• 検索結果がありません。

労働市場―社会協定の復活とその役割

ドキュメント内 序 章 (ページ 75-89)

はじめに

先進諸国の福祉国家が自らを取り巻く環境の変化にいかに適応していくかは、福祉国家 論の主要なテーマである。特に90年代以降の欧州では、EU統合、財政的および構造的圧 力の下で、社会保障制度や労働市場の改革が喫緊の課題となっている。ただし、問題の表 れ方と適応への筋道は、福祉レジームの類型、すなわち福祉が生産され、国家、市場、家 族の間に配分される総合的なあり方により、異なるものと理解されている。

エスピン-アンデルセンによる福祉レジームの三類型(社会民主主義的な北欧型、保守主 義的な大陸欧州型、自由主義的なアングロ・サクソン型)に従えば、環境変化への適応が最 も困難であるのは大陸欧州型であり、特にそのサブ・カテゴリーとみなされることの多い、

南欧の福祉レジームであるといわれる[Esping-Andersen 1999: 70; 2002: 16-17]。このレジ ームは、所得保障と社会サービスの両面で福祉国家の機能を家族が代替する程度が顕著な

「家族主義」を特徴とする。この「家族主義」は、女性や若者の労働参加を妨げ、低い世 帯所得が世帯形成の遅れと低出生率を招き、福祉国家の財政基盤を脅かしている。家族主 義の前提は、所得保障や労働市場、住宅政策といった政策領域の特徴と表裏一体の関係に ある[Flaquer 2004]とされる。とりわけスペインでは、労働市場の顕著な二元性が指摘さ れてきた。常用雇用者が高い賃金と社会保障を得ている一方、就業者の3分の1を占める 有期雇用者、GDPの25%を占めるともいわれるインフォーマル経済の労働者、失業者は、

きわめて不安定な立場にある。本章はスペインの福祉レジームにおける労働市場をめぐる 政治に着目する。

さて、90年代には、アイルランド、イタリア、ポルトガルなど欧州各国で、コーポラテ ィスト的な政労使三者の協調行動による年金制度や労働市場改革への取り組みが相次ぎ、

注目された。ローズら[Hancké and Rhodes 2005]は、この現象に関する研究動向を包括的 に整理し、3 つの立場に分ける。第1 に、内生的な要因から説明する立場がある。協調行 動は、各国の積年の問題に対する内生的な解決法として現れたとみる。コーポラティズム の循環的な性質に焦点を当てるこの立場では、課題に取り組む上で協調というゲームが最 適化されたとき、もしくは景気後退によって合意形成への要請が復活したか、新たに生ま れたときに、アクター間の勢力均衡の変化と関連して協調行動が出現するとみる[Regini 2000; Schmitter and Grote 1997]。経済通貨同盟(EMU)は、新たな圧力というより、既存 の改革の必要性を顕在化させ、経済についての共通見解を誘発する契機とみなされる

[Compston 2003]。第2の立場は、グローバリゼーションやEMUから生じる競争の圧力 に対し、労働市場と福祉改革がそれを緩和する役割を要求され、競争的なコーポラティス

ト的対応として、社会協定や、その他の形態の新たな社会的なパートナーシップが出現し たとする[Rhodes 1998; 2001]。この福祉国家が外的な圧力に対応するために採用した「競 争的コーポラティズム」は、伝統的なコーポラティズムとは異なる特徴を帯びている。第 3の立場は、EMUそのものが何らかの社会協定を強いることになったとする。輸出産業の 競争力を維持し、収斂基準を達成する上で多くの政策的要請に対処するため、関係するア クターが交渉のテーブルに着いたとみる[Pochet and Fajertag 2000]。

スペインでも、90年代半ばから年金や労働市場改革に向けた協定が結ばれ、欧州におけ る社会協定の「復活」の一例として論じられた。しかし、スペインで70年代末から一連の 協定が現れた状況は、他の欧州諸国の戦後体制において観察された状況とは全く異なって いた[Schmitter and Grote 1997]。スペインの協定は、体制移行後の労使関係の形成、さら に政労使関係の推移と密接に結びついており、しばしば協調行動の成否を基準として、労 使関係が定義された時期(1977―86年)、三者合意の不在時期(88―94年)、協定の復活時 期(94年―)の三期に区分して論じられる[Espina 1999]。そして、スペインにおいて労 働市場改革がもつ政治的な意味を考慮すると、労働市場改革協定に到った経緯について、

固有の説明も要すると思われる。

  90年代のスペインの労使関係と社会協定を扱った主な研究として、スペインではエスピ ナ[Espina 1999]、英米ではマルティネス‐ルシオ[Martínez Lucio 1998; 2002]、ペレス[Pérez 2000]、ハマン[Hamman 2001; 2003]等がある。日本では、歴史的アプローチによるスペ イン政治研究で協定主義に言及している例[野上1998; 2001]はあるが、福祉国家と労使 関係の観点から扱った例はない。本稿はスペインの社会協定の復活について、外的要因に よっては説明しつくせない国内の変化に着目し、上記の第1の立場、すなわち内生的要因 に基づくアクターの戦略から説明する立場をとったうえで、体制移行後の政治的、制度的 文脈から、国内の独自の意義を考察する。第1節では80年代の協定をめぐる政労使の関係 を概観し、第2節ではその間の労働市場改革の政治化を見る。第3節で90年代に社会協定 が現れた要因を検討し、第4節でスペインにおける外形としてのコーポラティズムと社会 協定の意義を考察する。スペインにおける社会協定の軌跡を、労使関係と労働市場改革の 推移と合わせて検討することで、南欧の一国が受容したコーポラティズム的手法の展開、

労使関係と福祉レジームの連関に示唆を与えうるものと考える。

1節  体制移行と社会協定

1‐1 労使団体の成立

フランコ権威主義体制下(1939―75年)では自由な労働組合運動は禁じられ、体制側が 統括する唯一の組合組織に置き換えられていた。しかし労働運動は非合法に存続し、反体

制運動で主導的役割を果たした。1888 年の創立以来社会労働党(PSOE)と同盟関係にあ る労働者総同盟(UGT)、1910年創立のアナーキズムに特徴付けられる全国労働連合(CNT)

のほか、共産党系の労働者委員会は地下活動を通じて垂直的労働組合に浸透していた。ス ペインの組合が現代的な形を整えたのは、フランコ死後の体制移行期間であった。労働者 委員会は76年に連合体のCCOOに集結する一方、UGTも再結成され、複数の組合が競合 した。1977 年に労働組合の合法性が認められ、78年民主憲法の規定を受け、80 年の「労 働者憲章」(LET)が労働者の権利、代表および選出方法、団体交渉を定め、さらに 85 年 の「労働組合の自由についての組織法」(LOLS)が組合の具体的な組織と機能の枠組を定 めた。組合の制度化における国家の影響は甚大であった。

LETでは、従業員数11―49名の企業の労働者は、投票で選出された職場代表(delegados

de personal)により代表される(6―10名の企業も同様に可)。従業員数が50名以上の企業

の労働者は、従業員数に応じて投票で選出された職場代表から構成される職場委員会

(comité de empresa)により代表される。組合員、非組合員を問わず、1ヶ月以上の雇用関 係にある全労働者に投票権があり、職場委員会は企業単位もしくは事業所単位で組織され る。職場代表もしくは職場委員会は、組合とともに従業員を代表し、雇用者と交渉する権 利をもつ。こうして「職場代表制」は形式的に組合と別に規定されているが、実際には組 合が職場代表候補者を出すため、組合間の選挙となっている。選挙の結果、職場代表と職 場委員会の10%に達した組合は国レベルの「代表的組合」として、団体交渉における優先 権、職場代表選挙の招集権等をもつ。この制度の下、CCOOとUGTは職場代表全体の75%

前後を占め[Prieto 1993b、巻末表]、交渉における役割を確立し、二大組合への収斂を決 定付けた。

組合の組織率(1)は、体制移行にともなう 77―78 年のブームで約 45―50%まで急伸した 後、急減した[Molins y Casademunt 2002: 480]。以後10―20%の範囲に停滞している。職 場代表制では組合員でなくとも利益が代表され、加入による特典がないことも一因とされ る[Burgess 2000: 16]。低組織率により組合費ベースでは脆弱な財政は、政府補助金がカバ ーしている。4 年に一度の職場代表選挙の結果に基づき政府補助金が配分されるため、二 大組合の競争は一層激化した。また、前体制下で没収された組合資産の返還という名目で の政府補助金もあり、これは事実上UGTをCCOOより優遇するものである。

組織率の低迷で組合は活動家に不足し、経営者との協定の履行を監視するには組織的限 界を抱えることになった。スペインで従業員20名以上の企業数は、従業員のいる企業全体

の5.6%を占めるに過ぎない[INE 2005: 2]。組合組織は特定の地域、産業への偏りが顕著

であり、組合は概して特定の地域と産業、中大規模の企業においてのみ、経営者に持続的 に圧力をかけるに十分な存在感を持ちうる。しかし、スペインの組合は企業レベルで弱体 であっても、社会的影響力は大きい[Miguélez 1999: 199]。組合が組織率の低迷にもかか わらず政府や雇用者の政策に対抗する存在感を持ちえたのは、その動員力による。1991―

ドキュメント内 序 章 (ページ 75-89)