第1節 調査からみえてきた敬語教育の問題点
本章では、研究【課題4】(課題1・2・3を踏まえ、中国の大学日本語専攻教育にお ける敬語教育には、どのような問題点が存在しているのか)を明らかにすることを目的と する。第 3 章から第 5 章の調査結果から、中国の大学日本語専攻教育における敬語教育に ついて、教育目標・教育時期・教育期間・教育内容・教育方法・使用教材・教師などの面 において様々な問題点が見られた。まず本節では、「一貫しない教育目標」、「不適切な教育 時期と期間」、「表現形式に偏る教育内容」、「学習者の主体性を重んじない教育方法」、「再 考すべき教材における扱い方」、「敬語教育に苦手意識を抱く教師」、「教室内の指導に強く 依存する学習者」という七つをまとめ、それぞれについて詳しく述べるとともに、それら の問題が生じた原因や改善に向けての取り組みについても考えたい。
6.1.1 一貫しない教育目標
中国の大学日本語専攻教育における敬語教育の目標については、第 5 章第 1 節の分析 対象である 2 冊の『教育要綱』において明記されている。具体的には、基礎段階では表 現形式、高学年段階では運用能力という 2 段階の指導方針が示されているが、現場で使 用されている教科書と教師用指導書を見ると、1 段階目の方針がしっかりと反映されてい るのに対し、2 段階目の方針は全く反映されていないことが分かる。第 4 章で明らかにな ったように、多くの現場教師は教科書と教師用指導書に頼って敬語を指導するため、中 国の大学専攻教育における敬語教育が表現形式重視の初級にとどまっている現状を招い た。実際、第 3 章と第 4 章の調査においても、調査協力者が大学で受けた、あるいは行 っている敬語教育は、1 年次の最後または 2 年次の最初に集中しており、3・4 年次では 敬語教育をほとんど受けていなかった、あるいは行っていないという事実が明らかにな っている。「表現形式が分かっても、どう使えばよいのかが分からない」と語る学習者を 多く生み出してしまった主な原因はここにあると考える。
3 章の元学習者への調査では、「初級の最後の短期間で、煩雑な表現形式を集中的に教 わり、敬語に対する嫌悪感と抵抗感を覚えた」や「初級では表現形式を覚えても、実際 の場面でどう使えばよいのかを知らなかった」などの意見が多かった。適切に使うこと
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を教育目標とせずに、初級の最後で集中的に表現形式を中心に敬語を教えるのは、学習 者の心理的負担を増やす一方、実用性への認識を低くしてしまう恐れがあるといえよう。
したがって、『教育要綱』に起因する一貫しない敬語教育の目標を見直し、初級から敬語 を適切に使うことを目指すよう検討すべきだと考える。
6.1.2 不適切な教育時期と期間
第 3 章と第 4 章の調査結果を通し、現場教師の多くは、教科書に従い敬語を 1 年次の最 後に、90 分の授業×5~10 回程度で集中的に指導していることが判明した。日本語レベル もまだ低く、敬語の使用場面も限られている初級段階では、表現形式も使い方も複雑な敬 語を集中的に教わっても、その必要性と重要性を十分理解できず、嫌悪感と抵抗感を抱い てしまう可能性が高い。一方、日本語レベルが上達するにつれ、中・上級になれば、日本 語への理解も深まり、日本人との接触も多くなると思われる。就職活動や進学面接など、
敬語が必要とされる場面にもより遭遇しやすくなるため、学習のモチベーションが高まり、
次第に学習効果も上がると考える。しかし、調査結果を見ると、高学年の教科書において は、敬語はほとんど扱われておらず、3・4 年次で敬語教育を実施する大学は少ないと推察 される。
敬語教育の実施時期と実施期間は、各大学のカリキュラムとシラバスよって規定され、
多少異なるとも考えられる。しかし、中国の大学日本語専攻教育が各年次で達成すべき教 育目標は、『教育要綱』で明確に示されており、特に、敬語教育が集中的に行われている初 級段階では、使用する教科書が違っても、扱うべき学習項目や学習順序、時間配分など基 本的に統一されていることが第 5 章の教材分析で明らかとなった。そのため、第 4 章のイ ンタビューで語られたように、現場で敬語指導を行う際、教師がその時期と期間を調整す るのは容易なことではない。よって、目指したいのは、従来の実施時期と期間を見直し、
初級後半の短期間で集中的に行われることの多い敬語教育を更に充実させ、中・上級の会 話授業や作文授業、閲読授業などにも取り込みつつ、4 年間を通し継続的に敬語教育を行 うことであるが、その実現には関連教材における敬語の扱い方の見直しが必要となること が示唆される。
6.1.3 表現形式に偏る教育内容
敬語教育は表現形式の理解と記憶だけでは不十分で、実際の運用能力の向上を目指すべ
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きであることは、第 3 章の元学習者と第 4 章の現場教師へのインタビューで共通して語ら ている。もちろん、形式面を整理することは不可欠であり、敬語表現のための基礎でもあ るのだが、それだけにとどまってはならない。ある言葉を敬語形式に変形できたとしても、
実際の色々な場面で様々な相手にどのように適切に表現していけばよいのか、または敬語 形式が正しくても、表現として問題があるのではないかといった運用面における学習者の 困惑点と困難点を改善することが敬語教育における重要な課題であるといえる。更に、形 式面と運用面のほかに、「日本語の敬語は、なぜ必要なのか」、「敬語が使えることで、どん なメリットがあるのか」といった意識面に関する指導は、学習者の敬語全体に対する理解 を促進し、学習意欲にもつながるため、教育内容に入れるべきであろう。しかし、中国の 大学日本語専攻教育現場では、敬語の必要性と重要性など意識面に関する指導が省かれて おり、適切に使うことを目標とする運用面に関する指導も十分に行われておらず、表現形 式に偏る形式面に関する指導が敬語教育の出発点及び終結点となっていることは第 3 章と 第 4 章の調査結果からうかがえる。
このような現状を招いてしまった原因としては、直接には敬語教育を行っている教師に 責任があると考えられる。しかし、第 4 章の現場教師の語りと第 5 章の教材分析を考察し た結果、その真の原因は、関連教材における敬語の扱われ方と深く結びついていることが 明らかとなった。具体的に見ると、表現形式に主眼を置く『教育要綱』における敬語の扱 い方から影響を受けた教科書も教師用指導書も、意識面と運用面についてはあまり記述さ れていない。そのため、教材に頼って敬語を教えている教師も形式面に偏ってしまい、意 識面と運用面にあまり触れていないという現状を招いてしまっている。もちろん、教科書 の不足を補うには教師の工夫が期待されており、実際に教科書に頼らず、独自に敬語教育 を改善しようと努力する教師もいるだろう。しかし、第 4 章の調査結果を見ると、現場で は様々な現実的な悩みが改善の壁となり、教師個人の努力がなかなか実らないのが現状で あることが分かる。そのため、表現形式に偏る敬語教育を改善するには、現場教師が敬語 を教える際、より使いやすくなるよう、関連教材において、敬語の意識面・形式面・運用 面をバランスよく記述することが求められるだろう。
6.1.4 学習者の主体性を重んじない教育方法
第 3 章と第 4 章の語りによると、中国の大学日本語専攻教育現場では、教師主導型の講 義式授業が主流であることが明らかとなった。一方、近年学習者の主体性が注目される中、
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その必要性と重要性に気づき、従来の講義式授業に不満を感じ、ロールプレイを導入する など、様々な工夫を試みようとしている教師の動きも見られた。しかし、現場教師による と、敬語はその他の学習項目とは異なり、体系知識や表現形式など説明しなければならな い内容が多いため、限られた授業時間で終わらせるためには、教師主導型の講義式授業に なりがちであることが分かった。第 3 章と第 4 章の調査結果を見ても、調査協力者が受け たまたは行っている敬語指導は、教師による説明が大半の時間を占めており、練習問題と して、語彙レベルの言い換え・書き換え練習、本文の朗読、中文和訳などが多く、学習者 の主体性が重んじられていない傾向が見られる。
蒲谷他(2009)、蒲谷他(2010)などで指摘されているように、敬語を使う際、話し手 が常に相手や周囲の人やその場の状況などの要素を確認する必要があるため、ただ体系知 識が理解でき、「食べる⇒召し上がる」や「ある⇒ござる」のように表現形式を言い換えら れるだけでは、特に日本社会にいない中国の学習者は<誰が、誰に、どんな場面で、どう 使うのか>がイメージしにくいのではないかと考えられる。そのため、学習者が実際に色々 な場面で様々な相手にどのように適切に表現していけばよいのかを主体的に考えたり、練 習したりする必要性があり、それが実現できるような授業形態と教育方法への変革が求め られる。具体的には、教師による説明時間を短縮し、コミュニケーション場面に重点を置 き、模擬面接やレストランなどの場面を設定し、人間関係に応じた敬語使用に関する授業 活動を取り入れる。それにより、学習者が自ら敬語を使用する機会が増え、受動的な聞き 手から主体的な参加者に変わることが期待できるのではないかと考える。
6.1.5 再考すべき教材における敬語の扱い方
第 5 章の教材分析を通し、『教育要綱』における敬語の扱い方には、「教育目標が一貫し ていない」、「形式面に関する記述の不足」、「意識面と運用面に関する記述の欠落」など多 くの問題点が存在していることが明らかとなった。そして、その影響を受け、現場で広く 使われている教科書と教師用指導書における敬語の扱い方には、「敬語の必要性と重要性 について記述されていない」、「敬語の種類に関する記述の不統一さ」、「人間関係が不明な 例文が多く、場面との関連性が薄い」、「言い換え・書き換えといった形式面に着目した練 習問題がメインである」など、様々な問題点と不足点が見られた。これらの問題点と不足 点は、第 3 章の元学習者によって語られた「受けた敬語教育への不満」と第 4 章の現場教 師によって語られた「敬語教育の実態」にも現れていることが確認されたことから、関連