われる、など徳目が満載となっている物語であると言え るでしょう。

第3項 教師用指導書では

さて、この話を教師用指導書はどのように解説しているのだろうか。例として、教育出 版の指導書をみていこう 6。ねらいは「人間の世界を超えた 美しいもの、気高いものに接 して、憧れの気持ち、清らかな心を持とうとする心情を育てる」(下線強調は筆者、以下 同様)とされている。また、主題設定の理由としては、人間中心主義や効率主義を改める

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ために「子どもたちが本来持っているみずみずしい感性と、神秘的な世界へ憧れる心の扉 を開かせる ことが、今、必要である」と宣言されている。

授業をするにあたっての注意点では、この話は神秘的な世界に引き込むことができる資 料であり、「犬や老人は、女の子の心を知ろうとする神の使いかもしれない。もしかした ら、自分の周りにも自分の心を認め、励ます神がいるかもしれないなど 、さまざまな想像 の世界の中で子どもの明日を想像していくことができる資料」とされている。

たしかに 1 年生の児童に、様々な世界観に触れさせて想像力や高い感受性を身に付けさ せることは重要であろう。しかし、ここでは「人間の世界を超えた」「神秘的な世界」「神 の使い」など、明らかに特定の宗教観を押しつけているともいえる。しかも、これは児童 だけでなくこれを教える教師に対しても同様であろう。公立学校では特定宗教に依拠した 教育は禁止されている。そのなかで、これは果たして教える教材として適当であろうか。

また、教師たちは「人間の世界を超えた」「神秘的な世界」「神の使い」を教えることがで きるほど特定の宗教観に親しんできた、あるいは専門的な訓練を受けてきたのか甚だ疑問 であると言わざるを得ない。

他社の指導書ではここまで宗教的な表現に踏み込んではいないものの、この話を進める ために鍵となる様々な不思議な現象について特別に有効な解説はしていない。単に「理論 的な説明を超える感動に出会うこともあるだろう」と詮無く書いているものや、児童たち への発問として「どうしてふしぎなことがおきたのでしょう」と説明不能な問いをだして いるものなどがある(導き出したい答えは「良い行いをしたから」「我慢をしたから」な どが想定できる)。このような「理論的な説明を超えた」解説は、他の「畏敬の念」に関 する非現実的な話も同様になされている。

おわりに

以上のように、第 2 節では「生命尊重」と「畏敬の念」の副読本と読み物資料の構成を 比較する形で、第 3 節では「畏敬の念」の読み物資料の構造を分析する形でみてきた。な ぜ「畏敬の念」は教えることが困難なのか。一言で言えば、道徳副読本の読み物資料にお いては、非現実的な話や、文字通り人間の理解を超えた話が多いということが理由として 考えられる。つまり、“人間の世界を超えたもの”を“人間が教える”といった、矛盾を はらんでいるとも言いかえられる。

このような「苦手意識」は国側も同様のようである。小学校の新しい学習指導要領が適 用された2011年4月の直前である3月に文部科学省が刊行した『小学校道徳 読み物資料 集』では、「3 主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること。」に関しては「生命 尊重」の資料のみ掲載され、「畏敬の念」については一つも掲載されなかった 7。本書は、

文科省が学習指導要領を刷新するにあたって作られた“公式”の解説書でもあるにもかか わらず、である。

それではどうすればよいのだろうか。この「畏敬の念」、ひいては「宗教的情操教育」

をどのように教えるかについての問題は、日本では明治時代から長い間議論されてきたこ とはこれまで論じてきたとおりである。しかし、結局有効な結論がでないまま現在に至っ

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