3.1 イスラム問題 の歴史的な概観
宗教 に対す る関心 は、布 教 の熱意 とその宗教 を取 り巻 く付帯 的な条件 に左右 され る。 あ る宗教 を担 う民族 が科学技術 、芸術文化、軍事力等 に秀 でていれ ば、他 の民族 はその宗教 に魅せ られ る場合 が多 い。 おそ らく、イス ラム教 においては、 当初 は聖戦 の使命感 に支 え られた軍事力 がプ ラス に幸 い し、そ の後 は高い科学技術 と芸術 文化 がイス ラム教 に対す る 関心 を高 めるのに役 立 った と考 え られ る。
イス ラムの ピー クはい くつ か あ る。 一つ は、AD750年 にバ グダー ドを基点 と した ア ッ パース朝 であ り、 この時代 には東 は唐 との接点 とイ ンダス川 まで、西 はイベ リア半島の後
ウマイヤ朝 まで東 西 に広 く領 域 が拡大 した。次 に、イ ス ラム圏 が 10世紀 ころか ら分裂 に 入 った後 も、イス ラム とい う共通 のネ ッ トワー クを基礎 に、海 陸でイ ス ラム商人 の活動 が 展 開 され 、それ とともに高い水準 の科学技術、芸術文化等 が広 汎 に浸透 した。 さらに、オ スマ ン・トル コのス レイマ ン大帝 の時代 には第 3の ピー クを迎 え、イス ラム圏はユー ラシ ア、アフ リカの 旧大 陸の広 い地域 に影響力 を及 ぼ し、軍事 的、政治社会 的に もヨー ロ ッパ に対す る脅威 とな った。
だが、そ の後 の ヨー ロ ッパ の立直 りは 目覚 しか った。 一つ の転機 は、オスマ ン・トル コ が 1566年 にベネ チ ア領 の キプ ロス島 を 占領 した 5年後 に、スペ イ ン とベ ネチ アの連合艦 隊にギ リシャ西部 の レパ ン ト沖の焼烈 な海戦 で敗れ た ことだ った。 これ を契機 にキ リス ト 教世界 はイス ラム世界 に対す る 自信 を回復 した。 また、1683年 には、オスマ ン・トル コは 第2次 ウィー ン包 囲に失敗 して後退 した。 こ うして、17世紀以降、 ヨー ロ ッパ列強は、科 学技術 、芸術文化、軍事力等 いずれ において もイス ラム諸 国 とバ ランスで きる体制 に入 っ てい った。 そ の後 の動 きは、前記 1.5「イス ラムの外延 と縮 小」 で述べ た とお りで ある。
以 下では、 3‑ 4のイ ス ラム問題 に対す る感想 を記 してお きたい。
北村 歳 治 イ ス ラムの歴 史 的 な展 開 と今 日のイ ス ラム問題
3.2 中東 のイ ス ラム問題
イス ラム地域 とい って も、20世紀初 めにオスマ ンか ら独 立 した ア ラブ諸 国、20世紀 半 ばに植 民地 か ら独 立 した東南 アジア諸 国、20世紀末 に社 会主義 か ら独 立 した 中央 アジア、
21世紀 に入 って もなお貧 困 と混乱 に見舞 われ ているアフ リカ諸 国等 、 さま ざまである。そ こに共通 してい るのは、民族 的なアイデ ンテ ィテ ィの模 索 とイス ラムの国際的な連帯、そ して立 ち遅れ た科 学技術 ・文化 と低迷 す る社会経済 で あ る。 そ の動 きは、欧米先進諸 国の 期待通 りに展 開す るほ ど単純 ではない。 イス ラム諸 国内では、 内部 的 な申し蝶 と不平等 が積 も り重 な り、穏健派 の基盤 が脆弱 なイス ラム地域 では、反欧米 主義 、反 グローバ リズム等 と結 びつ き、 しば しば 目標 を失 った暴 力 的 な動 きに陥 ってい る。
特 に、 中東及 びそ の周辺 で は、困難 な さま ざまな問題 が 山積 した。 そ の根底 には、依然 としてパ レステ ィナ ・イ ス ラエル 問題 があ る と考 える。 多 くの民族 の興 亡 に満 ちた世界史 の教訓 は、隣 り合 うグル ー プ、民族 の節度 あ る共存 とい うこ とで あ ろ う。 パ レステ ィナ ・ イス ラエル 問題 が先鋭化す る以前 には、問題解決 の努力 はまだ穏健派 に よって方 向づ け ら れ る余地 があった。 しか し、 あい次 ぐ衝突 と紛争 は問題 の解決 をます ます 困難 な もの とし てい る。 55 2001年 9月 の 同時多発 テ ロ事件 は、イス ラムの過激 な行 為 が もた らした悲劇 だ ったが、そ の前後 のイ ス ラエル 寄 りかつユ ニ ラテ ラ リズ ム ともい える米 国の 中東政策 は、欧米先進諸 国間に も亀裂 を もた らした と同時に、 中東以外 のイ ス ラム諸 国にお けるイ ス ラム穏健 派 と急進 派 の間の関係 を対 立 させ た。
1970年代 には、米 国 にはまだ フェアな外交姿勢 が あった。筆者 には、最近 10年 の米 国 主導 の国際政策 にお けるフェアネ スの喪失 が もた らした コス トは予想 を超 える ものがあっ た と思 われ る。 複雑 化 したパ レステ ィナ ・イス ラエル 問題 の難 しさは、ア レキサ ンダー大 王が断 ち切 った ゴルデ ィオスの結び 目の比 ではない。 も し日本 が米 国一辺倒 の政策 を続 け るな らば、国際社会 にお いて 日本 は翻弄 され ざるを得 ない。
この よ うな状況 下で、米 国は、2004年 5月のG8外相会議 にお い て、西 はモ ロ ッコか ら 東 はパ キス タンまでの 「中東地域」 につ いて、独裁排 除、男女平等 、公正選挙等 を内容 と した 「民主化」路線 (大 中東 圏構想)を打 ち出 した。 ア ラブ諸 国は 当然反発 し、欧州 も米 国 の強硬路線 の修正 を求 め、結局、 6月の主要国首脳会議 の声明に収 まった。56 その間、 日 本 の多 くの論調 がパ レステ ィナ ・イ ス ラエル 問題 の解決 に全力 を注 ぐ重要性 を指摘 して き たのは 当然 で あ ろ う。
基盤 (A) IT等 の科学技術 の視 点 を踏 ま えたイ ス ラム問題 の現状 と今後 の展 開 に関す る研 究
3.3 その他 の地域 のイ ス ラム問題
その他 の地域 のイ ス ラム問題 は、それぞれ性格が異 な る。 これ らを一括的 にイス ラム問 題 と して議論 す る こ とは あま りに も危険 であ る。
(トル コとヨー ロ ッパ)
トル コのEU加 盟 につ いては、最近 の ヨー ロ ッパ にお ける論調 のい くつ かは、あま りに もイス ラムの異質性 を強調 しす ぎてい る印象 を受 ける。 要す るに、 トル コのEU加盟 は問 題 が多 く時期 尚早で ある とい う論調 である。 しか し、 トル コは、1995年 の コペ ンハーゲン 基準 を念頭 に、 ここ数年 民主的な改革 を進 めてきた。1980年代以前 の トル コを考 えれ ば隔 世の感 がある。 死刑 制度 は廃止 、拷 問は非合法化 され た し、少数 民族 の クル ドの人権 に も 配慮 が払 われ た。 国際的に もキプ ロスの トル コ系住民 とギ リシャ系住 民 との融合 にはきわ
めて リー ズナ ブル な判 断 を下 してい る。
2004年 10月 の欧州 委員 会 は、 トル コの加盟 「交渉」 に入 るか ど うかの勧 告 を検討 す る 段 階であ り、12月 のEU首脳 会議 はそれ を踏 まえて 「何 時」交渉 に入 るか を議論す るこ と になってい る。 日本風 にい えば、入学試験 に合格す るか ど うかではな く、受験 で きるか ど うかの段 階なのだ。 そ こでは、 「宗教」 は加盟条件 ・基準 にはな っていない。 問われ てい る のは 「民主主義」で あ り 「市場経 済化」であって、イス ラム教徒 の数 の多寡 ではない。イ ス ラム教徒 が多数 を 占め る国 に民主主義 が存在 し うるか とい うパ ーセ プ シ ョンをEU自身 が持 ってい るか ど うかが問われ てい る。 に もかかわ らず 、EUの メンタ リテ ィにはきわめ て強い 「蹟曙」 があ る。 EUの政治指導者 の中には、油 に火 を注 ぐよ うな失言 も見 られた。
パ レステ ィナ ・イス ラエル 問題 に対す る米 国のフェアネスが問われ てい るの と同様 に、EU につ いて もフェアネ スが 問われ てい る、 と考 えるのが 自然 で あろ う。
(中央アジア)
中央 アジア諸 国のイ ス ラム問題 は、独立後 の 1990年代 と2000年代 に入 ってか らの時期 とではその性格 に相 当の差 が現れ て きている。 特 に、 タ リバ ンの影響 が 中央 アジアに感得 できるよ うになった 1990年代後半か らは、過激派 に対す る対応 が前面に出て きてお り、イ ス ラム問題 は即テ ロ対策 とい う色彩す ら帯び るよ うになった。 中央 アジアにお けるイス ラ ム過激派の動 きは、 もちろんチ ェチ ェン等 とのネ ッ トワー ク的なテ ロ行為 に注視 しなけれ ばな らないが、テ ロ対策 です べ てが済む わけで はない。
北村 歳治 イ ス ラムの歴 史 的 な展 開 と今 日のイ ス ラム問題
中央アジアでは、民主化、市場経済化 が もた らす深刻 なひずみ と硬 直的な政治 ・社会体制 の問題 が根底 にある。市場経済化は遅 々 としてお り、その過程で生ず る所得格差の拡大が も た らす貧 困 と腐敗 の問題 は、時には政府 に対す る急進的な批判 とな り、時にはイス ラムの過 激派の議論 と結びつ く。 同地域では、イスラムは穏やかな伝統的な生活慣習 に貢献 している が、素朴 なイス ラムは急進派の議論 に利用 されやすい面がある。一度その素朴 さと急進的な 行動が結びつ き、それ に対す る政府 の弾圧 が行 われれば、事態 は悪循環 に陥る。 しか も、中 央集権 的、統制的 とい う社会的な伝統 もネガテ ィブに働 く。 結局、選挙プ ロセス、人権 問題 等 にお ける不正、弾圧等 とい う結果 を伴 っているのが中央 アジアに大な り小 な り共通す る問 題 である。
中央 アジアのイス ラム問題 は、 コ‑カサスの民族独 立 と結びつ いたチ ェチ ェン問題 とは 異 な り、統制的な経済社会 か らの脱却 を図 る移行期 にお ける政策 的な文脈 で きめ細 か く捉
えてい く必要 が あ ろ う。
(東南 アジア)
東南 アジアでは、イ ン ドネ シアにお けるイス ラムの世俗化 (政教 分離)の流れ とタイ ・マ レー シア間のイス ラム問題対処 の こ じれ が対照的である。 後者 は、 タイ に属す るパ タニ県 がかつてはイス ラムのスル タン領 だ った ものがタイ に併合 され た とい う歴 史的な経緯 もあ る。 しか し、それ以上 に、そ うい う地域 に育 ったイス ラム教徒 の若者 がスー ダン等 でアラ ビア語 を学ぶ とい う名 目で教条的な教 えの と りこにな り、結局、現代社会 との乱棟 のなか で犠牲 となってい く姿 はあま りに も悲劇 的で あ る。 タイ の深 南部 にあ って、貧 困 と差別 、 それ と裏 腹 の乏 しい教育 ・就職機 会 が若者 をそ うい う犠牲 に追 いや ってい る とい う面か ら の対策 の考慮 が不可欠 で あ る。
明 るい面では、マ レー シアの よ うに、 自国に伝統的 なイス ラムを尊重 しなが らも先進諸 国に追いっ こ うとす る努 力が先端 技術 の積極的な取 り入れ等 を通 じて、具体 的な成果 を上 げてい る。一例 は、 日本 に先 ん じたETC(electronictollcollection)システ ムの導入で ある。 同 国の先進 諸 国か らの直接投 資 の受 け入れ 、国内の企業活動 の促 進 も、 これ まで に雇用 ・所 得 の水準 を引 き上 げ、国民生活 の向上 に貢献 した。
1997年以 降低迷 を続 けたイ ン ドネ シア も、同様 の方 向 に舵 を切 り替 え る段 階 に差 しか かった。 マ レー シアの現代的 な成功 は、他 のイス ラム諸 国に一つ の指針 を与 えるこ とにな ろ う。 また、マ レー シアや イ ン ドネ シアの民主化 は、世俗主義 のイス ラムのモデル が十分