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第五部会 

  

以上の図示からも 

成 身舎始め 四 曇の世界に於ては大悲 を根底 

に 有し菩提心 聞 顕の因位の立場に置かれるが︑四郎 会 では菩提 

心証得は自我の否定を意味し金剛部の主尊を代表し︑ 一印金︑ 

理趣 舎 では主事となっている︒勿論 成 ︑三︑微︑供の 四曇 の 世 

界の究極は実在との交りであり何れも背後に二 根 交会 の 金剛 サ 

ッタ の世界に生きることを 経疏 等に説かれてはいるが︑ 一印︑ 

理趣の二会になってそれが表面に出て来て宗教体験 証 得の世界 

内容が具体化されるのである︒更に四切︑一印︑理趣 の三 マン 

ダラ では救済を示す鉤素 鎖鈴 の 四 摂は蓮葉で象徴し大 悲 胎蔵の 

門を開く全治不二の世界を予見し︑一方金剛 サ 世界煩悩 均     即 菩提の立場から か 慾は大慾に転換され永遠の菩薩道 を 歩む主 

体 となり︑ここに系統を異にする理趣経の教義とが 互 に 

相応的  理趣  舎  実在の智に生かれあるとともに金  た一切の行動剛界全体の果位  それは自我に対しの否みの世界  金剛界の主尊で  一印金  百壷田  実在の智 

  

四 

  

ム 

互 

  

     

口か 

莫目 

美哉  智否  る定  得の  る世  こ界 

  

とが  金 

     

主 

  

尊 

供養  会突リ  ア  成  身舎と同じ位の菩  薩 

  

成 

身舎 

又 のな 

三昧耶 

会乏の 

︵ せド田 

微細金文 

農 

成 に大の大 

  

とあ 皆 

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じ柿ミ甘、  @,    

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全 と  の  ア 

体 と一 シ 

のも  菩ク  最に  薩の 

切金で四    

因果  る近 

                 

毛見春雄 

初期仏教経典の成立によって仏教史伝がその内容を持 つに 至  っ たのであり︑初期仏教経典に於て史伝として定まっ た 形式を  持たないものが断片的に史伝的役割を果して経の中に 或は経と  して存在しているのである︒この初期的なものが独立 の 仏教典  伝 として存在を示すに至った 二 傾向を初期仏教の中に 見ること  が 出来る︒第一の 傾 同は五部四阿含の形にまとめられ た 経に 姶  まりやがて論えと伝承せられて行った史実に基 く 忠実 な 記述で  ある︒次に第二の傾向は史伝としてまとめられる仏陀 及び " ての  弟子についての伝承の記録である︒この 二 傾向は明確 に 区別 せ  られるものではなく︑それは経の形をとるものの中に 伝承的 説  話 が説述せられているのであり仏陀 伝 仏弟子伝の中に 仏陀の教 

説 が論述せられているのである︒ 

この 二 傾向に見られる仏教史伝の内容は史実と虚構と により  成立し︑仏教史伝としての宗教的存在の価値はその 虚 構 性の中  にあるのである︒史実の中にあるよりも虚構の中にこ そ 宗教的 

意義を見出し ぅ るのでありそこに宗教的目的がある︒ 

︐  ﹂の仏教 

史伝の持つ虚構について︑それが宗教的目的即ち解脱 のために  非 ざるものを揖すのである︒三蔵の中に於てその経由 に 断片的 

に 説かれるものであっても︑ 又 独立の史伝書と認めら   

であっても︑いずれもこの虚構を史実と共はその内容 としてい  る ︒史伝なるが故に歴史的事実の記録であるが︑歴史 内事実と 

歴史的事実と考えられるものとが記録せられている︒ 

︐  ﹂の歴史  内事実の記録以外に時には虚構的伝承的説述を内容と 記録した  ものがあり︑特にその虚構的なもの即ち虚構性に宗教 的 価値と  伝置 とを与えているである︒更にその虚構性の中に重 要 な宗教  的 意義 甘 置いて伝承的描写と記述をしているのである ︒この 虚  横約表現や非史実的記録が仏教史伝に多く用いられて いる理由  は ︑史伝作者の持った宗教的信仰と熱情とが大きな 役 目を果し 

ていることである︒ 

この宗教的信仰と熱情が非史実性即ち虚構性を生み出 したと  いうことは矛盾している特に考えられるが︑相互祖谷   

のが史実経験判断甘肌 沌 飛躍した宗教的解釈と理解と を 生み出  したものである︒この平凡・な作者の心理が虚構を構成 し 記録し  たのである︒この事は仏陀入滅の歴史的事実により 生 じた存在  した仏陀の存在しない事実に対する仏弟子の存在しな い 仏陀︐ え  の 思慕と帰依の問題によって知られるのである︒存在 した仏陀 

に 対する史実的帰依が︑存在しない抽象的な仏陀に 代 わる浩え  虚構とは伝説的虚構即ちⅠの裾 乱ぃ 

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という へぎ も 

ので︑非史実的なもの即ち歴史的事実目 降 0 

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仏教史伝の虚構の限界について  し  ︑理趣経マンダラの世界観に展開する︒金剛  サ 

    

数  々表層℡四ホイントにたると考えられる︒  のである︒ 

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第五部会 

  

帰依 

を意味れる伝の栢 

違 

の 

虚構の  楡 本 ・  立の史  論ま り  次に 

いる。 

信 宗教  展によ  た仏に  滅 右の  限 って  宗教的  限定せ  忠 の 

の内容  この  のであ  的信仰  み出さ  新しい  具体的 

     

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のがも  の  た教生れが 

  

@..@@ Ⅰいけ テソ 

   伝の持つ虚構と信仰の結びつぎが︑史実と信仰との 関 係 以上に 

はるかに深いものであることを知ると同時に信者の宗 教 的態度 

と 立場の重要性を見るのである︒ 

道元の戒律思想について  石田端 

麿 

道元の戒律思想を窺 う ための第一段階としてまず道元 0 節 如  浄の戒律 観な っぎとめて置くことが必要である︒それ を語る史  料は限られているが︑そのもっとも有力なものはコ室 慶 記ヒの ‑ 

﹁葉山の 高 沙弥﹂について語った如浄の言葉である︒ そ こには 一 @ 同  沙弥は沙弥 戒を 受けたが︑比丘 戒を受 げなかったから   

い う 身分に止まり︑仏祖正伝の仏戒を稟 愛 したことに よって 菩  薩 沙弥と尊ばれた趣意が語られている︒このことは シ ナ におけ  る 伝統的な慣例が禅林でも行われていたことを語るコ目 丈 清規 ヒ 

﹁ 禅苑 清規 ヒ の説くところと一致している︒ただ﹁仏祖 正伝の  仏戒﹂という捉え方は智 鑑 ・如浄と相伝された菩薩戒 にかぎら  れたことを語っている︒しかしここでいう﹁仏祖 正 ・ 伝   

は 梵網の菩薩戒であろうと推察される以上に︑それが どのよう  なものなのか︑明らかではない︒これを﹁正法眼蔵 受 戒 ﹂によ  って十六条 戒と 規定 廿 ることは早計である︒なぜなら ﹁正法眼  蔵 受戒﹂には史料としての情想 性 にかける表現が認め られ︑ こ  れはむしろ道元の信念を語ったと考えられる比重が強   

ある︒そしてこのような意味においてまた如浄の戒律 観を伝え          

  

  

  

テ ヰル・ ナ 

Ⅰ 

甘 Ⅱ 百 ‑ 紘 

            「 

たものと うげ とられる㍉仏祖正伝菩薩戒作法 L と司教 授戒文 し  も ︑いわれるごとき︑如浄 栢伝 のものとすることには 疑問が + の  る ︒おそらくこの二つは道元およびその門流の手にな   

であろう︒この疑問を起させる理由の一つは︑この 二   

に 十六条戒を説いていること︑とくに後者は他に類の な い 異質  的 内容からなっていることである︒その二は﹁水平視 師 得度 略  作法しに十六条戒を説かないことである︒これをその あるがま  まに認めるならば︑時間的には コ 菩薩戒作法 L と﹁ 正 法眼 蔵受  威 しとの間に位置する﹁ 略 作法﹂を説明することが 出 来 なくな  るからである︒その三は日菩薩戒作法 L の奥書﹁古来 大宝 慶元  年 ⁝大来宅塵中低芝地﹂の情想 性 が薄弱であることで ある︒ 

こうしたこのから︑十六条成の成立は如浄においてす でにあ  っ たのではなくて︑道元によって考え出されたと推定 すること  ができる︒しかし十六条 戒 という思想は道元の当時す でに他で  説かれていることを考えあわせると︑道元自身当時の 戒律観に  影響されて︑これを説いたとするのが妥当であろう︒ したがっ  て 十六条 戒は ︑如浄から 栢伍 されたものではもちろん なく︑ 道  元 にいたって︑それも﹁ 略 作法﹂の成立した嘉祥三年 よりも 以  後にとり上げられるに至ったものであろう︑と推定し たい︒ そ  してその意味からまた︑㍉菩薩戒作法しも道元が如浄 に 菩薩戒  を 受けた式のそのままを再現したと考えることが不可 能 である  から︑菩薩戒 単 受の作法として 同略 作法 L よりもあと に 成立し 

たものと考えることができよう︒ 

こうした推定には問題があるかもしれないが︑しかし 如浄に  よって︑まったく異質的な十六条 戒 がすでに語られて いたとは 

  

  

道端  良秀 

放生思想ということは︑生類を放つということ︑生命 を 自由  にするということ︑ 生 ぎものの生命を自由にし︑解放 するとい  ぅ ことである︒人間は勿論のこと︑鳥類︑獣類︑生類 などの 生  命 な︑ 死からこれを救い︑或は束無から︑これを解放 して︑ 自  由 にすること︑これを放生という︒これは仏教の思想 であり︑ 

それの実践運動が︑放生会 亡 何 % であり︑放生地の 設 置 であ っ 

た 

一体仏教の不殺生戒は︑五戒十戒具足戒における第一番 目の 

禁戒で︑出家在家を問わず︑一番重要な戒である︒ こ    考えられないし︑これを許すとすれば︑説明困難にお ちいるほ 

かはない︒またまてに十六条 戒が単 受の伝来の戒とし て 与え ろ  れたのに︑それど 異 なった三帰・十戒・三家・千重と い う 異質  の戒 作法をつくって︑さらにまた十六条 戒 な説くⅠ 正 法眼 蔵受  戒 ﹂を示した︑ということも︑道元の戒律思想を時間 的発 過程  の うえ でとらえる必要を等閑に付したぎらいがあると 

思われ 

る ︒このような視点から︑これら雑多な史料を説明す 

るため 

こうした仮説を立ててみたが︑この仮説を足場に 改めて 別  0 機会に道元の戒律思想を考察してみたいと思 う ︒︵ 紙数の関  係 で細説がでぎなかったが︑機会をえて詳しく論じよ うと 思 っ 

ている︒︶ 

中国仏教と放生思想 

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