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方形周溝墓からみた湖北地域の社会像

ドキュメント内 近江における方形周溝墓の研究 (ページ 105-108)

第5章 近江の方形周溝墓Ⅲ(湖東・湖北・湖西地域)

第2節 湖北地域の方形周溝墓の様相

4 方形周溝墓からみた湖北地域の社会像

以上の事例観察をまとめると、以下の画期を指摘することができる。(1)墓域に方形周 溝墓があらわれる段階。(2)墓域に方形周溝墓群の群構成が明確になる段階。( 3)墓域に

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おいて円形周溝墓・前方後方形周溝墓が出現する段階。これらの画期をもとにして社会像

(集団・階層)を検討していく。

(1)墓域に方形周溝墓があらわれる段階(弥生前期末)

表 8

にみられるように、弥生中期中葉までは方形周溝墓の数は少ない。しかし、弥生前 期の方形周溝墓の出現という点で画期的である。図 36の塚町遺跡の事例観察でみたように、

弥生前期末に造営された方形周溝墓群においてすでに群構成がみられた。すなわち、墓域 としては大きな群を構成しているが、さらに二つの小群に わかれる。どちらの小群も大小 の規模の方形周溝墓から構成され、群構成は集合配置 B1 をとる。また、方形周溝墓の形態 は台状部がほぼ正方形の形態 A1 である。これらの事象は弥生中期・後期をとおしても観察 されるものであり、方形周溝墓の初現期においてその後の方形周溝墓群がもつ各種の要素 をそなえていることになる。つまり、従来墓造墓集団がもっていた群構成という 概念が方 形周溝墓集団となっても持続され、墓域に表現されているといえる。

近江における方形周溝墓という墓制は湖北地域に比較的早くにあらわれたが、その後の 弥生中期前葉~中期中葉には造墓活動は散発的となり、方形周溝墓が墓制として定着しな かったといえるだろう。この事情は横山遺跡(501-130)においてもみられる。ここでは弥 生中期前葉に造墓がはじまるが墓域には土壙墓も造られ、方形周溝墓の造墓活動が活発化 するのは弥生中期後葉からである。

このように、弥生前期末に方形周溝墓の造営が はじまるが散発的なものであり、同じ墓 域には従来墓も造られる。このことから、方形周溝墓造墓集団は発生しているものの定着 した墓制とはならず、従来墓集団との間に確たる階層差はみあたらないといえる。

(2)墓域に方形周溝墓群の群構成が明確になる段階(弥生中期後葉)

表 8

のように、弥生中期後葉から方形周溝墓の基数は急増し 、弥生後期にはピークに達 する。方形周溝墓の規模も中規模が頻出し、大規模もあらわれ、形態には円形周溝墓もみ られる。この時期の特徴は、墓群にあきらかな群構成を示すことが一定の約束事であるか のような状況であり、出自集団の紐帯の強さを顕示しているものとみることができる。

この状況は弥生後期まで継続するが、墓域の様相を注意深く観察するとその変遷は一様 ではない。

図 40

の法勝寺遺跡の墓域では方形周溝墓集団の出現、有力な方形周溝墓集団の 出現、有力な家族の析出という社会構造の変化をみてとることができる。また、この湖北 地域では弥生中期末になると、近江型甕とともに東海系土器(パレススタイル)も数多く 出土する。東海地域をはじめ他地域からの有力な方形周溝墓集団の移住があったとも考え られるのではないか。

この時期は、在地集団の中から有力集団へと成長するものとともに外来の集団も墓域を 形成し、方形周溝墓が主たる墓制として定着した段階である。方形周溝墓の規模・形態・

群構成が各集団の強弱を表象する方形周溝墓社会といえる状況を呈している。

(3)墓域において円形周溝墓・前方後方形周溝墓が出現する段階(古墳初期)

表 8

のように、古墳初期になると方形周溝墓の基数は激減するのに対して、規模の拡大、

形態の多様化(円形周溝墓・前方後方形周溝墓)が顕著となる。

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たとえば、図 35(2)に示した鴨田遺跡(203-038)の SX01 の被葬者はこの地域での首 長クラスの人物であろう。また、ここでは各周溝墓が散在するなかで、最大規模の SX02 が SX03 と周溝部を共有することから、SX02・03 の被葬者間に特別な関係があるとみるこ とができる。つまり、少なくとも SX01~03 の被葬者は同一家族の成員と考えられ、ここに 有力家族の析出を認めることができるだろう。

この時期の墓域の特徴として、弥生中期から後期をとおして形成された先行の墓群を切 って、造墓活動がなされていることである。この行為は先行する時期の集団とは異なる論 理の集団の登場を示唆しているのではないか。さらに、黒田長山遺跡(502-042)・桜内遺 跡(502-043)にみられるように山間部に立地し、北陸地域の墓制に類似した台状墓が造営 されていることも、外来集団との交流・混合が盛んになったことを示しているのではない か。

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