はじめに
戦後体制としての福祉国家は、政府の積極的な介入による、完全雇用の条件下で経済成 長を確保する経済のマクロ管理、経済成長の成果の再分配、経済成長が人間に及ぼす影響 の管理をしてきた。こうした福祉国家は、一定の家族モデルを前提とし、この前提によっ て支えられてきた。すなわち、家族はひとびとのライフサイクルの青年期に形成され、そ の関係は半永続的に続く。父親は一家の稼ぎ手として家計を支え、母親はふたり以上の子 を出産し、主婦として子どもの養育、高齢者や障害者の介護を担う。子どもは成人するま で父母の庇護のもとにある。したがって国家の務めは、父親に安定的な雇用を確保し、彼 ら労働者の疾病、障害、失業、老齢のリスクに対して社会保険で備え、貧困家庭には社会 扶助を行うことであった。国家はまた、子どもの養育費補助として給付やサービスを行う 場合もあった。
しかし先進諸国では、産業構造の変化と国際競争の激化、高失業、財政難に加え、人口 の減少と高齢化、家族の形成や崩壊パターンの変化、こうした変化に伴う世代間関係の変 化に直面するようになった。90年代により顕著になった変化により、各国で従来の福祉国 家を支えてきた家族を前提とすることができなくなり、貧困、教育レベルや就業能力の低 下、その他の社会的排除の増大が危惧されるようになった。また、こうした変化による社 会的経済的コストを財政難の福祉国家が負担するのか、市場や家族との負担関係を変える のか、あるいはそのコストをいかに抑制するのかも問題となった。
社会的、経済的、人口統計的変化は同一の方向にあっても、各国に必要な改革はその福 祉生産の構造によって異なる。一方で、欧州では経済の相互依存の高まり、とりわけ単一 通貨の導入によって、福祉国家の改革はもはや一国の対内的問題にとどまらない。そして 市場統合と不可分な労働者の域内自由移動を担保するため、加盟国間の社会政策や関連法 律の収斂という社会統合への要請が高まってきた。そうしたなかでも家族は欧州条約の共 通の政策目的として正規に掲げられず、定義もされていなかった。なぜなら社会政策は本 来的に補完性の原理が適用される政策領域であり、家族政策は加盟国が排他的な権限をも つと考えられてきたからである。しかし家族の形成や崩壊パターンの変化が福祉国家に影 響をもたらすことは明らかであり、家族というテーマはEUの労働政策ならびに社会政策 の中で検討されるに至った。
2000年3月のリスボンサミットは、社会保障における域内の共通目標と方法を明示し、
社会政策の欧州化の分水嶺とされる。これにより各国は固有の改革への取り組みを一層要 請されることになった。とりわけ南欧諸国は、その家族主義的な福祉生産のあり方の見直
し(「脱家族化」)が問題となった。なかでもスペインやイタリアの家族主義的な福祉生産 のあり方は、女性就業率の低さ(1)との関係で課題とされている[Esping-Andersen et al. 2002]。
またスペイン、イタリアの出生率は世界でも最低水準にあり(2)、公的社会保障制度を維持 するための不安要素になっている。他方、南欧の研究者には、「『家族主義的』という表現 はしばしば家父長的要素と前近代性を強調した軽蔑的意味合いを含む」[Moreno 2003: 2]
という認識もある。欧州の主導的な政策形成者のいう家族主義は南欧諸国ではどのように 現れているのだろうか。欧州レベルでいうところの「脱家族化」は何を指し、南欧諸国で は何を意味するのだろうか。
本章では、欧州レベルでの問題意識と政策動向から要請される「脱家族化」が、スペイ ンにおいてはどのような争点を内包するかを、家族と家族主義の概念、家族政策の近年の 議論から、その政治的な含意に着目して考察する。まず第1節で欧州の社会政策の動向か ら南欧の福祉レジームを位置づけ、第2節でスペインの福祉レジームにおける家族主義、
労働市場構造との関連性について検討する。第3節では、スペインにおける家族の歴史的 文脈と「家庭生活と職業生活の両立支援法」改正案をめぐる国会審議を、コマイユの家族 政策に関するアプローチから検討する。第4節では自治州における家族政策の動向を概観 して自治州体制における家族問題の争点化をみたうえで、家族主義的福祉レジームの課題 を検討する。最後に、家族問題の現代的意味を比較研究におけるスペインのケースから考 察する。
欧州において家族政策の研究は多く、特に 1989 年以降は共同研究や意見交換が活発で あり、福祉国家と家族に関わる諸側面も検討されている(3)。スペインを含む南欧の家族主 義と福祉国家の関係を論じた近年の主な研究として、フラッカー[Flaquer 2000]、モレノ
[Moreno 2002; 2004]、カトゥルガロスとラサリディス[Katrougalos and Lazaridis 2003]、
ガルシアとカラカサニス[García and Karakatsanis 2006]等がある。一方、日本の比較福祉 国家研究では南欧とその「家族主義的」特徴への目配りが不十分であり、またその点を政 治学的な視点から検討する試みもみられない。欧州の福祉国家改革論議に内在する「家族」
文脈のずれに光を当て、スペインにおける課題と可能性を観察することは、欧州の社会統 合とともに、少子化の進む諸国の制度設計を「家族主義的」特徴の含意と合わせて検討す るうえで、意味があると考える。
第1節 福祉国家の改革と家族への視点
1−1 欧州の家族政策
歴史的に欧州の家族政策は、多くの国で第二次世界大戦前後に家族給付として制度化さ れ、いったん導入されたのちは徐々に成熟して長い間変更されなかった[Daly 2004: 136]。
政策形成者が家族支援に注視するようになったのは、80年代以降である。そして家族政策 は多くの配慮のもとに計画された。家族給付には出産を奨励する意図があったが、モラル の低下や労働意欲の喪失を妨げるために受給条件が設けられ、さらにジェンダー平等への 配慮も加わった。現行の家族政策には、税控除を含む家族への現金給付のほか、有給休暇 など働く両親への対策、子どもを持つ家族へのサービス、疾病や老齢などのニーズをもっ た家族への給付やサービスなど、多様な内容が含まれている。
家族内の役割分担に着目してルイス[Lewis 1992]は欧州諸国を三類型に分ける。第一 が「男性の稼ぎ手モデル」(male breadwinner model)である。女性の社会権はほとんど夫の 権利から派生する。国家は女性の労働市場参入を促進せず、家庭の義務という原則を強化 する。アイルランドやイギリス、ドイツがこれにあたる。第二は、社会保障という装置に おいて子供の福祉を配慮し、女性を母親であると同時に労働者として認識する「修正され た男性の稼ぎ手モデル」である。フランスやベルギーが該当する。第三は、男女の市民と しての平等を公的に認め、育児の社会化や専門化を考慮に入れる「二人の稼ぎ手モデル」
(two breadwinners model)である。スウェーデンを筆頭に北欧が該当する。
そして国家と家族の責任分配の点からミラーとワーマン[Millar and Warman 1996]は、
欧州諸国を三つのグループに分ける。第一に、北欧諸国では家族の義務は最小であり、手 当は個人に対して支払われる。子供は独自の権利を有し、高齢者介護を家族が担うのは選 択であって義務ではない。第二に、ベルギー、ドイツ、オーストリア、オランダ、フラン ス、ルクセンブルグ、アイルランド、イギリスでは、家族の義務は核家族レベルにある。
このグループはさらに、性別役割を明確に区別し、育児責任を原則母親におく「男性の稼 ぎ手モデル」(オーストリア、ドイツ、オランダ、イギリス、アイルランド)と、国家がサ ービスを発達させてこの責任を引き受ける場合(ベルギー、フランス)に分かれる。第三 のグループは南欧諸国で、家族の義務は拡大家族のレベルで引き受けられる。保護の源泉 は家族であり、国家は家族の義務が機能することを期待する。子供と高齢者のケアは圧倒 的に女性が担う。そして国家は、家族をもたない者以外にはほとんどサービスを提供しな い。
ほとんどの欧州諸国は一定のモデルの家族を一般の社会保障制度のなかで家族のため の特別の給付によって支援し始めた。いったん導入されると、児童給付はほとんどの福祉 国家において唯一の普遍的な措置である点で革新的な給付となった。諸国で家族支援は社 会政策における別個の領域となり、家族給付の拡大や縮小は福祉国家の給付一般の発達傾 向とは一致せず、社会保険よりもあとに導入されたにもかかわらず、欧州で 80 年代、90 年代に削減が進んだ他の給付ほどには一般に影響を受けなかった。
1−2 欧州レベルの家族への関心
EUの家族への関心については、89年のコミュニケが端緒を開いた[COM(89)363 final]。