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ガ 反

(6)ワ ー ク シ ー ト

名 前

1.聖

徳 太 子 に つ い て 知 って い る こ と を書 い て み よ う :

2.歴 史秘 話 ヒス トリア 「み ん なで いい国 に しよ う !プ リンス聖徳 太 子 ニ ッポ

ン補 発計 画

20‖

年」 を兄 て書 こ う

:

名 前

3.な ぜ聖億太子 についてた くさんの逸話や偉 業が あるのか ?

自由に予想 してみ よ う

:

予 想

4.興 味 をも つた説 を 1つ 選 ん で ,そ の理 由 も書 こ う

:

理 由

5.学

習 課 題 を書 こ う :

名 前

〜『 日本書紀』に書かれている聖徳太子像 をさぐろう !〜

1.あな た は『 日本 書 紀 』 に 書 か れ て い る 聖 徳 太 子 の 記 述 に つ い て 信 じる か

?ま

た そ の 理 由 も書 こ う。

信 じる・ 信 じな い

理 由

2.本 時の学習課題 を書 こう

:

3.『 日本書紀 』 は どの よ うな 目的で編 纂 され たのか ?教 科書 の記述 か ら考 えよ

つ 。

名 前

〜『 日本 書 紀』 に書 かれ て い る聖徳太 子像 を さ ぐろ う !〜

4.藤

原 不 比 等 が つ く ろ う と した 律 令 国 家 は どん な 国 家 だ ろ うか

?

5.自 分 達 の国 づ く りを正 当化す るた め には

,『

日本書紀』 に どの よ うな記述 を 残す と考 え られ るか ?

予 想

6.古 代 に求め られ た聖徳太子像 を ,時 代背景 と求め られた理 由を含めてま とめ

てみ よ う

!

名 前

1.日 本 で 初 め て 仏 教 を政 治 に 取 り入 れ た と され る 人 物 は 誰

?

│    1旧 ││││)〉 の 祖

2.資

14の

法 隆 寺 と 四 天 王 寺 の 主 張 す る太 子 の 生 没 年 を 見 て

,気

づ い た こ と を 書 こ う。

3.本

時 の 学 習 課 題 を 書 こ う !

寺 院 聖 徳 太 子 生 没 年 月 日 死 因 書 物

法 隆 寺 (生

)敏

3年 (574年

)

(没

)推

30年 (622年 )2月 22日

病 死 『 上官聖徳法 皇帝説 』 四 天 王 寺 (生

)敏

達 元 年

(572年

)

(没

)推

29年 (621年 )2月

5日 無 病 『 聖徳 太子伝 暦』

※ 古 代 の 歴 史 書

(生

) (571年 or572年

)

(没

)推

29年 (621年 )2月

5日 無 病 『 日本 書紀』

名 前

4.法

隆 寺 と四 天 王 寺 は ラ イ パ ル 関 係

?協

力 関 係

?ま

た そ う思 う理 由 を書 こ う。

ラ イ バ ル 関 係 ・ 協 力 関 係

理 由

5,自

分 の 主張 が正 しい と言 いた い時 =ま た それ を広 め るには ,ど うすれ ば よ い か ?

予 想

6.中

世 〜近 世 の時代 に求 め られ た聖徳太子像 を ,時 代背景 と求 め られ た理 由 を

含 めて ま とめ てみ よ う

:

名 前 明 治 維 新 の 理 念 の

1つ

1.古

代 に天皇 中心 の目家づ く りを始めたのは誰か ?

│    │‖ │   │

2.明 治の歴史教科書の聖億太子の記述 を見て ,気 づいた こと =考 えた ことを書

こう

.

3.本 時の学習課題 を書 こう

!

名 前

4.明

治政府 は どの よ うな曰づ くりを したか ?資 料 20を 見 て考 えよ う。

5.資 料 21を 見 て ,気 づ いた こと ,考 えた ことを書 こう。

6.明

治 〜昭 和 の時代 に求 め られ た聖億太 子像 を ,時 代 背景 と求 め られ た理 由 を

含 めて ま とめ てみ よ う

!

名 前

0右

の お 札 に の っ て い る 人 物 は 誰 か な

?

1.資

料 23,24を 見 て気 づ いた こと ,考 えた こ とを書 こう。

2.本 時の学習課題 を書 こう

!

3.お

札 を製造 して いる ところは どこか ?ま た なぜ お札 には 肖像 画が使われ て い るのか ?

・ お札 を製 造 して い る と こ ろ⇒

理 由

名 前

4.聖 徳 太子 に込 め られ た メ ッセー ジは何 か ?聖 徳太 子 の お札 が作 られ た時代 の 日本 の社会 の様子

(資

料 25を 参考 )を ふ まえて考 えよ う。

5。 戦 後 な ぜ 聖 徳 太 子 だ けが お 札 の 肖像 画 と して 残 つ た の だ ろ うか

?

理 由

6.明

治 〜昭和 の時代 に求 め られ た聖徳太子像 を ,時 代背景 と求 め られ た理 由 を

含 め て ま とめ てみ よ う

!

名 前

1.聖

億 太子像 をま とめてみ て ,気 づ いた こと 口考 えた ことを書 こう。

2.友 だちの発表 を聞 いて ,気 づ いた こと 口考 えた ことを書 こう。

3.自

分 が イ メー ジ して いた聖億 太 子 像 が どの時代 で求 め られ た太子像 だ つたか 確 認 しよ う

!

 

聖 徳 太 子 の イ メー ジ

 

〉 〈

 

求 め られ た 時 代

 

名 前

4.本

単 元 の 学 習 課 題 を考 え よ う !

なぜ 1400年 以 上 も前 の人物 で ,実 像 も は っき り して いな いの に ,多 様 な聖 徳 太 子 像 が 存在 し ,現 代 で も平禾□・反 好 の 象 徴 や 信 仰 の 対 象 と して 私 た ち の lbの 中 に残 り続 け て い る の だ ろ うか。

考 え

5。

『 日出処の天子』 は私たちに何 を膳 りか けているのだ ろうか ?自 由に書 い み よ う。

予 想

○私たちの学んでいる歴史 つていつたい何なのだ ろうか ?あ なたの考 えを書 こ

!

(7)評価

評 価 に つ い て は

,ワ

ー ク シ ー トを 用 い る。 ワー ク シー トで は

,教

科 書 や 資 料 な ど あ る程 度 事 実 に 基 づ い て 理 由 等 を 記 述 す る と こ ろ は 四 角 の 枠 に, 自分 で 想 像 して 考 え 等 を 記 述 す る と こ ろ は 楕 円 の 枠 を 用 い る。 ま た 二 重 の 楕 円 の 枠 に お い て は

,各

時 で の 学 習 課 題 とま と め が 対 応 す る よ うにす る。 そ して 各 時 で の ま と め は

,終

結 で 行 う各 時 代 の 太 子 像 を ま と め る 時 に 用 い る。 そ れ ら を も と に 評 価 を行 う。

2.授

業 モ デ ル ② 「赤 穂 事 件 と忠 臣 蔵 」

(1)単元 名 「赤 穂 事 件 と忠 臣 蔵 」

(2)単 元 の 目的

一 般 的 に 知 られ て い る赤 穂 事 件 の イ メ ー ジ は「忠 臣 蔵 」に よ つ て 創 作 され た も の で あ る。

「忠 臣 蔵 」 は 元 禄 赤 穂 事 件 を題 材 と して 創 作 され

,そ

の 後 も 映 画 や 小 説 な ど あ ら ゆ る ジ ャ ン ル で 取 り上 げ られ る こ とで

,神

話 化 され 続 け て い る。「忠 臣 蔵 」に よ つ て 創 られ た 赤 穂 事 件 像 を 知 り,そ れ を 浸 透 させ た も の や ,受 容 して き た 人 々 の 思 い や 理 由 を 探 究 す る こ とで,

赤 穂 事 件 が 後 の 人 々 に よ つ て 解 釈 され ,「 忠 臣 蔵 」 と して 再 構 築 され た こ と を 理 解 す る。

(3)単

元 の構成 (全

6時

間配 当)【高等学校では全

7時

間】

階 時 「主 題 」

       

○ 具 体 的 な 学 習 内 容 各 段 階 で の 目標

1

2

【現在 に生 きる忠臣蔵 】

「赤 穂 事 件 (浪 士),に対 す る 認 識 」

「映 画 や 小 説 な ど多 く の マ ス メ デ ィ ア で 語 ら れ る 忠 臣 蔵 」

「赤 穂 事 件 の概 要 」

○ 赤 穂 事 件 (浪 士

)つ

て 知 っ て い る こ と を 確 認 す る。

○ 今 ま で に 赤 穂 事 件 ま た は 忠 臣 蔵 を 題 材 に して 創 られ た 映 画

,小

ドラ マ 等 を 知 る。

○ 赤 穂 事 件 の 概 要 と そ れ に 至 る ま で の 経 緯 を 知 る。

○ 浅 野 内 匠 頭 の 行 動 や 赤 穂 浪 士 の 討 ち 入 り の 行 動 に 対 す る 当 時 の 人 々 (幕府

,学

,

世 間 等

)の

反 応 を 知 り

,赤

穂 浪 士 の 討 ち入 りに つ い て 考 え る。

○ 浅 野 内 匠 頭 の 行 動 や 赤 穂 浪 士 の 討 入 り に

赤 穂 事 件 と して で は な く,

忠 臣 蔵 を モ チ ー フ と し て 創 ら れ た も の が 多 い こ と に 気 づ く こ と が で き る。ま た 日本 だ け で な く 世 界 で も 親 し ま れ て い る こ と に 気 づ く こ と が で き る。

赤 穂 事 件 に つ い て 概 要 と背 景 を 理 解 す る こ と が で き る。

赤 穂 浪 士 の 討 ち 入 りは,一

般 的 に み れ ば,吉良 上 野 介 は 被 害 者 で,赤穂 浪 士 は 加 害 者 で あ り,赤穂 事 件 は 武 装 集 団 に よ る 殺 人 事 件 と も とれ る が,庶民 等 に 義 挙 と し て 賞 賛 さ れ た こ と に 疑 間 を も つ こ と が で き る。

討 ち 入 りに 賛 否 両 論 あ る の は,浅野 内 匠 頭 の 行 動 に 喧

関 し て 意 見 が 異 な る に 至 っ た 背 景 や

,理

由 を 考 え る 。

嘩 両 成 敗 が 適 用 す るか ,ま た 赤 穂 浪 士 の 処 分 が,法か 武 士 道 か で 解 釈 が 異 な っ た こ と を 理 解 す る。

・多 くの 日本 人 が 赤 穂 浪 士 の 行 動 を 称 賛 し,忠臣 蔵 と し て 現 在 で も 語 り継 い で い る理 由 や,赤穂 浪 士 の イ メ ー ジ が 創 ら れ た 背 景 に つ い て 疑 間 を も つ こ と が で き る。

3

4

【忠 臣蔵 に よ り再構 築 され た赤穂事件 】

「『仮名手本忠臣蔵』で語 られ

る 赤 穂 事 件 」

○『 仮名 手本 忠 臣蔵 』の 登 場 人 物 や ス トー リ を 知 り

,そ

こ で 語 られ る 赤 穂 事 件 に つ い て 知 る 。

・ 忠 臣蔵 に登 場 す る人物 や 時 代 設 定 は ,赤 穂 事 件 とは 同 一 で は な い こ と に 気 づ く こ とが で き る。

・『 仮 名 手 本 忠 臣蔵 』 は

,勧

善 懲 悪 物 語

,主

君 へ の 仇 討 ち 物 語

,悲

恋 物 語 で あ る こ と に 気 づ く こ とが で き る。

「忠 臣 蔵 の 広 が り と受 容 」 ○ 赤 穂 事 件 が 「忠 臣 蔵 」 と して 認 識 され

,浸

透 し て い つ た 理 由 と そ の 背 景 を 考 え る。

登 場 人 物 も時 代 設 定 も違 う

『 仮 名 手 本 忠 臣蔵 』を,庶

民 は 赤 穂 事 件 の 登 場 人 物 に投 影 し,歌舞 伎 等 の様 々 な 媒 体 を通 して,自 らの娯 楽 の た め に,義理 や 人 情 話 と して 親 しん だ こ と を 理 解 す る。

展 開 2

「 明 治 か ら 昭 和 (戦 前

)の

赤 穂 事 件 や 忠 臣 蔵 」

(『元禄 忠 臣蔵 』等 で語 られ る 赤穂 事件 像)

○ 劇 曲『 元 禄 忠 臣 蔵 』 で 語 られ る 赤 穂 事 件 像 を 知 る。

○ 明 治 天 皇 が 赤 穂 浪 の 行 動 に 理 解 を示 し

1941年

に創 られ た『 元 禄 忠 臣蔵 』 は,『仮 名 手 本 忠 臣蔵 』で語 られ た 赤 穂 事 件 像 と異 な る こ と に 気 づ く

こ とが で き る。

明 治 期 の天 皇 を 中心 とす る 軍 国 主 義 や 封 建 国 家 とい う

た こ とや

,国

定 教 科 書 で 大 石 内 蔵 助 を 取 り 上 げ られ た 背 景 や 理 由 を も とに,『 元 禄 忠 臣蔵 』で語 られ た赤穂 事件像 を探 る。

時 代 背 景 か ら,忠 臣蔵 の「忠 義 」 の 精 神 が

,天

皇 や 国 家 に 対 す る忠 君 愛 国 の象 徴 と して 政 治 や 教 育 に も利 用 さ れ た こ とを理 解 す る。 そ の た め

,明

治 期 以 降 の 「忠 臣 蔵 」は,義挙 や 討 ち入 りな ど 武 士 道 や 忠 義 に 焦 点 を 当 て た も の と し て の 印 象 が 強 く な つ た こ と を 理 解 す る。

、【日本史

Bで

扱 う】

○ 日露 戦 争 後

,大

正 デ モ ク ラ シ ー 衰 退 期,日 中 戦 争 前 後 に 起 つ た 忠 臣 蔵 ブ ー ム は

,ど

の よ う な マ ス メ デ ィ ア を 通 し

,ど

の よ うに 語 ら れ た の か を 知 る。

。大 正 デ モ ク ラ シ ー 衰 退 期、

や 日露 戦 争 。日 中 戦 争 前 後 は

,特

に 天 皇 や 国 に 対

す る 忠 義 や 武 士 道 の 精 神

が 強 ま り

,庶

民 は

,講

や ラ ジ オ 放 送 な ど新 しい

メ デ ィ ア を 通 し

,忠

義 。

武 士 道 の 物 語 「忠 臣 蔵 」

を 享 受 した こ と を 理 解 す

る。       /

【赤穂 事 件 と忠 臣蔵 か らみ る歴 史 の 性 格 と社 会 に与 える作 用 】

「赤 穂 事 件 と忠 臣蔵 か らみ る 歴 史 の 解 釈 性 と構 築 性 」

「赤 穂 事 件 (浪

)と

忠 臣 蔵 か ら み る 歴 史 の 神 話 化 プ ロ セ ス 」

○ 赤 穂 事 件 と『 仮 名 手 本 忠 臣 蔵 』,『 元 禄 忠 臣 蔵 』で 語 られ る赤 穂 事 件 像 を 比 較 す る こ と で

,導

入 で み た 赤 穂 事 件 に 関 す る 歴 史 認 識 が

,忠

臣蔵 の 中で創 ら れ て き た こ とを知 る。

○兵 庫 県 赤 穂 市 で は

,赤

穂 義 士 祭 を 行 う他,

小 。中学 校 で義 士 教 育

。私 た ち の 赤 穂 事 件 の歴 史 認 識 は

,忠

臣 蔵 で 描 か れ た り

,解

釈 さ れ た 赤 穂 事 件 (浪 士)像が,大衆 メ デ ィ ア を 通 して 再 構 築 され,現 在 ま で 語 り継 が れ て い る

こ と を 理 解 す る。

愛 知 県 西 尾 市 で は,吉良 上 野 介 を名 君 と して い た が,

赤 穂 市 で は 赤 穂 浪 士 で は

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