第四章 「妙好品」について
1 妙好品とは
道が単なる思想でなく,現に活きた人間として事実となって現れてゐるのを見 ました。さうして是等の教へや信者の事を通して民芸品を見ますと,詮ずるに 民芸品が「妙好品」だといふ事に気附きました。さうして他力宗の宗教真理を 品物に当嵌めますと,民芸品の美しさの謎がすらすらと解けました。尤も相互 的で,民芸品を見る事で他力宗の不思議な言葉が逆に素直に分りました。
例へば「善人尚もちて往生を遂ぐ,況んや悪人に於てをや」といふ大胆な非 常識な言葉が形ある姿で目前に示されるに至りました。
「天才がよい品を生むことが出来るなら,まして凡人は尚更よい品を作るこ とが出来よう」といふ事は,只単なるパラドックスではなくなりました。7)」 もう一つは昭和
35
年に配布された小冊子『美の浄土』8)の最後に近い部分 である。「仏教では……信心深い平信徒を,「妙好人」と呼んでをります。もとより学 識等の上からは,学僧と妙好人とには雲泥の差が見られはしますが,信心の上 からは,そんなけじめは見られないのであります。それどころか,篤信な平信 徒の言葉や行実にはしばしば聖僧にも近いものが見出せるのでありまして,恐 らく仏の座に順位があると致しますなら,却って此の世での無位の平信徒に,
高い位が与へられてゐる場合がしばしばあるのを感じます。之は無位であるそ のことに,何か深い摂理が潜んでゐる事を意味しないでせうか。
民器の美は,丁度この妙好人の「位なき位」と近い所があると存じます。そ れ故,民器を「妙好品」と呼んでもよいかと存じます。さうして是等の妙好品 が美の国に占める位が決して低いものでないことは,現実の品々がよく保障し てゐるところだと存じます。9)」
2 『妙好人伝』
「妙好」の語は,観無量寿経の最後の部分に出る「若念佛者,當知,此人是 人中分陀利華(もし仏を念ずる者あらば,まさに知るべし,この人は,これ人 中の分陀利華なり)。10)」に由来する。「分陀利華」とはサンスクリットのプン ダリーカ(
pundrika
)の音訳であり,百蓮華のことである11)。善導12)は『観 無量寿経疏・散善義』(註釈書)のなかで,「もしよく相続して念仏する人,この人はなはだ希有なりとす。……かかるがゆえに芬陀利をひきてたとえとす。
芬陀利というは,人中の好華となづく,また希有華となづく,また人中の上上 華となづく,また人中の妙好華となづく。……もし念仏の人は,すなわちこれ 人中の好人なり,人中の妙好人なり,人中の上上人なり,人中の希有人なり,
人中の最勝人なり13)」と述べている。「妙好人」の語はこれに由来するという。
すなわち「白い蓮華のやうな浄らかな信心を,篤く身につけた信徒たちを讃へ て呼ぶ言葉14)」である。この言葉はもっぱら浄土真宗の篤信者について使われ ている。
楠恭(
1915-2000
)は,妙好人の特徴について,次のように述べている。「彼等は社会の下層階級に属している人だということ。つまり,一般庶民の 中から出てくるということ。それから教育を受ける機会に恵まれなかったこと。
従って文字に暗く,ほとんどが,文字を十分に読みも書きもしなかったこと。
これらは消極的一面であるが,他方,積極面としては,教育と文字に疎遠であ ったがため,人生を抽象的概念的に考える癖がないこと。人生の事実に即して 具体的に人生を考えていったこと。その意味で,本当の人生の思索者であった こと。また,その求道心がいかにも激しく,執拗で,粘り強く,長年月にわた って聴聞思索を重ねていき,念仏の真義に到達していることなどが挙げられよ う。15)」
天保
13
年(1842)に仰誓16)の編になる『妙好人伝』が僧純17)の手により 刊行されて以来,この呼称は広く一般化した。僧純は『妙好人伝』に続編から 五編までを加え,安政5
年(1858
)までには150
余名についての言行録が編集 された。その後も引続き各種の伝記が書かれている。ここでは,『妙好人伝』18)の中から,柳も一文を草している19)「三州そ の」20)の条を引いておこう。
「三河の國奥郡多原にそのと云る仰信の人あり此女若き時より御法座とあれ ば何方へも不欠に參詣せしが其無我に法を貴み喜びけるを皆人随喜して所々へ 招きて御話を承り度と云ば私は何にも存じませぬが此堕行ものを必ず助けるぞ よの仰一を信じ奉りては善につけても惡につけても御報謝の稱名を喜ぶ許りな りと申されけるを皆人聞て喜ばれしとなり或時矢矧の橋の上にて云るようは攝 取の橋に不捨の欄干如何成そのでも落ようが無と云て喜しとなん。又或時誤て
風呂の落し瓶へ落し事あり早速人來りてヤレ氣毒やと引揚ればその云よう私が 今まで地獄へ落ることを知らずして浮々と暮して居ますゆへ御慈悲から御知ら せに預りましたと云いて落涙して喜びければ皆人感入しとぞ此人七十餘歳にて 嘉永年中に目出度往生を遂られしと也御在所の遠近の請人御法義に立入佛法御 繁昌となりしは此老婆の信徳の然らしむる處なりとぞ。21)」