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第 2 章 ABh の譬喩表現と後代における引用

2.3 先行研究の再検討

以上、ABhの譬喩表現の特徴を挙げ、それがどのように諸注釈書で受用されてきたのか を確認してきた。ここで、その考察に基づいて先行研究の説を再度検討してみよう。

まず斎藤[1989]では、BPでまったく引用されていないことからABhの各章末尾に見 られる譬喩はBP成立以降に付加されたものであるとの見解が示されているが、実際には 第11章の末尾にABhとBPに共通する譬喩が用いられていることが確認された。しかし ながら、同論文が後代の付加として指摘する譬喩の例がいずれも“bzhin no”という形で 結ばれているのに対し、この第11章の例のみが“bzhin du 'grub pa'o”という若干異なっ た形で表現されているため、これのみが例外的に原初的な段階から ABh に見られた表現 であるという可能性も考えられる。

Huntington[1986]については、ABhの段階的成立説を主張しており、『青目註』およ

びBP成立時にはABhのいずれの譬喩もまだ存在していなかったとの見地に立つが、必ず しもそうではないことは上記の例を見れば明らかだろう。これに関して本章冒頭に挙げた 斎藤[1989]の分析によれば、BP の譬喩には「論争相手の無理解を諭すための皮肉を含 んだ形で用いられる」という特徴が認められることから、注釈者であるBuddhapālitaは 譬喩の用法について独自の方針を持っていたと考えられる。そのため、ABhの譬喩のうち BP において用いられていないものについては、その方針にそぐわないという理由から注 釈者自身によって意図的に省かれたと考えるべきだろう。

しかしながら Huntington[1986]が 1986 年の論考であることを鑑みれば、検索技術 の発展という利がこちらにあることは言うまでもない。よって、今回は現代における検索 制度の向上に伴う用例の再検討という目的で上記の例を挙げた。

また、同論文の提示する段階的成立説という見解は極めて興味深いものではあるが、今 回考察したような譬喩の問題も含めてプリミティヴな記述と、後代に付加された部分をど のように判別するのかという点で疑問が残る。1つの手立てとして『青目註』、BPにおい て言及されていないということを指標とすることは可能かもしれないが、たとえば「『青目 註』において言及されていない≠羅什も認識していない」ということは『十二門論』との 比較から判明しているので、これについてはあまり有用であるとは言えない。

あるいは、ABhの譬喩は採用されている箇所が注釈書によってかなり異なっているため、

たとえば ABh に数種類のヴァリアントが存在し、注釈者によって参照していたテキスト が異なっていたという類推も可能だろう。しかし、もしそうであるとすれば、ABhが現行

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テキストに至るまでの段階のどこかでそれらの異なったヴァリアントすべてを現在の形に まとめる作業が必要になるため、可能性としては極めて低いと思われる。実際に、9 世紀 初頭の成立と考えられる18敦煌出土の ABh写本にも現行テキストに見られる譬喩がすべ て確認される。

そして段階的成立説として、原初段階のABhが『青目註』およびBPに引用された後に ABhの現行テキストが成立したと考えるにしても、その最終的な完成が具体的にいつであ るかが言及されていない点は問題であると思われる。同論文に示されるチャートではIndic Source of ABh→Indic Recensions of ABhという成立過程に続いてIndic Source of BPと Indic Source of CL attributed to “Piṅgala”へ枝分かれしたという仮説(posited on the basis of evidence)を示すが、ABhの次のステップについてはTibetan tr. of ABh early 9th

C.へと飛んでしまう19。これは『青目註』、BPによる引用後のABhの現行テキストへの

発展が、サンスクリット・テキストの段階で発生したものではなく、9世紀のKlu'i rgyal

mtshanによるチベット語訳の段階で行われたということだろうか。

これについて、同論文が段階的成立説を主張する根拠である章末の譬喩は『青目註』、 BPだけでなく、PP、PSPにも引用されていない。しかし、その一方で別の譬喩について はPPとPSPに共通して引用されている例が上記により確認された。この場合、PPが典 拠としたのは発展途上のABhなのか、あるいは完成系のABhのサンスクリット・テキス トなのだろうか。

いずれにしても、ABhが『青目註』、BPだけでなくPPとPSPにも引用されることで、

中観派の MMK 注釈の伝承における淵源の一部となっている以上、中観派における ABh の成立や位置付けについてはより広い尺度で検討する必要があるだろう。

Huntington[1986]pp.22-23

斎藤[1989]pp.161-165

ibid. p.162

〔MMK Chap.4 v.3〕rūpeṇa tu vinirmuktaṃ yadi syād rūpakāraṇam/ akāryakaṃ kāraṇaṃ syād nāsty akāryaṃ ca kāraṇam/ / (Ye[2011a]p.68)

しかるにもし色を離れて色の原因が存在するならば、結果の無い原因が存在することにな るだろう。しかし、結果の無い原因は存在しない。

〔MMK Chap.2 v.19〕yad eva gamanaṃ gantā sa eva hi bhaved yadi/ ekībhāvaḥ prasajyeta kartuḥ karmaṇa eva ca/ / (Ye[2011a]p.44)

もし去るはたらきそのものが去る主体であったならば、行為主体と行為が同一のものであ るという過失に陥るだろう。

〔MMK Chap.2 v.20〕anya eva punar gantā gater yadi vikalpyate/ gamanaṃ syād ṛte gantur gantā syād gamanād ṛte/ / (ibid.)

あるいはまた去る主体が去ることと異なっていると考えるならば、去るはたらきは去る主 体がなくても存在することになり、去る主体は去るはたらきがなくても存在することにな るだろう。

〔MMK Chap.2 v.21〕ekībhāvena vā siddhir nānābhāvena vā yayoḥ/ na vidyate tayoḥ

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siddhiḥ kathaṃ nu khalu vidyate/ / (ibid. p.46)

同一のものとしても、別異のものとしても成立することが存在しない、その両者において 実になぜ成立が存在するだろう。

『青目註』の帰敬偈を第1章の偈頌として数えない旨はすでに前章の注24において述 べたが、さらに『青目註』では第8偈と第9偈の順序が他本とは逆になっている。これは 前章で挙げた第1章第3偈で示される四縁の順序が『青目註』では他本と逆になっている ことに起因する。この第1章の第7偈から第10偈は四縁の一つ一つを各偈でそれぞれ批 判していくというものであり、その順序は第3偈で示される順序に随っている。そのため MMKおよび『青目註』以外の注釈書では第8偈が所縁縁、第9偈が等無間縁を批判する 偈頌となり、他方『青目註』では第8偈が等無間縁(次第縁)、第9偈が所縁縁(縁縁)

を批判する偈頌となる。そのため、ここに挙げた第9偈は他本では第8偈に相当する。

『青目註』の第13章は他本でいう第3偈と第4偈の間に偈頌が1つ付加されている。

そのため、これ以降の偈頌はすべて他本と1つずつ順番がずれているので、この偈頌は他 本の第8偈に当たる。

〔MMK Chap.13 v.8〕śūnyatā sarvadṛṣṭīnāṃ proktā niḥsaraṇaṃ jinaiḥ/ yeṣāṃ tu śūnyatādṛṣṭis tān asādhyān babhāṣire/ /(Ye[2011a]p.214)

空性はあらゆる見解の超越であると勝者たちによって説かれた。しかし、空性という見解 を持つ者たち、彼らは治療し難い者たちであると語られた。

この箇所についてはテキストのチベット語に異同が見られる。ここではDの「mjug ma 'phongs dol 'dug pa nyid尾は投網を据えたようであり」を採用した。(資料篇p.38 fn.8参 照)

10 『十二門論』にはMMKの偈頌がそれと明記されることなく、むしろ『十二門論』独 自の所説としていくつも引用されているが、それらの偈頌のほとんどが『青目註』とは若 干異なった形に漢訳されている。ここでは上述の通りMMK第5章第3偈と考えられる偈 頌が「観有相門第五」の冒頭偈として配置されている。

11 如牛以角峰垂𩑶尾端有毛。是爲牛相。(T.30 p.162c6)

12 na paryāpto 'gnidṛṣṭānto darśanasya prasiddhaye/ sadarśanaḥ sa pratyukto ga -myamānagatāgataiḥ/ / (Ye[2011a]p.56)

火の喩えは見るはたらきを論証するのに十分ではない。それは見るはたらきとともに現に 去られつつある所、すでに去られた所、まだ去られていない所(の考察)ですでに説明さ れている。

13 『青目註』 T.30 p.6a12、PP D.79a1 P.95a2、PSP LVP[1903-1913]p.114

14 pūrvam eva ca sāmagryāḥ phalaṃ prādurbhaved yadi/ hetupratyayanirmuktaṃ phalam āhetukaṃ bhavet/ /(Ye[2011a]p.330)

さらに、もし結果が集合より先に出現するならば、その結果は因と縁を離れた原因の無い ものということになるだろう。

15 前述の通り斎藤[1989]は章の末尾に譬喩表現を置くことをABhの特徴として、そ の例を列挙しているが、この第11章の例だけを挙げていない。

16 〔MMK Chap.6 v.3〕sahaiva punar udbhūtir na yuktā rāgaraktayoḥ/ bhavetāṃ rāgaraktau hi nirapekṣau parasparam/ / (Ye[2011a]p.90)

さらにまた貪りと貪る者が同時に生起することは正しくない。なぜなら貪りと貪る者が相 互に依存することなく存在することになるから。

17 『青目註』の第7章は第7偈を2つの偈頌に拡張しているため、それ以降の偈頌の順

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番が他本と1つずつずれている。

18 斎藤[1985]pp.317-323

19 Huntington[1986]p.8

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