序 章
スペイン研究の傾向
日本における欧州諸国に関する研究は、明治以来、大国の先進的技術や政策に学び、導 入することに意味があり、中進国の政治経済社会についての研究関心は低い。EU におい て中進地域と位置付けられる南欧諸国もその例にもれない。EU 地域研究の文脈で南欧諸 国とは、イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシアを指すが、イタリアは第二次大戦後 に民主制に移行し、欧州統合には創始メンバーとして参加し、G8の一員として経済先進国 であることから、南欧政治としてではなく個別に論じられる傾向にある。
南欧政治のテーマとしては、体制移行(政治的民主化と民主主義の固定化)、近代化(社 会経済的変化)、欧州化(欧州統合への適応)にともなうプロセスに焦点を当てるものが多 い。本論は政策学、比較研究としてのEU 地域研究を志向し、南欧諸国の一例としてスペ インを取り上げる。スペインは体制移行から30年を経て経済発展を遂げた今もなお、日本 において社会科学の領域で研究対象となることは少ない。欧米においても研究者が多いと はいえないが、政治学研究で政党政治、選挙や政治過程、公共政策が扱われるほか、地域 主義や民族主義、分権化と自治州体制(擬似・非対称連邦制)、欧州統合にともなうマルチ レベルガバナンスは主な論点になっている。
日本の現代スペインに関する先行研究においては、現代史[若松 1992; 楠、タマメス、
戸門、深澤 1999]、地域ナショナリズム[鈴木 1991、1998; 立石、中塚 2002]、体制移行
[碇1990; 長谷川 1999]、社会労働党政権[戸門 1994]、自治州国家体制の政治的展開と
欧州統合[野上1996、1997a、1997b、1999、2000; 横田2007]、労働政治[横田2004; 2009]
がテーマになってきた。全体として政治史的なアプローチによる研究が多い。
本論のテーマと先行研究
本論はスペイン政治研究の論点を横断するテーマとして、福祉国家としてのスペインに 焦点を合わせる。福祉国家については、その形成要因をめぐり、1960年代までの経済社会 的要因論(産業主義理論)、1970年から80年代にかけての政治的要因論(近代化理論、社 会民主主義理論とりわけ権力資源動員論)、そして1990年代からのレジーム論と研究が推 移してきた。最後の第三世代に属する研究のなかで、エスピン‐アンデルセンの著作
[Esping-Andersen 1990]は、それまでの議論のように単一の政治的要因により説明するの ではなく、階級動員、階級政治的同盟、歴史的遺制から複合的に説明しようとした。福祉
「国家」ではなく、福祉の生産が国家と市場と家族の間に振り分けられる、そのあり方を 指す「福祉レジーム」という考え方を示し[Esping-Andersen 1999]、ティトマスによる類 型論の伝統を汲んで、社会民主主義的なスカンジナビア型、保守主義的な大陸欧州型、自
由主義的なアングロサクソン型の三類型論を提示した。同研究が多大な影響力を及ぼした のは周知のとおりである。
こうした福祉国家論においては、福祉国家の出自からして社会保障制度が整備された欧 米、そのなかでも西欧、北欧中心の議論が展開されてきた。比較研究においても、南欧 4 カ国のうちイタリアが大陸欧州諸国とともに論じられることがあっても、ギリシア、ポル トガル、スペインの南欧三国については80年代まで比較研究で論じられることはなかった。
これらの三国は1970年代に体制移行を経て福祉国家をめざした後発者であり、福祉国家を 分析するうえでの統計も整備しておらず、何よりも研究対象として関心は低かったためで ある。
しかし、欧州統合の進展とともに福祉国家の変容はもはや一国の問題にとどまらず、加 盟国間の比較研究や、欧州レベルの社会政策についての議論も活性化してきた。市場統合 により、福祉国家の制度化が遅れて社会的支出の負担の少ない加盟国に企業が流出する恐 れが議論され(「社会的ダンピング」)、南欧諸国における福祉供給体制についても無視して いるわけにもいかなくなった。
「南欧福祉国家」や福祉の「南欧モデル」は、こうした背景のもとで 90 年代に南欧諸 国の研究者の間から主張されたもので、エスピン‐アンデルセンの理論に対する批判のひ とつでもあった。すなわち、南欧4カ国の福祉供給体制はエスピン-アンデルセンの三類型 には当てはまらない、独特の型を構成しているとする主張で、①労働市場における正規労 働者と非正規労働者の労働条件と社会保障の格差が激しい二元的構造、②福祉国家の役割 を家族が代替する程度が高い「家族主義」、③社会政策の構成のアンバランス、④公的セク ターと民間セクターのもたれあう関係、⑤福祉行政におけるクライエンテリズムの浸透な どの共通の特徴があるとする(詳しくは第2章を参照)。
南欧福祉国家を扱った主な文献としては、フェレーラ論文[Ferrera 1996](1)、ローズ編 著[Rhodes 1997]と、カトゥルガロスとラザリディス共著[Katrougalos and Lazaridis 2003]、
近年では近代化、地域化、欧州化という政治的文脈のなかで南欧諸国の公共政策や行政や 司法構造を扱うガンサー他編著[Gunther, Diamandourous and Sotiropoulos 2006]に所収され ている、ガルシアとカラカサニス論文[García and Karakatsanis 2006]がある。
なお、本書の問題設定は、エスピン‐アンデルセンが類型化の際の基礎とした「福祉レ ジーム」という考え方に則っている。しかし、近年は「福祉国家論」というとき、すでに エスピン‐アンデルセンのいう、国家、市場、家族そして第三セクターの関係を問題とし ているのであり、本書でいう「福祉国家」はその意味で用いることとする。
スペイン福祉国家を、比較福祉国家論の議論をふまえて位置づけようとする主な研究と して、まず、公共政策をめぐる政治過程を研究テーマとしているスビラット、ゴマ、ガジ ェゴらが、自治州体制において権限の広い自治州の間で福祉政策を比較し、自治州ごとに 異なるレジームが現れていることを示している[Subirats, Gallego y Gomà 2003]。また、モ
レノは、自治州体制、分権化(連邦化)への関心をふまえ、ポスト工業化と家族などの社 会的変数に着目し、南欧福祉レジームを検討している(「新しい社会リスク」(NSR)論)
[Moreno 2001; 2004; 2005]。ギジェンはスペインを南欧福祉国家のひとつとしてその展開 と変容、欧州統合との関係について検討している[Guillén 2000; 2004; 2007]。マンジェン は、西欧や北欧を偏重する議論への対抗を意識し、南欧福祉レジームという主張や南欧諸 国間の比較の視点を念頭に、スペインの福祉制度を、民主化(歴史)、世俗化、近代化から 包括的に分析した[Mangen 2001]。
日本では、日本の福祉レジームを位置づけるうえで、宮本ら(2003)、埋橋(2005)が 社会政策の観点からが後発福祉国家の事例として南欧モデルを紹介している。また、世代 とジェンダーの視点から西岡(2005)は日本の少子化との関連で南欧諸国の出生変動を検 討した。スペインの社会保障制度については若松(2000)、吉澤(2008)が紹介している。
福祉国家をめぐる政治と密接に関連する労働政治に関しては、横田(2004; 2008a; 2009)
があるが、スペインの福祉レジームを、自治州体制の制度的枠組みやヨーロッパ化を視野 に入れて政治学的に分析した研究はない。
なお、イタリアの福祉レジームに社会学的にアプローチする研究として小島・小谷他
(2009)、小谷(2003)、宮崎(2003; 2005)がある。
問題設定
日本でも他の先進各国と同様に、少子高齢化により社会保障制度の持続可能性が政策課 題となっており、制度改革論議が続いている。また、1990年代から地方分権改革が進展し、
「道州制」の議論も本格化してきた。欧州諸国の地方自治や福祉供給体制が紹介されるこ とはあるが、スペインの事例に言及されることはごく近年までほとんどなく[近年の例外 として、竹下(2008)所収の横田論文]、よもや、スペインの福祉供給体制の政治学的な分 析は行われていない。
体制移行後のスペインにはどのような福祉レジームがみられ、社会政策をめぐってどの ような政治過程が現れたのか。本論は、社会政策をめぐる政治過程をみることにより、福 祉国家の枠組みを通じてスペイン現代政治のクリーヴィジを浮き彫りにし、比較研究の俎 上にあげることを目的とする。まず、スペイン福祉国家の特徴はどのように現れたのか、
福祉国家の形成過程をみる。続いて、福祉ガバナンスの変化についてその様相を観察し、
社会政策の変化を促進した要因を検討する。
(1)福祉国家の形成と特徴
スペインの福祉国家の形成および発展の要因はどのように説明することができるか。南 欧福祉レジーム論を念頭に、どのような特徴がみられるか。
エスピン・アンデルセンらは政治勢力の性格によって福祉国家を類型化したが、スペイ ンでは約40年間にわたる権威主義体制から民主制に移行後、政党政治は急きょ現れること
になった。その点で東アジア同様「民主主義体制のもとに労働運動を中心的推進力として さまざまな福祉レジームが展開するという、エスピン・アンデルセンの世界とはおよそか け離れた世界」[宇佐見 2003: 12]であった。福祉国家の形成に政治勢力はどのように関 連したのか。
(2)福祉ガバナンスの変化
福祉サービスの供給主体の多元化(福祉国家から福祉社会へ、市場、非営利セクター)
や重層化(国際機構、国家、リージョナル、ローカル政府)など、福祉ガバナンスの変化 は生じているか。欧州レベルの政策はスペインの社会政策の動向に影響を与えたか。
(3)福祉国家の変化の要因
80年代以降に福祉国家の形成期を迎えたスペインにおいて、福祉国家の制度転換や改革 を促進した要因は何か。
本論の構成
第1章で、本論の前提となる現代スペインの国家モデルと政党システムを整理する。地 域主義、擬似連邦制、マルチレベルガバナンスと地域化、といった論点を体制移行後のス ペイン政治に提供している自治州体制について、19世紀連邦主義の歴史的背景に遡り、そ の制度的枠組みが78年憲法にどのように現れ、展開したかを検討する。
第2章以下では、南欧福祉レジームを概観し(第2章)、主な特徴である家族主義(第3 章)、労働市場(第4章)をとりあげ、続いて福祉政治の観点から移民への国家の対応をみ たうえで(第5章)、福祉供給体制における公的セクターと私的セクターとの関係をとりあ げる(第6章)。
第2章では、90年代に登場した福祉の南欧モデルという主張を振りかえり、スペインの 事例を位置づける。同国の福祉の歴史におけるフランコ体制とコーポラティズムの意味を 検討し、民主化後のスペイン福祉国家に現れた、家族、労働市場、第三セクターの役割の 特徴と、自治州と関連した福祉の展開をみる。
第3章では、南欧型福祉国家の特徴といわれる家族主義の点から、スペインの福祉レジ ームを検討する。福祉供給体制において家族が果たしてきた役割に焦点を当て、EU の政 策動向とスペインにおける「脱家族化」のディレンマを検討する。
第4章では、南欧型福祉国家の特徴といわれる労働市場の点から、スペインの福祉レジ ームを検討する。90年代の欧州諸国でいわれた「ネオ・コーポラティズムの復活」という 現象について、スペインの事例を体制移行以降の政労使の関係から位置づけ、労働市場の 特徴を検討する。
第5章では、南欧福祉国家の特徴と移民政策との関係に焦点を当て、スペイン福祉国家 への移民の組み込まれ方について、法的および政治的な要因から検討する。
第6章では、南欧福祉レジームの特徴といわれる公的セクターと私的セクターの相互関
係について、スペインの社会サービス領域における第三セクター組織の役割を事例に検討 し、ボランティアをめぐる政治的含意を考察する。
終章では、第1章から6章をふまえ、本章で挙げた問題設定について考察する。
後発福祉国家としてのスペインを政治学的に検討することは日本の議論にどのような 示唆があるか、各章で考えていきたい。
注
(1)フェレーラが1993年にイタリア国内で提示した福祉国家の類型論が、国際的な議論の動向 に取り込まれていった経緯については、小島・小谷他(2009), pp.33-39を参照。
第 1 章「諸自治州による国家」― 独特の国家モデル
はじめに
体制移行後のスペイン政治における重要な研究テーマとして、自治国家と呼ばれる国家 モデルがある。単一制の国家でありながら連邦制に匹敵するほど地域政府(自治州)に権 限が移譲され、しばしば擬似連邦制と評される。
この自治州体制に関する先行研究としては、主にふたつのアプローチがあった。第一に、
80年代末から90年代にかけて、多民族国家を統合する方法としての連邦制(もしくは連 邦的な政体)の研究がみられた。これは、冷戦終焉後に旧ソ連や中東欧地域を中心に世界 で民族主義が再び昂揚し、文化の多様性を容認しながら国家を統合する方法として連邦主 義が注目されたことと対応している。スペインのバスクやカタルーニャにおける地域ナシ ョナリズム(1)に着目し、ケベックやスコットランドのケースとともに考察したキーティン グの研究に代表される。そして、スペインの「法律上」(de jure)の連邦制と「事実上」(de facto)の連邦制との間の矛盾は、ベルギー、カナダ、マレーシア、ロシアのような多民族 連 邦 国 家 と 並 ん で 、 連 邦 を 構 成 す る 州 の 間 に 非 対 称 性 を 認 め る 「 非 対 称 連 邦 制 」
(asymmetrical federalism)として研究分野になっている[Moreno 2001: 31]。こうした視点 からのスペインに関する主な研究として、アグラノフ[Agranoff 1996; 1999]、ブラスロフ
[Brassloff 1989]、ギベルナウ[Guibernau 1995; 2003]、キーティング[Keating 1996; 1999;
2001]、モレノ[Moreno 1994; 2007]等がある。
第二に、90 年代に活性化した多層的ガバナンス(Multi-Level Governance)と欧州化
(Europeanization)をテーマとした研究がある。「諸地域からなるヨーロッパ」という統合 欧州の将来像のメタファーを背景に、国家中心のガバナンスに対する多層的ガバナンス研 究が広がり、国家からサブナショナルな政府への権限移譲と連邦制への接近という観点か ら、スペインの自治州のケースを検討する研究もみられた。また、EU と加盟国のガバナ ンスの制度的な適応プロセスについて、欧州化が議論された。主な研究としてムラタとム ニョス[Morata and Moñoz 1996]、コロメル[Colomer 1998]、ソロサバル[Solozábal 1996]、
ブルゲ、ゴマとスビラット[Brugué, Gomà y Subirats 2001]、ボーゼル[Börzel 2002]、ムラ タ[Morata 2004]等がある。
以上の欧米の研究のなかでも指摘されるように、90年代にスペインは欧州において最も 分権化が進展した例として挙げられるほどになった。自治州体制が展開した政治過程につ いて連邦制を参照して検討した主な研究として、スペイン語文献では、自治州体制の政府 間関係と展開プロセスを扱ったムラタ[Morata 2001]、ガルシア=モラレス他編[García Morales et al. 2006]、モレノ[Moreno 2008]を挙げることができる。日本の比較行政や地
方自治制度研究においてはスペインが取り上げられることはほとんどなかったが、近年に なって紹介された例として横田(2008b)がある。
しかし、自治州体制について以下の点は一連の枠組みとして意識的に考察されていると はいえない。すなわち、①自治国家が現れた背景にあるスペインの連邦主義の沿革と特徴、
②自治州体制がつくりだした新たな機会構造、アクターの政治的選択に及ぼしたインパク ト、③以上の所産としての自治州体制の変容および現状維持である(新制度論からの分析 を試みた一例としてRoller 2002がある)。
本章は、スペイン福祉国家の展開を検討する本論の前提として、自治州体制という制度 的枠組みに着目し、それがいかに形成されたかについて検討する。第1節で、78年憲法に おける国家モデルの特徴と連邦制への親近性について検討する。第2節で、なぜ独特の国 家モデルが採用されたかを、スペインの連邦主義の歴史的文脈から検討する。第3節で、
自治州体制の制度的展開を、政権の推移と政党システムから外観する。第4節で、自治州 体制の争点を挙げ、制度がいかに維持され、また変容したかを検討する。むすびに、自治 州体制に内包されるスペインの政治的クリーヴィジの特徴について考察する。
本章では自治州体制という制度の着想に立ち返り、それが現代のスペイン政治の争点を いかに枠づけているかを検討する。これにより、スペイン福祉国家を議論するうえでの重 要な変数を説明するとともに、自治州体制に関する先行研究の間隙を埋める意義があると 考える。
第1節 なぜ擬似連邦制か
78 年憲法の用意した国家モデルは、単一国家でも連邦国家でもなく、「独特の」(’sui generis’)、「擬似連邦的な」(’quasi-federal’)と形容される。何が独特であり、連邦的であ り、そして連邦制でないのか。ここではその特徴を法制度的に考察したい。
1−1 78年憲法と擬似連邦制
78年憲法に基づくスペインの国家は、「自治国家」(ʻEstado de las Autonomíasʼ、英訳す ると’State of Autonomies’)、「自治的国家」(ʻEstado Autonómico’ 、同’Autonomous State’)な どと呼ばれ、以下のような特徴がある。なお、それらは憲法規定上の正式な名称ではない。
第一に、国家の型を定義していない。スペインは立憲君主制をとるが、単一国家とも連 邦国家とも明示されない。第二に、地域レベルにふたつの概念が併存することを示唆する かのような規定がある。第2条によると、「憲法はすべてのスペイン国民の共通かつ不可分 の祖国であるスペイン国のゆるぎない統一に基礎を置き、国を構成する歴史的に自治権を 有する特別地方(nacionalidades)ならびにその他諸地方(regiones)の自治権と地方間の連
帯を認知・保障する(2)」。
ここで「ナシオナリダー」とは、「歴史的民族」と呼ばれる三地方を指すと理解されて いる。すなわち、第二共和政期に自治憲章を成立させ、自治権を行使した経験をもつカタ ルーニャ、内戦中の共和国側で自治権を獲得したバスク、自治憲章の手続き中に勃発した 内戦よって頓挫させられたガリシアの三地域である。これらの三地方は、憲法起草時に憲 法上みずからを「ナシオン」(nación)と明記するように求めたが、スペイン民族の一体性 を標榜する保守派からは受け入れ難く、激論の末に憲法第 2 条で「ナシオナリダー」
(nacionalidad)という語が採用されたといわれる。
第三に、地域行政単位として「自治州」(Comunidades Autónomas)という用語は登場す るが、地域政府の創設については、地方および地域の政治的アクターの発案と住民投票に よる採択の余地が極めて大きく、憲法上は自治州の一覧や区分は示されていない。第四に、
地域の権限について、地域一般に適用される水準を制定することなく、各地域による憲章
(地方自治基本法)が制定することにしている。すなわち、各地域は、地域政府設立の根 拠となる自治憲章を制定するか否かのみならず、憲法の枠組み内でその自治のレベルも決 定することができる。自治憲章は当該地域に加えて国会の複雑な手続きを経て承認される。
組織法(3)である自治憲章は憲法に準じ、通常の法律の上位にある。自治州の通常法は国家 の通常法と法的には同じレベルにあり、自治州政府の省が発する命令も中央省庁のそれと 同等の効力がある。
第五に、自治憲章制定の手続きおよび自治権限の範囲においても、ふたつのルートが設 けられている(第8篇「国の地方組織」、第143〜158条)。まず、143条によると、地域議 会と住民の発議に基づき、146 条にしたがい自治憲章の制定が行われて自治州が設置され る。これら通常の自治州(143条自治州)は、少なくとも 5年間は制限的自治権しか確保 できない(第148条第2項)。このルートにより自治権を獲得する自治州は143条自治州も しくは通常自治州、「遅いルート」(ʻruta lenta’)の自治州とも総称されるようになる。
一方、特例として151条の規定が用意されている。そこで自治憲章は、地域の発議と住 民投票を経ることにより制定するとされ、制限自治の期間を経ずに直ちに完全な自治に向 けたプロセスを開始する(第149条)。こちらは151条自治州もしくは特別自治州、「速い ルート」(’ruta rapida’)と呼ばれる。
第六に、個々の自治州の権限は当該自治州の自治憲章の規定に委ねられているために、
地域に配分された権限の内容は、自治権獲得の方法という下限と、中央政府に残存する権 限という上限を示すことによって、消極的な方法でしか規定されていない。したがって、
国と自治州との権限分割が不明瞭であり、自治憲章の法的位置づけが高く、自治州の権限
(第148条)と国の専管事項(第149条)に関する規定があるにもかかわらず、自治州権 限の内容もあいまいな部分を残している。そして、紛争解決は憲法裁判所による。国と自 治共同体の管轄をめぐる紛争を審理し、判決を下すのは憲法裁判所である(第161条1項
C号)。
1−2 自治州体制と地方組織
当初は憲法起草委員会でも「歴史的地域」のみが自治共同体を形成することを想定して いた[García Roca 2005: 89]。しかし、「歴史的地域」がいちはやく自治憲章を成立させ、
新たに地域政府を設置したことで、これ以外の地方にも地域主義感情を引き起こした。ア ンダルシア地域は、80 年に住民投票で自治権を得て、「歴史的民族」の三地域とナバーラ という特別な自治州の仲間に加わった。このため、そのほかの地域の自治準備政府も、「完 全な自治権」を要求する事態となった。これに対して中央政府は、81年に第1回の「自治 に関する合意」で、カタルーニャ、バスク、ガリシアおよびアンダルシアの4州と同等の 権限をバレンシアとカナリアスにも移管する立法を行った。結果、これらも151条自治州 と呼ばれるようになる。そして、1981年から83年の間に続々と自治権を獲得する動きが 続くことになった。こうして、現在の17自治州によって構成される国家体制が確立したの である。なお、北アフリカの飛び地領土であるセウタ、メリリャの二都市は、自治州ほど の権限はないものの、95 年に特別自治都市の位置づけとなった。[Ballart y Ramio 2000:
232-291]
【表1】権限の範囲による自治州グループ 自治州一覧表と設置の根拠条文
権限の広い自治州 権限の狭い自治州 アンダルシア 憲法151条
カタルーニャ ガリシア バスク
ナバーラ 附則第1条 カナリア諸島 憲法150条2項 バレンシア
アラゴン 憲法143条 アストゥリアス
バレアレス諸島 カンタブリア
カスティーリャ・ラ・マンチャ カスティーリャ・イ・レオン エストゥレマドゥーラ
マドリード 憲法144条 セウタ(特別自治市) 憲法144条 メリリャ(特別自治市)
【表2】国と自治州の権限の型 [Aja 2003: 131]
自 治 州 の 排 他 的 権限
競合権限 共管権限 国の排他的権限 他の型の権限
自治州機構 農業と牧畜 観光
社会扶助・サービ ス
狩猟と漁業 商業と消費 工業 都市計画
自治州の鉄道、交 通、水利権、港湾、
空港、博物館美術 館、図書館
経済の総合計画 教育
市町村制度 保健医療 信用貸付と貯蓄 金庫
公行政と公務員 環境
メディア
労働法制 商業および刑務 所法制
知的および工業 所有権
薬事法制
防衛および軍隊 国際関係 国籍、外国人、亡 命権
貿易 通貨制度
信用貸付、銀行、
保険の整備 在外保健医療 国の鉄道、交通、
水利権、港湾、空 港 、 博 物 館 美 術 館、図書館
文化 原産の呼称 公社(参加)
公共秩序 自治州テレビ
【表3】地方団体の一覧表
区域 統治機構 数
市町村 市役所 8,111
島嶼地域 島嶼協議会(Cabildo) 10
県 県議会* 41
歴史的地域** 特権に基づく議会*** 3 Valles y Brugue 2001, p. 268参照のうえ、修正。
* 1県から構成される自治州(アストゥリアス、カンタブリア、ナバーラ、ラ・リオハ、マ ドリード、ムルシア)と島嶼地域には、自治州政府と島嶼協議会が機能を果たすため、県 議会は存在しない。
** バスク自治州の場合。
*** ナバーラにおいては、特権に基づく議会は自治州政府の機関である。
【表4】市町村の権限 地方制度基本調整法(LRBRL 7/85) 第26条
市町村の規模 サービスの下限
全て 公共照明
下水設備
中心地へのアクセス 公道の舗装
飲食物の規制 墓地
ゴミの収集 道路清掃 飲料用の給水
住民5,000人以上 上記の全サービスに加え、
公共の公園 図書館 市場 ゴミの処理
住民20,000人以上 上記の全サービスに加え、
自警団 社会サービス 火災予防と消火 公共スポーツ施設
住民50,000人以上 上記の全サービスに加え、
集団旅客交通 環境保護
自治州財政については上記のふたつの自治州グループとは別の区分により、複数の制度 が共存することになった。歴史的にフエロ(fuero; 地域特認法)に基づいていたバスクと ナバーラそれぞれの制度と、その他の自治州に共通の制度である。バスクとナバーラ地域 の権利は憲法により保障され(78年憲法附則第 1条)、特別制度のもとで独自の税制を採 用している(4)。両州では徴税事務を県ないし州政府が担当することとした。両自治州は、
所得税、法人税、付加価値税の税率を変えることは許されていないが、関税、石油製品や タバコへの税を除く全ての税を徴収する権利がある。そして国には、国から地域に提供さ
れるサービス(公益事業)に応じて、一定割合の分担金(cupo)を支払うことで補償する。
それ以外の自治州には、共通の制度が適用される。国から受け取る移転支出に基づいて おり、財源は国庫に強く依存している。共通制度の自治州では、所得税、法人税、付加価 値税等の主要な徴税は中央政府が行い、中央政府から各自治州に移譲されたサービス(公 的事業)に応じて、その経費が毎年交付金として各自治州に分配される。この制度のもと で、自治州が独自に徴収する財源は自治州財政の一割程度であった(5)。
地方組織の最小単位は市町村(municipio)(第 140 条)である。基礎自治体に規模によ る区分はなく、一括してムニシピオと総称される(6)。複数の市町村が県(provincia)を構 成し(第 141 条)、歴史的、文化的、経済的に共通する複数の県が 17 の自治的な共同体
(comunidad autónoma, 以下、定訳にしたがい「自治州」とする)を構成する(第143条)。
こうして8,000余の市町村、50の県、17の自治州がある。ただし、一県が一自治州となっ
ているケースも7例ある。
新たな国家モデルを検討する際に県の制度を維持するかどうかは、議論があった。県の 制度は古代ローマ時代に起源を有するが、今日のような地域区分の単位としての扱いは、
ブルボン朝支配の19世紀にフランスの県をモデルとして始まり、フランコ時代は国家によ る監督者として県知事(gobernador civil)が置かれ、地域社会に対する厳格な政治的統制 の手段として用いられたからである。結果的に、78年憲法では、県は国家行政の地方支部
(第141条)であると同時に、自治州と市町村の間の中間的な地方団体として、自治州や 市町村に移譲されない国家の機能を果たす領域として位置付けられた。この県の制度は、
県知事は、中央政府から自治州政府に派遣される出先機関とともに、集権国家に典型的な 国の地方行政を維持する役割を担うことになった。
こうして県の制度が維持される一方で、県と自治州の間で行政機能の重複や、政策の矛 盾が生じた場合の調整メカニズムが欠如しており、その役割は明らかでなかった[Cuchillo
1993: 233-245]。県の行政機構を統括する知事も首相の任命であった。旧来の県知事が1996
年の国民党と地域主義政党との合意によって1997年に廃止されることになり、自治州政府 に従属する代理人に置き換わった(7)。これにより旧来の県知事の機能は、警察と移民規制 に関わるもの以外は象徴的なものになった。
地域代表によって構成するとされる上院(第69 条第 1 項)も、県をその単位としてい る。県および市町村は選挙制度によって密接に結びついている。住民は市町村議会選挙の みに選挙し、県議会は市町村議会選挙の投票結果をそのまま反映し、得票数に比例して各 政党の名簿記載者に議席が配分される。こうした国と県、自治州の関係は、80 年代、90 年代を通じて政府間関係を複雑化させることになる。
78年憲法では県と、市町村に相当するムニシピオの行政自治が規定されている。しかし、
制度的にはこれらの地方組織は国と自治州に従属しており、自治州レベルでの集権化傾向 がみられる。このスペインにおける地方政府の弱さは、連邦国家と異なる特徴である。財
政は国と自治州からの移転収入に依存しており、この点も基礎自治体の自主財源を強化す る欧州の傾向と異なっている。
1−3 連邦制でない理由
スペインの体制はなぜ連邦制ではないのか。そもそも連邦制の定義は研究者の間でも一 致をみているとはいえない(8)。連邦制の指標として挙げられることのある要素について、
スペインの事例を検討してみたい。
①連邦制とは憲法上規定された階層構造であり、各層の政府に垂直的に権限が分割され ている。この制度的特徴を欠いている場合は、単なる分権化の特殊な形態とみなされる
[Riker 1996: 10]。二層以上の政府から構成され、連邦政府と連邦構成体の間で権限の配 分がなされている。そして連邦主義思想のルーツ(9)から、この権限分割は憲法に規定され 保障される必要があるとされる。連邦国家であるか否かを法制度上決する根拠は、結局の ところ憲法に求められることになる。しかしスペインの78年憲法においては、中央政府と 自治州政府間の権限配分が明らかでない。
②連邦構成政府は自治権を有し、連邦政府に対する立場は対等である。(ただし、この
「対称性」の要素は多民族連邦制の研究においては争点である。)
③連邦国家が複数の政治的単位の間で新たな政治空間を創り出す契約に基づいている ことから[Gagnon 1993: 17]、国家の構成体は体制を生み出すのみならず、体制を変革する 法的能力を有するはずである。そこで連邦構成政府には憲法制定および改正に参加する途 が開かれている。しかし、スペイン憲法第2条「共通で不可分の統一国家」から、自治州 には憲法制定および改革に参加する憲法上の能力がないといえる[Guibernau 1995: 248]。
④連邦制では連邦の立法と行政に構成体が参加し協力するため、上院が地域代表性を備 えている。しかし、78年憲法で地域代表による議会とされる上院(第69条第1項)は、
県や島嶼代表が各自治州代表を数の上で圧倒しており(第69条第2項および第5項)、州 の意向を国政に反映するドイツの連邦参議院のような存在になっていない。
⑤連邦制では同一の財政組織の枠内で連邦と諸政府との間で税収の配分がある。78年憲 法における、地域間格差是正基金(Fondo de Compensación Interterritorial; FCI)の規定(158 条2項)は、連邦制の州間財政調整制度に相当する制度と考えられるが、自治州レベルに 複数の財政制度が共存している点で、法的に定義される連邦制とは異なっている。
⑥連邦制では、地域(regional)と地方(local)レベルのうち、前者に重点を置く。そし て州政府の自治権が憲法によって保障される一方、地方の自治は州法によって規定されて いる[岩崎1998: 27-28]。スペインの自治州国家体制は、県議会(diputación)のような従 来の中央集権体制を維持しながら形成され、国家と地域(regional)の関係が連邦的なので あって、市町村レベルは県を通じて国家組織内の支部にあたることから、地域と市町村
(local)の関係は単一的である。市町村レベルの分権化は単一制における行政的分権であ
って、政治的分権でないといわれる。
その後、1980年代から連邦主義研究が活発化するなかで、中央政府と地方政府との権限 共有形態(ʻself-rule and shared-ruleʼ)として、よりゆるやかにとらえる傾向が生じた。そ のような政体を、イレイザーは「連邦制」(federation)と区別して、「連邦的政体」(federal arrangement; federacy)と呼んだ[Elazar 1987: 7]。この「連邦的政体」の特徴は、第一に、
サブ・ナショナルな単位の間で、それらの権限やステイタスが必ずしも対称であることを 前提にしない点である。第二に、サブ・ナショナルな単位での領域的な代表性(territorial representation)を強化し、多層的な複数の政府間でゆるやかな権限共有形態を志向する点 である。こうした政体は、国家領域内に歴史的に地域民族主義の強い地域が存在し、政治 的自治を要求する場合、こうした地域の要求に応えつつ統一国家を維持するための処方箋 として有効であると考えられた。そこで旧ユーゴスラビアや、カナダ、ベルギーなどの連 邦制が事例としてとりあげられた。
スペインの自治国家では、地域政府である自治州は一定の領域で自治を展開することが でき、他の領域では中央政府と共同で統治する。のちにみるように、自治州はその設置方 法や自治憲章の法的位置づけによって、単一制をとる国家としてはきわめて強い権限を有 している。これは連邦制の基本原理である、自治と共同統治の組み合わせ(‘self-rule plus
shared rule’)による権限の共有形態を体現しているかのようにみえる。そこで、80年代後
半以降の連邦主義の研究動向において、スペインの自治州国家体制は、ゆるやかな「連邦 的政体」の一例として注目され、擬似連邦制的な(quasi-federal)制度と表現されるように なった。イレイザーは、世界各国の連邦制を取り上げるなかで、スペインの体制を名目上 は連邦制でないものの、実際上は連邦制であると位置づけている[Elazar 1994]。自治州体 制は事実上の連邦制であり、その実態を連邦制と呼ぶか否かは政治的判断に過ぎないとい う憲法学者の意見もある[Aja 2003: 51-52]。
第2節 独特の国家モデルはどのようにして現れたか
それでは「連邦的」なモデルが形成されながら、なぜ連邦制と呼ばれるまでにいたらな いのか。本節では78年憲法と自治州体制の「連邦的」な要素の歴史的文脈に遡り、その理 由を検討していきたい。まず、19世紀共和主義と連邦主義、地域主義の関係に触れ、ピ・
イ・マルガイの思想とカタルーニャ・ナショナリズムとの関係を検討する。つぎに、第一 共和制崩壊から第二共和制にいたる連邦共和派と地域ナショナリズムの関係、その所産を 検討し、フランコ体制が地域ナショナリズムに及ぼした影響を考察する。さらに、78年憲 法と自治国家の制度的枠組みを、19世紀共和主義以来の歴史的観点から位置づける(10)。
2−1 共和主義と連邦主義
スペインの連邦主義は19世紀共和主義の分派であり、その起源は1840年代に遡る。ビ ラカーニャスによれば、スペインの連邦主義はふたつの問題を一挙に解決しようとしたも のであった[Villacañas 2004: 115]。第一の問題は、スペイン国家に、歴史的そして地域的 な多様性に適した法的構造を与えることである。各地で事情は異なるにせよ、中央集権に 反発し、地域の伝統的な制度や文化、固有の経済利益を擁護しようとする、地域主義が誕 生していた。これはやがて地域ナショナリズムに発展する(11)。
第二の問題は、都市ブルジョワジーのリベラルで近代的、反集権的な思想と、職人階級 などの労働者や下層中産階級が支持する先祖伝来のムニシピオの自治という、民主主義の 要求を方向づけることである。しかし、自由主義的なブルジョアジーはやがて政治や市場 保護主義の点で王候貴族と利害の一致をみて、1830年代の自由主義改革の間に同盟を確立 していく。一方、農民層や職人層は政治から排除され、40年代には階級闘争が表面化した。
左派の指導者がこうした自由主義者の談合に失望したことは、連邦主義の伸長を促す要因 となった。そして上記のふたつの問題は、歴史のうえで奇妙な形で結びついて展開するこ とになる。
このように連邦主義はスペイン国家の存在を前提に民主主義を保障しようとして現れ たものであり、諸民族(ナシオン)のスペイン国家からの分離を予定するものではなかっ た。そして連邦主義のなかには伝統的カトリシズム、自由民主主義などに依って立つ、さ まざまな連邦主義が混在していた。しかし、地域主義者は連邦主義に触れて、複数のナシ オンからなる国家モデルを抱くようになった。こうして連邦主義を媒介に、共和主義と地 域ナショナリズムが出会うことになる。地域ナショナリズムのなかの保守派は、政治社会 制度がカトリックの教義とコーポラティズムに結びついている、伝統主義的な連邦主義を 好んだ。一方、地域ナショナリズムのなかの急進派は、代表民主制の実践を拡大し、個人 的権利を補完するメカニズムとしての、世俗的な性格をもつ多民族による連邦制を考えた
[Núñez Seixas 2004: 202-207]。そして第一共和制(1873―74)で連邦主義に失敗したこと は、地域ナショナリズムを急進化させると同時に、連邦主義者を地域ナショナリズムに合 流させることになる。
ただし地域ナショナリズムのなかには、連邦主義を志向するものとそうでないものがあ る。この違いを条件づけたのは、諸ナショナリズムにおける自由主義民主派の存在である という[Núñez Seixas 2004: 207-208]。19世紀スペインの共和主義は、主導的な自由主義進 歩派と傍流の自由主義民主派の二手に分かれていた。前者は、思慮ある特定のエリート層 だけが政治経済を発展させることができると考えた。一方、後者は直接的な普遍的民主主 義の実践こそが進歩を意味すると信じ、労働者階級の主導を受け入れる用意があった。こ のうち後者の自由主義民主派の政治文化を代表するのがピ・イ・マルガイである。カタル ーニャではピらの自由主義民主派の存在がナショナリズムに連邦主義を志向させるように
なった。
2−2 ピ・イ・マルガイの連邦思想とカタルーニャ・ナショナリズム
ピ・イ・マルガイ(Francisco Pi y Margall, 1824―1901年)はカタルーニャ出身の著作家、
政治家で、11ヶ月間の短命に終わったスペイン第一共和制(1873年2月〜74年1月)で4 ヶ月間大統領も務めた。彼の思想は19世紀後半以降のスペインの連邦主義思想に大きな影 響を与え、特徴づけたといってよい。
ピ・イ・マルガイの連邦思想は初期から後期にかけて大きな変化を遂げた。「反動と革 命」(1854 年)に象徴される初期の思想には、理想主義的社会主義を急進化したプルード ンの影響が指摘される。ピ・イ・マルガイの思想はフランスの合理主義とドイツの理想主 義の混合といわれ、その究極的な価値は個人の主権であった。あらゆる権力はそれだけで 専制的であり、革命と改革の最終目的は、国家と市民社会が同一の有機体のなかで調和し た、権力なき社会の構築であった。あらゆる政府は権威の産物として個人の主権を否定す るため、この権威の根元を個人間の社会契約によって置き換えることを主張した。このプ ロセスは、権力を政治支配の道具としての性格を失わせるまでに分割し、可能なかぎり縮 小するという道を通ることになる。ピ・イ・マルガイはプルードンと同様、県や市町村レ ベルの地方自治に共和国を発展させる最良の保障を見出した。
こうして連邦主義による分権化は、個人の主権を保障するため、権力を解体する手段、
もしくは、政治的な中核を解体する永続的なプロセスにおける社会変革の方式として、道 具主義的に理解された。権力は弱小であればあるほどよく、それゆえ君主制よりも共和制 が、共和制よりも連邦制が、権力が分散し弱くなるために望ましいと考えられた[Villacañas 2004: 130]。その意味で、当初ピ・イ・マルガイの連邦主義はアナーキズムと同義であっ た。
第一共和制は結局、各地で共和派の反乱(カントナリスタの反乱)が相次ぎ、混乱のな かで崩壊する。連邦主義者のなかでも完全自治主義を唱える非妥協派は、中央政府からの 上からの分権化を待たず、地方自治体や県レベルで自治区(カントン)独立を達成し、自 治区連合により下からの分権化を目指したのである。これは権力の最小化のために権力を 分割する連邦制を志向したピ・イ・マルガイの思想の論理的帰結であった。
やがてピ・イ・マルガイはスイスや合衆国のモデルに着想を得て、理想主義的な連邦主 義を彼なりに現実的な性格のものに展開していった。後期の代表作「諸民族」(1877 年)
に至っては、社会契約の主役を、主権をもつ個人から、歴史的につくられた自然な集団へ とシフトさせたのである。この集団こそが、個人間の連帯を可能にする紐帯であり、個人 に権利を付与する「民族」(ナシオナリダー、nacionalidad)であった。ここに、個人主義 的合理主義から民族主義が内包する非合理主義への飛躍がある。この両者の衝突はピ・イ・
マルガイの理想における矛盾であり、彼の連邦主義は、初期のアナーキズムによる個人主
義的主張と、民族主義の社会有機体説的な主張という、二つの対立する基礎に依拠するこ とになった[Villacañas 2004: 117-119]。このピ・イ・マルガイの連邦思想の特徴、もしく は論理的欠陥は、スペインの連邦主義が個人主義とアナーキズム、民族主義と社会有機体 説へと二重に急進化し、分裂することを促進したとみられている[Villacañas 2004: 129]。
2−3 連邦主義の継承―第一共和制崩壊から第二共和制「統合国家」
こうしたピ・イ・マルガイの連邦思想の影響は、第一共和制期を含むいわゆる「民主主 義革命の6年間」(1868―74年)を越え、彼の死後も、第二共和制まで及ぶことになる(12)。 ピ・イ・マルガイの連邦主義を支持する者は共和派左翼としてまとまり、そこからカタル ーニャ民族主義者やアナルコ・サンディカリスト、社会主義者が抜けていったのちも、支 持が失われることはなかった。それはピ・イ・マルガイの連邦思想があくまでも資本主義 の地平における革命をめざすもので、社会民主主義とも類似しており、農民や都市部の職 人の支持を持続させたためといわれる[Millares Cantero 2001: 6]。
カタルーニャでは、連邦主義の試みが失敗したことにより多様な特殊主義が出現し、最 終的には地域ナショナリズムが出現する一方、労働者階級はアナーキズムと直接行動に向 かうことになった。上述のように初期のピ・イ・マルガイの連邦主義思想においては、ア ナーキズムと連邦主義とはその究極の前提においてあまり違わず、連邦主義が急進化した 結果であった。スペインにおいては社会的革命、直接行動、ゼネスト等の呼び名は連邦主 義が失敗した頃に現れたことが、歴史研究によって指摘されている。
連邦主義はまた、多様な周辺ナショナリズムの中心を合体させる、政治・イデオロギー 的な原型をもたらした。とりわけカタルーニャ、ガリシア、バレンシアにおける進歩主義 的な性格のものである。そこでは、連邦国家、歴史的な有機体説、そして過去に民族であ った地域の名誉を守るための史料編纂の営みや文化運動が組み合わされている。こうして 連邦主義には、さまざまな民族的イデオロギーをもつ地域主義者、民族主義者のニーズに 合わせて解釈や修正がなされる余地が広がった。さらには「連邦君主制」と呼ばれる、複 合的な君主制の考えを具体化した、伝統主義的なスペインの連邦主義も存在することにな る[Núñez Seixas 2004: 202-204]。
こうした連邦主義者とさまざまな地域主義者のグループの関係は、限定的とはいえ、支 配的な保守派へのオルタナティブをつくりだしたかにみえた。しかしそれは、スペインの 民主的な連邦主義全体が失敗し、自由主義的ブルジョワ君主国家が定着した結果として、
最終的に失敗したのである。ビラカーニャによれば、スペインの連邦主義の奇妙なところ は、連邦制の試みが現実に失敗したまさにそのときに、多かれ少なかれ基本的な理論体系 をもつにいたったことである[Villacañas 2004: 120]。こうして19世紀半ばに共和主義者が 残した連邦主義のビジョンとその政治的闘争は、20世紀も後半の1960年代、70年代に現 れる歴史的観方の基礎となるのである[Duarte 2001: 18-23]。その過程をみてみよう。
1920年代にはカタルーニャの左派の間で、続く30年代にはバスクとガリシアの左派の 一部で、当時PSOEが支持していた理論的な連邦主義から、周辺ナショナリズムによる一 層進歩主義的な連邦主義への戦略的な展開がみられ、これにより左派内部を横断した連邦 構想が生まれた。ここで提起された連邦制は、言語、文化と歴史により定義される民族が 連邦構成体になるという、非対称な志向をもっていた。1930年代のPSOE内部では、こう した連邦主義のレトリックが、集権的な慣行と共存していたのである。
第二共和制(1931―36)では、憲法でスペインを連邦国家とも単一国家とも定義するこ とを避けるため、その中間の「統合国家」(ʻEstado Integralʼ)と位置づけるという解決策 が考案された。この国家モデルは、一方では単一制の理論に従い、スペイン国民の主権と、
国会が地域の自治憲章を承認する権利を擁護し、中央政府は地域の利益が地域代表を通じ て保護されることを保障した。他方では連邦主義的、契約的な理論に従い、地域は自らの 自治憲章を中央との交渉によって形成し、住民投票によって採択することができるとした。
この第二共和制憲法のもとで、カタルーニャ(13)がまず自治権を獲得した。カタルーニャ 共和国憲法(1931 年12月発布)の第一条において、スペインの国家形態は上述の「統合 国家」とされ、カタルーニャ共和国は連邦的な共和政体からなる「スペイン共和国」の一 構成体と位置づけられていた。カタルーニャはこれにより自治権獲得のモデル・ケースと なったと同時に、他の地域の反発を買った。そしてアンダルシア、アラゴン、バレンシア、
アストゥリアス等の各地で地域主義が高揚し、カタルーニャの自治への自衛手段として各 地で自治の獲得をめざす動きもみられた。ただし、ガリシアやアンダルシアの地域主義は 文化運動の色彩が濃く、政治的動員と自治の要求が際立っていたのはバスクとカタルーニ ャであった。バスクで地域ナショナリズムの中心を担ったバスク国民党は、カトリックの 伝統主義に立つサビーノ・デ・アラーナ(1863―1903)の活動から発展したもので、その 沿革からして従来は保守派と連携していた。しかし、第二共和制期には自治権獲得を優先 して共和左派に接近し、宗教的にも教権的カトリシズムからキリスト教社会民主主義へと シフトした。バスク(14)に続き、ガリシア(15)も自治憲章を制定する動きに出た。ただし、カ タルーニャやバスクが自治権の獲得に至ったのは、反共和制の運動により窮地に陥った共 和国政府が政府への支持への見返りとしたもので、政治的駆け引きの結果であり、便宜的 な措置でしかなかったともいわれる[鈴木 1988: 76]。
2−4 78年憲法と自治国家
第二共和制は進歩的な改革が行われた2年間、保守派による揺り戻しが起きた3年間を 経て、内戦の勃発により頓挫した。39年にフランコ反乱軍が共和国軍に勝利し、以後、75 年にフランコが没するまで権威主義体制が続くことになるが、この内戦とフランコ体制は 民族主義が急進化する出発点となった。フランコ体制は、共和国陣営についたカタルーニ ャ、バスクに対し、厳しい政治的弾圧を加えた。「裏切り者」の二県の経済協約を無効とし、
地域言語と地域の独自性を表象するものを禁止した。そうしたなかで両地域の政治指導者 は亡命して影響力を失ったが、一方で地域主義は国内で醸成され、組織化されていった。
ヌニェス=セイサスによれば、フランコ体制はふたつの相互に関連する効果をもたらし た。まず、スペインの自由主義的で集権的な傾向のある伝統的なナショナリズムは正当性 を失い、少なくともレトリックのうえでは連邦主義モデルが反体制民主主義派の大勢に受 け入れられた。一方、50年代から欧州統合プロセスが始まり、スペイン国家にとっての「ヨ ーロッパ要因」が出現した。スペインが欧州連邦構想に参加し、国家主権を統合欧州に漸 進的に移譲することで、バスク、カタルーニャ、ガリシアのスペイン国家への依存度は弱 まっていくという、新たな戦略的計算が導入されたという[Núñez Seixas 2004: 214-215]。
スペインではフランコの死後、民主主義への回帰を目指し、権威主義体制に反対する雰 囲気のなかで、地域組織の再構築が最優先事項となった。これは、同国の分権的な民主主 義の伝統のみならず、ヨーロッパの新たな空気が認識されていたことにもよるという。す なわち、20世紀後半の欧州国家には、民主主義の新しい要求に応えられなかった官僚主義 的、集権的な国家構造の破たん傾向が特徴的であり、このことはスペインでもフランコ体 制後期から体制移行期にかけて特に強く認識されていたのである[Trujillo Fernández 2004:
79]。そして78年憲法の制定にあたっては、左派は多数派連邦モデル、フランコ体制内改
革派は行政的分権モデル、周辺ナショナリストは非対称的連邦制もしくは連合国家モデル を主張した。同時に、民主化に向けた決定的に重要な時期に民族主義者による暴力を恐れ、
民族主義者の自治要求に対応するという政治的色彩がより強く反映されることになった。
こうして政治的分権が要求される一方で、連邦制は採用されなかった。第一の理由は、
連邦制は19世紀の第一共和制下の騒乱を連想させ、また「統一されたスペイン」像を抱く とりわけ右派や軍部、官僚組織にとって、連邦制のイメージはたえがたいものであったか らである。第二に、構成体の対等を前提とする連邦制を採用するには、地域によって自治 の感情が一様でないことが明らかであった。カタルーニャやバスクのように自治政府への 要望が強い地域と、現行のスペインの統合の程度に満足している地域があり、カタルーニ ャとバスクの間でも自治のあり方に対して姿勢は異なっていた。第三に、連邦制を運営す るうえでの機能上の問題も危ぶまれた。何世紀にもわたり集権的であった国家において、
中央行政は多くの欠点を差し引いてもなお、効率的かつ能力ある人材を擁しており、これ に対して、まったく未知の新たな基準にしたがって即興に組織を作り直すことはリスクを ともなうと考えられた[Solozábal 1996: 244]。民主化後の国家にとって連邦的な組織は望 ましいが、長い集権的伝統にそれを持ち込むことは不適切であるとの見方もあった。
そこで諸政治勢力からの合意をとりつけるため、分権化の折衷案として、国の最低限の 専管事項(国防、外交、司法体系等)を定め、それ以外の権限は一定の条件の下で新たに 形成される自治州に段階的に移譲していく方式が有力となった。複雑な交渉ののち、既存 勢力の関係が反映された、広く分権化した民主主義国家モデルを保障した。すなわち、バ
スクとナバーラの地域特認法の特殊性や、島嶼地域の特殊性(カナリア諸島の島議 会’cabildo’等)が組み込まれ、非対称な二言語主義のもとで、6地域において二つの公用語 が認められた。これは政治的および行政的分権であったが、暫定的な交渉や権限の拡大も 可能な、曖昧で解釈の余地が広い性格をもっていた。この分権には対称的な傾向もあった が、注目されるのは憲法が「ナシオナリダー」(民族)と「レヒオン」(地域)としての自 治権を認めることで、非対称性の原理が明確に生き返っていることである[Núñez Seixas 2004: 217]。
本節冒頭でみた78年憲法の特徴は、結局のところ第二共和制憲法に由来するのである。
上述の通り、第二共和制では単一国家とも連邦国家とも定義することを避けるため、スペ インを「統合国家」と呼んだ。第二共和制憲法も78年憲法も、自治的な地域を定めず、一 定の条件のもとで地方団体にその構成を委ねている。また、地域政府の権限の水準を一般 的に制定することを避け、各地域の憲章(地方自治基本法)が制定することにしている。
さらに国と地域の権限分割や共有を国の委任や調整法により弾力化する制度的枠組み、自 治憲章の承認手続き、そして憲法裁判所が政府間の紛争を解決する点も類似している。
「統合国家」の概念は 19 世紀のスペイン共和主義における葛藤の所産ともいえる。そ の意味で、78年憲法と「自治国家」の概念には、第二共和制憲法における「統合国家」を 経由して、19世紀共和主義が継承されている。こうして、1840年代に芽生えたスペインの 連邦主義は、第一共和制の崩壊とともに同国の歴史の表舞台から消えたかにみえたが、第 一共和制の崩壊からおよそ100年後の1978年に、君主制のもとでの擬似連邦制としてよみ がえったといえる。君主制に反対したピ・イ・マルガイや共和主義者の連邦思想の原点か らすれば、なんとも奇妙な取り合わせである。
スペインの連邦主義と地域主義の歴史をみると、カタルーニャをはじめとする地域ナシ ョナリズムの勃興は、ある意味で連邦主義の失敗の所産である。それゆえに、スペインに おける連邦主義の主張には、地域ナショナリズムが主張する非対称的連邦制がついてまわ るようになった。78年憲法は分権化した民主主義国家のモデルを保障しようとし、その分 権には対称的な志向もあったが、「ナシオナリダー」と「レヒオン」のふたつの概念を置い て自治権を認めることで、非対称性の原理が明確に復活したのである。このことは、自治 州体制における重要な争点となる。
第3節 自治州体制の展開
78年憲法が用意した制度的枠組みは、自治州体制として制度化されていく。本節ではこ のプロセスを、政権の推移と併せて概観したうえで、自治州体制と密接に関連するスペイ ンの政党制度の特徴を検討する。
3−1 自治州体制の展開
第1期(1980―1987年)制度化
カタルーニャとバスクのいちはやい自治権獲得に象徴される先行期を除くと、1980年か ら87年は、自治州国家モデルが施行され制度化された第1期にあたる。
1981年 2月の軍部による国会占拠クーデタ未遂事件(23F事件)を機に、当時の民主中 道政権と野党第一党の社会労働党の間で、自治をスペイン全体に広げる「自治に関する合 意」がなされた(ʻcafé para todos’「みんなにお茶を」と表現された)。この合意から、「歴 史的民族」以外の地域全てに自治権と地方分権を拡大することを目的として「地方自治調 整組織法」(LOAPA)が成立した。しかしカタルーニャ、バスク自治州政府から再中央集 権化の謀略と攻撃され、憲法訴訟に持ち込まれた。83 年の違憲判決(16)を受け、LOAPAは 自治プロセス法(LPA)として施行された。この判決を端緒として、「歴史的民族」を始め とする憲法151条に規定する特別自治州に対する「区別」と、それ以外の自治州の「同質 性」を併存させる必要性が確認される結果となったともいわれている。
82年第3回総選挙では PSOEが大勝し、長期政権を築くことになる。そして83年まで の間に、バスク、カタルーニャの自治権獲得に刺激された各地域による自治憲章の採択が 続き、スペイン全土が17の自治州で構成されることになった。各自治州は議会と行政機構 を整備していった。
第2期(1988―1992年)体制の定着と拡大
通常自治州には5年の制限的自治期間が設けられていたが、1983年に最後に自治権を獲 得した自治州も1988年に制限的自治期間を終え、中央政府からいかに権限を移譲していく かが問題となった。行政分野では自治州による立法が相次いだ。公共支出の激増を前に、
中央政府の側では行政機能と運営を近代化させる必要性が認識されてきた。一方、自治州 政府の間では同様の認識は共有されていなかった。
PSOE政権は欧州統合に対処していくために議会の支持を必要としていたが、相次ぐ党内 スキャンダルの露呈(17)で1989年総選挙では絶対多数を失った。1988年にはPSOE政権の社 会経済政策をめぐる二大労働組合の大規模なゼネストが起き、翌年PSOEは1世紀近い労働 総同盟(UGT)との同盟関係を破棄した。一方、フランコ派の集権的な流れをくむ野党第 一党の国民同盟(AP)は、89 年に党名を国民党(PP)に変更し、党首交代により党のイ メージ一新をはかった。新党首は当時36歳の、1996年以後のPP政権で8年間首相を務め ることになるアスナールである。
バスク、カタルーニャ自治州の政権を握っている地域主義政党は、中央からの権限移譲 プロセスを完了するよう求めていた。一方、自治が限定された通常自治州からは、特別自 治州と同等のレベルの自治を望む要求が高まっていた。通常自治州政府には PP 政権が多 かった。PSOE政府は、10の通常自治州の要求に対応せざるを得ないことを認識していた
が、各州との二者間交渉に至る危険を避けるため議会の合意を必要とした。
こうした状況の帰結として、1992年、通常自治州の権限を段階的に画一的に拡大するた め、PSOE政府とPPとの間で、1981年に続く第二の「自治に関する合意」が署名された。
自治州のEC関連事項への参加問題については、88年末にEC関連事項を中央、自治州レ ベルの大臣が検討する分野別協議会が非公式に創設されていたが、「自治に関する合意」の なかでこのモデルが確認された。この「合意」について、バスクとカタルーニャは、中央 政府のEC 担当大臣との直接の二者間交渉を有利とみて拒否したため、この二者を除く全 自治州により署名された。
第3期(1993―1996年)改革の試み
「自治に関する合意」は、バスクとカタルーニャが棄権したまま、1993年に承認された。
通常自治州には新たに、初等から高等までの教育、失業保険を除く社会サービス、環境政 策に関する権限が移譲され、こうした権限に対応する人材と財源が移転された。これによ り特別自治州と通常自治州の主な権限の差は、保健医療の運営権限の有無と、バスクとカ タルーニャの警察だけとなった。ここで、カタルーニャ、バスク、ガリシアは、いまだ実 現していない権限の移譲と、国の地方行政の廃止(18)を中央政府に要求した。
PSOE 政府はこの提案を拒絶したが、党幹部のスキャンダルに揺れた同党は 93 年選挙 で過半数を占めることができず、カタルーニャCiU(統一と集中)とバスクの地域主義政 党の閣外協力によってかろうじて政権を保った。このためCiUは自治州に関するのみなら ず、経済、財政政策にも影響力を行使するようになった。1993年には、共通レジームの自 治州の間で州内の個人所得税の 15%が国から譲渡されるという協定が締結された。94 年 にはEUにおける政策決定への自治州の参加を含む、欧州事項協議会の法的枠組みが創設 された。
PSOEは93年総選挙で野党PPはこうした状況を批判していたが、96年総選挙でPSOE の代わりに同じ状況に立たされることになった。この時期は、マーストリヒト条約と経済 のグローバル化により、公共支出の抑制が必要となり、自治州行政に合理化の波が到着し た。特に自治州財政への公共支出額は顕著に減少した。そうしたなか、PSOE の汚職スキ ャンダルが明らかになり、CiUがPSOE少数政権への支持を撤回したことで、総選挙が早 まった。96年の選挙では PPが勝利しPSOEから14年ぶりの政権交代が生じた。しかし PPは予想に反して過半数を確保できなかったため、地域主義政党の協力が必要となった。
これにより、とりわけCiU は前回1993 年総選挙のときよりも影響力を強めることにな った。そしてPPがCiUなどと結んだ「統治能力協定」のなかに、中央集権の継承を象徴 する従来の県知事の廃止が盛り込まれ、1997 年の国家行政組織機能法(LOFAGE)で正 式に廃止され、代わりに政府代表が任命する副代表が誕生した。同協定には、自治州のEU に対する参画を進める事項が盛り込まれ、自治州事項担当顧問が設置されてブリュッセル のスペイン常駐代表に含まれることになり、欧州事項協議会は国と自治州の間の協力、諮