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は  要  観

ドキュメント内 『宗教研究』158号(32巻3輯) (ページ 59-65)

死  と  に 

く 294@  58 

   イ 

  

マリノウスキ 一の呪術と宗教の 機能 説 について 

も ︑学問的には︑研究者が選ぶ  若 千種の現象に  ついては︑能  う 限り広い視野に立って︑それらの  変種をつくす用意が  要請される︒しかるに  てりノ  ウスキーは自ら取  扱った現象の多様性を知りながらも︑その多様性  を 説明することをせ  ず ︑特定の材料について心理的要因を探究する︐  ﹂とに主たる関心を示し︑しかもその得たところ  を 一般的な形で  呈  示したのである︒遺憾ながら︑最早︑そのこ  とを一々の具体例について説述する紙数の余裕を  持たないが︑彼が何 

    

  

しかしわれわれの見るところでは︑マリノ 

タ ス キーが比較法を完全に無視したと云 

う ことは出来  ない︒彼は人類学  を人間文化の比較科学と定義し︑人類学の格別  科学的な仕事は比較研究によって人間制度の基本  的 性質をあらわにす  ることであるとし︑また宗教に関しても︑それが  何であるかについて明瞭な概念仁到達することは     行 される宗教現象の比較研究によって最もよく  成就されると云っ㍉  " ソ ドン大学における彼の  後継者︑ファースの㏄ 

語るところによれば︑マリノウスキーは類似し た 構造の社会体制の間の綿密な制度的比較には 興 

味を持たなかった㏄ 

が ︑しかし彼は決してそのような比較を排斥し   比較が比較される 

項醐 

目の積分的関係の十二分の研究に基づくべきこ とであったという︒彼自身はまた︑比較 法 が彼の 主題たる文化に適用 

し 得る何等かの概括や理論的原理や普遍的法則 0 基盤でなければなれぬとさえも云ったのであ 俺宕 

しかしマリノウスキーが実地に遂行した比較 法 はむしろ粗雑 ど 云 う べきほどのものであったと 云 わればならぬであ 

ろ う ︒彼は﹁信仰と道徳の基礎﹂において︑世界の 故地方から比較の材料を引いている︒しかしそれ は 彼が主としてト ロ 

ブリアンドの事実を背景になした一般的論述を 例証するに過ぎぬ程度のものであった︒また彼は ある呪術について︑ ト ‑8 2 ︶ ロ ブリアンド内での変種を比較した場合がある︒ しかしそれとラドクリフ・ブラウンが志した 集 約的 ・地域的比較 法 

との類似は極めて皮相的であって︑それは同一 地域内の基本型を設定することを意図してなされ たものでもない︒ ‑9‑2 

の外︑彼はしばしば宗教︑各宗教︑全宗教など 一 ム 5 表現を用いて一般論を開陳したが︑それは 既 に 示したよ う に ︑ 

部の信念や儀礼を念頭におき︑しかもそれらの 理解も主としてトロブリアンドにおける自らの 経 験を背景としている 

ことは争えない︒ 

このようにして結果的には︑マ リノ ウスキーが 特殊を一般化したと云われても止むを得ないよう なことともなった 

のであるが︑しかしそれは彼の本意ではなかった ことが窺われる︒彼は若い頃︑デュルケムの﹁ 宗 教生活の原初形態﹂を 

論評して︑単一の事例に基づく結論には大なる 異 存 があるとし︑宗教の最も基本的な様相の一に関 する学説が デュルケ 

ム がやったよさに︑事実上単一の民族誌に叙せら れた単一部族の分析に安んじて基づき得ないと   

ソ ・ジュネップの通過儀礼を批評しては︑それは 形式の類似している故に総括された︑さまざま な儀礼の真の機能的 

分析に基づかない形式的組織であると云い︑ そ 0 名称を危険なラベルとなした︒ ‑,‑3 更にまた彼は自 らも 暫 らくは大なる 

影響を受けたフロイド及びその追随者たちの 精 神 分析学的方法を批判して︑彼等が ェデソ プス︐ コソプレソ クス を あ 

  

マリノウスキ 一の呪術 と 

B. 燵 ・ 姫岡 ・土手 訳 ﹁文化の科学的理論﹂ 二セ 0 頁 ︒ 小 2 ︶ 目巴 ‑ 臣 ︒毛の乙 @ プ円 ハ的 あ @  の巳 e コ りのい コら ㍉ 匹而 ‑0 目 @  弓 い Ⅰ @ ㏄ 0 田り 〜ハ局 目ア Ⅱ 0 で 臼 0 的せ ︒け局︒ 阿 ・ 田 Ⅰ ンこト トチ 0 口 ・ セ 

( 斯 )  ︵ 5 ︶ 約 比目 0 毛の エ @ の 0 の 寸 ‑ い コ田 ず Ⅱ 0 ㌧ o‑o 帥宮 ・門口 リ セ・㏄ ユ拝 ︒ セ 0 ㌣いつ・ ロ ・㏄のⅡ  ︵ 4 ︶ 巾 ‑ 由由 ‑ 目的︵ 0%" 勾 ・ @ 片目 @ 申 ︵〜 0 年仁り曲 0 コヰ 0 の Q わ ‑ 曲 円い コ ︵ ず Ⅰ 0 づ 0‑0 簗セ " セ 0 ト ド ︐ト のり め ・ @ Ⅹ  小 3 ︶ ナ宙 ︒目ヰ @ 下 ㏄ り @ ︒コ目 由 c ︵ずの 0 Ⅰ せ 0 ヰ ︒亡帝 年 Ⅱ e" で・ 屋 ㏄  ︒ @ め 0. づ ・㏄ ウ ㏄ 

  ゃ ・ ド のの・機能的方法はある物資の如何なる他の様相 よりも︑用途に重きを㏄  の   ゴ ㌧ セ ・ ウ 0 ︒㏄ ト ー㏄ り @G 三井 ヨぃコ ︒ ヲや :P Ⅰ 田ぎ 0 毛の五︒のの 00@0‑0 洩ざ巴 Ⅰ ず 00 ユ のの・ トつトゆ︐  ろ う ︒マリノウスキーは社会や文化が人間を規 制し︑行動に制約を与え︑本能︑動因︑人間性をも 変容することを認め 

池 待 ︒もし彼にこの点を充分考慮に入れる用意が ‑ あったならば︑呪術や宗教について個人心理学的 説明で満足されなか 

っ たであろうし︑また同種の信念や儀礼の変種に ついて︑もっと充分な配慮がなされたであろう と 思われる︒ 

要するに︑マリノウスキ 一は 現象の多様性を知 りながら︑そこに問題を見出し︑その中から解答 を 引出すことをし  なかった︒彼は人類学の学徒の仕事として諸事 実の一般化を目ざしたが︑彼がそれを遂行するに 当 @ っては︑ラド クリ て   念 な取扱いを経ないで︑ある現象の裡に生きて 鼓 勒 する人間の姿を見て ︑ 

諦 直ちに人間の本性に沈潜したのである︒ 彼 の 学説に見る新鮮味と偏向性という長短二 つな が らの根源はそこにあるの ヒヒ 粛 ではなかろうか︒  らゆる文化の基礎におくのを誤りとし︑それが 特に父権的社会性見られることを明らかにしたの は︑ 彼が現代西欧の 

ズ 宗家族とトロフリア ソド の母系家族とを比較    スキーが他者の学説  を 批判する場合にとった態度と彼自身の研究の 場合に実地に示された態度とは相容れない︒ け れ どもそれは彼の意識  では矛盾ではなかったと思われる︒彼は先述のよ う な安易な比較をもって ︑ 自ら比較法を遂行した と 信じていたのであ 

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一の呪術の宗教の 30@ 29@ 28@ 27@ 26@ 25@ 機能 説 につ 24  し  て  ︵ 2 00 ︶  ︵ ︶  ︵・︐し  ︵ 却 ︶  リノ 

ウスキーの心理学的説明の不充分さを物語るであろ へ @ @@ ︒  目 p‑@ 口 名 綜 @‑ 目ぃゆ @n ︒の o@o 口 R p 口ロⅠの ‑ 一ゆ @0 Ⅱ㌣やせ・ ︒ の l 時メ 南部 スダソ のヌア人の間では非常に有用な 獣 ︑ 鳥 ︑魚︑植物︑人  上物が ト テム とされなⅡ u0@ しかり しとム Ⅰ らヱヴァソス ブ リチャードは︑トーテミズムにおいて︑経験的関心 物の儀礼化を  見ようとするマリノウスキーやラドクリフ・ブラウソの 主張を支持し得ないとした つの下の︒ 巾 r@te すか ま ‑ 三岸 の ⅡⅠ 代 的 ‑0 コ ︒ 

トゅ 朋の︒ づ ・ き ・︶ 

ま主 田 毛の エ ニす 乙︐や ㌣・死体のミイラ化のある処は 何処でもそれが一つの観念によっているとは思われ 々︑ 火葬にして  も ︑そのモーティブは地方によってさまざまであること が 指摘されている︵ 目 毛色 す ︒ 毛 ‑ 円汀 ずのの 目アの の ︐お 白 0. や・ トの 0.@ 

めの下らのココ︒ 目 ・ @0 の む目ア ︒由の︵ ︵︵︶の︒ ト のの 0. づつ・ やトゲ申つ ︶ 

㏄つの 臣 ︒ oH" 力 ・Ⅱ・ 色・ ン臣 ︵ す 心曲下山 づ Ⅱ㏄ づ ︒ゴ心の ‑ コ笘臣 ︵ す ro で 0‑0 幅ざ Ⅰの 目 A, つつ トトガトりい ト い ㏄ 閃の由かの ‑ 色 ︐ 力 ・ Ⅰ 巨 ︒ 経 : 由 ︒ 臣 

︵ 約主ぎ 自の里・︒︒ 約り住 お鰍鰍 の 簿 口ロ〜生田 宮︐︐ 丘 ‑ 1 %‑ 岸 

ホグビソ 著︑吉田一吹 訳 ﹁ポリネシアにおける法と秩序 ﹂五二 | 五四頁 マリノウスキーは法に関して︑ ノ ラ 不 シアの 一地  方の材料から得た結論が︑当然限られた範囲を持つこ とを特に断わってさえいる︵の ユヨ の田田経 30 日日 毬づ り 内のの の ‑0 目 せ 

セ ・のの・︶︒ 

Ⅱ 〜︵〜㌻ ヶ 〜・ 口・ ヲミ ‑p ロ ‑p3 ロ 口汀 : q‑0 ・ づぢ ︒ 

ヲ円か甘コ 毛の オ @@ 円ア 時 0% コ らり 曲 戸 0% ヰい ぎす い臣らヨ Ⅱ ぃ仁 ・ づコ ー づ ‑‑‑ 

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コづす 日りの︒ 甘 ﹁・Ⅰ・ の偉 ︵︵の コ ︵ ぃ 口目 す Ⅱ つっ ‑ っ帥セ ・ トゆ 切目・ つ ・り切︒ 

才自ぃ 二戸 七への オ @@ く肝の住 コヱか On す 00 Ⅰ ぺ 片︒口ご 絹 Ⅰ o" ち ・Ⅰ㏄ @ 由の ヨ @@0 Ⅱ ハ ‑ のりⅡ由の コ のの コ隼 ︵ ず o‑H ハ ︶ り的 ‑0" セ 片 P" つつ・ い ㏄㏄ めのつ  拙稿﹁ラドクリフ・ブラウンの宗教研究﹂宗教研究一四 四号︑昭和三 年 ︑一三 | 一四︑一七頁参照︒ 

ヲう の ヱコ 丈 @ の片 ‑@ オのづ ‑0 毛 ヰ 戸Ⅱ オず 目づ ︑ 0% Ⅰ︒の〜 0n コ ︵ のの ひ ‑ ひ コ 0% ヰい ‑ Ⅱ の 宙 e‑ ハイ ‑e Ⅰの 吊 ㏄ ‑e 仁 ㏄の Ⅱ 0‑@ Ⅰ Ⅱ e" づ プ時ム ︐ Ⅰの ト の︒ つ つ 

執 いの・切のつ デ ︒Ⅱ︶ ‑ パ︐ ︶︒の︒ "E ︒ ‑ 一一 @h の ︵のり ゼ ︒ ぬ の ︶︶ 40 ︒ 〜 ︐ ︐メタ﹁のの︵の︒ コミの ‑ 笘コ の ‑ の " ⅩⅩⅩ 仁 ‑ | ⅩⅩⅩ ‑ せ @ 隼 臣 Ⅰ のの パい コ年Ⅰの つド のの 雀 コ ‑ 目のいせ ハ ㏄の㏄ 色のこせ かこ す ‑ 目で Ⅱ の 乱 口・ ト ゆりの 

     

  

  ︵昭和三三︑一二︶ り す か 口の ︒ づ ・ 肚時   

︵Ⅰ︶ ては彼の蹟 蹄が 見られるが︑後にはそれが理性 であることを明言して ゐ ・ る " か ﹂るもののそれに 固有な徳に従っての  一 一 

﹁形而上 豊書 ﹂︑ 巻では︑その純粋観想︵や き下 ︵⑨は︑理性 守 00 ︒︶との 開係に 於て追求され たが︑﹁ニコマコス 

倫理壁書﹂︑ 巻では幸福との問題に於て探究さ れる︒アリストテレスはその純粋観想を前者の且 目 では形而上的面から 

取扱 ひ ︑後者の書では 具掲的 面から取扱って ゐ る ︒而して純粋観想と幸福の問題が﹁ニコマコス 倫理 里書 ﹂ 巻 ︑第 

七章の冒頭で述べられる 即ち幸福とは最高の 徳締盈づ さに従っての活動であり︑その最高の 徳 どは我々のうちに 

於ける最善なるものの徳である︒我々のこの 最 も 善い部分とは﹁理性 官 ︒ 斗 ︶であらうと︑何か 他 のものであらうと 

も ﹂執れにしても︑それはその本性上支配し指 暮 し ?G Ⅱかおも q@ 二 セ きめ @ 寸沫し ふ目出ぃⅠも治し・ 且 又 美しき神的なるも 

のについて思念し得る 宋き oha で 娘 Ⅹの︵寸ヰ 巾ゑ再 斗ぎ蕉釦簿へ cov ︶と考へられるものである︒ この場合︑アリスト 

テレスは﹁ 神 的なるものについて思念し得るも の ﹂とは﹁それ自身が神的なものであらうとも︑ 我々のうちにある 最 

も 神的なものⅠかもの︵㏄ づ ︑﹁ こであらうとも﹂ と 述べ︑それが 亦 彼によれば︑﹁理性であら う と︑ 何か他のもので 

あらうとも﹂と述べて ゐて ︑そこにはアリスナ アレスの不明瞭さがあり︑従ってそれが理性であ ると 云 ふことについ 

英 

ア 

リ 

ス 

tC  

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ドキュメント内 『宗教研究』158号(32巻3輯) (ページ 59-65)

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