7.1.「初級文型の硬直化」を引き起こす教育現場の問題点
本研究の第1章と第2章では、日本語教育における初級文型の位置づけを確認する とともに、従来の初級文型を用いた日本語教育の問題点を提起した。これらの問題が 原因となり日本語学習者や教授者に「初級文型の硬直化」という現象が起きている可 能性がある。また、初級文型の中でも評価的複合形式を持つ文型は、「初級文型の硬直 化」を引き起こしやすい文型と考え、第3章では、評価的複合形式を持つ初級文型を 例に挙げ、「初級文型の硬直化」に「意味・用法の硬直化」「形式の硬直化」「待遇度の 硬直化」の三種類の硬直化が考えられると述べた。「意味」・「用法」の硬直化について は、遠藤(2007ほか)が詳しい。形式の硬直化については、下位項目として「形態」
の硬直化と「文型形式」の硬直化が挙げられる。第4 章で「形態」の硬直化について 義務表現を例として、第 5章では「文型形式」の硬直化についてアドバイス表現を例 として論じた。第6章では待遇度の硬直化について、~テモイイを例として述べた。上 述の「意味」・「用法」の硬直化、形式の硬直化、待遇度の硬直化について教科書・教 材調査を行っており、すべての硬直化に教科書・教材の文型提示や文法解説の方法が 関わっている可能性があることを確認することができた。
筆者は、すべての硬直化の問題を克服して、より適切な表現教育を行うためには、
卖に教科書・教材の記述のあり方を変えるだけでは解決できないと考えている。第 1 章でも述べたが、言語教育において文型が重要な役割を果たすと考えられてきたよう に、日本語教育における初級文型の存在もまた重要である。初級の教科書や教材は初 級文型の正しい形や活用や文法情報を学習者に伝える大切な目的があると言えよう。
教科書・教材の多くは紙媒体であるため、記載する情報量にも限度がある。したがっ て、教科書・教材で記述し尽くせない情報を教育現場で提供していくことが肝要とな るのではないか。
従来の日本語教育の現場でも、場面や文脈の設定を行ったうえでの文型導入は広く 行われている。学習者の不適切な文型使用が表れないように、教師があらかじめ場面 をコントロールするなどの工夫が教室でされていることが多い。しかし、文脈を設定 して練習を行っていても、依然「初級文型の硬直化」が起こりうる原因が教育現場に ある。本節では、「初級文型の硬直化」の原因となる現在の教育現場にある2つの問題 に焦点を当てる。
1つ目は文脈設定が不十分という問題である。最初の文型の導入では入念にされる 文脈の設定が、さまざまな練習の段階になると、おろそかになる傾向がある。教科書 の中の練習問題には導入文型の「意味」・「用法」とは異なる「意味」・「用法」の文例 も混在していることがあり、教材作成者が文脈に対する意識を研ぎ澄まさなければ、
文型に対する誤った認識を学習者が持つ可能性がある。また、練習段階になると活用 形の正しさなどに教師も学習者も注意が向き、「どのような場面で、だれが、だれに向 かって、何のために話しているのか」という意識が薄らぐ傾向がある。同様のことが 学習の到達度を計るテストにおいても起こるのではないか。文脈から切り離されたテ ストの問題の場合、学習者の答が正しいかどうか教師が判断できないときもある。初 級レベルだけでなく、中級レベル以上の文法テストでも同様の現象が起きている。こ のように、教育現場で教師や学習者の文脈設定に対する意識が薄らぐことが、「初級文 型の硬直化」を引き起こす原因の一つと考えられる。
2つ目は、誤用への過剰反忚という問題である。教師は学習者が間違えないように 練習を工夫する。教室の中では限られた文脈においての練習がなされているために学 習者の誤用も尐なく、一見、問題がないかのように見える。しかしながら、学習者が 教室の外へ一歩出ると、さまざまな文脈が学習者を取り囲んでおり、教室で練習した
通りの発話が適切であるとは限らない。また、学習者は限られた文脈での初級文型の 練習を行うことにより、限られた文脈以外の文脈下での様々な「意味」・「用法」に気 がつかない場合もある。このように教室の中での学習者の誤用を恐れるあまり、教師 が教室活動をコントロールすることで、かえって「初級文型の硬直化」を引き起こす 可能性もあると言えよう。
7.2. 「初級文型の硬直化」を克服する「文脈化」
7.2.1. 「初級文型の硬直化」を克服するための教室活動
では、「初級文型の硬直化」を克服するために、具体的にどのような教室活動が考え られるであろうか。「初級文型の硬直化」を克服する教室活動のためには、前節で述べ た教育現場にある2つの問題を解決することである。
まず、1つ目の問題を解決するために「文脈設定を十分する」ことである。もし、
文卖位で口頭練習をするなら、必ず、だれがだれに向かって何のためにする発話であ るかという文脈を教室にいる教師、練習する学習者が共有する必要がある。教科書の 練習問題やテストの問題においても、文脈を明らかにすることは必須といえよう。
初級文型を用いて文脈を卖位とする表現教育を行い、初級文型の「意味」・「用法」
などの「内容」を学ぶことはきわめて重要なのである。しかし、本研究は、「活用の正 確さなど「形」の正確さを学ぶことは重要ではない」と言っているわけではない。形 の正確さを身に付けることでコミュニケーション上の誤解を防ぐこともできる。形が 正確であることにこしたことはない。だが、正しい活用形など、形の正確さを無理や り文の中で練習することには注意を要する。「毎日、宿題をしナケレバナリマセン」の ように、文の中で活用形を練習すると、どうしても学習者の意識も教師の意識も「活 用形が正確に作られているかどうか」に注意が向きがちになる。宿題をするのは「私」
か、「あなた」か、「第三者」かによって、付与される終助詞も異なり、表現の丁寧さ も変わってくる。この表現が何のために発せられたかによっても、「意味」・「用法」は 異なってくる。「だれがだれに向かって何のために話しているのか」といった文脈に、
教師や学習者の意識が向かなければ、文型の正しい「用法」を身に付けたとは言えな いであろう。「形」の学習と「内容」の学習を区別し、「内容」の学習をする際、十全 な文脈設定をして臨むことで、以上のべたような問題は解決することができるのであ る。
2つ目の問題を解決するには「誤用を恐れないこと」である。Corder,S.P.(1967)
は、誤用が学習者にとって重要な意義があると指摘している。教室は誤ることが容認 される場である。また、誤りに気付くことで学習者の理解もより深まる可能性がある。
教師が文脈をあらかじめ設定することで誤用を減らすのではなく、学習者に文脈を自 分で設定する機会を与えてみることである。文脈設定は学習者にとって決して容易な 作業ではないが、自分で文脈を構築する作業を通じて、文法を自律的に学び、日本語 学習への参加意欲を向上させる効果もあろう。学習者は、母語を習得するときに身に 付けたいろいろな知識やフレームなどを日本語学習にも役立てようとする。教科書で 勉強した以外のさまざまな文脈で、当該文型使用が可能かどうかを学習者自身が検証 する場を教室で与え、適切な例や不適切な例などを教師と学習者が共有することであ る。適切な例も不適切な例も、学習者にとって大切な学びの機会となるであろう。ま た、個々の学習者の母語が違うことにより、誤用の形も多様になる。同じ母語を持つ 者同士、異なる母語を持つ者同士が、様々な誤用のパターンを共有することも、学習 者に自分自身の学びについて気付かせるきっかけとなる。教師が一方的に知識を学習 者に与えるのではない、まさに教師と学習者の間の、学習者と学習者の間の相互活動 としての教室活動が実現するのである。
7.2.2. 「初級文型の硬直化」を克服するための「文脈化」とは
三尾(2003a 初出は1948)は、話す場面での文脈について「私とあなたとがかわ るがわる話手になりきき手になって話のやりとりをする場合は、文脈は私とあなたと で作りあげ、くりひろげて行くのである。二人はそれぞれの主観内の心理的文脈を同 じ方向に平行させ、一つの共同の文脈の中に自分の言葉をおりこむのである」(同:7)
と述べ、「話の場の文脈は、書かれた文章の文脈と全く同じような意味で客観的」(同:
7)ではないとしても、「一般に文脈というものは、主観内のものでなくて客観的のも のである」(同:7)という考えを示している。たしかに、話し手と聞き手の「共同の 文脈」(同:7)があるならば、文脈を複数の人によって共有することも可能であると いえよう。ただし、話の場の文脈は、「言葉だけをぬき出したもの」(同:8)だけで はその内容を明らかにすることはできない。「言葉と行動とが共にある」(同:8)こ とで明らかにすることができると三尾は述べている。
会話教育において話の場の文脈を教師や学習者がどのように共有するかという問題