第4章 乳幼児期のけんかやいざこざを取り巻く環境
Ⅱ 子どもの遊びの変化とけんかやいざこざ
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保育所建設の反対運動は、子どもの声だけではなく、送迎時の立ち話や車・自転車の行 き交いなどへの苦情も含まれているので、子どもの声にのみ反応しているとはいえないが、
子どもの成長を見守り、育んでいこうとする大人が減少していることを指す結果であろう。
子どもが子どもらしく遊ぶことが保障されているはずの公園や幼稚園・保育所で、騒音 規制を掛けられた場合、どこで子ども達は遊んだらよいのであろうか。子どもの声は確か に騒しいが、騒音と捉えるか否かは子どもの捉え方そのものに関係しているといえる。子 どもの声をデシベル(㏈)1換算し、音として比較するのは合理的かもしれない。しかし、そ れは子どもに限らず人間をモノ化して捉えるからこそできる分析ではないであろうか。公 園だけでなく幼稚園や保育園内でも静かに活動をしなくてはいけないことを子どもに強い るような社会では、日本の行く末は危ぶまれる。
「子宝」という言葉があるように、子どもは特別な存在として認められてきた経緯があ るが、この言葉は死語になってしまったのであろうか。共生社会の実現には価値観の多様 性を認めていくことが重要である。しかしその中で、子どもの存在を疎ましく感じる大人 の価値観をも受け入れていくことが、本当の意味での共生社会と言えるのであろうか。
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る。では、子どもの遊び時間、遊び場、遊び方、遊び相手などの変化がけんかやいざこざ の在り方にどのような影響を与えるのであろうか。
滝坂(1991)は、遊び場や遊び時間は、予め大人によって構想され枠組みが決められた、
囲い込まれ管理された空間であり時間であり、「遊ぶ場」が「遊び場」になり、「遊ぶ時間」
が「遊び時間」になることは、遊ぶことをめぐる重大な危機であるとし、子どもが自由に 遊ぶ場や時間の確保ができない状況を憂いている。
では、子どもの遊び相手はどのように変化してきているのであろうか。藤本(1974)は、
子ども達の仲間集団について、様々な年齢からなるタテ型集団が減り、同級生中心のヨコ 型集団になるということは、年長児と年少児の間に通っていた文化伝達のパイプが切れる ということであり、子ども文化の衰退、喪失をまねくことになると述べている。そして、
子どもたちが自らの文化を失うということは、彼らの間に大人の管理が浸透し、マスコミ や流行に左右されるということを意味し、結局のところ、子どもの世界の喪失につながる ことになると考察している。このように、現代社会における問題点が、子どもの発達によ くない影響を与えていると警鐘を鳴らしているが、これは今から40年も前の指摘である。
現代は子どもを取り巻く社会環境の変化は目まぐるしく、ヨコの仲間集団さえも希薄にな ってきつつあるのではないであろうか。
ベネッセ次世代育成研究所(2010)は、0歳6か月から就学前の乳幼児をもつ保護者を 対象とし、1995年(1692人)、2000年(1601 人)、2005 年(2980人)、2010年(3522 人)の4回に渡り、乳幼児の生活の様子や保護者の子育てに関する意識と実態について調 査した。平日、幼稚園・保育園以外で遊ぶ時に誰と一緒のことが多いかを尋ねた結果から、
鈴木(2010)が分析したところ、15年間を通して「友だち」と回答した比率は減少し続け ている。一方で、「母親」と回答した比率は増加し続けているとのことであった。「きょう だい」と回答した比率をみると、05年から10年の5年間では変わらないものの、15年前 の 95 年調査と比べると 8.7 ポイント減少している。これには、一人っ子が増加したこと が影響しているとしている。
また、無藤(2010)は、上記の結果について、15年間の中で女性の4年制大学卒業の比 率の増加など、乳幼児をもつ母親の在り方が変わってきていることなどから、全体として きちんとしつけようとする傾向も強くなってきており、幼児の生活が「健全化」してきた
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と分析している。ただし、遊びなどは母親が中心となってきており、大人側の望ましさの 判断が働き、いろいろな遊びを意識的に導入するようになってきていることや、少子化の 影響もあり、きょうだい間の遊びが少なくなっており、その分、園での子ども同士の遊び への期待は大きくならざるをえないと述べている。
藤本(1974)は、比較的教育水準の高い若い母親たちは、教育能力をもっていると同時
に、余暇も豊富にもっているので、子どもに対して強い指導力を発揮し、母親と子どもの 一体性や母子癒着がすすんでくると、子どもの成長・発達、つまり自立への歩みを大きく 阻害するばかりでなく、母親自身の人格についてもマイナスの作用をもたらすことになる と、母親の支配性に関する問題点を指摘している。
子ども同士が遊ぶ機会を確保が求められているにも拘わらず、「友だち」や「きょうだい」
と遊ぶ機会が減り、代わりに「母親」が遊び相手になっているという現状は、子どもの発 達において様々な問題を含んでいるといえるであろう。子どもの仲間関係が希薄になり、
けんかやいざこざの経験も減ることに留まらず。このような状況が子どもの対人関係の発 達によい影響を及ぼすとは考えにくい。
2.子どものけんかの変化
加藤(2009)は江戸時代から大正時代の日記や雑誌投稿欄などから、昔と今の子どもの けんかの違いについて検討した。明治時代・大正時代の子どものけんかの様子も江戸時代 と同様に、けんかの契機も内容も、そしてけんかの中で生じるお互いの感情も、現代の子 どもたちとなんら変わりなく、子どものけんかの「本質」は変わっていないと分析してい る。しかし、子どもたちを取り巻く文化環境や社会環境の変化に応じて、けんかの仕方や 舞台など、目に見える「現象」は変貌していることは明らかであり、「現象」以外に子ども のけんかに関して大きく変わったことがあるとすれば、子どものけんかへの大人の関与の 在り方であるとしている。
このように現代は、昔と比べて子どもの遊び時間、遊び場、遊び方、遊び相手すべてに おいて変化している。遊び時間が短くなり、遊び場は狭まり、ゲームが介入するなど遊び 方が変わり、遊び相手も集団のタテの関係から、ヨコの小集団さえも狭まり、遊び方も変
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わっている。けんかやいざこざは子どもらしさを象徴する対人行動の一つといえる。当た り前のようにあった、子どもらしさが発揮される場面は、今では限られた空間でしか見出 すことができないかもしれない。これらの体験の重要性は、昔以上に高まってきていると 考える。子どもらしさを発揮できる場面を大人ができるだけ介入せずに見守るような環境 を整えることが重要ではないであろうか。