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ドキュメント内 『宗教研究』158号(32巻3輯) (ページ 84-89)

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めメっ の r ざ口 りの︵︶ 90 じを世に問うたこと等も忘れ 

  

  

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万国宗教大会はその名の示すよ う に︑宗教学の 会議ではなく︑宗教家の大会であった︒なかには 著名な宗教学者も 

いたが︑彼等は宗教学の専門家としてではなく︑ 所属宗教の代表者として出席したのである︒ 

ところで︑万国宗教大会が米国の宗教界に及ば した影響はといえば︑まことにとるに足らぬもの であった︒また︑ 

これは決して米国の宗教学にとってプラスの 働 きをしたとは考えられない︒少なくとも世人に ︑ 宗教学とは万国宗教  大会の趣旨に沿ったものという印象を与えてし まったからである︒ 一 ・ 方 ︑この大会を支持した 多 くの人々は︑世界の  各宗教が一つになるための哲学的︑宗教的根拠 を 求めていたが︑かならずしも各宗教の科学的研 究 に興味を抱いてい 

た ね げではなかった︒ 

彼らには︑宗教学とか比較宗教学という場合︑ 

ュ 別に述べたような哲学的︑宗教的な意味を離れて 

は 考えられなかっ 

たのである︒そればかりか︑宗教の研究は外側 からすべきものではなく︑ある特定の宗教を信奉 する者が︑内側から  自己の宗教を掘り下げるべきものだと考えてい た ︒例えば︑一八九五年にハスカル夫人がシカゴ 大 単 に二つの﹁︒ c ︵ 弓 rol の け やっ の基金を寄贈したが︑それには条件がつい ていた 0 その一つは巾の﹁ ro すう Ⅰの c ︵ 眉 おのと称し て ︑三年毎に米国の 

学者がインドでキリスト教の講演をすることで あり︑今一つは︑ 由 簿の汗の ‑‑ Ⅰの O ︵ Eq のと称して︑ 東 洋から著名な学者  をシヵゴ に招き︑﹁彼らの信ずる宗教﹂につい ての講演会を開くことであった︒幸い東洋から 招 かれた学者の中に  は ︑姉崎正治博士︑胡適博士︑ナタ ラ ジ ャソ博 土 のような有能の士が選ばれたのではあったが︑ ハスカル講演の趣旨  は ︑もとより彼らに宗教学の貢献を期待したの ではなかった︒彼らは仏教︑儒教︑インド教の信 奏者として迎え ろ 

ね ︑それぞれの宗教についての講演を依頼され たのであった︒  寸余年滞在されることともなった︒ 

比較宗教学の盛衰  十九世紀から二十世紀へかけての米国は  ︑  単に  国際舞台二乗り出したというだけではなかった︒  国の内部にも大き  な  変化を伴なったのである︒ターナー  宙  Ⅰの隼の﹁  ぃ 簿  ︶ ac  がめ  0 口づ  ur  口 との言葉を借りれば︑米国は局  10  三  めのⅠから  ぎ  0 円 0%  への動きであった︒資本主義経済機構の発展は  ︑  機械工業化を促進し︑同時に  ︑  人々を農村から  都会へとひきつけ  た  ︒こうした社会的変動は︑米国宗教界にも大  き  な  波紋を与えずにはおかなかった︒一九  0  七年  には︑  オ  曲目  おぽ  の ロサ  u の  甘  Ⅰ ノのハソヰ  Ⅰ田の︵  め曲口  〜 与め已  ︵ ア  のの  0c  め 藍の﹁  めのい  のが  出  仮  された︒近代工業化した社会に  ︑  神の救済を  神学的に把握しょうとす  仕る努力が窺われる︒ 

  

80n  〜 a‑  の︒ものこに対して︑保守的︑個人的な反 

  

酪 鮮  ぶり︑農村社会を基盤とした昔の米国を夢に見︑ ︵ ぢ  ㊧︶の出版となって現われた︒ファソダメン 

  

﹂とに眼をつようとするも  鋤 

米  のであった︒こうして︑米国の宗教界は  ︑リ  べ  ラリズムとファソ  ダメソ  タリズムの主張をめ  ぐって︑微妙な動きを  赤め 

文化︑宗教を知ろ う という実際的な立場からも ︑比較宗教学の重要要さが認められてきた︒  くない︒ 

また一方では︑ ヵナダ と合衆国の外国伝道協会 が ︑外国へ行く宣教師は︑伝道の具として︑比較 宗教学を修めるべ 

ぎであると決議したことも想起される︒それは 一九 四年の会議であった︒ 

若い国といわれた米国も︑ハワイを併合し︑ フ イリッピンを領土とし︑だんだん東洋に関心をも ち 出した︒東洋の  この ょう な意味の比較宗教学が︑一八九三年を 起点として︑米国の各地に弘まった︒ただし︑ ︐ ﹂の場合の比較宗教 

学 という言葉は ︑ いろいろの意味に用いられた ︒教派の束縛から 脱 れようとするカレッジでは︑ それをドグマチック 

な 教会指導者に対する反抗の武器とした︒比較 ゐ 示教学の名において︑他の宗教のもつ重要な意義 を 教えたことも少な 

宗教界もまたこの気運を反映していた︒ファソ ダメンタリズムは田舎の保守的な人々によって 僅 かに守られていた  に 過ぎず︑世はリベラリズムの時代となった︒ リ へ ラリズムは ラ ウシェンブッシュの社会的福士 日 に同情しながらも︑ 

本当の意味のの on 巨 ㌧ 0 一ゃのぜ を確立するまでには 到らなかった︒むしろ人道主義的な社会事業を ︑ 碕 oc あ 〜㌧︒ 汗ぺと混  同したかの感がある︒同じ傾向が︑米国の外国 伝道においても見られる︒元来外国伝道は︑前世 細め ︑単純な敬虔 主  義の人々によって始められたものである︒しか し ︑第一次世界大戦の前後には︑人道主義的な り べ ラリズムの影響に  よって︑外国伝道の根本理念が変化してぎた︒ 外 国へ 教会を建て︑異教徒を教化するということ よりは︑学校や病  院 ︑その他の社会事業をすることによって ︑ ﹁ 神の国﹂が到来するかの如き感を抱かせるに至っ た ︒ りべ ラリズムの  洗礼を受けた宣教師は ︑ 昔の宣教師のように︑ ﹁異教徒﹂を地獄に落ち行く人々とは考えなかっ た ︒むしろ︑キリス  ト教 とは違った意味で︑なんらかの神の恩恵に 浴していると考えた︒こうした宣教師の中には︑ 東洋の宗教を研究し  よ う とした人々も少なくない︒ し曲 立山まヒョ 0 ︒ キ 扇巴︵本ゅニヵま き ぽ 串 ︒ し a 三日立 0 甘 0 日 等がそ の中に数えられる︒ 

彼らが米国の宗教学に貢献したことは今更い う までもない︒  笛 二次世界大戦は︑ヨーロッパ諸国の役 落 をも たらし︑それに引きかえて︑米国は押しも押され もされぬ国際的 指 

導者の位置にのし上げられてぎた︒﹁戦争を終 らせるため・の最後の戦争﹂といわれた第一次大戦 が 終って︑米国人は  平和と繁栄の夢に酔った︒ 還づ 毛の口︵片の︵ アとい われた楽観的な気分が︑フーバー大統領以下の 不景気が到来するま  で 続いたのである︒こうした歴史的背景を考え れば︑アメリカ主義︑デモクラシ 一︑りべ ラリズ ム 公示 教 的なリベラ 

リズムをも含めて︶等が無意識のうちに同一視 された理由が理解されるであろう︒ 

(322)  し  ホ, し 

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86 

  

  

れた比較宗教学の繁栄は︑リベラリズムの後退と  ともに︑その運命をとも 

      

          米こうした社会情勢  は  宗教界にも変化をも  たらした︒すな  ね  ち︑第一次大戦後の焼野原から  ︑危機の神学といわれる  既 

唱えた人々は︑米国建国の根本概念である平等 思想と︑旧約聖書の天地創造の物語りとを結び 合 わせ︑すべての人間  は 一人の神によって平等に創造され︑地方的に は 異なった文化︑宗教によって区別されてはいる けれども︑本質的 

が 信じている諸宗教を︑公平に教えるべきであ  を 蔑むことを 潔 しとしなかった︒したがって ︑大  には︑同じものであると信じた︒それ故に特定 

ると考えた︒こうした意味の比較宗教学は︑一九  の 宗教 | それが自分たちの継承したキリスト教で 

学の使命は︑学生に特定の宗教を教えることで  あっても | 他の宗教 

二 年代にその最高  はなく︑世界の人々 

︶潮に達し︑当時宗教についての手引書が市 場に 溢れ出る ぽ どであった︒ 上    第二に ︑りべ ラリズムはキリスト教と他の宗教    リスト教のなかか 

らではなく︑いずれにも属さぬ中立的な﹁哲学 的立場﹂を比較宗教学に見出そうとしたのであっ た 

︒ 

りべ ラリズムを  外国伝道地においてさえリベラリズムが勢力を 得た時代であるから︑米国内に 

ぅ リズムの影響の強かったことは想像に難くな い ︒そして︑ り べうリズムは米国  した︒それは本当の意味での宗教学の学的探究 というよりは︑あくまでもり べラ  ト教 信仰に対する反動として︑比較宗教学を利 用 したとさえ考えられる︒ 

第一に︑比較宗教学は︑サイェン ス であるとい ぅ 立場をとった︒それ故に ︑キ 

て ︑中立の立場をとり得ると考えられた︒  おいて︑ことに学生層の間に ︑り ・ ぺ 

の 大学に比較宗教学の繁栄をもたら 

リズムの立場から︑伝統的なキ リス 

リスト 教 と他の宗教との関係につい 

  

一九二 0 年代の終りまで尊ばれた比較宗教学も ︑ 一九三 0 年代になると︑各方面から鋭い批判を 受けるに至った︒ 

そのすべてを詳述することは不可能であるが︑ 大 林次の四つの批評が代表的なものであろう︒ 勿 論︑ ・こうした批判が 

米国だけのものでなはかった︒ 

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ドキュメント内 『宗教研究』158号(32巻3輯) (ページ 84-89)

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