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中国特派員の「認識の枠組み」の変化――三種類のテクストの関連性 および三つの時期の比較 および三つの時期の比較

17 世紀初頭に、定期的に出版される新聞が誕生して以来、国際報道の歴史はすでに 400 年を超えている。現在の国際報道は産業革命、世界大戦、冷戦終結、グローバル化など、時 代の潮流をある特定の概念で表現できないほど多様化し、複雑になっているが、その本源と なるジャーナリズムは、基本的に、情報伝達の手段、あるいは報道機関という意味での実態 としての「メディア」と(17世紀)、公衆による言論活動を出発点とする「パブリシティの 精神」という意味での理念としての政治的・社会的性質(18世紀末から19世紀初頭)、プ ロフェッショナル(専門性)という職業的性質(19 世紀初頭)との三つの側面から定義さ れてきた。そしてジャーナリズムの原則は時代とともに豊富になっているが、Kovach &

Rosenstielの『ジャーナリズムの原則』87(Kovach & Rosenstiel2001=加藤、斎藤訳

2002:6-7)で、アメリカの記者や市民を対象に行われてきた調査に基づいてまとめられた9つの要

素が最も広範に受け止められている。

①ジャーナリズムの第一の責務は真実である;

②ジャーナリズムは第一に市民に忠実であるべきである;

③ジャーナリズムの真髄は検証の規律である;

④ジャーナリズムに従事する者はその対象からの独立を維持しなければならない;

⑤ジャーナリズムは独立した権力監視役として機能すべきである;

⑥ジャーナリズムは大衆の批判および譲歩を討論する公開の場を提供しなければならない;

⑦ジャーナリズムは重大なことをおもしろく関連性のあるものとするよう努力しなければならな い;

⑧ジャーナリズムはニュースの包括性および均衡を保たなくてはならない;

⑨ジャーナリズムに従事する者は自らの良心を実践することを許されるべきである。

これらの要素は、政治的・社会的性質(②⑤⑥)、職業的性質(①③⑦⑧)と、両者にコ ミットするもの(④⑨)に分けられる。藤田はより端的に三つの原則、すなわちa.いかなる 権力、勢力からも独立していること(④⑤に当たる);b.取材から報道に至るすべての仕事 の過程で公正であること(⑧に当たる);c.取材先に対しても読者や視聴者に対しても正直、

誠実であること(②に当たる)と集約している(藤田 2014:19)。そして藤田はこれらの原

87 原題はThe Elements of Journalism (Kovach & Rosenstiel2001)である。ここでは日本経済評論社の 日本語版『ジャーナリズムの原則』での訳を引用する。

則が日本の新聞協会の新聞倫理綱領や報道各社が独自に定めている記者行動基準や報道の 指針などに明記されているが、必ずしも日常の報道活動で誠実に実践されているとは限ら ない、ひいてはこれらの原則に違反する場合もあると指摘している(同上:19-20)。

筆者は藤田の指摘を否定するわけではないが、ただし、実際、記者が日常の報道活動で必 ずしもジャーナリズムの原則のすべてを意識する必要があるわけではないと考えている。

これらの原則が妥当であると思われることと、すべての原則を遂行することとの間には関 係がないからである。

記者は毎日多く出来事や場面に遭遇し、多様なニュースを扱っているが、それらが全部国 民の利益に関わる重要なイシューとは限らないからである。特に異国で発生した出来事は、

自国の国民とあまり関係がなく、そのことをストレート・ニュースで報道する記者には、① の原則で十分に対応できるからである。

筆者が注目するのは、Kovach & Rosenstielが提示した第⑨項、すなわち「ジャーナリズ ムに従事する者は、個人としての自らの良心を実践することを許されるべきである」という 原則である。この原則はまさに個人レベルで記者を尊重するものである。「良心」というの は、その他の政治的・社会的性質と職業的性質をもつ原則と絡み合い、記者の包括的な認識 であると理解できる。したがって⑨の原則は、記者の認識の遂行を保証することの重要性を 強調するものであり、ジャーナリズムの原則に違反することは、実際、記者が自らの認識を 働かせないことと関連している。

本論文はこの記者の認識の問題に着目し、国際報道に携わる海外特派員の「認識の枠組み」

に焦点を絞っている。そして例として、日本の新聞の中国特派員の「認識の枠組み」の様相 を考察した。序章で述べたように、本論文の主旨は、中国報道について指摘されている報道 の傾向性の問題が、ジャーナリズムの原則の欠如によるものではなく、中国報道に携わる記 者の「認識の枠組み」における「中国に対する認識」と「中国報道に対する認識」との連動 と密接に関係し、記者たちが自らの「認識の枠組み」を適用・遂行させないためではないか との仮説を設定し、テクスト分析によって検証する(序章第1節4を参照)。そして本論の 目的は、中国特派員たちの「認識の枠組み」の実態をそれが置かれている時代的文脈と照ら し合わせながら明白にすることと、「認識の枠組み」における「中国に対する認識」と「中 国報道に対する認識」の関連性を検証することである。

この目的を達成するために、本論は次のように構成された。第一に、第1章ではまずギデ ンズの構造の二重性理論から行為する主体の理論に基づき、本研究が扱う「認識の枠組み」

という中心概念を提示した。本論は「認識の枠組み」を行為者が対象(実際の事象、物事に 対する観念、自己または他人の行為)を認識し、活動に取り組むときに用いる準拠枠と定義 し、従来から外的要因として扱われている政治制度や社会システムなどの要素が個人の記 者に対する影響関係を、記者が諸要素に対する認識に置き換えることがポイントである。そ して、記者の「認識の枠組み」を主に政治的認識、社会的認識、職業的認識と、互いに相関 する三つのファクターを包含する複合的な概念と把捉するが、本論文は、中国特派員の「認 識の枠組み」に限定し、考察するために、さらに中国特派員の「認識の枠組み」を「中国に 対する認識(政治的・社会的認識)」と「中国報道に対する認識(職業的認識)」という二つ のカテゴリーに分けた。

そして、第2章で「認識の枠組み」をどのように確認するかに関する方法論と具体的な研 究手法を検討した。Fairclough のテクスト分析方法を理論的枠組みに用いて、ディスコー スが社会的実践の要素として現れる三つの方法、すなわち「ジャンル」「ディスコース群」

「スタイル」の諸概念を援用し、本研究が扱う三種類のテクスト――①『朝日新聞』と『読 売新聞』の中国に関する連載記事、②中国特派員が書いた書籍・雑誌記事、③中国特派員に 対する深層面談のトランスクリプトの関連性について説明した。

第二に、第3章では朝日・読売二紙の中国に関する連載記事を分析し、<連載記事>とい うテクストにみられる中国特派員(組織レベルで)の「中国に対する認識」の実態と変化を 考察した。そして第4章では、中国特派員が書いた書籍・雑誌記事にみられる「中国に対す る認識」と「中国報道に対する認識」を考察した。さらに、第5章では現在の中国特派員に 対する深層面談のトランスクリプトを分析し、第 3~4 章の考察結果から明らかになった、

第三期(2010年~2018年)の中国特派員が示した「中国に対する認識」と「中国報道に対 する認識」の特殊性に導く要因を検討した。

本章では、第3章~第5章までの考察、検討および分析を踏まえ、中国特派員の「認識の 枠組み」における「中国に対する認識」と「中国報道に対する認識」の関連性ついての最終 的な理解を示し、現在の中国報道の本質的な問題は、中国報道に携わる記者の「職業的認識」

が乏しいではなく、「認識の枠組み」から乖離することによって、記者の「認識の枠組み」

が適用・遂行できないことであることを本博士論文の結論とする。

第1節 三種類のテクストにみられる中国特派員のスタイル

まず、<連載記事>では、事実を伝えるだけでなく、より豊かな表現を使うことが許され、

特派員の個性も出せる少数の報道ジャンルの一つであるが、朝日・読売二紙の中国に関する 連載記事においては、中国特派員の感情を表す表現がみられなかったのが特徴である。新聞 記者のスタイルが強く示されている。

そして、<書籍・雑誌記事>では、中国特派員たちはメディア組織の海外特派員とは違う、

中国報道を専門とするプロの海外特派員のスタイルと「チャイナ・ウォッチャー」のスタイ ルが両方現れているが、全体的に言えば、後者が占める比率が比較的に高いのが特徴である。

この特徴は特に21世紀以降の特派員の著作に見られるが、それに対し、1980年代と1990 年代の特派員は「中国報道に対する認識」に関するディスコース群も多く言及し、プロの中 国特派員のスタイルも鮮明に現れている。ただし、<書籍・雑誌記事>でも、特派員たちは 感情的な表現をほとんど使っていない。個人の著作とはいえ、特派員たちは従来の新聞記事 で十分に伝えきれない中国の政治、経済、社会など諸分野の問題や課題と、それらに対する 特派員個人の解説を合わせて記述することを、新聞記事の延長線にあるものと捉えている プロ意識が強いことを示している。

一方、<インタビュー>では、設問の内容にも関係しているが、特派員たちは、「中国報 道に対する認識」、特に組織レベルでの日常的な取材活動について言及し、メディア組織の 一記者としてのスタイルを示している。

第2節 中国特派員の「中国に対する認識」の固定化

「中国に対する認識」のカテゴリーにおいては、<連載記事>にみられるディスコース群 と<書籍・雑誌記事>のとはほぼ一致しているのが特徴である。特に第三期の中国特派員た ちにみられる一致度がかなり高い。そして、<インタビュー>で、すべての特派員は以前と 比べ、現在は本社デスクとのコミュニケーションが増えていることを認めるが、デスクとの 意見の食い違いを問題視していない。一連の特徴は、中国特派員たちとメディア組織との間 で、一部の食い違いがみられるとはいえ、根本的な認識のギャップが存在しないことを示し ている。

そして、「中国に対する認識」で、三種類のテクストが示す共通点は、三つの時期に一貫 して「国内政治」に関するディスコース群が最も多く言及されることである。つまり中国報 道で、中国の「国内政治」が最も重要なテーマであると認識されている。ただし、「国内政 治」に関するディスコース群の内容は、時期による相違点も目立つ。<連載記事>では、「一 党支配(独裁)」「権力闘争」が一貫して多く言及されているが、第三期においては、「権力