DPP-4
阻害薬アナグリプチンによるマウス腓腹筋
におけるインスリン抵抗性改善作用
1 はじめに
骨格筋は運動器官としての役割だけではなく、栄養素の貯蔵機能も有する。具体的には、
食事摂取により膵臓から分泌されたインスリンは、筋細胞におけるグルコースの取り込み を増大させ、グリコーゲン合成酵素を活性化させてグリコーゲンとして糖を貯蔵する。体
重70 kgのヒトを例にとると、肝臓のグリコーゲン組織含有率は約5 %であるのに対し、
骨格筋は約0.7 %である。しかしながら、臓器重量は肝臓1.8 kgに対し骨格筋は35 kgで あるため、肝臓で貯蔵するグリコーゲンが90 gに対し、骨格筋は245 gである。よって骨 格筋は、インスリン刺激による糖取り込みの約75 %を担っている組織といえる[20]。それ ゆえ骨格筋のインスリン感受性の維持は、全身性のインスリン抵抗性および2型糖尿病予 防に重要である。
空腹時の肝臓のグリコーゲンは、グルコースへと異化されて血糖値の維持に利用される のに対し、骨格筋に蓄えられたグリコーゲンは血糖維持に直接利用することができない。
しかしながら、筋収縮のためのATP産生に利用される以外に、グリコーゲンの分解によ って生じたピルビン酸がアラニンへと変換されて糖新生の基質として肝臓へ供給される。
空腹時のインスリン分泌の低下によって、骨格筋から一斉にグルコースが放出されること による急激な血糖上昇を抑制する仕組みであると考えられる。
骨格筋におけるインスリン刺激によるグルコース取込みは、骨格筋組織内の毛細血管の 拡張が律速である[23]。血管内皮のインスリン感受性を減弱させる要因には、血管周囲脂 肪細胞から分泌される炎症性サイトカインやインスリン抵抗性アディポカイン[109,110]、
高血糖[111]、酸化ストレス[112]などによる血管内皮細胞の機能障害があると考えられて
いる。いずれも食後高血糖の増大によって生じうる刺激である[113]ため、骨格筋のインス リン感受性を維持するためには食後高血糖の抑制が重要であると考えられる。実際に肥満 ラットの食後高血糖をα-GIによって抑制すると、骨格筋細胞におけるGLUT4の膜移行 が増大することも報告されている[114]。さらに食後のインスリン分泌の約3分の2に関与 するインクレチン[115]は、食後高血糖を低下させるだけではなく骨格筋のインスリン感受
2 材料と方法 2-1 実験動物
第二章第一節の動物より摘出した腓腹筋を用いた。本研究は山梨大学動物実験規程およ び山梨大学動物実験指針に則り、山梨大学動物実験倫理員会の承認の上、執り行われた。
2-2 RNA 解析
第二章第一節と同様の方法を用いた。リアルタイムRT-PCRに用いたプライマーの配列 はTable 10に示した。
2-3 ウエスタンブロッティング 第二章第一節と同様の方法を用いた。
一次抗体は、p-GYS1(アブカム株式会社)、GYS1(CST ジャパン株式会社)、PPARD
(PPARδ;サンタクルーズバイオテクノロジー)、PPARG(PPARγ;CST ジャパン株式
会社)、p-ACC(Ser79)(CSTジャパン株式会社)、ACC(CSTジャパン株式会社)、ACOX1
(サンタクルーズバイオテクノロジー)、ACOX2(ProteinTech)、CPT1B(サンタクルー ズバイオテクノロジー)、PPARA(PPARα;サンタクルーズバイオテクノロジー)を用い た。
2-4 統計処理
結果は平均値 ± 標準誤差(SEM)で示した。検定はStudent’s t検定をNC群とHF-C 群、HF-C群とAna群で比較を行なった。有意水準5 % 未満を統計学的に有意とした。
Gene Sequence
5'-AGGGGCGTAGAGATGCATAA-3' 5'-GGACAATGTGGTCGAAAAGC-3' 5'-CCATTATCGTGCTCACCAAG-3' 5'-TTCGAGTCACGGCAATGATA-3' 5'-TCAACGTGGAAACCCTGAA-3' 5'-CCCCACTAAAAGGGATTCGT-3' 5'-CGTCCAGGTGAAAAGGATTC-3' 5'-ATTGGGCTCCCTTTTGATG-3' 5'-TACTCCAAGCCCATCACCAC-3' 5'-GGCATGGTACAGGTCGATGT-3' 5'-GAGTGACTGGTGGGAAGAATATG-3' 5'-GCTGCTTGCACATTTGTGTT-3' 5'-CTCAACACGGGAAACCTCAC-3' 5'-CGCTCCACCAACTAAGAACG-3' Oligonucleotide primer sequences of Accβ and Acox1 refer to Table 2.
Carnitine palmitoyltransferases 1b, muscle (Cpt1b) 18S ribosomal RNA
Table 10 Sequences of oligonucleotide primers used for real-time RT-PCR
Hexokinase 2 (Hk2)
Pyruvate kinase, muscle (Pkm) Glycogen synthase 1, muscle (Gys1) Muscle glycogen phosphorylase (Pygm) Diacylglycerol O-acyltransferase 2 (Dgat2)
3 結果
3-1 解剖時の身体および血液生化学パラメータ
第二章第一節のTable 8およびFig. 5に示したとおりである。高脂肪食により増大した 体重および肝臓重量がアナグリプチンによって抑制された。また、高脂肪食を摂取したマ ウスの副睾丸脂肪組織重量はNC群とほぼ同レベルであり、脂肪蓄積能がアナグリプチン により増大した。 HF-C群におけるインスリン抵抗性は、NC群と比較して高かったが、
Ana群との差は観察されなかった。
3-2 腓腹筋における糖および脂質代謝に関連する遺伝子およびタンパク質の発現 Ana群ではHF-C群と比較して、解糖経路の律速段階を触媒するヘキソキナーゼ(Hk)
2遺伝子の発現が高く、筋肉型ピルビン酸キナーゼ(Pkm)および筋肉型グリコーゲン合 成酵素(Gys1)の遺伝子の発現は低い傾向であった。筋肉型グリコーゲンホスホリラーゼ
(Pygm)遺伝子のHF-C群における発現は、NC群およびAna群と比較して低かった(Fig.
10A)。GYS1タンパク質量ならびにセリン640残基にリン酸化修飾を受けた不活型GYS1
(p-GYS1)レベルは、群間に差が見られなかった(Fig. 10B)。
脂肪酸合成の律速段階を触媒するアセチルCoAカルボキシラーゼ(Acc)βおよび中性 脂肪合成の律速酵素であるジアシルグリセロールアシル転移酵素(Dgat2の遺伝子発現は、
HF-C群と比較してAna群において有意に高かった(Fig. 10C)。脂質代謝関連遺伝子の 発現を制御するPPARDタンパク質レベルは、HF-C群においてNC群と比較して低かっ たが、Ana群とNC群の間では差が観察されなかった。PPARGのサブタイプである
PPARG1タンパク質レベルは、群間に差は見られなかった。一方、PPARG2のタンパク
質レベルは、HF-C群においてNC群と比較して低い傾向であった。AMPKαおよび
p-AMPKαのタンパク質レベルは、群間に差が見られなかった(Fig. 10D)。
ペルオキシソームにおける脂肪酸酸化の律速酵素であるAcox1およびミトコンドリア におけるβ酸化の律速段階を触媒するCpt1bの遺伝子発現は、HF-C群と比較してAna 群において高い傾向にあったが、タンパク質レベルに差は見られなかった。脂肪酸酸化関 連遺伝子の発現を制御するPPAPAのタンパク質レベルは、HF-C群とAna群の両群に差 は見られなかった。一方で、ACOX1のアイソフォームであるACOX2のタンパク質レベ ルは、HF-C群においてNC群と比較して低かったが、Ana群とNC群間では差は観察さ れなかった(Fig. 10A、10B)。
3-3 腓腹筋におけるエネルギー代謝、インスリンシグナル、血管内皮機能に関連 する遺伝子の発現
筋細胞内のエネルギー状況の指標となるAMPKαタンパク質および活性型(p-AMPKα)
のHF-C群における発現は、NC群と比較して低かったが、Ana群とNC群間では差は観 察されなかった(Fig. 11A)。インスリン受容体基質(IRS)-2のタンパク質レベルは、
HF-C群と比較してAna群で高かった。インスリン刺激によりリン酸化修飾を受けて活性 化するAKTのタンパク質および活性型レベルが、HF-C群においてNC群と比較して低 かったが、Ana群とNC群の間では差は観察されされなかった(Fig. 11B)。血管内皮細 胞特異的に発現し、インスリン刺激によって活性化して一酸化窒素を合成するeNOSの HF-C群におけるタンパク質発現レベルは、NC群と比較して低かった。Ana群における 活性型eNOSタンパク質は、HF-C群と比較して高かった(Fig.11C。)
Fig. 10 Expression of genes and proteins related to glucose system and lipid metabolism in the gastrocnemius of C57BL/6N mice fed a high fat diet.
(A) Expression of genes related to glycolytic and glycogen synthesis. (B) Protein levels of p-GYS1 (Ser640) and GYS1. (C) Expression of genes related to lipogenesis. (D) Levels of lipogenesis related proteins. (E) Expression of lipolysis related genes. (F)
A Glycolytic and glycogen synthesis pathway related genes
Relative mRNA levels HF-CNC Ana
Hk2
*
0
Pkm
HF-C
NC Ana
0 5×10-5 4×10-5 3×10-5 2×10-5 1×10-5
P=0.073 1.8×10-3
1.2×10-3 0.6×10-3
NCHF-CAna 6×10-4
4×10-4 2×10-4 0
Gys1
P=0.065
HF-C
NC Ana
0 0.3 0.2 0.4
0.1
Pygm
♯ *
B
p-GYS1 NC HF-C Ana
84kDa
(Ser640)
GYS1
NCHF-CAna 0.4
0.8 1.2
p-GYS1
(inactive)
84kDa
HF-C
NC Ana
0.4 0.8 1.2
GYS1
0 0
C Lipogenesis related genes
HF-C
NC Ana
0 5×10-3 4×10-3 3×10-3 2×10-3 1×10-3
Accβ
**
Relative mRNA levels HF-CNC Ana0
10×10-4 8×10-4 6×10-4 4×10-4 2×10-4
Dgat2
*
F Lipolysis and energy metabolism related proteins D Lipogenesis related proteins
PPARD
NC HF-C Ana
60kDa
HF-C
NC Ana
0.4 0.8 1.2
0
PPARD
P=0.092
♯♯
PPARG1
55kDa p-ACC (Ser79)
ACC
ACOX1
NC HF-C Ana
74kDa
ACOX2 74kDa
0.4 0.8 1.2
0
ACOX2
♯ *
HF-C
NC Ana
Relative protein levels
Relative protein levels Relative protein levels
E Lipolysis related genes
HF-C
NC Ana
Acox1
0 1.2×10-3 0.8×10-3 0.4×10-3
P=0.061
HF-C
NC Ana
P=0.058
Cpt1b
0 1.5×10-3 1.0×10-3
0.5×10-3 PPARA 55kDa
HF-C
NC Ana
0.4 0.8 1.2
0
♯
PPARA
CPT1B 75kDa
0.4 0.8 1.2
0 NCHF-CAna
CPT1B
♯
(inactive)
280kDa
HF-C
NC Ana
1.5 2.0 2.5
0 0.5 1.0
♯♯
p-ACC
0.4 0.8 1.2
0
ACOX1
P=0.075
HF-C
NC Ana
PPARG2
53kDa 280kDa
HF-C
NC Ana
0.5 1.0 1.5
0
PPARG1
HF-C
NC Ana
0.4 0.8 1.2
0
PPARG2
P=0.082
Relative mRNA levels
HF-C
NC Ana
0.4 0.8 1.2
0
ACC
Fig. 11 Expression of proteins related to energy metabolism, insulin signaling and vasodilatation related proteins in the gastrocnemius of C57BL/6N mice fed a high fat diet.
(A) Expression of energy metabolism related proteins, p-AMPKα (Thr172) and AMPKα.
(B) Expression of insulin signaling related proteins. (C) Levels of vasodilatation related proteins, p-eNOS (Ser1177) and eNOS.
Total protein (50 μg) was separated by SDS-PAGE, and the immunoblots were performed using antibodies against p-AMPKα (Thr172), AMPKα, IRS2, p-AKT (Ser473), AKT, p-eNOS (Ser1177) and eNOS. The data are meams ± SEM for 6 mice group in protein expression. ♯; P < 0.05, significant difference NC vs HF-C mice, **; P
< 0.01, *; P < 0.05 significant difference HF-C vs Ana mice (Student’s t-test).
Abbreviations: p-; phosphorylated, AMPKα; 5' AMP-activated protein kinase alpha catalytic subunit, IRS2; insulin receptor substrate 2, AKT; v-akt murine thymoma viral oncogene homolog 1, eNOS; endothelial nitric oxide synthase (NOS3)
B Insulin signaling related proteins
HF-C
NC Ana
IRS2 *
NC HF-C Ana
185kDa
(Ser473) (active)
0.4 0.8 1.2
0
IRS2
Relative protein levels
p-AKT 60kDa
AKT 60kDa
HF-C
NC Ana
0.4 0.8 1.2
0
p-AKT
P=0.072
♯♯
HF-C
NC Ana
0.4 0.8 1.2
0
AKT
P=0.056
♯♯
A Energy metabolism related proteins
p-AMPKα
NC HF-C Ana
185kDa
(Thr172)
HF-C
NC Ana
0.4 0.8 1.2
0
p-AMPKα
P=0.054
♯♯
AMPKα 185kDa
(active)
HF-C
NC Ana
0.4 0.8 1.2
0
AMPKα
♯♯ **
Relative protein levels
C Vasodilatation related proteins
p-eNOS NC HF-C Ana
140kDa
(Ser1177)
HF-C
NC Ana
p-eNOS
0.5 1.0 1.5
0
2.0 **
Relative protein levels
(active)
HF-C
NC Ana
0.4 0.8 1.2
0
eNOS
*
eNOS 140kDa
4 考察
本研究において、DPP-4阻害薬アナグリプチンによる軽度インスリン抵抗性の改善は、
骨格筋におけるインスリン受容体基質IRS2タンパク質の増大、AMPKの活性化、eNOS の活性化と関連している可能性が高いことが明らかとなった。IRS2タンパク質の発現増 大は、その下流にあるAKTのタンパク質レベルおよび活性型の増大を誘導し下流の遺伝 子の発現を増大させると考えられる。具体的には、インスリンシグナル下流にあるヘキソ キナーゼ(Hk)遺伝子の発現がアナグリプチンによって増大した。また、AMPKの活性 化によるグルコース取り込みも増大した可能性も考えられる。これらの結果は、GLP-1お
よびGLP-1受容体作動薬が、骨格筋のインスリン感受性を増大させた他の研究の成果と一
致している。
脂質代謝に関しては、不活型ACC(p-ACC)が、高脂肪食摂取群および高脂肪食アナグ リプチン添加群ともに低脂肪対照食群よりも高かったことから、アナグリプチンには高脂 肪食誘導性の脂肪酸合成の抑制を解除する作用はなかったと考えられる。一方で脂質異化 では、高脂肪食摂取誘導性のACOX2のタンパク質レベルの低下を、アナグリプチンが抑 制した。よってアナグリプチンには、高脂肪食摂取による脂肪酸の燃焼の低下を抑制する 作用があると考えられる。一方でACOX2は、インスリン抵抗性SHR/NDmc-cpラットの 骨格筋において発現が高いことはすでに第一章第二節で示した。これは、SHR/NDmc-cp ラットでは、顕著な内臓脂肪の肥大化およびインスリン抵抗性に伴う遊離脂肪酸の骨格筋 における利用促進が関与していると考えられる。一方で高脂肪食誘導性のインスリン抵抗 性は軽度であり、血中の遊離脂肪酸の濃度は低下することがこれまでの研究によって明ら かにされている[122]。それゆえアナグリプチンは、ACOX2のタンパク質の発現を増大さ せ、積極的に脂肪を燃焼しインスリン抵抗性を改善した可能性が考えられた。
本研究では、高脂肪食誘導性のインスリン抵抗性は、血管内皮細胞特異的に発現する一 酸化窒素合成酵素(eNOS)のタンパク質レベルを低下させること、アナグリプチンの投 与は、活性型 eNOS(p-eNOS)レベルを増大させることを発見した。また第一章第一節 において、高糖質食の過食からインスリン抵抗性を発症するSHR/NDmc-cpラットにおけ る骨格筋の活性型eNOSレベルは、対照ラットと比較して顕著に低いことを明らかにした。
これらを総合すると、食餌性のインスリン抵抗性は、骨格筋のeNOSの活性を低下させる こと、アナグリプチンの投与は、eNOSの活性を促進することによって骨格筋のインスリ ン抵抗性を改善することが明らかとなった。eNOSは、インスリン刺激を受けた内皮細胞 において活性化し、一酸化窒素を合成して血管拡張を促進する働きを持つ。これまでの研 究により、GLP-1およびGLP-1受容体作動薬の投与は、活性型eNOSレベルの増大、血 管内血液量および血流量の増加させることが、ヒト健常人[123]、健常動物[124,125]、イ ンスリン抵抗性モデル動物[126]において報告されている。それゆえアナグリプチンによる 骨格筋におけるeNOSの活性化は、GLP-1の血中量の増大と関連する可能性がある。今後、