第 3 章 MMK 諸注釈書における反論者の想定
3.4 第 17 章
3.4.2 各注釈書および先行研究による第 17 章の構成
第 17 章の概要と構成について、注釈書および先行研究の間でどのように見解が異なっ ているかを順に見てみよう。MMK第17章は 33の偈頌で構成されており、これは第 24 章の40偈、第7章の34偈26に続いて3番目に長い章となっている。
そして、それらの偈頌を反論者とするか、Nāgārjunaとするかの判断や、反論者がどの 部派であるかという想定については前述の通り各注釈書や先行研究における解釈が必ずし も一致していない。その相違を分類すると次の5種に大別される。
①ABh、BP、PPの解釈
②PSPの解釈
③PPṬの解釈
④Lamotte[1936]によるPSP仏語訳の解釈
⑤『青目註』の解釈
以下にそれぞれの想定する第17章の構成を挙げる。
①ABh、BP、PPの解釈
76 第1~5偈 反論者の主張
第6偈 Nāgārjunaの主張 第7~11偈 反論者の主張
第12~20偈 他の者たち(gzhan dag)の主張 第21~33偈 Nāgārjunaの主張
まず、ABh、BP、PPであるが、この三者については偈頌の位置付けに対する解釈だけ でなく、テキストがチベット語訳しか現存していないという点でも共通している27。これ らのテキストでは第1~5偈の反論者と、第7~11偈の反論者は特に区別されていない。
しかし、第12偈の冒頭に「他の者たちが言う(gzhan dag gis smras pa)」28とあること から、前主張の中で 2 つの部派による対論が行われていると解釈していることが分かる。
そして、第21偈以降が本格的にNāgārjunaによる主張が述べられる後主張であるとして いる。
また、波羅頗蜜多羅(Prabhākaramitra)によるPPの漢訳『般若灯論釈』(630-632訳 出)ではこれを「正量部」の主張であるとする29。ここに見られる主張を正量部のものと する注釈書はこの『般若灯論釈』の一例のみである。
②PSPの解釈
第1~5偈 反論者の主張 第6偈 Nāgārjunaの主張
第7~11偈 他の部派の者たち(nikāyāntarīya)の主張 第12~20偈 別の者たち(apara)の主張
第21~33偈 Nāgārjunaの主張
続いてPSPの解釈であるが、先に見た3注釈書の解釈と比べると第7偈~第11偈を他 の部派の者たち(nikāyāntarīya)としている点が異なる。このことから第1~5偈の反論 者を批判したNāgārjunaに対して、それとは異なる部派が第 7~11偈で反論を述べると いう文脈で理解していると考えられる。そして、その部派に対してさらに別の者たち
(apara)が第 12~20 偈で反駁を行うという構成である。つまり、PSP はこの章で現れ る反論者として3つの部派を想定しているということになる。
またPSPの第17章では『般若灯論釈』のような「正量部」という記述は見られないが、
他の章ではそれについて言及しているため、著者のCandrakīrtiはその部派名と教理を認 識していたと分かる30。
③PPṬの解釈
第1~5偈 声聞毘婆沙師たち(nyan thos bye brag tu smra ba dag)の主張 第6偈 Nāgārjunaの主張
第7~11偈 他の部派の者たち(sde pa gzhan dag)の主張
77
第12~20偈 声聞毘婆沙師たちの主張
第21~33偈 Nāgārjunaの主張
次にPPṬでは第1~5偈と第12~20偈の論者が声聞毘婆沙師とされている点に大きな
特徴がある。この解釈について先行研究では「アヴァローキタヴラタは Vaibhāṣika の語 をかなり広義に用いるのが常である」31あるいは「彼(筆者注:Avalokitavrata)のいう 毘婆沙師とは正量部を含むものであろう」32といった見解が示されている。
以上の注釈書の見解を比較すると、まずABh、BP、PPの三者が「第1~5偈と第7~11 偈の部派」と「第12~20偈の部派」という2部派で反論者を想定しているのに対し、PSP では「第1~5偈の部派」「第7~11偈の部派」「第12~20偈の部派」の3部派を想定してお り、PPṬでは「第 1~5偈と第12~20偈の部派」と「第7~11偈の部派」という2部派で 解釈されている。
このことからABh、BP、PPと続いてきたMMK解釈の伝承が、ともに7世紀ごろ成立 したと考えられているPSPとPPṬの時点で分かれたものと推察される33。
④Lamotte[1936]によるPSP仏語訳の解釈
第1~5偈 原始仏教の教説(Théorie du Bouddhisme ancien)
第6偈 Nāgārjunaの教説(Théorie des Mādhyamika)
第7~11偈 経量部の教説(Théorie des Sautrāntika)
第12~20偈 正量部の教説(Théorie des Sāṃmitīya)
第21~33偈 Nāgārjunaの教説(Théorie des Mādhyamika)
続いてÉtienne LamotteによるPSP第17章のフランス語訳で示されている章の構成を 挙げる。訳者はまず第1~5偈を原始仏教(Bouddhisme ancien)の教説としており、次に 第7~11偈を経量部、そして第12~20偈を正量部であると推定している。前述の通り、
ほとんどの先行研究がこれと同様の解釈を示しており、管見した限りではこの Lamotte
[1936]の例が最も古いものとなっている。
以上、いくつかの注釈書と代表的な先行研究の説を確認したが、これらを見ると部派の 想定にそれぞれ相違は見られるものの、この章の各偈頌に対してそれが反論者の主張であ
るか Nāgārjuna の主張であるかという判別についてはいずれの理解も一致していること
が分かった。そこで次はそれに関して異なる見解を示している例を見てみたい。
⑤『青目註』の解釈 第1~5偈 反論者 第6偈 Nāgārjuna 第7~11偈 反論者 第12偈 Nāgārjuna 第13~19偈 反論者
78 第20~33偈 Nāgārjuna
ここに挙げたのは鳩摩羅什による漢訳のみが現存する『青目註』による第 17 章の構成 である。一見して分かる通り、先に挙げた他の注釈書や先行研究とは異なった解釈が示さ れている。まず、ここでは反論者とNāgārjunaという区別しかされていない。そのため冒 頭で述べたような経量部の思想と正量部の思想という分類はされていない。
さらに、『青目註』は他の注釈書や先行研究では他の学派、もしくは正量部の説とされて
いた第12偈と第20偈をNāgārjunaの説であると解釈する点に大きな特徴がある。特に
第 20 偈については他の文献では前主張の最後とされていた偈頌であるから、これを
Nāgārjunaの所説とすることで、『青目註』は後主張がこの第20偈から始まると解釈して
いることになる。
以上の結果を総合すると、注釈書の中で特定の部派名について言及しているのは PPṬ の「声聞毘婆沙師」と、『般若灯論釈』の「正量部」のみである。しかし、PPṬ の解釈に ついては先述の通り毘婆沙師と正量部の混同が見られると先行研究ですでに指摘されてい る。また『般若灯論釈』については、漢訳者である Prabhākaramitra がこの翻訳作業を 完成させる以前に没しており、恣意的な削除や挿入、さらには訳語の不統一および誤訳が 多く見られることが三枝[上]で論じられている。以上のことから、これらの注釈 書の記述が必ずしも当時の部派の思想や位置付けを正確に示しているとは言い切れない。
また、各注釈者の生存年代も大きな問題となる。Nāgārjuna はその生存年代が
年とされる人物であり、AvalokitavrataやPrabhākaramitraの生存年代は世紀とされて いる。そのため、注釈者たちが生存していた時代の部派の情勢もそれぞれに異なっていた 可能性が考えられる。