• 検索結果がありません。

文  .

ドキュメント内 『宗教研究』168号(35巻1輯) (ページ 98-114)

  

    

  ︐ 曲巨 

展  望 

アメリカの宗教心理学 

上田賢治 

さきごろ︑グレ ソ ステッドの﹁宗教心理 宇 ﹂が邦訳せら れた︒ 

その序文で著者は︑時代・場所・環境等に よ るさまざ まな困難  を 考えると︑恐らく﹁オックスフォード大字の窓から みた﹂と  いう副題をつけ加えておいた方がよかったかも知れな いと述べ  ている︒宗教心理学という広範で酸味な意味を持つ 主 題 につい  て 概論しようと企てる者にとっては︑この言葉が殊更 ︑ 強く意 

識 せられてならない︒ 

ハーヴァード大字は︑アメリカに於ける宗教心理 字発 祥の母  胎 となったところである︒スタ ソり l. ホ ル︑ ス ターバ ソ  ク ︑ウィリアム・ ヂヱ ームズという︑いわばこの︑学問 の 創世記  に 記載される学者は︑すべてこの大学から育ち︑そし て 深い関  係を持ち続けた人達である︒現在でも︑ゴオードン・ オ ルポ |  トと ハンス・ホフマンがこの分野で活躍しており︑ 伝 統 的な名  誉は失われていない︒しかし三十年代に入った頃から ︑宗教心  理学も︑心理学の発達に伴い︑ ヂヱ一ムズ の業績が 偉 大なるが  故に打破ることの出来なかった枠を超えて︑新しい 発 達への 肪 

を 見せている よう に思われる︒特に︑問題領域の展開 には著し  望 展  メリカの各地に︑この分野に関心を持つ 手者が輩出 し︑ 従っ 

て ︑ハーヴァードは最早︑唯一のセンターとしての性 格を失っ  たといわなければならないと 居ぅ ︒かっ︑問題領域 の 広範さ  は ︑単独な研究者がその全領域にわたる知識に通暁 す ることを 

極めて困難なものとしている︒ 

以上のような条件を考慮すると︑蛇足とは知りながら こュ  に 述べられるであろうアメリカに於ける宗教心理 宇の 現況も ︑  ある角度から見られたものとしての制約をもつもので あること 

を ︑ 頭 初に明記しておかずにはおれない︒ 

伝統的課題と現象学的研究の成長 

フロイドの精神分析 が ︑ダーヴィン︑マルクスに 次 ぐ 第三  の 革命として︑文化・人間行動の理解に重大な影響を 与えたこ  とは否定出来ない︒特に ︑ 彼の無意識分析に基ずく 宗 教 批判︑ 

宗教を神経症の 一 徴候として理解する在り方は︑ベイ カン の 如 

く ︑その方法と理論がユダヤ教神秘主義の伝統に由来 するとす 

る 見解があり ぅ るとしても︑精神分析 学 との対決を宗 教 心理学  の 重要な一課題とせしめるのに充分であったといえる だろう︒ 

第二次大戦と︑それに先行するナチズムの 拾頭 という 社会的  条件も手伝って ︑ 多くの精神分析医がアメリカに移住 し ︑世界  中でも最もこの学問の盛んな︑今日のアメリカを造り あげた ょ  う に思われる︒権威主義的傾向の強い正統派精神分析 医の中に  は ︑フロイドのように︑宗教に強い関心を示すものが ︑ 必ずし 

99   (  99  

いものがあるとかえるたろ う ︒こうした新しい傾向と 土 @ に︒ ア 

も多くはないが︑そこでは︑オストウの﹁信仰への 欲 求 しによ  って代表せられる如く︑依然として︑フロイド的宗教 理解の基 

本 的態度が支配的である︒ 

しかし︑社会科手の分野に進出して活躍している︑ 精 神 分析  学の流れを 掬む 学者達の間では︑その宗教に対する 研 究 態度や  結果が一様ではないとしても︑フロイドから大きな 展 開を遂げ  ていることは︑見逃し得ない︒この傾向は︑心理烹調 としての  精神分析学理論が持つ弱点を補正しょうとする︑ 新フ ワイド @ 字  派の動向と軌を一つにしていると云ってよいだろう︒ 無意識 分  析の新しい展開︑日 の 日 ︒す日︒のⅠからのの︒もの 冶ダ 0 一 ︒ 沖 せ へと  自我の自律的機能を強調する傾向︑人格形成及び人間 行動にお  げる非本能的要素の強調による リビド 一説の補足修正 ヨ 0 曲 |  vat@o コ 理論を中心とする心理学との接触︑幼児の観 祭など 実  験 的研究の試み︑これ等の諸条件が綜合せられて︑ 分 析 学的 宗 

教 研究にも︑大きな展開が招来せられたのである︒ 

講壇心理学者からは︑その神話研究に基ずく宗教観念   

が 難解であり︑かっ形而上手酌 思辮性 が濃厚であると い う 理由  で︑敬遠され勝ちなニングも︑イギリスにおける程で はないと  しても︑アメリカで多大の彫 嬰 があることを見逃すこ とは出来  ないと思う︒彼の説く集合的無意識︑特に uqn ゴの ︵せつ のの概念  が ︑宗教的表象・象徴の心理学的理解に重要な役割を 果すと 考 

えられるからである︒ 

ユングと同様︑精神分析半治 頭 の 極く 初期の時代に フ ワイド 

と 分れ︑後︑アメ り 方に 牲 住したアドラーは︑これま た ユング  と 同様講壇心理学者の間に︑その後継者を持っていな   

全的人間関係の重視と ヨ 0 ︵ @0 コリ目の ョ 及び ヨコぃ 自の ヨ の 性格を  持つのの ‑f の強調という特色から︑必ずしも無視し得  な い 

評価㎝ 

を 受けている よう に思われる︒ 

  

ロ ム の  名士落すことが出来ない︒彼の業績は戦後︑比較的 早 く 我が国  にも紹介せられているので︑多言を要しないが︑最近 ︑仏教︑ 

特に禅に深い関心を示し︑鈴木大拙 氏 との共著を出し ているの  で︑今後この方面への更に深い展開が期待せられる︒ たビ 彼の  権威主義批判と︑ す仁ヨ の三の ヨ に発する愛の理論は ︑み 

姦 

心理  字の分野にも多大の影響力を持ち乍らも︑比較的自由 な 空気を  持つ神学校ですら︑決して歓迎されてはいないという 事実を承 

如 しておく必要があるよ う に思う︒ 

新しい傾向に立つ精神分析学者の最 牡に ︑最近︑青年 曲用用の小本  教者 ルッターを ︑ぎお arc す 文三の コ きせという独特 の 理論で  分析し︑注目を受けているエリクソンを挙げておぎた いっこれ  は ︑宗教心理学における伝統的な中心課題の一つであ る 回心の  研究としても興味あるものといえるだろうからである    目 心の研究では︑既に極 く 初期の頃から︑宗教経験と ︑ 他の  これに類似する経験との比較研究が行われていたが︑ 近来 再  び ︑アルコ一ル或いは麻薬中毒からの回復過程との 比 較が︑回  心経験の現象的理解の上で注意されている︒アメリカ において  特に社会的注意を換起した︑朝鮮戦争での所謂﹁中国 的 洗脳 方  弍 ﹂の心理 字的 カラクリも︑そしてまた︑ドイツの 捕 虜 収容所 

における限界状況での人格変換の問題なども︑ 矢 張り 亡 変笘 心理  字の分野で強い関心を集めているといってよいだろう ︒残念な  ことは︑これらの研究が︑宗教的回心経験の現象的 心 理 過程の  説明方法として利用されているとい 段階に留まり︑々 小我経験  の 特質的な性格理解の点にまでは及んでいないことで ある︒ 

同じく回心及びそれに関連する特異な経験を研究対象 とした  もの人中では︑サーガントの﹁心の戦い﹂が ︑ヱ パン ヂヱリズ  ム その他の宗教 り バイパル運動を条件反応心理・生理 学の観点 

から取り上げたものとして興味深い︒ 

﹁宗教研究﹂一 山 八四号で野村暢 清 氏が︑最近の宗教心理 学 研究  の方向を示すものとして︑ フヱ スティンガーの﹁予言が はずれた  時 ﹂︑及びァ一 ギ ー ル の﹁宗教行動﹂を紹介検討してお られる︒ 

これらは︑宗教現象の実証的研究の線に添った ︑ 新し い 研究所  産の代表的なものとして︑アメリカでも 任 目されてい るもので  おる︒特に フヱ スティンガーのものは︑宗教集団の成 立 ・崩壊  過程を︑比較的長期に一日一 つて 実地に探査した結果得 ろ れたもの  として︑社会 宇 或いは社会心理手酌研究 法 との関連か ら ︑意義 

深いものということが出来るだろう︒ 

同様︑社会心理手酌方法による研究として︑その他に も︑た  とえば︑カリフォルニア・グループによる権威主義的 人格の研 

望究 

︑或いは︑オルポートの先入見の研究などが︑ 宗教的人格 理  解 の問題に重要な関係を持つものとして注意される︒ オ ルポ  トは アメリカに於ける社会心理手創設者の一人であり ︑ 新しい 

展 実験的研究方法の勇敢な採用者としても注目され る 手者である  が ︑同時に︑宗教に深い関心を持つ心理 字 としても 貴 重 な存在 

だと考えられる︒両眼同時視に よ る 黒 ・青二人物の写 真 テスト  を 用い︑宗教信者の中に人種的偏見が強く潜在するこ とを見出  すなどは︑この面での彼の研究活動を知る一事例とい ぅ ことが 

出来よう︒ 

以上︑それは余りにも雑駁な記述でほあったが︑ ヴのゴぃ く ‑0 Ⅱ い ‑ の c@ の コ然 としての心理学の立場から︑或いはそれを通路 として・ 

宗教現象の科学的研究及び理解が︑現在のアメリカに おいてど  のような状態におるかを述べた︒このような操作的所 究への方  向が ︑従来よりより顕著に見られ︑それが宗教心理学 社 ムム ・  行動 科字 としての成長を物語るものであることは︑ 否 是 し得な  い 事実のように思われる︒しかし︑一方では宗教研究 における  ぬ量 化︑法則化の困難性が︑この方向への成長に大 き な 支障と  なっていることを忘れてはならない︒このことは︑ 宗 数 社会学  が 既に社会学の一分科として認められ︑その名の下に 講座が開  設 せられているのに対して︑宗教心理 手 は 未 だに心理 字 の一分  科 としての地位を与えられておらず︑従ってこの名称 を持っ 講  座は ︑神字 校 においてのみ開かれているにすぎないと い う 事実 

によっても充分窺 う ことが出来る︒ 

リュウ パ の行った調査によっても既に明らかなよ う に ︑心理  手者の中に︑宗教への深い関心を持つ者が比較的少 い というこ   と ︑そして同時に︑このような方向での心理手酌宗教 研究によⅢ 

って︑宗教の一体何が捉え得るのかということ︑この 

@  ﹂とは︑ 

  人格心理学の分野において最も明瞭に認知せられるこ とである 皿 

ドキュメント内 『宗教研究』168号(35巻1輯) (ページ 98-114)

関連したドキュメント