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ドキュメント内 レクリエーション研究 (ページ 51-58)

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5.結語

二つのコミュニティ・スポーツ参加を外的基準に.コミ ュニティ・モラールへの影響についての分析結果について 述べてきた.

本研究で対象とした、一小学校区程度を範域とした、自 治省モデル・コミュニティにおいては、コミュニティ内の 住民相互の交流を密にするコミュニティ・スポーツ行事参 加については.モラールとの関連は見られるものの、日常 的かつ個人の自由な志志によって行なわれるスポーツ参加 においては あまり強い関連を示さなかった.

外的基準に対して、判別力を示したスポーツ行事参加の コミュニティ・モラールの質については、都市型コミュニ ティと長村型コミュニティにおいては、コミュニティその ものへの住民の意識や態度の質と量の違いが、そのまま 行事参加を促進する要因となっている.換言すれば、都市 型では、感情.参加意欲、統合認知、評価の四側面から構 成されるコミュニティ・モラールの中の、参加意欲の行事 への関心を除き、その他は、地裁の物的、人的な環境にか らんだ抽象的表現としての意識や態度に、農村地区では、

地域への愛着心から明確にされた意識や態度に強い関心を 示している.このことは.明らかにコミュニティそのもの のもつ地域特性や、そこでのコミュニティ・モラールの独 自の形成状況によって、スポーツ行事への参加が決定され ることを意味している.

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それでは、本研究の分析結果をもとに、本舗究の仮説に ついて検証してみよう.

1)  コミュニティ・スポーツへの参加は コミュニテ ィ・モラールへ有効な影響を及ぼすことについて は、コミュニティ内のスポーツ行事参加レベルに おいて妥当な結果がでたといえる.

2 )  

スポーツ参加のコミュニティ・モラールへの影響 について、都市・農村両地区間にあまり顕著な差 は晃られなかった.

本研究においては、コミュニティ形成の核を.コミュニ ティ・モラールの形成としてとらえ、それについてスポー ツ参加との関連を明らかにしようとした.しかしながら、

予怨よりも顕著に、スポーツ参加がコミュニティ・モラー ルに影響を与えていなかった.これは 一小学絞区という 範域をもった自治省モデル・コミュニティでは、スポーツ 行事への参加は、有効な手段であるが、個人のスポーツ参 加は、必ずしもそうとはいえないかもしれない.住みよい コミュニティづくりのために、スポーツが、どのように畿 能するのか、とりわけ 異なった地理的範域をもったコミ

ュニティでは その意識や態度に及ぼす影響がどのように 異なるのか等については、今後の研究課題としたい.

‑ 49‑

引 用 文 献

1)国民生活審議会議査部会コミュニティ問題小委員会:

r

コミュニティーー生活の場における人間性の回復J1969.

2)経済企画庁経済社会基本計画一一活力ある福祉社会のためにJ59‑60,1973.

3)経済企画庁コミュニティ・スポーツ施設整備計画調査報告書JI4‑18,1974.

4)

自治省行政局コミュニティ(近隣社会〉に関する対策要綱J

r

ジュリスト増引j総合特集、全固まちづくり集覧』

No.9,318.1977. 

5) IIacher, R.M.  CODUJlitJ  A Sociologi1St叫J,IIac.illi副 轟Co.,LoDd四, 1917.  中久郎・松本通晴監訳

『コミュニティJ46,ミネルヴァ書房, 1975. 

6) Hille円,G.A.  Definitions of CounitJ,Areas of Agree.en

t .  

Rural  Sociology,曹01.20,119, 1955.  7)訟原治郎:

r

コミュニティの社会学J25‑28,東京大学出版会, 1978.

8) MacI刊 し R.M.,

C.H.  Page: Socieh, An Introductor, 勉alisis,1949.若林敬子・武内清訳:

r

コミュニティと 地域社会感情J明代のエスプリ』コミュニティNo.68,歪文堂, 1973. 

9)鈴木広コミュニティ・モラールと社会移動の研究』アカデミア出版会, 1978.

10)瀧老原修他コミュニティ・スポーツの社会的橡艇について一一コミュニティ形式に果たす役割の検討J

『レタリzーション研究J8,41‑50.1980. 

11)中島豊綾・川西正志他:

r

地域社会におけるスポーツ・クラブの社会的撮能ーーコミュニテイ活動とコミュニティ 意識を中心としてJ

r

名古屋大学総合保健体育科学 6‑1.143‑155.1983.

12)守能信次他社会人の余暇に関する研究ー要因分析を用いたスポーツ実施規定要因に関してJ

r

体育学研担 15‑5,1971. 

13)三宅一郎他異なるレベルの選挙における投票行動の僻究』創文社, 1967. 

1 ( )

永吉宏英他フィジカル・レクリェーション成立を促す要因分析一一林の数量化理論第

E

類を周いて一一』

『レクリェーション研努:J6,29‑39.1977. 

15)海老原修:前掲書10). 18)中島豊雄:前掲書11). 

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三三

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寓 主 童 良

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J舞見 に 関 す る 研 究

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レクリエーシヨン観 理論と実践 人間形成

I.はじめに

現在の日本におけるレクリエーシヨン運動の隆盛、およ び国民のレジャー・レクリエーシヨンへの関心の高揚は、

かつてみられなかった発展ぶりを示していると言えよう。

この背棄には、経済成長、技術革新、コマーシャリズム 等、様々な社会的要素が考えられる.

中でも特に見逃せないことのひとつに、レクリエーショ ン運動の発展、推進に地道な努力を尽した数多〈の人々の 功績があげられよう.

三隅達郎氏は〈以下三綱と略〉は、まさにその中のひと りであると言えるだろう.

三隅は、現在のレクリエーション運動の中心的存在とも 言える〈財〉日本レクリエーシヨン悔会はもとより、その 前身母体とも言える日本厚生協会の時代からレクリヱーシ ヨン運動に深いかかわりを持っている.その他にも、社会 事業での活動、職場演劇の指導、国際基督教大学における レクリエーシヨン・ワークショップなど、多方面において 長年にわたり現場の一線でレクリエーシヨン運動を実践し てきた。また、レクリエーシヨンについても数多くの著作 を通じてその考えを示している。

このように三隅の実践面と理論面には、見るべきものが 非常に多いように思われる.

一般に、わが国のレクリエーション関係においては、レ クリエーション史に関する研究は多数見られるが、個人に 焦点をあてた研究は、皆無に等しいようだ.

同時に、三隅を知ることは、現在レクリエーシヨン運動 にかかわっている者や、これからレクリヱーシヨンを学ぶ 者、あるいはレクリエーシヨン運動を志す者にとって大い に参考になるものと思われる。

そこで、三隅のレクリエーションに対する考え方すなわ ちレクリエーション観を追求するに至った。

研究を進めるにあたっては、個人が人格や考え方を形成 する過程において、その育った家庭、時代、社会的環境か ら受ける影響を無視することはできないと考え、三隅の出 生から現在に至るまでの経緯を追求した。

また、三隅の著書や各種文献に掲載されている論文など の吟味、検討を試みた。

以上のような観点から、三隅本人のインタビューと著作 を通じて三隅のレクリエーション観をとらえようと考えた

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人生の歩み 1.出生から学生時代

三隅は、明治3

2

年(1

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月1

0

日、山口県山口市で父 峨母礼士の長男として誕生した.生後まもなく受洗。

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〈株〉余顧問題研究所 谷戸一雅

山口市の師範附属小学校で

4

年まで学び、その後神戸の 諏訪山小学校へ転校.小学校の頃ほ病弱だったと三聞は言 っている.

大正

2

年、神戸市の第一神戸中学校〈現兵庫県立神戸高 校〉へ入学.同校では水泳部に所属し、また

1

年から

5

年 まで遠足委員も務めていた.

大正 3 年、三隅はその後の人生に大きな影響径与え~こ ととなった、キャンプを初めて経験する.これについては

、三隅著『キャンプ区生きる』

ω

に詳しい.

他に

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当時の主任教員の膨響で、仏像や寺社を訪ねるの が好きだった」 ω とも語ってい~.更に加えて、クラフ

トに興味を持っていたこと、ゲームに関心があったことな どキャンプをはじめいろいろな活動を楽しんでいた.

三隠は、当時を振り返り「とにかく楽しい中学時代で、

好きなようにさせてもらい、自分の好きなことをやってこ れたJ ω と言っている.

大正8年早稲田大学へ進学、経済学を専攻する.早稲聞 大学に入学した後も相変らずキャンプに熱中していた.

その時にあって注目すべさことがある.大正1

0

年小林弥 太郎氏(以下小綜と略〉との出会である.

三隅が、初めてキャンアを経織した時と同様にこのめぐ りあいは、後の三闘の人生にそして考え方に非鍛に大きな カを与えることとな~.

ここで三隅が飾と仰ぐ小林についてふれておく.

小体は、青年時代アメリカへ留学し、コロンビア大学に おいてはジョン・デユーイに学び、帰国後、教会活動をは じめ社会事業も手がけていた.また、キャンプにも熱窓を 傾け山中湖、竹岡、野尻のキャンプなど数々の教育キャン プを開拓した.

三隅は小体の関係していた教会でのアルバイトを機に、

これも小林の手がけていた社会事業のひとつ、日暮里愛隣 団で子供の夏期学校を手伝うようにな."5.以後、小林との 結びつきはまずまず深まっていく.三隅は、有形無形多く のものを小林から学んだ.これらのことは、前出『キャン プに生きる』凶や、その他多くの著作からも読みとれる

。三隅自身も「小林さんとの出会は大きいことだったJ<S 

〉と述犠している.

2 .

愛獄図時代

大正

1 4

年、早稲田大学卒業後、学生時代から奉仕してい た賓隣団に就聴.児童部を担当した.

翌、

1 5

1

月2

5

日、三隠は中村その(明治3

7

年4月5日 生)と結婚。

この愛隣国時代に、三隅はまたひとつの大きな経験をす

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