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分布パターンとそれらの成因

ドキュメント内 徽州方言の言語地理的研究 (ページ 70-74)

第 5 章 徽州方言の形成

5.1 分布パターンとそれらの成因

第 4 章では,23 の項目を一つずつ検討し,各項目の変化過程を明らかにしてきた。本 章では,各項目で論じてきた変化の要因に基づき,各地理的分布パターンの成因,つまり なぜそれらのような地理的分布が形成されたのか解明したい。表 19 は各項目の変化要因 をまとめたものである。“*”を付したものは,確定できないが,可能性のある変化要因を 表す。

表 19 各項目の変化要因

地理的分布 項目 変化をもたらした要因

AB 型分布

01「扶胡」の声母 [fu]と[xu]の合流 02「猴」の音声 介音[i]の発生・口蓋化

03 月 “明るい”の「亮」への類推・“明るい”の「亮」の伝 播

04 ソラマメ 「蚕豆」の伝播

05 昨日 「昨朝」の伝播*・類推*・逆行同化

ABA 型分布

06 拾う 「拾」,「捡」の伝播 07 寝る 「睡」の伝播

08 見る 「看」の弱化・[tshan]系語形の伝播*・「看」の伝播* 09 母屋 「庁」の伝播

10「トンボ」 民衆語源・[kɔŋ k ]系語形の伝播*・弱化* 11「宝飽」の韻母 連鎖推移などの音声変化

ABAB 型分布 12 ナス 「茄」系語形の伝播 ABAC 型分布

13 鼻 「鼻頭」,「鼻子」の伝播

14 ミミズ 民衆語源・[kɔŋ k ]系語形の伝播

15 台所 逆行同化・民衆語源・「厨」系語形の伝播 ABCA 型分布

16 ジャガイモ 「洋芋」系語形の伝播

17 サツマイモ 民衆語源・「山芋」の弱化・「芋」系語形の伝播・「紅」

系語形の伝播

多系型分布

18 父の兄の妻の

対面呼称 同音衝突・第一音節の脱落・「母」系語形の伝播 19 全濁声母 呉方言の有声無気音の伝播

20 父の妻の対面 呼称

第一音節の脱落・“改称”習俗・同音衝突・類推・「母 媽」「媽媽」の伝播*

21 そり舌音 連鎖推移などの音声変化 22 父の姉妹の対

面呼称 「姑娘」の「姑」又は「娘」の脱落

AB 型分布の多くは休歙線以東で変化が発生したものである。徽州東部は江南地域の政 治・経済の中心地である南京(江淮官話)や杭州(呉方言)などと頻繁な言語接触がある。

この頻繁な接触は徽州に二つの作用を及ぼした。一つは長江南岸の江南地域の新語形や新

66 しい音声形式がもたらされたことである。もう一つは音声変化が抑制されたことである。

“ソラマメ”と“昨日”の語形には,いずれも江淮官話から受け入れた新語形がある。

旧語形の語義の弱化とともに,江淮地域との頻繁な言語接触により,新語形がもたらされ,

徽州に定着した。“月”の語形については,“明るい”の「亮」が徽州に伝播し,“明るい”

の「光」に取り替わるとともに,呉方言の「月亮」がもたらされ,最終的に「月光」に取 って替わったと考える。つまり,“ソラマメ”や“昨日”と同様に,“明るい”の「亮」が もたらされたため,「月光」の原義が弱化し,その後に「月亮」がもたらされ,徽州に定 着したのである。一方,[fu],[xu]の合流と「猴」の介音[i]の発生・口蓋化は,いずれ も発音負担の軽減化による音声変化である。このような音声変化は普遍的に発生しやすい。

『漢語方言地図集・語音巻』(曹志耘 2008)の地図 53 と地図 15424によれば,江南地域で は同様の変化が発生した地点があるが,南京や杭州などの中心都市では発生していない。

徽州でもこのような音声変化が発生しやすいが,抑制されている地点もある。例えば,S1

(古関)とその付近地点では[fu],[xu]の区別を保存している。また,徽州中西部では口 蓋化([xiu]>[ɕiu])が盛んであるが,東部地区ではほとんど発生していない。これは外 部方言との言語接触と関係があると考える。

要するに,AB 型分布が形成された原因は,当該語形や音声形式が南京(江淮官話)や杭 州(呉方言)などで優勢であること,それらが頻繁な言語接触により徽州東部地域にもた らされたためである。

ABA 型分布には二つのパターンがある。一つは古形式が当該地域内の中部に保存された もので,ここでは「ABA 型分布 1」と呼ぶ。もう一つは古形式が当該地域内の両端や周縁 に保存されたもので,ここでは「ABA 型分布 2」と呼ぶ。

ABA 型分布 1 の例としては,“拾う”,“見る”,“「宝飽」の韻母”の三項目がある。“拾 う”と“見る”は AB 型分布から昇格したようなものである。徽州東部で江南地域からの 新語形を受け入れた一方,徽州西部では北の秋浦河や美溪河を通じて,或いは西南の江西 省から,東部と同様の語形を受け入れた。このことは,当該新語形が長江下流の江南地域 だけでなく,長江を遡って,安慶市や長江中流の江西省に至る広域分布を形成し得ること を意味する。“見る”の新語形である「看」は実際にそのような分布をしているが,“拾う”

は「捡」が長江中流地域を占めた。しかし,「捡」は歴史が長くない。「捡」が生まれる以 前,長江中下流地域は全て「拾」の勢力範囲であったはずである。

“「宝飽」の韻母”は一連の連鎖推移による音声変化であるが,外部方言の影響は全く ないかと言えば,そうでもないと思われる。肴韻の内部差は外部方言からの語彙や音声を 受け入れた時期に差異があることを反映している。『漢語方言地図集・語音巻』(曹志耘 2008)の地図 151 によれば,「宝飽」を区別しない地域は長江中下流地域を含む中国南部 に広く分布している。「宝飽」を区別する地域は,安徽省,江西省,浙江省の三省の細長 い境界地帯に分布している。このことは区別を有しない体系が徽州の両側から伝播してき たことを示唆している。また,“「宝飽」韻母”の地理的分布図は「見る」25の分布と類似 している。徽州中部で「宝」と「飽」の韻母を区別するのは古い特徴であることから類推 すれば,“見る”の「看」も外部方言からの伝播によるものと考えることができる。

要するに,ABA 型分布 1 の形成原因は,その新語形や新しい音声形式が江南地域から安 慶市や長江中流にある江西省までのもっと広い地域に分布し,強い勢力を持っていること にある。それが徽州の両側から伝播してきたのである。

24 『地図集』ではそれぞれ「府」と「虎」の声母,「楼」と「流」の韻母を比べている。漢字は異なる が,現れた音韻現象には違いがない。

25『漢語方言地図集・語音巻』(曹志耘 2008)の地図 111 である。

67 ABA 型分布 2 の“寝る”は AB 型分布の特例と見てもよい。新語形の「睡」は南京一帯 から南下したが,績溪県を飛び越えて歙県中心地に伝播した。このような“飛び火伝播”

は歙県が徽州の経済中心であることに因るものである。

“母屋”と“トンボ”では,いずれも江西省の贛方言区から徽鄱水路(閶江と楽安江)

を通して伝播してきた新語形の「庁」系語形と[kɔ kɤ]系語形を受け入れた。“母屋” の

「庁」系語形は閶江,“トンボ” の[kɔ kɤ]系語形は楽安江に沿って伝播した。地図 4 で 示したように,楽安江は景徳鎮を通過せず,その南の楽平市を経由して鄱陽湖に注いでい る。『贛東北方言調査研究』(胡松柏等 2009)によれば,楽平市では“母屋”を「堂前」

と呼んでおり,これは「庁」系語形ではない。このことから,景徳鎮市の「庁」系語形は 楽安江経由で婺源県に入ったわけではない。一方,“トンボ”の語形は,景徳鎮市でも[ɔŋ]

系語形であるが,閶江に沿って祁門県に入っていないのは,祁門県の「蜓蜻」の勢力が強 かったからだと考える。この語形は実は「蜓蜻」ではなく,「藤星」と理解されている。

「蜓蜻」と「藤星」は同音で,話者のほとんどは「藤星」と書き,籐のつるに付いた星の ようだと解釈した。このような民衆語源に支えられた有縁性の高い語形が存在したため,

景徳鎮市などにあった語源不明の[ɔŋ]系語形は受容されなかったと考える。

要するに,ABA 型分布 2(「寝る」を除く)の形成原因は徽鄱水路の下流地域,つまり江 西省北部の贛方言区で勢力を持つ語形が閶江や楽安江を通して徽州に伝播し,従来徽州に あった旧語形の領域を分断したものである。

「ナス」で見られる ABAB 型分布では,新語形の「茄」系語形が休歙線以東,及び閶江 と横江上流流域に分布している。「茄」系語形は,徽州の北東方向に位置する南京を代表 とした江南地域だけでなく,徽州の北西方向に位置する安慶市一帯でも強い勢力を持ち,

それが徽州の北東方向と北西方向から別々に徽州に伝播してきたのである。それは ABA 型分布 1 の形成原因と類似しているが,徽州西部には「落蘇」系が保たれたために ABAB 型分布となった。江西省北部では「茄」の勢力が弱く(『漢語方言地図集・語彙巻』,曹志 耘編 2008 による),それと隣接する徽州西部でも「落蘇」系が保たれやすかったのであろ う。

ABAC 型分布は“鼻”,“ミミズ”,“台所”の三項目で見られる。“鼻”では,東部地域が 新安江南岸の郷道に沿って呉方言から伝播した「鼻頭」を受け入れ,西部地域には安慶市 一帯から伝播した「鼻子」が侵入し,閶江以西の祁門県を占めた。つまり,“鼻”の分布 は,呉方言及び安慶市一帯で優勢であった語形が徽州の両側から伝播してきたことによっ て形成されたものである。東部地域に新語形の「鼻頭」が伝播したのは,徽杭水路などの 交通要道経由ではなく,郷道を経由したものかと思われる。

ABAC 型分布の“ミミズ”と“台所”は“トンボ”にみられる ABA 型分布 2 から昇格し たようなものである。新語形である“ミミズ”の[khuaŋ khuɛ]系語形と“台所”の「厨下」

は,いずれも徽鄱水路(閶江と楽安江)に沿って祁門県と婺源県に伝播した結果,ABA 分 布が形成された。その際,旧語形が単なる無縁記号であったため,“ミミズ”は歙県で,

“台所”は婺源県で,それぞれ民衆語源により新語形 C が生まれたと考えられる。但し,

外部方言の影響ではなく,弱化や民衆語源の内的変化によって,新語形である“ミミズ”

の[xau xuɛ]系語形が生まれた可能性もある。

ABCA 型分布は“ジャガイモ”と“サツマイモ”の二項目に現れた。ジャガイモ”では,

東部から徽州に侵入した新語形「洋芋」系が歙県周辺の「馬鈴薯」を駆逐できず,休寧県 の「馬鈴薯」と妥協して混淆形の「馬鈴芋」を生んだ。つまり ABA 分布の B から新しい語 形 C が生まれたことになる。サツマイモ”の分布の成因は,“鼻”のそれと類似している。

東部で南京などの江淮官話から伝播した「山」系語形を受け入れる一方,西部では安慶市

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