第 3 章 環境イノベーションに関する決定要因の実証研究
3.2 先行研究と背景
3.2.1 環境イノベーションに関する背景
企業や事業者が経営の中で自主的に環境保全を目的とした取組みを進めるにあたり、環 境に関する方針や目標を設定し、達成に向けて取り組むことを「環境マネジメント」、この ための経営組織内部の体制や手続きを「環境マネジメントシステム」(Environmental Management Systems :EMS)という。1995 年に現在の EU で発行された Eco-Management Audit Scheme(EMAS)、1996 年から始まった国際規格である ISO14001 、同年環境省が策 定したエコアクション 21 などが代表的な制度として挙げられる。
ISO14001 は国際標準化機構(International Organization for Standardization)によって 1996 年に策定され、2004 年に規定の明確化を目的とした規格改定が行われた。この国際規 格を満たしている場合に、企業や事業者などの申請者は認証を得ることができる。認証を得 るためには、環境パフォーマンス改善につながる計画を立て、実行した後に、環境パフォー マンスが改善したかの確認、計画の見直しという PDCA サイクルを確立する必要がある。
一度、認証を取得すると 3 年間登録が有効であり、定期的な外部監査や更新時の審査が行 われる。環境省(2017)の「環境にやさしい企業行動調査結果」によれば、EMS 認証取得に
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よる効果として、「社員の環境への意識向上」が 92.9%、「環境負荷低減」が 83.3%、「コス ト削減」が 49.4%、「社外評価の向上」が 49.3%となっている。日本のデータを用いて分析 している Inoue ら(2013)は、この EMS 認証取得によって、企業は自社の生産活動の環境へ の影響をより正確に測定することができるため、企業がさらなるイノベーションの機会を 見つける可能性があり、環境 R&D 支出を促進するかもしれないと述べている。
日本における EMS の導入状況について、経済産業省(2019)の「2019 年工業統計調査」
が公表している産業別事業所数(工業統計事業所数)、2020 年時点の日本適合性認定協会
(JAB)が公表している産業別 ISO14001 取得組織数(EMS 適合組織数)が下記の表 3.1 となる。産業によって ISO14001 を取得している割合には違いがあり、最も取得している比 率が高い産業は石油・石炭・ゴム・プラスチック製造業の 8.3%、続いて金属製品加工業の 5.5%、輸送用機械製造業の 5.4%、電気機械器具製造業の 4.7%、パルプ・紙製造業の 1.9%
となっている。他方で、木材・コルク製造業や繊維産業、食品産業、窯業、その他の製造業 は 1%以下という低い比率となっている。
表 3.1 日本における EMS 導入状況
産業 EMS適合組織数 工業統計事業所数 比率
食品 359 44898 0.80%
繊維 143 30100 0.48%
木材・コルク 87 28868 0.30%
パルプ・紙 562 29589 1.90%
石油・石炭・ゴム・プラスチック 2663 32170 8.28%
窯業 135 16886 0.80%
金属製品加工 3280 59223 5.54%
電気機械器具 3281 70228 4.67%
輸送用機械 795 14624 5.44%
その他 137 21736 0.63%
イノベーションに関しては、実際に観測することが困難であるがゆえ、定義が広く、複 数の指標が存在する。例として、「Eco innovation」の定義について Kemp and
Pearson(2007)が以下のように述べている。
「組織にとっては、新しい製品の生産や結合、利用、生産プロセス、サービスまたは管 理、経営手法自体やその開発、採用であり、そのライフサイクルを通じて、環境リスク や汚染、その他の資源利用の負の影響を削減する結果をもたらす」
したがって、環境イノベーションは新製品の開発や生産工程における環境負荷削減のみな らず、組織運営や顧客サービスのなかにも存在すると考えられている。
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環境イノベーションの概念は上記のように考えられているが、実際に観測できるイノベ ーションの指標は限られたものとなる。Haščič and Migotto(2015)の整理では、イノベー ションの指標として用いられるものは、第一に研究開発費及び研究者数、第二に学術論文 の発行数、最後に特許取得数であり、それぞれの指標に⾧所・短所がある。まず、研究開 発費及び研究者数は、イノベーションを目的とした資源投入戦略を考察が可能であるとい う点が⾧所である。他方で現実のイノベーションの成果を意味していないこと、具体的に 開発された環境技術を特定することが困難であること、先進国や限られた産業以外でのデ ータ取得が困難であることが短所として挙げられる。つぎに、学術論文の発行数は Web of Science をはじめとしたデータベースの利用が容易であること、引用・被引用の関係性が 明示的であることが⾧所の一方で、検索ワードの設定方法が重要であることやそのキーワ ードの文意を確認する作業が必要となる点が短所である。最後に、特許取得数は研究開発 の産出要素としてみなすことができること、特許分類を利用することで環境技術の特定が 容易であること、特許引用データベースを利用して特許の重要性を区分できることが⾧所 である。短所として、イノベーションの一部分に過ぎず、特許申請されない技術も存在す ること、実際に特許を使用している企業の情報は不明であること、特許が市場に対しての 新しさであり企業に対してではないこと、特許の価値の分布に歪みがあり意味ある特許は 全体の一部に限られることが挙げられる。しかし、環境 R&D 支出は企業の研究開発にお ける投入要素に過ぎず、企業の研究開発に対する姿勢をうかがうことはできるが、研究開 発の行程でどのようなことが行われているか観測することは容易ではない。この点におい て、企業の研究開発の成果物の一部である特許がどの程度申請されているか、関係性をみ ることは重要であると考えられる。
本分析では、環境イノベーションの指標として、2004 年13から 2017 年の間に各企業が取 得した累計特許数のうち、環境問題に関連する技術区分に含まれる特許を「環境関連特許」
と定義している。知的財産研究所(Institute of Intellectual property: IIP)が公開している
「IIP Patent Database」を用いて作成した図 3.114に示すように、日本全体の傾向としては、
出願公開制度が導入された 2000 年以降の特許数は 2000 年代初頭のおよそ 45 万件をピー クに年々減少傾向にあることがわかる。それに対して、環境関連特許は、2000 年におよそ
13 本研究では、2003 年に実施された「環境マネジメントに関する OECD 事業所調査」の 調査後の企業行動を測定するため、2004 年以降の特許数を把握した。
14 今回使用した「IIP Patent Database」は 2015 年度末までに提供された整理標準化データ から作成されていて、整理標準化データは特許庁公報の発行に基づいている。したがって、
①2000 年に導入された出願公開制度以前で公告に至らなかった出願、②出願公開前に何ら かの理由で取り下げられた出願、③出願後 18 か月を経過していないため未公開の出願、な どが含まれていないことに留意したい。
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12 万件の出願があり、2014 年にも 10 万件近くの特許出願がなされている。特許全体に占 める環境関連特許の比率(環境関連特許数/総特許数)で時系列変化をみると、2005 年まで 27%前後を占めているが、それ以降には年々環境関連特許が占める割合が上昇している。
図 3.1 日本における特許取得数の時系列変化
3.2.2 環境イノベーションに関する先行研究
先行研究でイノベーションの指標として、研究開発費を用いたものには、
Inoue(2013)、Flondel(2008)、Rennings ら(2006)、Demirel and Kesidou(2011)などがあ る。また、特許取得数を用いた研究には、Popp(2002)、Brunnermeier and Cohen(2003) や Wagner(2007)、Johnstone ら(2010)、Ghisetti and Quantoro(2013)、Hascic and Migotto(2015) がある。研究開発費をイノベーションの指標としている研究の多くは、サ ーベイ調査を行うことで企業ないし事業所あたりの環境関連R&D支出や、製造工程の変 更や汚染排出削減のためのエンド・オブ・パイプ汚染制御技術実施のデータを取得してい る。したがって、これらの研究では、環境イノベーションについて、より多角的かつ詳細 な視点から分析が可能となる。
Jaffe and Palmer(1997)や Wagner(2007)は研究開発費と特許取得数の両方を指標として 用いている。Jaffe and Palmer(1997)の結果では、公害防止費用を環境規制の強度の代替指 標として用いて、環境規制の強化は特許で測ったイノベーションには有意な影響はない が、企業の R&D 支出を増加させることを明らかにした。また、企業単位の環境イノベー ションの尺度として特許数を用いている数少ない研究の一つである、Wagner(2007)は環境 マネジメントシステム導入および R&D 支出が環境イノベーションに与える影響について
0.24 0.25 0.26 0.27 0.28 0.29 0.3 0.31 0.32
0 100000 200000 300000 400000 500000
環境関連特許数 特許数 比率
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分析している。この研究では環境イノベーションの指標として、アンケート結果(環境に やさしい製造工程におけるイノベーション、環境にやさしい製品開発におけるイノベーシ ョン)と特許取得数を採用して分析した結果、環境マネジメントシステムは製造工程にお けるイノベーションのみを促進する効果を持ち、製品開発に関するイノベーションには影 響しないこと、加えて特許取得数が減少することを明らかにした。また、R&D 支出は特 許取得に影響しないという結果も示している。
これまでの先行研究からみると、イノベーションの指標として何を用いるかは研究目的 やデータの利用可能性によって異なっている。しかし、Haščič and Migotto(2015)が国単 位の比較を行い指摘するように、研究開発費は研究開発を成功させるための投入要素であ り、取得特許数は研究開発の具体的な成果である。環境マネジメントシステムの採用が環 境イノベーションを促進するという関係をみるにあたり、イノベーションに対するインセ ンティブとして投入要素で測定するだけでなく、具体的な成果である特許数を用いて分析 することで、国単位ではなく、企業ないし組織単位というより細かいレベルにおいて環境 マネジメントシステム制度がイノベーションの具体的な成果につながるかどうかを明らか にすることが重要な課題である。なぜならば、企業の自発的な環境マネジメントに関する 取り組みや研究開発に対する投資行動を通じて環境問題に貢献していること、それらの企 業行動が社会厚生を改善する点で政策介入が正当化されうることを明らかにする可能性が あるからである。
3.2.3 ISO14001 の影響に関する先行研究
ISO14001 の取得要因と取得による環境パフォーマンスの改善効果に関する研究は既に 多くなされている。日本では Nakamura ら(2001)が企業規模や従業員の平均年齢、輸出比 率が取得に影響を与えているという結果を示した。また、Nishitani(2009)は取得年数によっ て決定要因が異なること、組織の経済的業績と取得の有無に正の関係があることを明らか にした。また、環境パフォーマンスの改善について、Potiski and Prakash(2005)はアメリカ の企業を対象にした研究で、ISO 取得が環境汚染の削減効果につながることを報告してい る。Ziegler and Rennings(2004)の分析ではドイツの企業では、環境マネジメントシステム の一つである、EMAS の取得は環境改善と統計的に有意な関係にないが、ISO14001 は排出 削減行動や環境イノベーションと弱く正の影響を及ぼすと結論付けている。日本を対象と して分析では、Arimura ら(2008)が ISO 取得と環境報告書の公開が企業の環境パフォーマ ンスに与える影響について分析している。彼らの分析では、資源利用、固形廃棄物、廃水を 従属変数として用いて排出削減効果がみられること、自治体による ISO 取得補助事業の制 度には企業の ISO14001 取得促進効果がみられることを明らかにしている。また、岩田ら (2010)では ISO 取得企業がトルエン排出量に与える影響を分析し、ISO 認証制度がトルエ ン排出量の削減に機能していることを示した。