本論文の第 5 章で述べたように、本研究で扱うエンパワーメントは、メインストリームの 価値観に囚われていることで自分がありのままの自分を受け入れることができなくなって いたことに気づき、見失っていた自分自身の潜在力を発見することであり、また、人間が内 なる関係性・外なる関係性を含み、人間全体的にそれらの関係を意識し、それぞれの関係に より受容的協同的創造的に関わっていく中、漲ってくる真の力(パワー)への働きかけであ る。本章では、この学習者のエンパワーメントを引き出すための教育において、教師の担う べき役割について論じたい。
第 1 節 学部留学生の成人学習の特徴について
本論文の第 2 章で行った学部留学生のフェイスシートの調査結果から、被調査者の学部 留学生の年齢は 20 代前半に集中し、成人学習者である。
成人の学習のプロセスは子供の学習過程とは異なる。大人に対して小中学生に教えるよ うに教えるのは効果的な学習に繋がらないだけではなく、失礼な教授態度となり学習者の 反感を買うことにも繋がりかねない。成人に対する情報提供の際に、相手の学習背景や学習 のプロセスを考慮する成人学習の理論を認識する必要がある。
津田(2011)によれば、1970 年代にアメリカ人成人教育理論家のマルコム・ノールズが、
「成人学習論」を提起した。ノールズは、子供の学習と比較して、成人学習の特徴を次の四 点にまとめている(Knowles、1980)。
①成人は、自立した学習者である。
成人は、概して自分は自らを頼ることのできる自立した存在であると自分自身でも 認めたいし、他人からもそのように認められたいという深い心理的欲求を有してい る。成人の学習者に対して教育を行うものは、このような成人のもつ独立性と自身の 学びをコントロールできる能力を心から尊敬、尊重しなければならない。成人は、自 身が学習すべき事柄について責任を有しており、学習過程において自身が積極的な 役割を果たす。成人の学びは学習者と学ぶ対象となる物事の間に生じるのであって、
教育者は単にその両者の間のやり取りをコーディネートするだけのためにそこに存 在するのである。
②成人の過去の経験は、学習のための資源である。
子供と異なり、成人は、学習のための資源となり得る過去の経験の蓄えを有してい る。学びを強化するために、成人の持つ過去の沢山の経験を可能な限り引き出して活 用すべきである。さらに、成人の自己イメージはしばしば、少なくとも部分的には、
過去の経験によって確立されており、人々は自身の価値観構築のためにこれまでに
多大なる時間と精力を費やしてきている。学習の際に、こうした人々の過去の経験を 無視することは、その成人学習者をかなりの割合で本質的に拒絶していることにな ると解釈可能である。
③成人の学習の準備性は、人生における発達段階に応じて生じてくる。
成人の学習者が学ぶための準備性(心理的な受け入れ状態)は、人生上の課題や問題 から生じてくる。人々が大人としての年月を過ごしていく中で、仕事や社会や家族に おける役割、個人のもつ責任の範囲などが大きく変化する時期がある。人生において 生じてくるこうした変化は、人々が「もっとよく理解しよう」「状況に適応しよう」
と励むような学習の機会を生み出す。こうしたタイミングは「teachable moment」と 呼ばれてきた。その時人々は学ぶ意欲により満ちており、こうした状況において提示 された情報はより容易に理解される。
④成人の学びは、課題や問題に基づいて導かれる。
成人は、疑問に対する答えを見出そうとしたり、問題を処理しようとしたりするため の助けとして、その事柄に関する知識や技術を学習するための様々な資源を探し求 めようとする。人々は、答えを見つけたり問題を解決したりするための学びに対して 意欲的である。成人の学習者が感じている必要性にこたえる形で教育がなされたと き、学習経験はもっとも効果的なものとなる。
(Knowles, MS. The modern practice of adult education: from pedagogy to andragogy. 2ndEd. New York, NY: Cambridge, The Adult Education Company, 1980:
Chapter4. より)
ノールズはこうした特徴をもつ学習を「自己決定学習 self-directed learning」と呼ん でいる。ノールズの成人学習論は、大学生、大学院生や社会人の教育において用いられてい る。しかし、主に二つの点から批判されている。まず、子供の学習を考える時も理念として 有効なのではないかと考えられるため、子供の学習と成人の学習を分ける根拠はないこと である。また、成人の学習は成人の経験によって確立される点に注目するが、成人のもつ頑 固さをどうやって打ち破ることができるかという視点がないということである。第 1 の批 判については、子供と成人との相対的な差異をどう考えるか、ということが問われている。
これについて、本論で検討する大学の学部留学生という研究対象者は、全員母国で義務教育 を終えた成人学習者だと認識できる。第 2 の批判については、成人には経験や社会的役割な どに裏打ちされた頑固さがあり、ノールズがそれを成人学習に必要な資源だと捉えている が、学習者が社会的常識の中で学習を組み立てていってしまうのではないかということが
問われている。これについて、本研究の対象である学部留学生の成人学習にも置き換えて考 えられる問題である。こうした成人学習理論の見地に立った場合、大学における学部留学生 の日本語教育において、彼らの「自律学習」を促すために、日本語教師はどのような役割を 担うのかについて検討したい。
第 2 節 成人教育からみる日本語教師の役割
学部留学生のエンパワーメントを引き出す日本語教育というのは、学部留学生の学習の
「自律性」を高める日本語教育である。梅田(2005)は、成人学習理論の観点から、日本語 教育における「自律学習」への支援を考え、その教育の特徴を以下のようにまとめている。
第一に、「自己決定型学習」を目標としている。
成人なら誰でも自己決定的である。つまり自律性が高いというわけではなく、特に、過 去に「他者決定型学習」を多く経験している場合、それは、学習スタイルや価値観に反 映されているはずである。成人教育にあっても自律性を前提に始めるのではなく、それ を目標とすることである。
第二に、学習者のニーズに沿ったコースデザインに終始するのではなく、学習者自身に ニーズの前提を問い直す「意識変容の学習」を重視している。成人教育が参加者のエン パワーメントとして機能することを目指している。
第三に、教育者の多様な役割である。学習者の背景や特性、学習が起る社会的文化的文 脈など、学習の個別性に応じて、「教授者」「ファシリテーター」「共同学習者」などそ の役割を選ぶことである。
(梅田、2005:p69)
梅田(2005)では、教師は実践の中で多様な役割を担っていることに違いないとしても、
自律性を重視した日本語教育における教師の役割は、まだ明らかになったとは言いがたい と指摘している。
その成人教育に関して、北アメリカの成人教育研究者のパトリシア・クラントン(2003)
は、「他者決定型学習」「自己決定型学習」「相互決定型学習」という三つの学習の取り組み 方があると指摘している。その中で、クラントンはそれぞれのタイプの学習の取り組み方 について、教師の役割を整理している。
まず、「他者決定型学習」において、教師は「専門家」として講義をして、「計画者」と してコースデザインを行ったり、教材を開発したりする「教授者」として直接教示・指導 する役割を担う。また、「自己決定型学習」において、教師は「ファシリテーター」として 学習者を励まし、支え、「情報提供者」としてリソースの所在などの情報を提供したり、
「学習管理者」として学習の記録を管理したりする。さらに、「相互決定型学習」に近づく と、教師は「メンター(mentor)」という個人的に助言する「共同学習者」として学習者集 団の一員となって活動し、学習者のエンパワーメントを引き出す役割を担う。
そして、教師の役割は、学習者の「自己決定型学習」が進むことによって、その影響力 が弱くなり、「相互決定型学習」に近づくと、またその影響力が段々と現れてくる。しか し、クラントン(2003)は、以上の三つの学習タイプに現れるそれぞれの典型的な教師の 役割が学習者の学習活動の場面・内容によって、学習のカテゴリーに限定されず、1 人の 教師が様々な役割をこなしていると指摘している。つまり、教室活動の中でよくあるディ スカッションの場面であれば、学習者の意見を引き出すために教師は「ファシリテーター」
の役割を担い、ディスカッション後「専門家」として問題の解説やコメントを述べる役割 を担う。このように教師には、どのタイプの学習だからではなく、それぞれの役割を交互 に担える能力が必要ということである。
第 3 節 学部留学生のエンパワーメントを引き出す日本語教師の役割
成人教育の特徴を持つ大学の日本語教育には、学部留学生の「自律学習」を促進するこ とで、彼らの日本語運用能力や日本語によるコミュニケーション能力、および専門分野に おける学習スキルの育成だけではなく、彼らのエンパワーメントを引き出すことも教育の 目標として考えられる。
そこで、この教育目標を実現するために、必要不可欠な日本語教師の役割を具体的に考 察したい。
9‐3‐1 具体的な日本語教師の役割
クラントンの「他者決定型学習」「自己決定学習」「相互決定型学習」のそれぞれに対応 する教師の役割を大学の日本語教育に照らし合わせ、本研究に示唆を与える教師の役割 をまとめ、さらに「過剰な学習支援をしない」を提言した。表 9‐1 は、クラントン(2003)
および梅田(2005:p71)を参考に、本研究が提言する「ワークショップ型」学習による 授業活動の中で日本語教師が担う役割の詳細である。