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月2 9 日,忠清南道地方の視察を終えて帰京中の車中 で,随行の国会議員にたいして, 「農村近代化のためには農業の企業化がぜ

ドキュメント内 アジアの動向 韓国 1966 (ページ 115-118)

SER  I  ( 仏 )

朴正照大統領はさる 4 月2 9 日,忠清南道地方の視察を終えて帰京中の車中 で,随行の国会議員にたいして, 「農村近代化のためには農業の企業化がぜ

ひとも必要であり,したがって現行の農地所有上限制を廃止すべきである」

との考えを明らかにした。

消息通によると朴大統領は,韓国農業の零細性が農村復興の障害となって おり,この零細性を脱皮するためには,戸当り 3町歩に制限されている現行 の農地所有上限を撤廃する必要があるとのべ,また上限制廃止で生ずる農村 失業者問題は,農村工業育成による工業人口化や新開墾地への移住などによ って解決すべきであり,こうした画期的な農村近代化施策を立てるよう農林 部に指示したといわれる。

このニュースは, 5月 2日の韓国各紙にいっせいに報道され,現行農地改 革法の基本原則を修正する農業政策の一大転換として,各方面に深刻な衝撃

をあたえた。

まず朴東昂農村部長官は,上限制を全面的に廃止すれば,①耕者有田の原 則にそむき,生産者と農地所有者が分離するおそれがあり,②不在地主が発 生し,耕作者から不当な地代を取り立てる可能性があるので上限制の撤廃に は反対する。しかし上限の程度については再考する必要があろうとのベた。

しかし朴長官は,現行制度のもとでも開墾,干拓などの新しい耕地には所有 制限がないことを指摘するとともに,田植え,集団苗代,噴霧器の共同利用〉

営農の技術的な共同作業などの部分的協業によって農業生産力の向上をはか

3 ‑ 一( 99)一

韓 国 (5月〉

りうるとの見解を明らかにした。

ー方,与党共和党の政策審議委員会は,朴大統領の意向をうけて立法化を 慎重に研究することにし,公開討論会を開催することも考えている。しかし 与党内でも金成焼党政策研究室長は, 「上限制撤廃のためのいかなる立法措 置もとるつもりはない」とのベ,農業の零細性脱皮と企業化のためには,で きるだけ農業の協業化を促進するというのが党の方針であると説明した。

これにたいし野党民衆党の金相賢臨時スポークスマンは,①農村人口を工 業人口として吸収する態勢ができていない,②特恵地主の発生と零細農民の 続出を招来する,として上限制廃止に反対し,新韓党の金守漢スポークスマ ンも同様の反応を示した。その他,学界,言論界,農民などの聞にさまざま な反響を生み,来年の大統領選挙をひかえここに新たな争点をつけ加えた。

これらの反響からみると,上限制の全面的な廃止を支持する主張はほとん どなく,論点は,現行の戸当り

3

町歩という所有制限の緩和か現状維持かと いう点にある。そして緩和論の主たる論拠は,企業農の育成による農業生産 力の開発という点にあり,現状維持論の主たる根拠は,寄生地主と小作制の 復活,それにともなう農村社会問題の発生への憂慮という点にある。

それではいったい,この農地所有上限制撤廃問題の背景として,韓国の農 地所有の現況はいかなる状態にあるのだろうか。

韓国における農地所有の上限制は,

1949

6

月に公布された農地改革法に よって規定されたもので,農地改革事業そのものは解放後の米軍政のもとで 準備され,その後韓国政府にひきつがれたものである。しかし,農地改革を めぐる当時の議論は,農地の没収・分配を有償,無償のいずれにするか,ま た有償の程度をどうするかという問題に集中し,農民の土地所有限度にたい してはあまり関心が払われなかった。

というのは,日本から解放された1

945

年当時の土地所有状況は,総耕地面 積2

32

万町歩のうち,その

63.4%

にあたる

147

万町歩が小作地で、あり,自作地 はわずか8

5

万町歩でしかなかった。しかも耕地面積

3

町歩以上の自作農(自 小作を含む〉は,全農家戸数

207

万戸のうちわずか

l

万8

000

戸 ,

1 %

にもみ たない状況であったから(注

1

),農地改革はもっぱら「耕者有田 J の原則でソト 経営の自作農を創設することに主眼がおかれ,農業の大規模経営,企業化な

一(100)ー ‑ 4 ‑

韓 国 (5月)

どは思いもよらず,したがって自作農の土地所有限度なども問題にならなか ったのである。

1945年度南韓土地所有状況(単位 1万町歩)

区 分

く オ

田 畑

総 耕 地 128  104  232  作 地 89  58  147  前 日 本 人 所 有 18  5  23  韓 国 人 地 主 所 有 71  53  124 

自 作 地 39  46  85 

(出所〉韓銀,朝鮮経済年報1948年版(農政20年史より)

農地改革の結果,

1957

年末現在で

47

万町歩の農地が,

155

万戸の農家に分 配されたという。ここでは農地改革そのものについて論及する余裕はないが,

農地改革の結果,

1953

年ごろには戸当り耕地面積が

1

町歩以上の農家戸数は 減少し,特に

3

町歩以上は

1947

年の

3

万戸余りからわずか

3000

戸足らずへと

10

分の

1

に激減した。一方,全体農家戸数は増加したので,結局

1

町歩未満 特に 5反未満の零細農が急増した。

耕作規模別農家戸数(単位 1000戸)

年度 合計 3反未満 3反〜5反 5反〜1町 1町〜2町 2町〜3町 3以町上歩 1945  2,065.5  676.8  671.2  459.4  154.6  47.1  1947  2,172.4  894.8  724.2  409.2  113.2  31.1  1953  2,249.1  1,011.0  768.6  370.8  95.7  2.9  1955  2,218.2  420.4  534.4  689.7  445.6  122.4  5.6  1958  2,218.3  421.4  515.3  673.9  463.3  137.9  6.5  1959  2,267.4  430.1  528.0  688.3  474.2  139.8  6.9  1964  2,450.3  466.1  512.7  782.5  525.7  147.8  15.5 

(出所)農政20年史,統計年鑑1960,農林年鑑1965

ところがその後

1958

年ごろまでは,耕作規模

1

町歩未満の農家戸数は漸減 し,全体農家戸数が減少したのにもかかわらず,

1

町歩以上の農家戸数は増 加しはじめた(注

2

。 )

さらに

1959

年以後には全体農家戸数が再び増加したが,注目すべきことに

‑ 5 ‑ ‑( 101)一

国(5月〉

1955年と1964年の耕地規模別農家戸数比較(単位 1000戸)

合計 3反未満 3反5反〜  5反1町〜  1町2町〜  2町3町〜  3町歩以上 1955年(心 2,218.2 420.4  534.4  689.7  445.6  122.4  5.9  1964年 (B) 2,450. 3 466 . 1  512.7  782.5  525.7  147.8  15.6 

増加戸数  

þÿÿÿ#ÿ

23120..15   4150..79   ‑21.7 ‑4.1  9121..98   8108..10   2250..48   1796..98  

(出所)前述各資料からの計算

3

反以上

5

反未満の耕作規模の農家戸数のみは,ひき続き漸減している。こ の点をやや詳細に観察してみると,

1955

年から

1964

年までの

9

年間の全体農 家戸数増加率は

10.5%

であるが,

3

反未満と

5

反以上

1

町歩未満がそれぞれ 全体農家戸数増加率をやや上まわる程度であるのにたいし,

3

反以上

5

反未 満のみは−

4.1%

,一方

1

町歩以上では全体農家戸数増加率よりはるかに高 く ,

2

町歩以上

3

町歩未満で

20.8%, 3

町歩以上では

176.8%

に達する(凶)。

このような

3

反以上

5

反未満の耕作規模における顕著な減少傾向はラこの

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