第五章 「即如」の理念
7 仏教への回帰
柳の著作活動は『白樺』の創刊から数えると
50
年の長きに及ぶ。大正3
年に は『ヰリアム・ブレーク』108)が公刊された。この著作の中にも既に「仏教美 学」に通じるものはかなり含まれている。本章で取り上げた諸論稿はこの数年 後に発表されたものであり,前にふれたように西欧の神秘主義思想家に対する 言及が多い。一方主に昭和23
年以降に形成された「仏教美学」は,名の通り,もっぱら仏教の思想を軸としている。
内容的には一貫したものを持ちながら,重点がこのように西洋から東洋へと 移った背景には,柳の思索の軌跡を見ることができる。このことを柳は「仏教 に帰る」109)と題する文章の中で自ら次のように語っている。
「(『白樺』時代初期)キリスト教は私に大きな魅力であつた。儒教はもとよ り,仏教の如きは,全く時代にそぐはぬ宗教に過ぎないと考へられ,将来日本 を救ふものはキリスト教だと考へられた。110)」
「キリスト教は仏教や儒教などよりは,吾々にとつて「新しい」ものである ことだけでも,魅力があつた。恐らくこの「新しさ」こそは,その当時,多く
の若い者をキリスト教に誘つた原因であつたと云へる。私もその一例に過ぎぬ。
私は大学に於て,席を哲学料に置いたが,その頃は哲学とは西洋哲学を意味 するもので,東洋哲学などといふものは,ごくぼんやりした存在に過ぎないも のであり,将来に活々した役割を果し得ないものの様に思ひこんでゐた。だか らプラトン全集は買つても,一冊の「起信論」にさへ,手も触れぬといふ始末 であつた。111)」
柳はキリスト教の真理を追求するなかで,とくにエックハルトに心を引かれ た。そしてエックハルトの思想のうちに,東洋思想への道を見出した。
「エックハルトは私をして東洋に振り向かせる機縁になつた。遠くまで捜し に出歩いた真理が,近くに在るのに初めて気づかれた。112)」
以下柳は次のように説く。すなわち,キリスト教は西洋で発達したものであ り,西洋の方が先進国である。キリスト教的体験は,西洋の方で熟し深まった ものであって,日本人がキリスト教徒となる限りは,西洋人の思想,経験など の後を追うことになる。日本のクリスチャンが西洋のクリスチャンを導くこと は容易ではない。そこで日本的なキリスト教となることにより,はじめて存在 理由が現れる。単に西洋の真似では価値が低い。それは思想的に日本を従属的 なものにするにすぎない。むしろ東洋人であること,日本人であることに意味 を見出して,日本人として,世界に貢献するものがなければならない。西洋の 模倣は二義的な存在しかわれわれに与えない。これは世界に頁献する内容の稀 薄なことを意味する。キリスト教を信じるとしても,それを日本人として咀嚼 し,日本人として発揮せしめない限り,その影は薄い。113)
「私達は西洋から学ぶべきものは,どこまでも学んでよいが,いつまでも学 んでゐるのでは意味が淡い。学ぶのは,独自の世界を開拓するまでの準備であ つてよい。学ぶそのことが目的なのではなく,学んだものを自己のものとし,
次には,それを他人への贈物とせねばならぬ。この場合,西洋的なものを贈つ ても意味は淡い。なぜなら西洋的なものは西洋人が贈るのがもつと自然であり,
当然だからである。114)」
そこで宗教の面で東洋から西洋に寄与しうるものとして,柳は大乗仏教をあ げる。
「東洋人の心を傾けた真理とは何か。分別されたものよりも,分別されない
ものに,注意を余計向けたのである。分別された世界の悲劇は,永却の闘争と いふことである。この世界に沈論したら,遂に心の平和はなく,自由はない。
それ故,かかる二元のない世界,起らぬ世界,分れぬ世界,つまり不二の世界 に,最も大なる注意を向けたのである。115)」
「西洋は分別が主役を勤め,東洋は不二ヘの直観が,一切の出発となつてゐ るのである。この不二観こそは,将来東洋から西洋に贈物として届けるべき大 切な思索である。之はキリスト教にも,西洋哲学にも,充分な発達の跡がない。
大乗仏教の独檀場とも云へる。科学では遅れたが,この思想ではずつと先に出 てゐると云つてよい。116)」
すなわち東洋人が思想の面で世界に貢献できるとすれば,それは東洋の伝統 の中で熟したものの中に見出されるはずである。西洋的なもので,西洋に貢献 しようとするのは望みが薄い。東洋人は東洋人としての立場で仕事をすべきで ある。117)
そして柳は,世界の平和は東西両洋の相互敬意に見出されるべきであるとす る。
「東西に別れて相争ふのも,東西を無くすのも共に自然ではない。一方が一 方を征服したり又従属したりしても,問題の解決はない。やはり東は東のまま で,西は西のままで,互が尊敬し合ふといふ事でなければならない。この尊敬 こそ二であつて二でないものを生み出すのである。それには東は東としての意 義を,西は西としての意義を把握すべきである。その時こそ東は東であつて東 でないものを,西は西のままに西に終らないものを現すのである。118)」 短い表現ながら,この部分には柳の平和論が展開されている。「不二(美)」
の思想を基盤とするこの提言は,柳の民芸美をめぐる多年の思索の一つの帰結 といえよう。
注
1) 1889(明治22)‑1961(昭和36)。
2) 明治43年(1910)4月創刊,大正12年(1923)8月終刊。
3) 筑摩書房版全集(以下「全集」と略記する)第2巻「宗敎とその眞理・宗敎 的奇蹟」(以下「第2巻」と略記する)所収。
4) 「選集「宗教論稿」総序」,全集第20巻「編輯録」(以下「第20巻」と略記
する)所収,同書,p.649。なお,全集では旧かなづかいに復されている。
5) 同,同書p.648。
6) 柳の著作は旧字体(正字体),旧かなづかいによっているが,本章では漢字 のみ当用漢字に改めた(著作標題,固有名詞を除く)。
7) 全集第2巻所収。
8) 『白樺』第9巻第1号(大正7年1月)所載。
9) 全集第2巻,p.319。
10) 叢文閣刊。
11) 『白樺』第8巻第4号(大正6年4月)所載。
12) 全集第2巻,p.11。
13) 春秋社刊。
14) 全集第20巻所収。
15) 同書,p.648。
16) 全集第3巻「宗敎の理解・神に就て」所収。
17) 同書,p.601。
18) 日本民藝協会刊。
19) 春秋社刊。
20) 拙著『民芸の哲学』徳山大学総合経済研究所(叢書4),昭和61年,第一部 第五章参照。
21) 私版本,昭和24年刊,全集第18巻「美の法門」(以下「第18巻」と略記す る)所収。
22) 私版本,昭和32年刊,全集第18巻所収。
23) 私版本,昭和36年刊,全集第18巻所収。
24) 私版本,昭和35年刊,全集第18巻所収。
25) 全集第2巻,p.142。
26) 同書,pp.144-145。
27) 同書,p.145。
28) 同書,p.147。
29) 同。
30) 同書,p.149。
31) 同。
32) 同書,p.152。
33) 同。
34) 同書,P.154。
35) 同書,p.155。
36) 同。
37) 同書,pp.156-157。
38) 同書,p.157。
39) 同書,p.158。
40) 同書,p.161。
41) 同。
42) 同書,p.162。
43) 同書,p.163。
44) 同書,p.164。
45) 同書,p.165。
46) 同書,p.167 47) 同書,p.168。
48) 同。
49) 同書,p.174。
50) 同。
51) 同。
52) 同書,p.176。
53) 同書,pp.177-178。
54) 同書,p.47。
55) Augustinus(354-430)。
56) Meister Eckhart(c.1260-1327)。
57) Dionysius Areopagite 使徒パウロの弟子とされる人物。彼の名のもとに伝わる
一群の著作(ディオニシウス偽書)は 4〜5 世紀頃の無名の著者の手になるも のである。
58) Johannes Scotus Eriugena(c.800/15-c.877)。
59) Johannes Tauler(c.1300-1361)。
60) Heinrich Seuse(c.1295-1366)。
61) Jan van Ruysbroek(c.1293-1381)。
62) Jakob Böhme(1575-1624)。
63) Francesco d' Assisi(1181/82-1226)。
64) 全集第2巻,p.56。
65) 同書,p.60。
66) 同書,p.61。
67) 同書,p.67。
68) 同書,p.75。
69) 同書,p.84。
70) 同書,p.85。
71) 同書,p.96。
72) 同。
73) 同書,p.320。
74) 同書,p.322。
75) 同。
76) 同書,p.324。
77) 同。
78) 同書,pp.324-325。
79) 同書,pp.326-327。
80) 古代インド,バラモン教の聖典。B.C.2000-B.C.800頃に成立。
81) Yājñavalkya B.C.8世紀頃のインドの哲人。
82) 馬場(アシュヴァゴーシャ,Aśvaghosa,2世紀頃のインドの仏教詩人)の著 とされる大乗仏教の論書。
83) Nāgārjuna(c.150-c.250)インドの思想家。
84) Chi-tsang(549-623)隋代の仏教者,嘉祥大師。
85) Nūr al-Dīn Abd al-Rahmān Jāmī(1414-1492)イランの詩人・神秘主義者。
86) Kabīr(1440-1518)インドの宗教改革家。
87) 全集第2巻,p.328。
88) 同書,p.330。
89) 同書,p.339。
90) 同書,p.340。
91) 同。
92) 同書,p.346。
93) 同書,p.347。
94) 同。
95) 同書,pp.348-349。
96) 同書,p.350。
97) 同書,pp.353-354。
98) 同書,pp.355-356。
99) 同書,pp.362-363。
100) 同書,pp.364-365。
101) 同書,p.374。
102) 同書,pp.378-379。
103) 昭和26-27年頃,全集第18巻所収。
104) 全集第18巻,p.450。
105) 同書,p.452。
106) 同書,pp.452-453。
107) 同書,pp.454-456。
108) 洛陽堂刊,全集第4巻「ヰリアム・ブレーク」所収。なお本書第一章参照。
109) 『現代仏教講座第四巻』角川書店,昭和30年,所載,全集第19巻「南無阿
彌陀佛」(以下「第19巻」と略記する)所収。
110) 全集第19巻,p.486。
111) 同。
112) 同書,p.488。
113) 同書,p.493。
114) 同書,p.494。
115) 同書,p.496。
116) 同書,p.497。
117) 同書,p.501。
118) 同書,p.502。