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第八章 「信託業法」制定に当たっての課題-受容性及びアイデンティティーの比較

一 受容性

現在の信託の原形は、もともと中世イングランドのユースとして誕生した。信託制度は、

当初からある法概念を用いて確立された制度というものではなく、エクイティの中で大法 官により正義の観念に基づいて、コモン・ローの峻厳さを緩和し、不公正さを補正・補完

256 中華民国信託商業同業公会ウェブサイト参照。http://www.trust.org.tw/files/1041018100001.pdf

(2016520日最終閲覧)

する(受益者の保護の過程257)ために形成された制度である。それゆえに、「イギリスの 信託においては、受託者はコモン・ロー上の権利を有し、受益者はエクイティ上の権利を 有する258」と説かれているのである。すなわち、受託者は財産の移転により、コモン・

ロー上の所有権を取得するが、信託目的にしたがって忠実義務を課されるのである。受益 者は、エクイティ上の所有権を有し、受託者に対して、信託目的にしたがって義務を履行 するよう請求することができる。受益者の権利は、受託者への単なる人的請求権ではなく、

信託違反により財産が他の者に移っても、受益者が善意有償の取得者でない限りはどこま でも追及しうるという信託財産の追及効が付与されている259。つまり、受益者には一般 的な債権以上の権利がある。

したがって、物権法でも債権法でもなくて、二重の所有者を認めている異質の英米法の 信託法は、成文法により当事者の関係は権利・義務として構成され、また、所有権は唯一 絶対であるとされる大陸法系国にとって、水に浮かぶ油のような存在である260。これが、

信託制度の大陸法系国への導入が困難である理由に挙げられる。すなわち、受託者の法的 地位・受益権の性質・信託財産の所有権の帰趨などである261

(一)日本における受容

日本の信託の立法においては、「信託法」と「信託業法」の二法に分割した大正7年案 当初から、「受託者ノ権利ハ完全ナルモノナリ、但シ、受益者ニ対シ特定ノ債務ヲ負担ス ルニ過キサルモノ」という債権説で理論構成する262一方、受益者の保護として「信託ノ 本旨ニ反スル処分ニ因リテ信託財産ヲ取得シタル者ニ其ノ権利ヲ対抗スルコトヲ得263」 という追及効の規定及び「信託財産ハ受託者ノ固有財産及他ノ信託財産ヨリ之ヲ分別スル コトヲ要ス264」という信託財産の独立性を認める規定を設けたのである。その後、草案 の主眼点に変化が見られるが、法案作成の底流にある英米法の信託法理を踏まえたうえで、

257 具体的には、森泉79-90頁を参照。

258 森泉77頁。

259 具体的には、森泉97-111頁。

260 信託法について四宮教授は、「信託は、英米法で育成された制度であり、大陸法系に属するわが私法 のなかでは、水の上に浮かぶ油のように異質的な存在である」(四宮旧版はしがき3頁)と評した。

261 英米法的信託の特徴を整理すると、以下のようになる。

α 受託者は信託財産の所有権を取得する

β 信託財産は受託者の固有財産から独立している γ 受益者には一般的な債権以上の権利がある

英米法的信託の大陸法との抵触の問題とは,大陸法系の私法を前提にすると,αβ,αγが互いに 両立しない命題である(瀬々48頁)

262 金城37頁。

263 信託法草案(大正七・九・一九)第二五条。山田②314頁。

264 信託法草案(大正七・九・一九)第一四条。山田②313頁。

信託制度を構築した。「信託法」の規定は、一方で、受託者のもつ完全な所有権と、受益 者への債権的拘束という、物権と債権の峻別を維持する規定が存在するのに対し、他方で は、受益者の取消権、信託財産の独立性など受益権の物権的側面、受託者の完全権に反す る規定も存在する。こうしたことから、少なくとも「信託法」の立法過程から考察すれば、

「信託法」がイギリス法の信託をかなり忠実に(ストレートではないにしても)継受して いることは否定できないのである265

理論では、日本における信託と大陸法とを調和させる方法として、さまざまなバリエー ション266があるものの、現在でも債権説が通説である。債権説とは、信託を「委託者が 財産権の完全権を受託者に与え、受益者のためにその財産を信託目的にしたがって管理・

処分すべき債務を、受託者に負わせる制度267」と解する立場のことである。それに対し て、四宮教授は、受益者の取消権、信託財産の独立性、信託財産の物上代位性を指摘し、

これらの法的効果が債権説的構成を越えるものであること268のほか、「信託法」の信託の 構造に見られる特色として、「実質的法主体として独立化した信託財産を中心とする超個 人的要素と、受託者を信頼してこれに名義を与えるという個人的要素とを構成原理とする、

その『二重性格』269」を主張した。なお、道垣内教授は、「信託とは決して特殊な制度で はなく、大陸法系に属する我が国の私法体系に矛盾なく位置付けられるものである270」 とし、そこで、「義務の面においては、信託、委任、会社などの制度は連続性を有する一 連の制度だと見るべきである。それらの制度における各義務者は、本質的に同様の義務を 負う。(中略)委任そのほかの法律制度における権利者の救済手段は、信託で認められて いる救済手段と同等のものとなる271」と主張する。また、新井誠教授は、「新債権説」を

265 金城44頁。

266 新井40-58頁を参照。旧信託法の基本構造をめぐる学説対立については、具体的には、①債権説(通

説)、②岩田説(相対的権利移転説):信託財産の所有権は対内的には受益者に帰属するが、対外的には 受託者に帰属するという見解、③四宮説(実質的法主体性説):信託財産の実質的法主体性の承認(信託 財産の独立性の強調)、受託者の管理者的性格の承認(受託者の所有者性の否認)及び受益権の物的権利 性の承認(受益権の単なる債権性の否認)の3点、④大阪谷説:受託者の対外的に所有者と同様の権利 主体性の承認、受益権の随物権(物の性質に従って変化する債権)という特殊な債権の主張、⑤田中説:

信託を信託財産の内容によって不動産信託と金銭信託とに二分してそれぞれに別個の構成を付与しよう と試みる見解。さらに、新しい信託学説の潮流として、①道垣内説:信託法をあくまで民法や商法など と一体として、日本の私法体系に位置付けていこうと試みる見解、②神田説:現行の信託制度を「民事 信託」(受託者が果たす役割が財産の管理・保全または処分である場合)、「商事信託」(受託者が果たす 役割が財産の管理・保全または処分を超える場合、あるいはそれと異なる場合)と二分し、異なる法理 を適用すると主張、③樋口説:信託制度を契約制度から切り離し、フィデュシャリー(信認関係)とい う別個の基盤を持つ独自のシステムであると位置付ける見解、④能見説:信託利用の多様性を理論面に 反映させるために、信託を「信託=財産処分モデル」、「信託=契約モデル」、「信託=制度モデル」とい 3つの理念的モデルに区分する見解。

267 四宮59頁。

268 四宮61頁。

269 四宮79-80頁を参照。

270 道垣内はしがき1頁。

271 道垣内216-217頁。

唱え、「信託財産の独立性こそ、信託における不可欠の要素であると観念したうえで、信 託を新債権説の体系の下に包摂しつつ、実はその信託財産の独立性といっても自益信託と 他益信託とではそのニュアンスが異なるものであると理解272」して、受益権を「信託に よって規制された(特別な)債権」273として捉えるべきであると主張する。

(二)中国における受容

日本では、「信託法」が「民法」の特別法として位置づけられており、上述のように、

立法上でも理論上でも英米法的信託との調和に一定の成果があげられている。それに対し て、中国においては、まず理論面では「特殊な法律関係」が通説である。すなわち、「新 しい関係について、大陸法学者は常に固有の民法の法律関係(例えば、物権、債権など)

により理解し、分析することである。しかしながら、すべての関係は固有の民法の枠に置 かれうるわけではない。信託関係はその一つである。信託関係は物権関係、債権関係、さ らに物権・債権を超える関係(例えば、信託財産の独立性)を含むので、簡単に物権、あ るいは債権のような固有の民法の法律関係で理解することができない。さもなければ、信 託の本質を歪め、信託機能の発揮を制限する恐れがある。このようなことを考慮し、信託 を特殊な法律関係と承認し、民法の特別法である信託法で信託の特殊な法律関係及び当事 者の特殊な権利義務を創造すべきである」274と主張されている。なお、立法面では、信 託財産の所有権の帰属が不明確という既述の問題点に鑑みれば、英米法的信託制度の受容 は不十分275であり、種々の問題が現出するおそれがあることを念頭に置いておく必要が ある。