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前章の状況的学習論や「社会変革」の実践にかかわらず、ソーシャルワー カーは、何らかの社会福祉施設・機関に所属していることが専らである。で あるならば、私たちは、個人の裁量や能力、情意のみで活動することは許さ れず、所属する組織のあり方にその実践は依存することになる。本章では、

社会変革を志向する本来のソーシャルワークを敷衍する実践組織のあり方に ついて、「地域の絆」の運営方法を題材として検討を行う。

第1節「実践共同体」の目的および共通理解 1.組織理念の実体

「地域の絆」を「実践共同体」と捉えるとき、その目的と共通理解とは何 を指すのであろうか。まず、目的については、そこに組織理念がある。この 組織理念に対する基礎的な考え方は 3章の前半部分で示しておいた。

それは、組織の目的たる組織理念を職員と徹底して共有しながらも、その 方法については、職員の主体性と創造性に委ねており、事前に規定しないこ とを基本方針としているというものだ。であればこそ、組織理念によって解 釈し得る範疇であれば、どのような方法をとってもよいと職員には伝えてい る。もちろん、実際の実践場面では、議論を経由しつつも、最終的には統一 的な方法を定める必要が生じてくる。ここで言いたい ことは、「実践共同体」

として、先に「正しい」方法を示すのではなく、職員の議論を通じてその方 法を構築していくことを大切にしているということだ。また、職員らが自ら この方法を考える際の拠り所として組織理念がある以上、これらの営みは、

職員が組織理念を自らのものとして包含することへの後ろ盾にもなるであろ う。まさに、実践を通して価値への理解を深めていくのである。

さて、実のところ組織理念とは何を指すのであろうか。3 章で、「地域の絆」

の組織理念を掲載したが、あれは単なる文字でしかない。少なくとも、額に 飾られ、カードとして携帯されたとしても、その場合の組織理念は、単なる も言葉でしかないのである。よって、私は、組織理念の実体とは、その理念 を理解し、解釈した職員による実践そのものであるととらえている。ジョン

=デューイも次のように述べている。

さて、あらゆる原理は、それ自体が抽象的なものである。あらゆ る原理は、その原理の運用からもたらされる成果においてのみ具

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体的なものになる(デューイ;2004;P.21)。

その意味において、組織理念の言葉自体は頻って変わる機会はないだろう が、組織理念の実態は刻々と変遷を遂げていることになる。社会環境との相 互作用と相まって、職員の解釈の仕方も実践の中で変化していくからである

(3章では、私自身の解釈も変容していると吐露しておいた)。

2.理念を解釈する範囲

もちろん、組織理念は、一定の解釈の範囲で自由な実践を後押しする反面、

どのように解釈しても許されざる実践を浮き彫りにする側面も有している。

例えば、「人間の尊厳を守る」ことを理念に掲げた組織で、「人びと」の思い を黙殺する実践がなされることは許されないだろう。他方で、このように解 釈の幅にも一定の制限が設けられている組織理念だが、それでも、解釈の幅 は開かれている。3章では、譬え話として、その解釈の幅は、「前後」におけ る「前」か「後」のどちらかがその範囲だと述べた。角度で言えば、「0 度か ら 180 度」と「181 度から 360 度」のいずれかの範囲であると。

もちろん、この程度の範囲しか制限しないところが組織理念の良い点だと 認識している。解釈の幅が狭まれば狭まるほどに、方法も規定されていくか らである。個別支援であれ地域支援であれ、私たちの実践は 、マニュアル化 ができないほどに、その実践方法を絶えず変容していくことが求められてい る。よって、その方法を柔軟にとることができるように、組織理念の解釈の 幅は広い方がよいということが言える。

しかし、どうだろうか。上記の組織理念の共通理解の範囲は、状況的学習 論でいうところの、徒弟制を前提とした「実践の文化」「十全的実践者として のアイデンティティ」「アイデンティティ/成員性」のいうところの共通理解 の範疇にくらべかなり広すぎるように考える。

つまり、解釈の幅を開きながらも、それを、一定程度焦点化していく作業 が必要になると思うのだ。もちろん、このことは、状況的学習に依拠した考 えのみにあらず、実践の中でも、解釈の幅が広すぎることで、組織理念のも とでも、あまりにも見当違いな実践が生じてしまうなどの問題意識に端を発 している。しかも、実践家である私たちには、社会構造や、実践の対象の状 況、組織の発達段階、職員の成長の段階などに応じて、組織理念の焦点化す る範囲を漸次変えてくことが求められてもいる。デューイが述べているよう に、組織(共同体)の組織たるゆえんは、そこに共通理解(common sense)

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人々は、自分たちが共通にもっているもののおかげで、共同体の 中で生活する。また通信とは、人々がものを共通に所有するにい たる方途なのである。人々が共同体つまり社会を形成するために 共通にもっていなければならないものは、目標、信仰、抱負、知 識 ― ― 共 通 理 解 ― ― 社 会 学 者 が 言 う よ う に 同 じ 心 を も つ こ と like-mindednessである(デューイ;1975;P.16)。

ただ、大事なことは、デューイも言っているように、理念には解釈の幅が あって、その解釈の仕方が実践を規定するということだ。

(前略)原理は、極めて基本的で高遠な ものであるから、その原 理が学校や家庭において実践に移されるさい、何事もその原理に ついてなされる解釈いかんにかかっているのである (デューイ;

2004;P.22)。

であるならば、組織理念における解釈の仕方を御座なりにはできないとい うことになる。つまり、組織理念を文字で示して、後は、職員の自主性と創 造性に「お任せします」といって放置しても、おそらく、その組織理念は進 展していかないように思う。

3.採用時に「共通理解」を示す―同じ方角に向かう“バス”に乗れる人 材の採用―

そこで、組織理念をどのように理解・解釈すべきか、という議論が組織の 中では不可欠となる。そのため、「地域の絆」では、組織理念のその時々の焦 点化にかかる共通理解を目的に以下のような方法を用いている。

1つは、職員採用時に組織理念の説明を一定の期間を設けて繰り返し行い、

その上で、応募者に入職の判断をしてもらっている。もちろん、「採用する側」

も判断を行うが、応募者にも判断をしてもらうことを大切にしている。これ は、当然のことに思われるかもしれないが、現在、介護人材を含む社会福祉 人材は、人材の確保が困難な状況にある。そのような時勢においても、組織 理念に対して妥協を許さない採用を心掛けているのだ。

入職希望者には、必ず、1 日の現場見学をしてもらい、その終了後、拠点

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の管理者と面接をしてもらう。ここまでが、採用にかかる 1 次試験となる。

この面接で、管理者と一緒に、組織理念に基づいた当日の現場のあり方を振 り返る。現場に近い位置から、組織理念の確認を行うのである。

その後、日にちを変えて、筆記試験と代表者との最終面接を含めた最終試 験がある。そこでは、組織理念を最初に描いた起業者の立場から、改めて組 織理念を説明している。さらにそこから数日期間をおいて採否の通知を出す。

数日開ける理由は、応募者にとって、入職及び辞退の判断ができる状況を つくるためである。つまり、私たちの職場をみて、そして、話を聞いて、そ れを踏まえた上で、自らが選択して入職をしてもらうことを重視しているの だ。上記の採用方法は、社会福祉人材が不足している昨今では、非常に珍し い手法だと言われることが多い。少なくとも広島県内では、「即日採用」をす る法人が多いと聞く。

以上の採用における狙いとしては、1 つは、組織理念の解釈の範疇以外の 考えをもっている応募者を排すことにある。率直に言えば、「人びと」を「モ ノ扱い」する傾向にある人や、地域に「ひらかれる」展開に拒絶感のある人 たちを除いているのだ。2つ目は、応募者に、「地域の絆」が大切にしている ことを、現場の職員・管理者・代表者の順に話を聞いて理解してもらうこと にある。この順番で関与してもらうことで、私たちの組織体質をより理解し てもらえると考えているからだ。立場は異なるが、本多勝一も、その国や組 織の本質を認識するには、以下のような順序で取材をすることが不可欠であ ると説いている。

普通よくありがちなのは、日本国内でも、仮に長野県なら長野県の 取材にいく。そうすると長野県の県知事に会って、その次は村に行 ったら村長に会ってと、つまり上から取材していく方法が一般的で すが、それをやらないで、逆からやっていく。リーダーとか権威と かはいっさい無視して、普通の、なんでもない一般の人、そっちか ら取材していく。リーダーにあんまり会う必要はない。会うとした ら、いちばん最後に会う(本多;1995;P.75)。

本多はその理由を、物事の本質や矛盾は、「弱いところにいちばんよく出て くる」からだとしている。つまり、第一に、私たちの最前線の現場を見ても らうことが、「地域の絆」に対するより率直な理解に繋がると考えて、上記の ような採用手順をとることにしているのだ。

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