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ドキュメント内 真宗研究27号全 (ページ 33-48)

序 かつて﹁真宗研究﹂第十二輯︿昭和四十二年十一月発行︶で諏訪義譲師が﹁道縛の帰浄について﹂論究されたことによ

り︑道縛の帰浄に関する疑義の歴史学的見地からの解明がなされた︒道緯が実践宣布した浄土信仰の道場である石壁 山玄中寺︵永寧禅寺︶に筆者も昭和五十六年七月七日参詣する好機に恵まれ︑曇驚||道綜

l|善導三祖の遺風を謹か

背日にしのび︑終日筆者を感激させた玄中寺の祖庭は太原市の西南六十キロの幽寂の山寺︑安定村から連逢の谷聞を ぬって入った山ふところで現在も明達住持以下七名の僧によって法灯が護られていた︒

道縛の帰浄の動機を一般的には︑曇鷲の行業を誌す玄中寺の碑文︵今は散失﹀を観て翻然︑帰浄したと伝えられ︑極 めて瞬時に帰浄したごとくそれが安易に成立したごとくに解説されることが多い︒それは禅師の短絡的精神転回とも 理解される危険性を与えることになりはしないのか︒思えばどうして求道そして信仰確立の一大事が少時で達せられ たの であ うろ か︒ 道綜 師禅 にお ける 機の 本質

道線 禅師 にお ける 機の 本質

二八

言うなれば︑曇驚の碑文は道縛の信心確立への一大視標︑或は最後的決断とも言うべき役割を果たしたものと推察

したい︒もっとも碑文の影響を決して軽視するものではなく︑碑文を尊重する立場から︑むしろ聖浄二門判を産み出

すほどの禅師己身の修道過程において︑一体何が問題となっていたのかと言う点で︑以下に考察の試みを進めるもの

である︒禅師の内奥の苦悶のすがたとその超克に至る歩みの一端を﹁安楽集﹂に即して考察し試論してみよう︒

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みに一九八

O

年八月印刷発行1山西省文物工作委員会発行

l

の中国文物小叢書

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丁明夷執筆の﹁玄中寺﹂の中で道縛

﹁山 西井 州名 僧道 縛︑ 原精 子ゥ 浬襲

︒学

入玄中寺受到曇驚碑文的感召市修浄土宗﹂と禅師の略伝を紹介してい

るリ 玄中 寺で 入手

︶︒

禅定と六度の破綻

﹁一

切衆

生皆

有仏

性︒

遠劫

以来

応レ

値一

一多

仏﹁

何園

至レ

今仰

自転

一一

廻生

死一

不レ

出ニ

火宅

レ﹂

の問

いは

﹃大 集経

﹄の 五百

年説により︑今は第四の五百年に当り正しくこれ機悔し修福し仏の名号を称すべき時であると定めている︒

また

一方では﹁菩提心を起すならば無始よりこのかたの三界の迷いを離れる︒その功徳を廻向して菩提の果を求

める

なら

ば︑

皆よく仏果をさとって菩提心が滅びることがない﹂︵第二大門の第二と言い︑安楽集一部の総結流通の

﹁撰

集流

通徳

︑並

日施

一一

於一

切﹁

先発

ニ菩

提心

﹁同

帰コ

向浄

国﹁

皆共

成一

一仏

道こ

に述べられた﹁皆共成仏道﹂は仏教の目

的であり仏の理想である︒

しかしながら道紳は﹁機類の上下を摂め﹂︵第一大門の第八﹀具体的には

﹁天 親・ 龍樹 やそ れよ り上 位の 菩薩 も︑

に救われる﹂︵向上︶実践道を﹁機﹂の上に確実なものとせねばならなかった︒

ところが︑その実践道は﹁大乗教に説くところの真如︑実相︑第一義空とかと言う理を心に措いてみたことさえも

あるだろうか﹂と絶望し︑

一方の﹁小乗教については︑惑を断ち迷いを去る修行に堪えうる能力を有しているだろう

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﹁それどころか道俗を問わずにそれが出来るものはない﹂︒また﹁五戒・十善を持ち得る者は甚だ希である﹂﹁も し起悪造罪は恰も暴風駿雨と異なることがあろうか﹂と末法劣機の悲歎が限りなく告白される︒更に﹁在レ此修レ因向ニ 仏果

−名 為ユ 難行 道こ と難 行道 の理 由を 弁じ

︑自 力の 相を 指し て﹁ 有レ 人怖 一一 畏生 死− 発心 出家 修レ 定発 レ通 遊申 四天 下主

﹂ と説明し︑主として禅定を自力の実践と道縛は見ている︒

︵第

三大

門第

一﹀

禅定 につ いて は︑

︵第四大門第二の六に禅定・智慧や無量の願行が仏によって成就することが出来た︑

と大智度論

を引くH

間接的︶直接的には﹁この世界の禅定﹂と

﹁かの浄土についての坐禅観法﹂とを比較し往生を勧めている

︵第五大門第二﹀︒そして上記の難行道が遅い道であり仏果到達には次第階級を経ねばならぬ道理があって﹁当今の凡夫 は不定棄と名づけ︑未だ火宅を出ておらない﹂︑と言う︵第五大門第一﹀︒更に難行は三大阿僧祇劫の問︑六度などのす べての行業にみな百万の修行の難あり﹂とする︒

かかる﹁禅定﹂や﹁六度﹂の行に道縛の最大の関心があったことが分かり︑現にその実践者を高く尊崇している︒

それは第四大門の冒頭に出す﹁中国此土の大徳の所行に依る﹂六人の大徳がそれであろう︒この六大徳については古

来種々論議されているところだが︑

歴史上明白な次第相承を確認立証されなくても︑

﹁二諦の神鏡・仏法の綱

維﹂と仰ぐべき﹁志行古今に稀な﹂大徳で︑道縛自らの﹁師承﹂と仰がれた人々であろう︒試みに筆者は六大徳を上 記の禅定と六度の行とに錬達した亀鑑と道縛が考えていたのではなかろうか︑と思うのである︒

一方

︑道

縛の

述懐 によ れば

﹁すべてこの境界は穣れた境界であり︑想いが乱れるので禅定に入り難い︒たとい修 め得たとしても事定︵有漏の禅︶を得て︑多くは好んでその禅定の味に執着する︒又︑未だ欲界の業報が顕れないよ うに 押さ えて いる だけ で︑ 色界 無色 界と いう 上の 世界 の寿 命が 尽き ると 多く は退 転す る﹂

︵第 五大

門第

一一

︶︒

﹁も

ろも

ろ 道縛 禅師 にお ける

機の

本質

二九

道綜

禅師

にお

ける

機の

本質

の菩薩たちは上地に至るまで常に念仏念法念僧を学んで始めて無量の行願を成就し︑功徳を満足するのである︒

. .

 

この念仏三昧は一切の四摂︵布施・愛語・利行・同事︶と六度を具えて︑通じて諸行を具する行である﹂ハ第四大門の

第三︶等に見える道緯の自釈に︑絶えず禅定や六度のことが強調され懸念され言及されている筆法には︑我々の注意

を惹 くも のが 存す る訳 であ る︒

きれば道縛の修道実践の純化は

﹁此

身苦

所レ

集︑

一切

皆不

浄﹂

︵﹁

涯繋

経﹂

引用

︑第

三大

門第

三﹀

とこの身は煩悩の起こる根本で何の利益もない︒

と輪廻無窮を傷み

ご切衆生︑都不=自量こ

ハ第

三大

門第

三︶

と道俗の機を深く反省せしめ

﹁自

徳未

立﹂

﹁自

行未

立﹂

ハ第

三大

門第

一︑

第二

大門

第二

の四

と﹁勝果の難階﹂さを徹底せずには︑新しい実践の道は開拓されなかったのであった︒

去=大聖−遁遠︑理深解徴の二由をもって聖道難証とし集主は難行道を聖道とした︒道縛は自己の修道実践を通して

末法の悲歎と時機相応の弥陀教に値遇する自己を自ら﹁凡夫﹂と示している︒その実例を挙げれば︑

︒久遠劫よりこのかた︑徒らに生死の身を受けて今日に至るまで︑なお凡夫の身となっている︒

︵第

三大

門第

三の

二︶

︒凡夫の心は野馬の如くまた猿の動くよりもはげしく六塵など外のことにかかわって︑未だ曽て停息しない︒︵第二大

門第

三一

の五

番︶

︒もし不退転以上の人ならばよく積土にあって︑人々の苦を抜くことが出来る︒もし実の凡夫ならば恐らくは白行未

立なので︑人を救わんと欲えば共に没してしまう︒

︵第

二大

門第

二の

四︶

等に見ることが出来る︒そして﹁聖者であれば能力があって自由自在にどこへでも飛ぶ能力があって方角をかまわな

ただ我ら凡夫人は身と心とが離れないから︑もし余方を向いておれば西方に往生することは必ず六ケ敷

いけ

れど

も︑

いであろう﹂︵第六大門第二︶︒更には﹁弥陀の浄土は聖者のみの往きうる浄土ではなく︑我ら凡夫火宅にして偏えに有

相の普によってそこへ到りうべき浄土である﹂︵第六大門第三︶等の道縛の記述に自身を深く自覚して明らかに凡夫と

信知していたことが分かるのである︒

従っ て﹃ 安楽 集﹄ の﹁ 採ニ 集真 言一 助一 一修 往益 こと の言 明は

まさに﹁前生者導レ後︑後去者訪レ前﹂等と明かす次第

で︑皆経論を引いて証明することは︑その目的はすべて﹁勧信求往Lに他ならぬ︒換言すれば︑道綜はひたすら自他

の﹁生死﹂の超克と﹁往生﹂の勧励と﹁仏者﹂の使命とに奮起するのであった︒これは単に第一大門の叙述に限った

もの

では

なく

﹃安楽集﹄全体を一貫する禅師の深い願いに立った信仰体験の書に内蔵された肝蹄とも言わねばなら

hh

Hhv道縛にあっては︑学理の披歴ではなくその生涯を専ら教法の実践

l

機・教・時の一致相応ーを証明し讃嘆して行つ

た求道者︵そして伝道者︶の先駆であったところにその特徴がある︒

!II! 

II

道縛によれば︑放逸こそ衆悪の根本でありそれに因って輪廻するのであり︑逆に不放逸であれば善であると言い︑

道綜

禅師

にお

ける

機の

本質

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