これまでの第4章「日本人の方言使用調査」及び第5章「外国人の方言理解調査」の結果を踏 まえ、方言理解支援ツール『東北地方の外国人住民のための「くらしの方言集」』を作成した。
この方言集は現在住んでいる外国人だけでなく、これからやってくる外国人にも使えるように 設計している。そのため、既に東北在住の外国人が知っている方言というものは、職場でよく聞 く、姑がよく使っていた、あるいは日本語教室の教師が教えてくれたなど、生活上知る必要や知 る機会があったので覚えたということは前章までで明らかになった。これからやってくる外国人 にとってもそのような方言はこれから耳にする機会があると考えられ、本方言集では日本人の使 用度数が高いものや、現在東北に住んでいる外国人の理解度が高いものを優先的に掲載するとい う基準を取っている。以下に主な基準となったものを記す。また、巻末の資料14「方言調査項目 リスト」では、第4章の方言使用調査で調査した全304項目について、各方言域におけるインフ ォーマントの「使う」あるいは「聞く」とした人数、そして第5章の方言理解調査で各地域の外 国人住民が正答した数、そして方言集作成時の採否とその理由について記したので参照されたい。
なお、このリストでは「使う」と回答した場合と「聞く」と回答した場合も同じく1カウントと している。
6.1. 掲載項目の採用基準 6.1.1. 日本人の使用度数
本研究は「外国人住民がふだん耳にする」方言を提示することが目的である。そのため、採用 基準ではまず第4章で扱った日本人の方言使用調査において「使う」あるいは「聞く」と回答さ れたものが前提となる。ここでいう使用度数とは、「ある方言項目について、ある地域の日本人住 民の多くが「使う」「聞く」と回答したか否か」のことである。使用度数は、県ではなく方言域(例 えば「福島県」という県単位ではなく「会津方言」が使用される福島県西部)単位で見る。例えば
「はなだんぼ」は方言使用調査では会津方言でのみの使用だが、会津方言域のインフォーマント の全員が「使う」あるいは「聞く」と回答したので、採用した。ちなみに「はなだんぼ」はイン フォーマントの多くが方言だと気付いていなかった。インターネットで「はなだんぼ」を検索し ても最近方言だと気付いたエピソードや、気付いてないのか標準語の中に入れて書いている例も 見られた。
6.1.2. 外国人の理解度
「外国人の理解度」という観点では、第5章で述べた方言理解調査で外国人住民がよく知って いた、つまり外国人住民の理解度が高かったものを優先的に掲載語彙に採用した。ここでいう「理 解度が高い」とは推測で正答に至ったものは含まず、あくまでも多くの外国人住民が方言の意味 を知っていたものを指す(例:「なげる」(捨てる)や「んだ」(はい)など)。
なお、外国人住民の理解度が低かったものの掲載語彙としたものについては、上で述べた日本 人住民の使用度数が高い、つまり方言使用調査で日本人住民の多くが「使う」あるいは「聞く」
としていたものである(例:「うるかす」(米などを水に浸けておく)や「たがぐ、たなぐ」(持つ、
持ち上げる)など)。
6.1.3. 東北地方全体で広く用いられるもの
東北地方全体で用いられるものに関しては、全体で用いられているが故に気づかない方言(擬 似標準語)として用いられている場合も少なくない(例:「なげる」(捨てる)や「うるかす」(米 などを水に浸けておく)など)。「んだ」(はい)のように方言だと認識されているものあるが、ど ちらの場合も外国人住民にとってはよく耳にするものには変わりない。また、特に就労を目的と する外国人住民の場合は東北地方の中で転勤をする場合も考えられ15、その際にどの地域でも用 いられている方言については彼らにとってより耳にする機会が多くなると言える。そのため、方 言集の掲載項目としての優先度が高いと判断した。
なお、よく聞いているものは推測で理解できるのではないかという考えもあるかもしれないが、
それに関しては方言理解調査において、「聞いたことはあるけど意味は分からない」と回答したも のも存在し、また推測で理解できたもののほとんどは一度も聞いたことがないものであった。
6.1.4. 特定の地域で用いられているもの
特定の地域で用いられているものとは、東北地方全体ではなく限られた方言域でのみ用いられ ている表現を指す。例えば、青森県津軽方言の「あずましー」(気持ち良い)、秋田県秋田方言の
「がっこ」(漬け物)、山形県村山方言や置賜方言で用いられる「おしょうしな」(ありがとう)、 宮城県仙台方言や岩手県伊達方言の「たれかもの」(怠け者)、福島県会津方言の「のぜる」(のど につまる、吐きそうになる)などが挙げられる。これらは、東北地方全体としては使用域が一方 言域か隣接する少数の方言域に限られるが、その地域の外国人住民にとっては、日本人住民の使 用頻度が高いものはもちろん、あまり使うと答えられなかったとしても「お国言葉」として聞く あるいは教わる機会があったり、東北地方にやって来る観光客向けの看板(言語景観)などで目 にしたりする可能性も少なくない。観光客向けの言語景観を外国人住民の言語環境の一つとして 捉える立場は、第3章に述べた通りである。第5章の外国人への方言理解調査においても、「ここ の有名な方言だから」という理由で覚えていたものも存在したことは既に記した。
6.1.5. 急を要する際に用いられる可能性のあるもの
中には、「急を要する際に使われる」可能性のある表現がある。「あんべわり」(具合が悪い)、
「いずい」(違和感がある)、「にやにやする」(腹部に違和感がある)、「のぜる」(のどにつまる、
吐きそうになる)、「はかはかする」(どきどきする=動悸がする)などのように直接症状などを訴 えるものだけではなく、「はなだんぼ」(鼻にティッシュを詰めること)などの緊急時の行為、「あ める」(料理などが腐る)、「かんじる」(とても寒い)のような緊急時に至らないための予防につ ながりそうな表現、あるいは「ちゃっちゃど」(さっさと)や「わらわらど」(さっさと)などの ような行為の迅速さを要求する副詞などが挙げられる。これらの表現は、外国人住民も理解して おくことで地元の日本人住民の訴えや指示に対し適切な行動をとることが可能となる。
6.2. 掲載項目の除外基準
一方、除外基準も存在する。まず日本人の方言使用調査で用いた方言リストの項目において、
インフォーマントが一人も「使う」あるいは「聞く」と回答しなかったものやほとんど回答され なかったもの、つまり6.1.1.でいう使用度数が特に低かったものに関しては掲載せず除外した。
また、それ以外に6.1.の採用基準に当てはまる場合でも以下の場合は除外対象とした。
15 今回の方言理解調査のインフォーマントにも東北地方を複数箇所転勤している外国人住民が 存在した。
6.2.1. 推測可能なもの
外国人の方言理解調査において、外国人住民が方言を知らなくても推測で回答できたものにつ いては、全てではないものの除外の参考基準とした。本研究で掲げる「外国人住民の必要最低限 の方言理解」という観点から考えると、「知らなくても推測で分かる」これらのような方言は「必 要最低限」に含めるものではないと判断したためである。例えば、「ひざかぶ」(膝)は方言使用 調査において東北地方の多くの地域で使うと回答されたが、標準語「ひざ」と語形が一部共通し ていたため、「ひざかぶ」を知らなくでも多くの外国人住民が標準語からの推測で正答した。
6.2.2. 無視してもコミュニケーションが成立するもの
また、名詞に下接する指小辞「~こ」(意味としては付けない場合とあまり変わらない)も東北 全域でよく使うと回答されていた。しかし、方言理解調査において、多くの外国人住民は「さら こ(皿)」「ほんこ(本)」などと聞いても「さら」「ほん」で理解し、「~こ」を無視して正答した 可能性が高かった。このようにある方言項目を無視した場合でも文全体の大意が通じるもの(特 に助詞)に関しては、多くの場合は除外対象とした。
6.2.3. ジェスチャー・指差しなどで指示可能なもの
普段の生活における会話では、音声言語だけでなく身振り手振りを交えてコミュニケーション が行われることが自然である。そのため、方言が分からなくてもジェスチャーや指差しで理解で きる場合も存在する。例えば、日本人住民が「ほいづだ」(それだ)と発して方言が分からなかっ た場合でも、このような指示詞は「それ」に当たるものを指差しなどで差し示している場合が多 い。また、「おどげいでやー」(あごが痛いよ)などと言われた場合にも、痛い部位を押さえてい たり、あるいは外国人住民が聞き返せば「おどげ」という語彙を標準語に言い換えなかったとし てもあごを指差したりすると考えられる。このように、本研究ではジェスチャーや指差しで指示 可能な指示詞や身体語彙などは除外対象とした。
6.3. 小冊子『東北地方の外国人住民のための「くらしの方言集」』
以上の採用基準・除外基準をもとに、小冊子『東北地方の外国人住民のための「くらしの方言
集」』(斎藤2017、資料15 『東北地方の外国人住民のための「くらしの方言集」』(HP掲載用改
訂版))を作成した(図37)。項目の除外や類似項目の統合を経て、最終的には118項目を決定、
方言集の見出し語とした。