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方形周溝墓群の様相と社会構造(集団・階層)

ドキュメント内 近江における方形周溝墓の研究 (ページ 126-129)

第6章 近江における方形周溝墓の受容と展開

第2節 方形周溝墓群の様相と地域の社会構造

1 方形周溝墓群の様相と社会構造(集団・階層)

近江における方形周溝墓の受容・定着・衰退の過程をみてきた。その結果、観察された 方形周溝墓群の様相と社会構造の対応について、様相Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ・Ⅴの段階にわける ことができる。図 47 にはその概念図をしめす。また、近江の各地域における方形周溝墓 群の様相の時期的変遷を図 48にしめす。

様相Ⅰ:墓域に方形周溝墓があらわれる段階

この段階では、従来墓群の中に方形周溝墓群があらわれる墓域、方形周溝墓のみからな る墓域があり、また方形周溝墓の造墓活動も一時的(短期的)なものが多い(第2章参 照)。従来墓集団と方形周溝墓集団という区別もあいまいであり、両者には確たる格差が みられない。

墓域では方形周溝墓群に複数の群構成がみられることから、複数の出自集団の存在が 想定できる。また、方形周溝墓の被葬者像としては「限られた人」であり、出自集団内の 埋葬論理によって葬られる。ここでいう埋葬論理について確たる根拠をしめすことはでき ないが、集団の構成員全員が方形周溝墓に埋葬されるわけではないので、集団としての埋 葬論理があるのは確かであろう。

様相Ⅰは、近畿・東海地域という広域の視点からみると弥生前期の墓域の様相であり、

近江では湖北地域の塚町遺跡(203-022)と湖西地域の北仰西海道遺跡(522-078)の方形 周溝墓があらわれる弥生前期末の墓域の様相にあたる。塚町遺跡(203-022)は方形周溝 墓群だけの墓域で、すでに軸方位をそろえる群構成がみられる。北仰西海道遺跡(522-078)では従来墓群の墓域の中に単体の方形周溝墓が混在する状況であり、方形周溝墓の 造墓活動は一時的である。

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図 48 方形周溝墓群の様相の時期的変遷

図 47 方形周溝墓群の様相と社会構造

の概念図

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様相Ⅱ:方形周溝墓群に複数の単位墓群があらわれる段階

方形周溝墓群が従来墓群と区域を違えて存在する墓域や、方形周溝墓群だけからなる 墓域が観察されるが、両者が混在する墓域は少ない。つまり、方形周溝墓集団と従来墓集 団はあきらかに区別されている状況にある。

方形周溝墓群において複数の単位墓群による群構成が認識でき、企画性のある造墓活 動が展開されている。方形周溝墓が標準的な墓制として定着してきているのであろう。多 数の方形周溝墓の造墓労働力・造墓技術力・造墓企画調整能力の必要性などを考慮する と、従来墓集団と方形周溝墓集団との間には階層差が発生しており、後者の方が上位にあ るといえる。

群構成における単位墓群の出現は、出自集団としての紐帯意識の強まりをうかがわせ るが、出自集団内・集団間での格差は認識できない。方形周溝墓という墓制が定着してい ることを考えれば、集団の多くのメンバーがこの墓制で埋葬されていたと考えられ、その 意味では、被葬者像としては「一般の人」といえるだろう。もちろんメンバー全員という ことではなく、集団内での埋葬論理で埋葬される人物が決められている。

様相Ⅱは、近江の各地域において顕著にあらわれるが、その時期は異なる。湖南地域 では弥生中期前葉、湖東・湖北・湖西地域では中期中葉に顕著となる。

様相Ⅲ:方形周溝墓群に明確な群構成があらわれる段階

方形周溝墓群に列状配置・集合配置などの明確な群構成が認識できる。同一出自集団 ごとに配置パターンを工夫し、出自集団への帰属意識の強まりと、各集団間での競争意識 の高まりがうかがえる。墓域には群構成をもつ墓群からはずれて散在する方形周溝墓もみ られるが、これらは一定の墓群を形成することなく造墓活動が途絶えた方形周溝墓集団の 存在を示唆しているようにもみえる。このように、独自の配置パターンで出自を明示する 集団と、そうではない集団を区別することができ、両者には格差が認識できるとともに、

方形周溝墓集団間での階層化が進んでいると考えられる。

様相Ⅲも、近江の各地域においてみられ、湖南地域において弥生中期中葉に顕著とな る。湖東地域では弥生中期後葉に、湖北・湖西地域では弥生後期に顕著となる。とりわ け、湖南地域での群構成の多様さは目覚しく、北太田遺跡(206-139)でみられる弧状配 置(配置 D)は特徴ある群構成の中でも特異な構成であり、当該集団の高い技術力がうか がえる。

様相Ⅳ:方形周溝墓の形態が多様化し規模が大型化する段階

墓域に通例の方形周溝墓に混じって円形周溝墓(形態 B1・B2)・前方後方形周溝墓(形 態 C1)があらわれ、形態が多様化するするとともに、台状部辺が 15m を越える大規模な 墓があらわれる。また、それらの墓を核とした群構成が形成される(配置 B2・C2 など)。

このような配置 B2・C2 をとる集団は、同列状態にあった多くの集団から抜け出したこと を示しているのだろう。つまり、方形周溝墓集団の間での階層化が進むとともに出自集団 のメンバーの間にも格差がみられ、その被葬者は「有力な人」として異なる形態の墓に埋 葬されるのではないか。

様相Ⅳは、湖南・湖東地域では弥生中期後葉に、湖北地域では弥生後期に顕著となる が、湖西地域では明確ではない。

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様相Ⅴ: 定型前方後方形周溝墓があらわれる段階

大規模方形周溝墓・前方後方形周溝墓(形態 C2)・前方後円形周溝墓(形態 D)をふく む墓群が形成されるが、明確な群構成はとらない。このような規模・形態の墓は近江の各 地域に数基のみ存在するだけであり、その被葬者は近江の各地域において「特別な人」と いえるだろう。つまり、出自集団での「有力な人」から、地域での「特別な人」が析出し たことをしめしている。

様相Ⅴは、湖南地域では古墳初期に、湖東・湖北地域では弥生後期に顕著となる。湖 西地域では明確ではない。この様相Ⅴを経て、湖南地域では古墳前期に、湖東・湖北・湖 西地域では古墳初期に方形周溝墓の数が激減する現象がおこり、方形周溝墓という墓制そ のものが衰退期に入り、墳墓が優勢する古墳時代の景観となる。

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