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五 ︑ 結

ドキュメント内 モンテスキューの社會學的思想 (ページ 46-53)

さ丘H

﹁ 今 日 で は モ ン テ ス キ ュ ー は 歴 史 的 方 法 の 建 設 者 と 見 倣 さ る べ き で あ る と は き ま り 文 句 で あ る︒

﹂凶

戸田戸︑か云ってゐるのは︑誠によく云ひ現はしたものである

J

モ ン テ ス キ ュ ー が 従 前 と の 歴 史 家 の 非 科 皐 的 研 究 態 度 在 脱 し て

︑ 幾 多 の 事 責 を 集 積 し

︑ 経 験 を 豊 富 に し

︑ こ れ 等 の 特 定 の 事 資 よ り

︑ 牡 舎 の 進 化 が 一 定 の 論 理 の 下 に 展 開 さ れ て 行 く 法 則 を 引 き 出 さ ん と 考 へ た 貼 に

︑ 彼 の 偉 大な黙がある︒

叉 彼 は 法 律 の 精 神 と 此 の 法 律 を 有 す る 図 民 の 精 神 と の 聞 の 関 係 を 規 定 し よ う と し れ

︒ あ る

Laski

, 

Political Thought in England from Locke to  Bentham

, 

1919. p.  126.  54) 

図 民 の 政 治 組 織 が

︑ そ の 図 民 全 館 の 性 質

︑ 従 っ て そ の 道 徳 的

︑ 宗 教 的 及 び そ の 他 の 見 方 と 関 係 が あ る と 云 ふ こ と

︑ 及 び 関 係 が な け れ ば な ら ぬ と 云 ふ こ と

︑ そ れ 故 に 法 律 の 精 神 が 園 民 の 精 神 に 根 ぎ し て ゐ る と い ふ こ と

︑ こ れ を 示 さ ん と し た の で あ る

︒ 然し︑この図民の精神なるものは︑またその 図 民 の 住 す る 領 土 の 歴 史 的 後 遺 及 び 地 理 的 朕 況 の 所 産 と し て 理 解 さ れ な け れ ば な ら な い

の 場 合 に

︑ モ ン テ ス キ ュ ー が 好 ん で 述 べ た と こ ろ の 題 目 は

︑ 特 に 気 候 と 土 地 と の 影 響 で あ っ た

︒ 彼J

が 政 躍 の 分 類 を な し た こ と も

︑ そ れ は 枇 舎 心 理 撃 的 見 方 か ら の 考 察 で

︑ 各 攻 陸 に 関 し て 彼 は そ の 特 色 を な せ る 心 理 率 的 基 礎 を 示 し

︑ そ し て そ の 心 理 的 基 礎 よ り し て

︑ 個 々 の 攻 鐙 が 如 何 な る 図 家 制 度 に 遁 す る か

︑ 如 何 な る 事 情 の 下 に 個 々 の 攻 鰹 は 維 持 さ れ

︑ 叉 は 筏 落 す る か を 設 か ん と 努 め た の で

︑ こ れ は と り も な ほ さ 宇 . 枇 曾 形 態 論 の 部 分 に 局 し て の 赴 曾 撃 的 取 扱 ひ 方 で あ っ た

︒ 彼の業績を評債するに蛍って︑諸家の一一一一日を借りて以ってこの結びとしたい︒

我 々 は 先 づ

ロ ロ コ ロ

Z m

の言に附掛かう︒

﹁﹁法の精神﹂に依って放はれた範閣は非常に炭汎で攻治製そのものh著述とするよりも寧ろ枇曾科皐のそれとす

祉舎に存在せるすべての制度を了解せるギリシャの折門事る方が遁砂田である︒モンテスキューの研究

ω

方面は.

者のそれである︒彼の一般的精神は.アリストテレスの﹁攻治事﹂巻強く暗示せるにも拘はら守︑彼の見解は︑屡

々明かにプラトンの見解を示してゐる︒彼は古代に於いて正に普通の意味に於ける立法者の地位に我が身を置い

宅シテスキューの批脅阜的思組

回二五

四二六

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﹄ ' フ

︑ .

Ji向日品

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一定の枇舎を規制する鋳めに法典を治ること栓委任されたソロンやリクルグスの如︑雪︑殆んど超人的

聡明きを持つ人の地枕に我ーが身

kq置いに︒か﹄る立法者が取扱った問題は特にモンテスキューに興味があった問 題である︒然しながらこれ等の問題解決

I

蛍って︑彼の方法はアリストテレスのそれで︑プラトンのそれでなく

ロックのそれである︒彼の時代のすべての思想家の加くに︑彼は彼ポ!ダンのそれで︑ホップスのそれでなく.

の法則の規準を自然に求めた︒然し.自然の設は純理の抽象的問限定からの演絡に求めやJして︑現在並びに過去の

生活の具躍的事震に求めた︒社合現象及び枇曾現象守支配する法則に関する彼の説明は主として隠史並びに観察

から得たもので

•.

かくして得た説明は彼の哲撃に於いて.何等かの立法の道徳的或は攻治的使値に関して判定

をなすに蛍つての主要素であるOLm

︒ 日 庄 一 口 問

ω

は 枇 舎 墜 史 上 に 於 け る 彼 の 地 位 を 次 の 如 く 彼 を 論 評 し て ゐ る

﹁プラトンからロックに至るまでとり来ったこの長き蛍展を通じて.また.その多様なる相に於いて︑壮曾理論

は︑観察をル甲子閑にせ手.外的原閃冶無視しなかったけれか﹄も.すべて思排的であって︑或は関空

] P R m g

の言

葉を肘ふれば﹁観念的﹂であり︑その解絡は主として︑動機及び理性

ω

やうな主観的原凶を意味する言葉であっ

大︒

然し

恩一

aはピヤスンの主張する如く︑観念的始めから.その進化の第二の段階に於いて観察的となり︑而

して設には.第三の段階に於いては数的或は量的で言葉の厳密なる意味に於いて蹄納的となる︒

﹁モンテスキューの﹁法の精淵﹂に於いて枇合哲草者の思緋的方法は明かに棄てられた︒この著述は記漣削であり

Political  Theories, Luther to  Montesquieu, pp.  394‑5.  55) 

その結論は具鐙的事質の正確性と十分なることに依ってーーその結論たるや具躍的事賓を普遍出して得られた

ものである

ll

立静せられ或は棄てられるこの著述は現代の標準より判断するならば︑初歩的であり︐素朴

ではあるが.それをなせる功績.印ち蹄納的方法に注意在向けしめ祉合現象の経緯に容観的解緯への関心を喚

起し︑暗示と質例とを以って.今日.多くの人種準的並びに其他の記述的赴曾皐的材料ぞ.皐者の利用の鍔めに

蒐集せる多くの探究

ι

刺戟となっ・ち﹄とを認めることを妨けるものではない︒モンテスキューは枇AWH哲墜を記述

的祉合科墜たらしめたのである︒﹂附

コ ム ト も 亦 次 の 如 く 評 論 し て ゐ る

9

﹁この記憶さるべき著述

ω

偉力あるニとは︑攻治的現象をもって.その他何日僚の現象と等しく一定の法則に従ふ

ものと見倣す黙にあるJこれは序言の︑最初に漣べられてゐるところで︑その中で人類史に於いて始めて︑法則の 一般的概念が最4hm阜純なる震設的調査に於いて.奥へ来ったと同じ意味に於いて︑すべてのものに関して︑攻治

的なるものにさへも︑定義されるに至つに︒

一世

紀前

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の と 一 一

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問︒

匂一

角の

弊作

に於

いて

成し

設け

れた科阜の進歩が︑進歩に封する不十分な考へ方に慣されてゐる秀ぐれた人々に貢献するところがあった︒

一アスキューの観念はこの不十分なる考へ方を普遍化することであった而して叉.その猫創性を否定せ守して賓

詮的方法が最も皐純な自然現象以上に及ばなかった時代に於いて││印ち化壊の分野にも殆んど入ら?.未究生

物身酷の研究に就きても開くことなかった

i

ーか﹄る概念を提出するに至った貢献の如何に勝れてゐたかは正に

毛シ

テス

キュ

ーの

一批

合阜

的思

四二七

モン

Franklin H. Giddil!gs, Studies in  the Theory of Hllman Society, 1922 pp.  107‑8. 

5G) 

四二八

驚くべきニとである︒而して.他の見地に立って.枇曾欣態を任意に盤改するに至蛍なる構成を以って武装して

ゐに時.いすべての他の有力な人々が立法者の結針的無限のカに就いて諮ってゐる聞に.枇曾的思排と行動との基

礎として自然法ぞ考へ得た人は.その時代から先ん

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てゐ

たに

建な

い︒

﹂切

ロ の

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﹁向日も亦・弐の如く云ふ︒

﹁杜

合的

行動

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聞の

環境

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反作

用と

云ふ

一一

一一

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とは

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三♂

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から.

ω及び

近代の生理準的・山理路一・者に至る迄の枇舎の進化的説明の基礎を構成すると云ふ噌﹄とを注意しなければならない︒

然しながらこの結論が完成せられる前に︑この原理の論設がなされ人聞の理想と制度と自然的環境との聞に

於ける閃果関係が樹立せられることが必要であった︒これが法め精神に於けるモンテスキューの仕事であって.

既にボ!ダンに依って平熱で︑不完全ながら始められた仕事であった︒﹂悶

更 に イ ギ リ ス 人 ハ ラ ム ハ 出 己

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モ ン テ ス キ ュ ー と ポ

l

ダ ン と を 路 較 し て 吠 の 如 く 云 ふ

﹁モンテスキューは何等かの黙に於いて.特に︑気候影響論に於いてボ!ダンに貧ふと屡々一去はれてゐるG然し

この最も秀いでた考を持った入が︑﹁図家論﹂

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G

55

﹀在設ん.たことは疑ひなく.利金をこれから得たと

しでも︑これは我々の眼から見れば彼の呉の濁創性を減宇べきではない︒然しながら﹁図家論﹂と﹁法の精神﹂とは他

の如何なる有名なる攻治上の鰹系と較べても.非常に相比敵してゐる︒ポ!ダンとモンテスキューとは政治理論

の分野に於いて.非常に深い造詣を持った最も拝殿一尚な人々であり.多くを考へるところあった最も有力な観者

Positive Philosophy, tr.  by Martineau, pp. 442‑4.  Lichtenberger

, 

Deve!oprnent of Socia!  Theory

, 

pp.  212‑3.  58) 

である3雨者共.考へ方に於いては鋭敏にして巧みで構成に屈せ守︑既成勢力に於いては譲るところがあり.従

って.その苦味を以って現はされた水の根源を賞議し勝ちである︒共に.彼の時代に先きんじてはゐにが.前者

は.その天才が一般民衆に熱情を起させる穏のこともなく︑或は.それに相膝しき賞議も得なかったが後者は

役が鼓舞し︑その賞讃に依って彼に報ひたところの直接の.時代の先隔であつにことに於いて幸運であった︒

雨者共に.古代史中世史に精通しローマ法並びに自然法に精通してゐるο集閤枇舎の偉大な目的に就いて

は共に正しく.捺善的で敏感であるが︑これを.彼等の時代に従って多少の相建を示してゐる︒雨者共に.時と

しては訣れる類推に依って迷はされたが.前者はむしろ誤謬の哲撃を倉重することに依ってであり︑後者は私的

な賞設の渇望と溺創牲の感情に依って作品あった︒雨者は︑人聞の折口阜の基礎は過去の存在の記録に置かるべきで

あることに気付いたが前者はやLもすれば十分なる排別をせ守して歴史的事例を集め︑讃者を悟らしめる代り

にそれ等の市一複に依って設者在座倒し勝ちであり.後者は濯ばれた経験から蹄納することを目指すが︑従って︑

時としては特殊な前提から一般的に推論してゐたり或は彼の推論み満足させない掛川明に依つ寸研究者を迷はし

f

ゐる

︒﹂

ω

田 港 詩 利 氏 は

﹁ 十 八 世 紀 フ ラ ン ス 枇 舎 感

﹂ な る 論 文 中 に そ ン テ ス キ ュ ー の 祉 舎 撃 的 思 想 を 要 領 よ く 概 括 し て ゐ ら れ る か ら そ れ を 引 用 す る こ と に 依 っ て ご の 小 論 を 閑 ぢ に い っ

﹁字情聞の荷物は.すべて自己自身の法則に従ふ︒人聞は溺自的の存布であり︑而して人聞の結合慌たる枇曾ま

AMH皐的思想

四ニ

Introduction to  the. Literature of Europe

, 

Vol.  II.  pp.  165‑6.  59) 

ドキュメント内 モンテスキューの社會學的思想 (ページ 46-53)

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