概要
同日米租規 条約口をはじめ︑諸外国との条約締結によっ て開 回 した日本に︑キリスト教が再び渡来した︒天主教は 再 渡来で あり︑新教また新しく渡来した︒しかもキリスト教は ︑ 依殊と
して禁じわれてある宗教である︒ 当拙 ︑批判 排穏け皓 中 となら 匡
桜井 明治初期におけるキリスト教批判
ない︒なぜたらば︑神には︑人間が知解したひ名付け たりするようなのの ロざコ ︵ @a は存在しないから︑ ︐ロの目お海コ 0 コの り Ⅰ 一 0% ㏄Ⅰ のヰ ㏄ りで ‑ の巳︐ほ 拒否もされない︒何故ならば︑神は紐 宮のコ ︵ @ ハを 欠如 しないからである︒むしろ︐
旨
扁の降の毛の﹁のの 丑臼 の ︐とい* われ たれ Ⅰはな 八ワ ないと述べていて 勺 ︒トマス ド は一口ソバ ル ・ ツス 命題
集 註解・一ではこの三つの方法を関係分類的に述べてそ の 相互の
関係を示している︒ハンス・マイヤーもこの三者の関係 を pnn 日 の 緊 ごとり呂ロのの上から説明しているし︑ガリ ヴ ・ ‑ フプラン ヂュ は︑アナロギアとこの三つの方法との関係を示し ている︒
神の認識のこの三つの方法は︑方法としては相互に異 っては
いるが︑独立的なものではなく相即的なものであり︑ 平面的 並 列 的に考えられるような関係ではなく︑立体的に重層 的に ︑勅 ムロ的に結合し︑調和してはたらく七ので曲り︑しかも ︑それが
昌已︒ 住 りの コ ︵ @ のの下に行われるのである︒
(312) 52
第三部会
我が国におけるキリシタン史の研究は︑明治初年以来 ︑幾多
の 諸先学によって飛躍的に発展をした︒就中︑天正︑ 慶長雨 使 節行︑キリシタン版︑国内文献︑遺跡遺物等の研究は 特筆に 価
するし︑古来の欧請文献であるといえる︒
然らば吾人は︑現状に満足できるであろうか︒斯界 の 権威 づ ・の・のりす け Ⅱ す 八ロ P 当コの Ⅱの・︶:㌧・ 弓 ・Ⅰのりす曲二のの ロ ・㌧ qoh ナ F. レ丁ま毬円巴 ad ふダ巾 ︵ 0 デ 0. 力 ・ し ox のⅡ等の近 著 をみる と︑ 我が手 界 が史料的に甚しく 立 おくれていることを 痛感させ られるし︑欧州各地に埋蔵されている関係史料に接す ると︑ こ れを輸入して 豊宙 な原典史料に 塞 いて研究を進めるべ ぎ 段階 が 到達したことを 蓋 めざるを得ない︒従来我が国に紹介 された 文 献や文書の多くは︑公開さるべ き 教化的︑読本的性格
あって︑現存する史料全般から見れば一部また一方的
過ぎざるものを根拠として︑各国︑各修道会の利害 得 失が 錯雑 した十六・七世紀の日欧交渉史上の複雑な諸問題を簡 単に結 抹師 つげることは戒めねばならぬであろう︒幸いにして︑ 欧 地 での 文書の整理と調査は急速に発展しつつある 為 ︑舌人は
今日︑在の
欧 キリシタン文書の分布と性格を大要把握し得るので あり︑ 筆者の見るところ︑関係文書数は少くとも四千点 位 てあ ろうかと 穏
松田毅一 キリシタン研究史料に関する考察
することとし︑ただそれらの書名を掲げるだげに止める︒ る ︒""
Ⅱ
思 ︐ 5 ︒
キ リシタソ 関係文書 は ︑西︑伊︑ 葡 ︑英︑ 蘭 ︑メキシ コ 0 図 書館︑文書館︑修道院︑個人の文庫の外︑ゴア ︑マヰ う に多数
と マカオに少数あり︑マラッカには存在しない︒
これらの文書を種類により仮に分類すると次の如くな るであ
ろ う ︒
Ⅱ イニ ズス会日本国内通信
㈲ イヱ ズス 会 初期日本発信︑欧州︑イソ ド宛 一般書翰
㈲イエズス会後期日本発信︑欧州︑イソ ド 宛書翰
㈲イエズス会日本年報
㈲イエズス会非公開書翰︵日本司教︑巡察 師 書翰︑ / コクラド
ル 関係文書︑総長宛書翰︶
㈹日本人欧文書翰
㈲日本文書翰
㈹在日︑日本文文書
㈹欧州俗人書翰
㈹ イヱ ズス 会 初期︑アジア︵アフリカ︶発信︑欧州 宛 室田 九郎 仏
㈲イエズス会後期︑アジア︵アフリカ︶発信︑欧州 宛 重日鉢物
㈱欧州内での日本関係書翰
㈲イエズス会︑フィリ ッビソ 修道会抗争文書︵ テ ィ ヱ ゴ︑コり 七 Ⅰ 一ド 文き 目 ︶
㈲ イヱ ズス 会 名簿︑目録
㈲ イヱズス 4 本ム本義 録
㈲ イヱ ズス 会 誓願文書
㈹著述
㈲各種三吉︑規約
㈲臣一 マ 教皇庁関係文書
㈲ 西 ︑ 葡 公文書
同フランシスコ修道会文書
目 ドミニコ修道会文書
園 アウグス チノ 修道会文書
団 シドッチ関係文書
㈲通商関係文書
㈲オランダ︑イギリス関係文書
㈲布教会計文書
㈲十八・九世紀の文書︵列聖︑利幅文書等︶
個々の文書館の目録は別にまとめつつあり︑各種文書 につい ての解説なり覚書も別 稿 に譲らざるを得ないが︑ ロ| マ ︑イエ ズス金史学研究所 ノコ の︵ @ ︵ニ岸ヨ出要 0 ︵ ざ C ヨ の on@ の 式目 のロ のの 目 は ︑イエズス会史料叢書の一部として日本関係史料の 出版 士準 備中であり︑ポルトガルの海外領土 史 研究所のの コ ︵ ro 年の Ⅱ 片|
臣ヰ 0 のイ円 ‑ の ︵ 0 ﹁ ‑CO のⅠⅡ ‑ ︵Ⅰ ぃ ヨま 日 0 のは︑ポルトガル大小り 海外 珪展
史料叢書を刊行し︑フィルモテ l カ の充実に専念して いること
を 附記しておく︒
(314) 54
す 、
み@
ぎヂ,
(‑ 八 @ ︑ Ⅱ
せ
・キィルケ ゴールの﹁愛の業 二は ついて
戸口 ︵ や 小
米沢
キィルケづ ー か はその著︑﹁我が著作活動の観点﹂に おいて
自分の著作活動の分類として︑美的著作と純粋に宗教 的 著作の 区別をのべ︑その著作活動は初めから終りに至る 迄︑ 即ち ︑美 的 著作から宗教的著作に至る 迄 ︑一貫して宗教的な意 図 をもっ て 書 き ︑美的と宗教的の二重性を初めから持っていた と @= ロ って いる︒初めは美的著作家であったが︑年が経つにつれ て 変化し て 宗教的著作家になったのではなくて初めから二重性 を 持ち︑
それが彼の全著作活動の本質的な弁証法的特質である
である︒他方彼は︑美的︑倫理的︑宗教的の三段階に 分けて 実 存を考察し︑更に美的と倫理的の間に皮肉を︑ 又 倫理 的と宗教
七丁 教性 をも A と B とに分けて 考 察してい
る ︒宗教性 A は隠された内面性の宗教とも言われ︑ 自 己 自身の 中に永遠なものを求めて︑ひたすらパトス的に内面化 の道を辿 るものでおり︑宗教性 B は﹁逆説的なもの﹂又は﹁ 弁 正法的な もの﹂とも言われ︑﹁ 単 油の人間としての時間の内な る神 ﹂と い ぅ時制の中の逆説的な︑歴史的なものを条件とし︑ 従って ︑ 又 ︑それに永遠の浄福を期待するという弁証法的矛盾 をもつも
分類の第一期
第 に属するもの即ち ︑ ︵美的著書︶は ︑ ﹁あれか ︑こ れか﹂︑﹁恐れ と 戦ぎ﹂︑﹁反復﹂︑﹁不安の概念﹂︑﹁序言﹂︑﹁哲学的 断 げ ﹂︑﹁ 人
生 行路の諸段階﹂及び﹁十八の教化的講話﹂であり︑ 第二期
咲
﹁結末的非学問的優書﹂︑第三期︑即ち︵ 純 宗教的 著作︶は﹁種々なる精神に於ける教化的講話﹂︑﹁文の業﹂︑﹁キ リ スト 教 講話﹂︑外に美的小論文﹁ある女優の生涯の危機﹂であ る ︒ ここで取上げた﹁愛の業﹂はその内容から言って純粋 に 宗教 性 B に生きるものの最高のキリスト教的パトスが強く 表 わされ て 居り︑あれか︑これかにおいて表われているドン ファン や ︑誘惑者の日記の愛欲の立場も︑それ自身に関心が あって重目 かれたものではなくて︑美的な愛が結局において絶望 に 終るこ とを示すことによって間接的に宗教的なものを指し示 し ︑文宗 数 に仕える意図をもって書かれたことがわかるから︑ 美的な著 作 なしている時でも︑初めから宗教性をもち︑後期に おいてみ 小 教的 著作をしつつ久美的な著作も刊行しているのでこ の 二重性 は 終始して居り︑その中で宗教的な意図が貫いていた というこ とは認められるが︑しかし﹁愛の業﹂を書く前頃の宗 教的 体験 によって︑それ以前には未だ彼の実存において宗教性 B が現実 化してなかったが︑これ以後に彼の実存に変革が考え られ︑ 単 に 思惟によるのではなく︑救済の現実からキリストが 模範では なく救済者となり︑信仰告白から宗教性 B に入ったも のの立場 とし 干 Ⅰ﹁愛の業﹂が書かれたと見られる︒それでこ そ 神の愛 の誠ぬ に全く聞 き従 5 者の立場で︑真剣に ︑ 深い内面 性 のほと ぱ しりとして自己否定の極地から生ずる﹁愛の文﹂が いるのであって︑この背後にある彼の宗教的体験とし て ︑三十 四歳迄は生きられぬという彼の自分の宿命に対する 先 入観を持 訪
h : 朗は
キルケゴールにおける神の存在を論ぜんとするに当り ︑ 先ず
我々の頭に浮ふのは︑﹁もし神が存在していないなら は ︑その
存在を証明することは勿論不可能であろうし︑またも
在しているならば︑その存在を証明しょうとすること は 愚かで
あろう︒・ 一 という青菜である︒そこには一切の神の存 在の証明
が 拒否されているよ う に思われる︒では何故彼は神の 存在を証
明しょうとする試みを馬鹿げた振舞いと 見仇 すめか︒ 我々は 先
・ずその理由を明らかにすることによって︑ 七 こから キ ルケゴ|
北田勝巳 キルケゴールにおける神の存在の問題
っていたに関らず︑一九四 セ年 五月五日に三十四歳に なっても未だ生きていたという事は彼にとって特に深い神の杏 寵を知ら
しめる事実であり︑これを 転技 に彼が真の宗教性であ る 逆説的
宗教性 B の立場に転入出来︑ そ の美しい果実として﹁ 愛 の 業 1 一
が 一九四七年九月二十九日に︑ S. キィルケ ゴールの 名 Ⅰ世に
出されたのてはないか︒そこに彼が美的なものや︑ 宗 教 的にし
ても現実の自分の実存 よ りは高いものには偽名︑又は 半 偽名を
用いた由縁があり︑ 純 宗教的講話には本名を用いた 由
が ︑﹁愛の業 1 一 以前の宗教講話においてはまだ真に現 実化して
いなかった宗教性の立場が︑﹁愛の業﹂において彼の 実際の士 不
教内体験の裏づけを 相侯 って美しい開花を見たことを 尋ねてみ
た
め が神の存在をいかなるものとして把握するかを理解 しようと 鵠 巳ぅ ︒