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手探りの「放射能防護」対策

伊達市への双葉病院入院患者の受け入れ経過

 3月15日の午後に、県より市災害対策本部へ、

受け入れ施設が見つかるまでの応急対応とし て、「相双地域医療施設の患者を受け入れてほ しい。医師及び看護スタッフも付いている」と の要請があり、受け入れを承諾するとともに、

伊達ふれあいセンターを避難所として態勢を整 えた。

 翌日早朝、日赤職員、県外派遣医師(D-MAT)

2人が同行し、双葉病院の入院患者(要介護者)

54人が搬送されてきた。

 3月15日午後に双葉病院から救出され、二本 松市でスクリーニング検査を受けた後、伊達市 に搬送された54人の患者は、おむつは交換され ておらず、搬送車内には異臭がたちこめてい た。数日間、水分補給も食事摂取もなかったの か、脱水症状を起こし衰弱が激しく発声もでき ない状況であった。加えて、カルテ等の持参も なく氏名・生年月日も分からず個人を特定する ことができないという状況であった。伊達市側

には事前に、搬送者の状況がこれほどまでにひ どいという情報は何一つ伝えられていなかった ため、準備態勢も不十分で、避難所という空間 で生命の危険と隣り合わせの懸命な救護活動を 行った。

 保健師は、地域包括支援センターや社会福祉 協議会のスタッフの支援を受けながら、おむつ 交換や水分補給の準備、全身状態の確認を行う とともに、個人を特定するために、一人ひとり に個人記録票を作成し、写真を添付し避難所で の対応を記録した。おむつ交換をしながら状態 観察していると、中心静脈栄養患者を発見し、

医療機関へ搬送手配したり、毛布の下からトリ アージカードが発見されたが、誰のものか不明 ということもあった。

 3月16日昼に、伊達ふれあいセンターの避難 所担当より、市災害対策本部へ避難者2人が死 亡したとの報告がされた。一刻も早い緊急の医 療措置が必要だったため、患者を市外の病院に 収容できるよう県に早急なる調整を何度も依頼 し、県は各医療機関と受け入れの協議に奔走し た。午後、市災害対策本部を通して、伊達ふれ あいセンターに市内病院から医師2人の派遣が あり、診察を受け、水分・かゆの摂取許可が出 た。そして、水分摂取により劇的に会話ができ るようになった患者もいた。

 そして、3月16日の夕方から、死亡した2人 を除く52人の市外病院への搬送が始まった。

 医療優先度の高い順に、藤田総合病院(国見 町)、福島松ヶ丘病院、板倉病院(福島市)など に救急車や民間救急車(患者輸送専門の有料自 動車)、院長・病院スタッフが自ら運転するな どして、38人を次々と搬送した。残りの14人は、

 ここには、当時この出来事に対応した災害対策本部職員、避難所担当職員、そして保 健師の証言を基にした経過を掲載した。

双葉病院をめぐる避難の動き

 双葉郡大熊町にある私立の精神科病院。現 在は、帰還困難区域にあるため閉鎖されてい る。東京電力福島原子力発電所における事故 調査・検証委員会の最終報告書によると、福 島第一原発事故を受けて、当時、双葉病院に いた寝たきり・認知症の入院患者約340人と、

隣接する系列の介護老人保健施設の入所者約 100人の避難が3月12日から開始されたが、

入院患者約130人と入所者全員の避難(救出)

は3月15日まで時間を要した。伊達市・福島 市・いわき市の3カ所の避難所へ一時避難と して搬送された救出患者等のうち21人が3月 17日までに避難先等で死亡した。

高齢者の安否確認・食事など支援

 震災の発生に伴い、高齢福祉課を中心に一人 暮らしや要援護の高齢者の安否確認、支援を 行った。

 一人暮らし高齢者を対象とした配食サービス 事業の利用者についても、昼食弁当の配達に合 わせて安否確認が行われた。平成23年3月12日 は事業者で準備したパン、おにぎり、飲み物を 配達しながら利用者の無事を確認した。14日ま でに全員の安否が確かめられた。14日以降につ

いては、以前の利用者にもおにぎりを持参し安 否を確認した。

 17日の伊達市ケア会議で県設置の避難所要援 護者支援として、要援護者の介護サービスの利 用希望については、高齢福祉課に情報を集約後、

地域包括支援センターに情報提供し、ショート ステイ等の介護サービス利用の対応を取ること となった。

 また、避難所生活が長期化してきた4月以降、

同室避難者に配慮しながら行っていたおむつ交 換等で介護者の疲労が日に日に積み重なってき たため、ショートステイ等の介護サービスを希 望する方へ特別養護老人ホームのショートステ イベッドを緊急用として確保し入所の手配を 行った。

 今回、一人暮らしの安否確認については民生 委員、介護保険認定者については複数のサービ ス事業者と重複して安否確認が行われていたの で、今後は、要援護者全体の効率的な確認方法 を確立していく必要がある。

3月12日の臨時伊達市民生委員連絡協議会会 議で高齢者の安否確認や支援等が協議された

受け入れの医療機関が決まらず、そのまま伊達 ふれあいセンターで過ごすこととなり、介護を 要する患者もいたため、新たに介護専門員を配 置した。

 3月17日の午後に、14人の受け入れ先が会津 中央病院と決まった。引率には、県北保健福祉 事務所職員2人、市保健師2人が要請された。

搬送には、身体的・精神的に重症の患者が多かっ たため、県が準備したバスに乗せるのに多くの 時間を要した。さらに、県北保健福祉事務所職 員の引率が急遽、市内避難所対応中の県職員2 人に変更になるなどして、午後9時過ぎにやっ と伊達ふれあいセンターを出発した。

 受け入れ先の病院が搬送途中で変更され、午 後10時50分に到着したのは、会津中央病院系列

の「つるが松窪病院」であった。患者の搬送と 医師及び看護師への引き継ぎを行い、午後11時 50分に病院を後にし、翌3月18日の午前1時30 分に伊達ふれあいセンターに戻ってきた。

 双葉病院については、関係機関の連携が不足 し患者の救出が遅れてしまったことが、その後 の幾多の困難な事態を引き起こす原因となって しまった。

 一方で、現在、各市町村で制定が進められて いる避難行動要支援者支援制度で想定されてい るのは、主に在宅の高齢者や障がい者である。

今回の双葉病院の件は、病院や福祉施設にいる 患者や入所者が、災害によって一斉に施設外へ 避難を強いられた場合に、対応方法をどうする のかという大きな課題を残した。

 震災発生から一夜明けた平成23年3月12日午 前6時現在で、約700人の市民が各地の避難所 へ避難していた。この日から避難者への食事の 提供、給食業務が始まった。

 前夜開催された第1回災害対策本部会議で は、12日の朝食は、旧5町の備蓄倉庫に備蓄し ていた非常食(アルファ米等)で対応し、昼食 以降は状況をみて伊達学校給食センターで炊き 出しを行うことを決めていた。12日の昼食から、

伊達学校給食センターにおいて1,000食分の炊 き出しを行い、職員が各避難所へ配送した。

 コメは、停電を免れた伊達地区のJA伊達み らい「んめーべ」で、精米が可能であったため 仕入れを確保できたが、ごはんを詰めるパック、

箸、ラップなどの消耗品については、物流の停 滞で市内外の業者からかき集めるなどその確保 に苦労した。

 避難所への市民避難者が約1,000人とピーク を迎えた13日、さらに、相双地域からの避難者 受け入れにより、市民向けの食事と合わせて

ピーク時に2,000食 避難者への炊き出し

2,000食の炊き出しを行った。

 その後、相双地域避難者への給食が主となっ てからは、伊達学校給食センターに加え、学校 給食納入業者にもパンやご飯の調理を依頼し た。配送についても、職員による配送から学校 給食運送組合、シルバー人材センターへ順次移 行した。

 4月1日以降は、朝食は県からのパン配食を 引き続き活用するとともに、昼食と夕食は市内 業者へ弁当配食を委託した(1食単価300円)。

昼食・夕食については、これまで県が配食して いたおにぎりとして、前日の午前中にJA南会 津で作られ、その日の夜に伊達市に配送されて きたものを翌日に活用するという形をとってい たが、より温かく安全な食事の提供を目的に、

地元業者による弁当配食に変更した。

 また、避難所の自主運営(自炊)の段取りに も入った。避難所での自炊が可能かどうかの調 査を行い、鍋や炊飯器などの必要器具の確保と、

支援物資として届けられたコメ、野菜、調味料、

伊達学校給食センター

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