第 3 章 仮説
3.2. 抑制のメカニズム
次に,抑制のメカニズムの仮説を立てる。つまり,抑制がどのように 始まり,活性化の低下から連合の消去まで作用が及ぶのかについて考察 する。これまでのように抑制を実行機能が制御するという考えは,言い 換えると,目標志向的に不要な情報を抑制するという能動的処理を仮定 するものであった。しかし,実行機能の基盤と言われる前頭葉機能にお いて,抑制を直接支持していないという見解が相次いで提示されたこと で(Miyake & Friedman, 2006; Munakata et al., 2011),このようなメカニズ ムに基づく仮説は成立しないものと考えられる。したがって,抑制が作 動するメカニズムについては再考する必要がある。
抑制を能動的な働きとして考えることは,理論的な観点からも問題点 が挙げられている。月元(2007)は抑制の処理とアクセスの処理がとも に実行機能により制御されるという考えが論理的に成立しないこと指摘 している。抑制の理論においては,抑制の意義は競合を解消することと 考えられている(Anderson, 2003; Hasher & Zacks, 1988)。競合は手がかり
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の提示時によって複数の記憶が活性化されている状態を指す。月元(2007) は,この競合の概念をより厳密にターゲットとそれ以外の記憶の活性化 の差が小さい,もしくは等しい状態と定義し,それをシグナルであるタ ーゲット記憶とノイズとなる競合記憶の比(S/N 比)によって表してい る。この定義に基づくと競合が解消されることはターゲットとそれ以外 の記憶の活性化状態に差をつけること,すなわちS/N比を大きくするこ ととなる。このように考えると,抑制は,ノイズを脱活性化させること で相対的にシグナルを際立たせ,S/N比を拡大する働きである。
Anderson(2003)の理論では,競合を解消することでターゲットへの アクセスが可能となると考えている。これは,S/N比が上がらなければ,
ターゲットへのアクセスができないことを意味している。よって,記憶 検索時の処理として,競合記憶の抑制がターゲット記憶へのアクセスに 先行すること仮定していると考えられる。そして,抑制とアクセスがと もに実行機能によって制御されると考えている(Anderson & Neely, 1996)。 この仮定が矛盾をはらんでいると月元(2007)は指摘している。このよ うな順番で処理がおこなわれるためには,実行機能は抑制処理が実行さ れる前に,どの記憶が不要でどの記憶がターゲットであるかを識別して いる必要がある。実行機能が抑制対象となる競合記憶が識別できるとい うことは,同時にターゲットの識別も可能となっているはずである。タ ーゲットの識別ができているのであれば,その前提となるS/N比はすで に拡大されていると考えられる。そのため,月元(2007)は,競合記憶 をターゲットとする抑制と必要な記憶をターゲットとするアクセスとい う二つの処理を理論に組み込む必要がないと指摘している。実際,月元
(2007)の EMILE モデルでは,ターゲットへのアクセスの処理を破棄 し,抑制のみによって検索誘導性忘却を説明することに成功している。
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本論文では何らかの情報を利用している状態を想起とし,利用するこ とを情報処理の観点から見たときに,情報に対するアクセスと定義した。
よって,月元(2007)の立場と異なり,アクセスの処理を備えたうえで この問題を解消する必要がある。はじめに述べたように,アクセスは行 動と対応するように定義することができる。一方で,抑制は必ずしも行 動との対応が示されるわけではない。検索時の抑制処理を考えるならば,
想起した状態に対応する,必要な記憶へのアクセスを明確にしたうえで,
アクセスと抑制の関係を議論することが必要と考えられる。
3.2.1 アクセス
第1章で述べたように,アクセスのメカニズムは短期記憶とワーキン グメモリの研究から知見が蓄積されてきた。ワーキングメモリは情報を 処理することに焦点を当て発展した概念であり,課題目標に一致する情 報に対するアクセス処理に関して精巧な理論を提示している。特に,
Cowan(1995, 1999)のモデルは,アクセスを注意を向けることと捉え,
長期記憶とワーキングメモリを共通の枠組みから説明するものであった。
Cowan(1995, 1999)モデルをもとに発展させたOberauer(2009)のワー
キングメモリモデルも同様に,ワーキングメモリと長期記憶をともに扱 うことができる。加えて,文脈情報が組み込まれていることから,抑制 の範囲を説明するために必要な意味記憶とエピソード記憶を区分するこ ともできると考えられる。したがって,本論文では,記憶のアクセス処 理に関してはOberauer(2009)のモデルを前提とする。
3.2.2. Three-Embedded-Components model
Oberauer(2009)のワーキングメモリモデルは Cowan(1995)の
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Embedded-Processes model 拡 張 し た も の で あ り ,Three-Embedded-
Component model(3 要素埋め込みモデル)と呼ばれる。この理論では,
多くの理論と同様に,目標志向的な情報処理のために情報へアクセスす るシステムとしてワーキングメモリを定義している。そして,目標志向 的なシステムとして成立するためには,ワーキングメモリは6つの要件 を満たすものである必要があることを強調している。要件の一つめは,
ワーキングメモリが情報の結合をおこなうことである。つまり,新しい ワーキングメモリ内容を結合・構築し,それを維持することができるこ とである。日常的に行動をおこなうためには,その場面で必要とされる 情報は常に変化している。それゆえ,ワーキングメモリは,その時必要 な情報によって新しいワーキングメモリ内容を維持しなければならない。
そして,新しいワーキングメモリを構築するためには,必要な情報を相 互に結び付ける結合(dynamic binding)の働きが不可欠となると考えて いる。
二つめは,構築されたワーキングメモリ内容を操作できることである。
目標志向的な行動では,維持しているワーキングメモリ内容のうち,さ らに一部を選択することができると考えられる。例えば,系列再生課題 では,覚えたアイテム全てがワーキングメモリで維持・結合されるが,
再生報告をおこなうためにはその内の一つ一つのアイテムが選択されて いる。つまり,ワーキングメモリ内容を構成する要素に対する選択的な アクセスが可能である。
三つめは,ワーキングメモリは,全般的な目標に対するシステム
(general –purpose mechanism)であり,特定の目標を解決するためにデ
ザインされたモジュールを持っていない。
四つめは,ワーキングメモリ内容を素早く更新(updating)できること
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である。課題目標は,場面に応じて次々に変化する。これを実現するた めには,ワーキングメモリ内容を目標に合致するよう次々に更新してい く必要がある。Oberauer(2009)によると,この更新がワーキングメモ リにおける情報の操作に該当する。そのため,直前の目標のために維持 していた情報が,現在の目標のために維持する情報を阻害する(順向干 渉: proactive interference)ことを回避する必要がある。この干渉を回避す る作用の一つが後述する排除(removal)にあたる。
五つめは,長期記憶から,目標に合致する情報を引き出すことができ ることである。ワーキングメモリとして維持する目標に合致する長期記 憶を,他の長期記憶と区別できる構造が必要となる。そのため,ワーキ ングメモリは他の長期記憶がワーキングメモリに干渉しないように保護
(Shielding)する働きが想定される。
第六に,ワーキングメモリは,構築したワーキングメモリ内容を長期 記憶にフィードバックし符号化している。これによって記憶構造が更新 される。
モデルの構造 Three-Embedded-Components modelは以上の要件を満 たすように構成されている。そのため,ワーキングメモリと長期記憶の 双方に言及することができる。この理論では,ワーキングメモリと長期 記憶は構造的に単一の記憶であることを想定している。Baddeley(1986)
のモデルのように,短期記憶と長期記憶にそれぞれ貯蔵庫を想定する場 合,貯蔵庫間の転送が想定されるため,長期記憶の記憶と短期記憶の記 憶は異なるものとして扱われる。これに対して,Oberauer(2009)のモ デルでは,長期記憶が高度に活性化された状態をワーキングメモリと捉 えている。この考えは,Cowan(1988)の Embedded-Processes model や
Anderson(1983)のACT理論と同様の考えである。それゆえ,ワーキン
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グメモリと長期記憶は連続的で,両記憶の性質の違いは活性化の程度に よって生じる。
Three-Embedded-Components modelにおいて長期記憶は,貯蔵された記
憶が活性化されていない状態を指す。長期記憶に該当する記憶は多岐に わたり,手続き的記憶と宣言的記憶の区分がなく,相互に等しく連合さ れている。知覚的入力などにより,特定の記憶が活性化されると,活性 化は連合を通じてほかの記憶に伝搬していく。
この状態の長期記憶は,特に活性化された長期記憶(Activated part of Long Term Memory)と呼ばれる。活性化された長期記憶は,連合に基づ く拡散により活性化されるため,記憶の容量制約を受けないことが想定 されている。Ratcliff & McKoon(1981)の活性化の定義に従えば,活性 化によりアクセス可能性があがり,より効率的に処理される。よって,
多くの記憶が入力に伴い活性化された長期記憶と状態なり,それらに対 する反応時間が短くなるプライミング効果や検索の正確性が上がると考 えられている。また,活性化された長期記憶の状態では,課題の内容に 応じて,宣言的記憶(declarative memory)と手続き的記憶(procedural memory)が区別される。
活性化された長期記憶のうち,目標に一致する記憶は検索されること で直接操作可能な状態になる。言い換えると,目標に一致する活性化さ れた長期記憶に対して,注意を向けるアクセス処理がおこなわれること で,活性化がより高められる。この状態はCentral Component(ワーキン グメモリの中心的構成要素)と呼ばれ,Baddeley(1986)のワーキング メモリやCowan(1988)のFocus of Attentionの概念に対応する。Oberauer
(2009)によると,長期記憶の情報を,Central Componentに維持するこ とが,長期記憶の検索であると考えている。