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第九章 「信託業法」の内容の比較

一 日中台における業際規制の沿革の比較

「信託業法」の制定に当たっては、業際規制が重要な課題である。これは、「信託業法」

に関係するのみならず全金融分野にも深く関係する。

分業主義は、以下のようなメリットを享受することができる。すなわち、①利益相反 行為を回避することができ、受託者としてもっぱら受益者の利益のため財産の管理・運用 をすることができ、②専業とする金融機関の知識及び管理レベルが高く、低コスト高品質 のサービスを提供することができる297。それに対して、信託業務は銀行に兼営せしめると いう兼営主義は、信託財産がその銀行の①信用度、②そのほかの部門との提携及びそれか らのサポート、③顧客層、④支店網等のメリット、を享受し、信託業務を急速に発展させ ることができる。両者にもメリットがあるので、社会情勢に適切な業際規制を行うことが 求められる。さもなければ、そのメリットを享受できないだけではなく、既述のような様々 な問題点を引き起こす恐れが高いのであろう。以下では、日中台における業際規制の沿革 を概観し、比較する。

(一)日本の場合

日本における信託会社と銀行の関係は、以下のような段階に分けうる。

1.「信託法」と「信託業法」制定前

金融機構の整備につき麻島昭一教授は、次のような見解を示す。

たしかに明治末葉から推進されたといえるが、金融分野を整然と区分し、その中 に各種金融機関をあてはめていく、という明確な意図での分業主義が存在していた とはいいがたい。むしろ莫然とした意味での分業主義的思考があって、分野を設定 し独立させていくことが容易であるもの、緊急を要するものから順次着手し、雑然 と諸業を兼営している諸金融機関を整理して行ったのであろう……要するに、当初 の莫然とした分業主義的思考が、次第に明確な方針へと結実し、厳密な分業体制実 現へと進行していったと考えられる298

(1) 銀行の兼営

既述したように、「信託業法」制定前の既存の信託会社の大多数は、銀行類似会社であ り、しかもその多くは無尽業を兼ね、経済上は銀行預金と同じものであり、類似の業務を

297 陳春山77頁。

298 麻島④18頁。

取り扱った。信託業者は種々の業務を営んでおり、金融各分野にまたがる「よろずや」的 な存在299であった。この状況において、大正 3 年案が「信託会社ハ銀行業ヲ兼ヌルコト ヲ得」(大正3年案第5条)と規定するように、大正7年案までの諸案は、銀行業の兼営 を扱っている。なぜなら、「現実的に兼営による影響度がまだ大きくないと考えたためで はなかろうか。換言すれば、銀行と信託との業務分野の明確化を迫られるほど、切迫した 段階にはまだ至っていなかったため300」とされる。また、信託会社の資金業務について みれば、「銀行業との区別は希薄となって、類似したものの兼営を是認することになった のであろう。また、アメリカでは銀行・信託の兼営が一般的であって、外国の信託業を調 査してそれを知っていた大蔵省当局者は、兼営にとくに抵抗感を持たなかった301」とさ れる。

(2) 銀行営業に対する侵蝕の問題

大正 3 年案も銀行業兼営を是認しているものの、同案の立案趣旨書は、銀行を動的信 用機関、貯蓄銀行・信託会社を静的信用機関として、信託業務と銀行業務との競合という 問題の解決に取り組んでいた302。すなわち、大正 3 年案から、銀行営業に対する侵触の 問題-銀行業者の営業基盤に対する、信託会社、貯金会社その他各種の名称を冠した銀行 類似会社の影響-が重視されていた。銀行類似会社の営業振りについては、「たとえその 信用度が銀行よりも低いとはいえ、銀行業者にとっては脅威であったであろうことは容易 に想像されるし、また一旦これら業者が破綻すれば、一般預金者に対しても何らかの悪い 波及を及ぼす303」と評された。

(3) 「信託業法」の制定へ

大正 7(1918)年 6 月から、第一次大戦終了中から戦後にかけての熱狂的好景気と戦

後不況の中で、大規模信託会社の設立及び固有業務(信託業務)以外のいわゆる付随的業 務の比重の増加が窺える。この時期に、付随的業務を取締り、信託会社に固有業務を中心 とした業務運営を行わしめるために政府は、「よろずや」的性格を否定し、特に無監督状 態で銀行業務を営んでいることに不満をもち、金融機関を整備し分業化を推進する方針を 打ち出した。大正 8 年の信託業法案は、銀行業務の兼営を禁止し、業務分野を調整する ことにあった。大正11年に「信託業法」が制定され、信託業務と銀行業務とは別の分野 のものと位置付けられたわけである。

2.「信託業法」の制定後の調整期

299 麻島②23頁。

300 山田①13頁。

301 麻島④13頁。

302 前掲注(222)を参照。

303 山田①14頁。

「信託業法」制定前に、信託営業内容は必ずしも現在の信託業務と同じものではなく、

しかも一部不健全な業者が存在したため、信託業界・銀行業界がともに信託・銀行両業務 の兼営を要望していたが、日本ではすでに専門金融機関主義がとられていたことや、信託 業務を新しい分野として育成するため信託分離主義が採用されていたことから、「信託業 法」では信託・銀行両業務の兼営は認められていなかった。しかし、信託業と銀行業の関 係は社会経済事情により幾つかの調整が行われていた304

(1) 大戦中の混乱期

第二次世界大戦中の経済混乱期は、信託業界にとっても苦難の時期であった。戦火によ る経済活動の混乱、産業統制・金融統制の強化、職員の出征など全てにわたり環境は悪化 した。戦時資金統制の強化のため、弱小信託会社を銀行に合併させることを目的として政 府が1943年に「普通銀行等ノ貯蓄銀行業務又ハ信託業務ノ兼営等ニ関スル法律(現・金 融機関の信託業務の兼営等に関する法律)」を制定し、銀行が信託業を兼営することが可 能となった。「これは、貯蓄増強を図る観点から、店舗と人員数においても最も活動力に 富む普通銀行に信託業を兼営させ、長期貯蓄性資金を吸収させることを目的とするもので あった305」。終戦の年の末には 12 行の信託兼営銀行が存することとなった。他方で、専 業の信託会社はわずか 6 社となった。結果としては、銀行が信託会社を吸収合併するも のであった。

(2) 戦後

戦後の復興期において、信託兼営銀行も多く存在していたが、その一部で銀行勘定と信 託勘定とを混同した業務運営が行われ、結果として金銭信託が銀行預金の特利商品として 使われるなど、金融の混乱要素となったばかりか、信託本来の機能が事実上否定され、信 託業の健全な発展にマイナスとなった。このために、昭和 28 年、大蔵省は通達(「信託 業務の運営に関する件」昭和2861日蔵銀第2261号)でこれらの行為を禁止し、

さらに抜本的対策として再び銀行業と信託業との分離政策を実施した。すなわち、信託業 は長期金融機能を有しており、短期の預金を主な資金源とする普通銀行が行うことは望ま しくない、信託の発展には普通銀行が片手間に行うよりも信託業を専門に行う機関の育成 が望ましいと考えられた306。信託業務は信託業務に専念する信託銀行にだけ認め、都市 銀行や地方銀行の信託業務は閉鎖させることで信託業務の育成を図る方針が採用された。

実際上、信託業を兼営していた銀行は、信託業を分離するか、信託業を主業とするか(信 託銀行となるか)の選択を迫られることとなった307

304 三菱UFJ300-302頁参照。

305 氏兼裕之=仲浩史編著『銀行法の解説』(金融財政事情研究会、1994年)185頁。

306 川口①74頁。

307 川口①73-74頁。

3.金融制度改革

1980年代以降、「信託の時代の到来」と呼ばれ、信託業界は質量ともにさらなる発展を 遂げる。新型貸付信託ビッグ、「ファンドトラスト」や「オーダートラスト」などの利殖 信託、本格的な「モノ」の信託である土地信託などの業務が始まり、急速に普及した。こ うした信託業界の発展に刺激され、国内の各業態から信託業務への参入要望がなされるこ ととなった。このような背景において、様々な議論308が行われるによって、1993年には

「金融制度及び証券取引制度の改革のための関係法律の整備等に関する法律(いわゆる

「金融制度改革関連法」)」が制定され、金融制度改革が実施された。この金融制度改革で は、制度の理念として、従来の業態間の垣根309を取り払い、業態という概念そのものを なくして、広く金融サービス業として括っていく改革の方向である。すなわち、利用者利 便の向上と国際性を確保することであり、縦割りの金融制度を見直して競争を促進するこ とにより、金融制度の効率化や市場の健全な発展を図ることが目的であった。

金融制度調査会制度問題専門委員会「新しい金融制度について-金融制度調査会制度問 題専門委員会報告-」により、金融制度改革は、以下のような要点が窺える。

基本的な考え方としては、各業態の金融機関が相互に他業態に幅広く参入すること ができるようにすることが適当である。ただし、同時に金融秩序維持の視点から、

預金者保護、信用秩序の維持、利益相反による弊害防止、参入段階における競争条 件の公正性や現行制度との連続性などに配慮する必要がある。

相互参入の方式としては業態別子会社方式を主体としつつ、本体での相互乗入方式 を適切に組み合わせることが適当である。

308 昭和609月から6年にわたり、金融制度調査会において、日本の金融制度全体のあり方が検討さ れ、その中で信託業務の兼営についても議論が行われた。検討に当たっては、真の利用者利便の観点に 立つ必要があること、及び競争条件の公平性に配慮すべきこと、の2点を主張した。

1の点は、真の利用者利便につながる信託サービスを提供するため、受託者には、不動産・有価証 券など多様な財産を管理運用する専門家としての能力とともに、忠実義務、分別管理義務、自己執行義 務など、他の金融業務には見られない幾多の義務を踏まえた厳正な業務運営が求められること、そのた めに受託者は安定した経営を維持することができる信用力、資本力などを持ち、信託業務に本腰を入れ て真摯に取り組むべきであり、信託業務に精通し、専念する役職員により運営されることが不可欠であ るという点であった。

2の点は、これまで信託銀行がその店舗などについて限られた条件のなかで活動してきたことをふ まえ、競争条件の公平性に配慮してほしいという点であった。

309 銀行業と信託業の関係は以上のとおりであるが、銀行業と証券業については、昭和234月に制定 された証券取引法(現・金融商品取引法)では、銀行による証券業が原則として禁止されている。米国 では、銀行業と証券業を分離する銀行法の規定は預金者保護の観点から定められているとされるが、証 券取引法のこの立法趣旨としては、預金者保護を目的とする見解と証券会社の育成を目的とする見解と がある。後者については、同規定では、米国法と比較して銀行による株式投資が禁止されていないこと などから預金者保護の規定として不十分であることを根拠としている。その後コマーシャルペーパー市 場の誕生により銀行と証券会社の業際問題が再燃した。また、私募債の取扱いについてもその法的根拠 は不透明なままであった。これらの分野は銀行業と証券業のグレーゾーンであったが、問題の解決は、

銀行と証券会社による相乗りという方針がまず立てられ、そのための法改正及び法解釈が検討された。

最終的に業態別子会社方式で相互参入が行われることとなった。