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ドキュメント内 七戸町 町史 3巻 昭和 (ページ 52-87)

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九︑四

OO

円県直営

三︑四

OO

円(産馬組合執行)

金額五 ︑五一九円(外‑一種薯二千三百十俵配付ノ予定﹀

配 当

昭和恐慌と凶作 第二章

第二回

二五

O

五︑

政府無償交付米 第一回

六九七俵 第二回

六九七俵 第三回

一 ︑

六三四俵

六 ︑

郷倉新設及奨励金

11 

11  11 

( 予

定 ﹀

二︑九八

O

円御下賜金 郷倉新設及奨励金

七 ︑

共同作業場奨励

三井 ︑

三菱義損金ニ依ル割当額 繭糸加工作業場 麻糸撚加工作業場 藁工品作業場 漬物製造作業場 炭双子製造作業場 養兎毛皮加工作業場

六二六円 六二六円 六二六円

六二六円

一︑二五二円︿二ケ所分﹀

六二六円

四︑三八二円

このような対応策にもかかわらず ︑

相い次ぐ凶作と不況で農家経済は深刻な打撃を被って苦境の中を低迷し

た︒この結果︑青森県の農村は ︑全国の農村に比べて多額の負債をかかえることとなったのである︒県農会が昭

和七年と一

O

年に実施した負債額調査によれば ︑昭和七年では負債総額五五四三万八

O O

O

円にのぼり負債農︑

第九篇

家戸数も七万三五

O

四戸となり ︑一戸当たりの平均負債額は七五四円となったのである︒さらに昭和一

O

年にな

ると負債総額は五七四九万円となり ︑二戸当たり負債額は七八四円と増加したのである︒これら負債の原因は農

家の貧窮によるものであり ︑凶作といえども高額の小作料のため食糧不足をきたし ︑食うために負債をかかえる

こととなったのである︒七戸町は木県においても ︑負債番付上位にあり ︑第一一四表の如く県下第三位に位置し

てい

る︒

このように生きんがための最低の代償が累積したものが農家の負債であったのである︒このことは必然的に ︑

男という男は出稼ぎにゆき︑娘はわずかな負債の整理と飯米の消費を減らすため売られるという状況をまねいた

ので

ある

青森県における出稼先の中心地は北海道であり ︑その業種も水産業や林業であった︒第一一五表をみてもわか

るように出稼漁夫の最低稼高は一

O

円にしかならず ︑平均稼高も六

O

円程度のものであった︒つまり ︑いくら安

くとも売れさえすれば切り売りしなければならない状況に農村はおいつめられていたのである︒

さらに悲惨であったものは東北凶作によって表面化した婦女子の身売りであった︒借金苦と飯米苦に悩む貧農

が子女を出稼に出すことは ︑親も子も生きるための唯一の道であったのかもしれない︒当時︑我国の食糧需給は

第 二 章 昭 和恐慌と凶作

第114表 市 町 村 別 負 債 番 付 ( 昭 和109月現在〉

西

│負債額│一戸当 負 債 額 一戸当

横 綱 八 戸 市 1.244,342  399  横 綱 柏 木 町 1200,000  1,575 

大関 七 戸 町 1. 118,208  86 大関 大 光 寺 村  1055, 224  1.501 

関脇 竹 舘 村 1052,365  1.612  関脇 稲 垣 村 1. 021. 991  1.024 

小結 田 舎 舘 村 1. 012, 012  1,242  小結 二 本 木 町 975,063  741 

前 頭 川 町 960,383  949 前 頭 中 郷 村 876,000  786 

~ 六郷村(南〉 801. 686  1179  ~ 山 形 村 790,680  803 

~ 甲 地 村 756,000  900  ~ 水 元 村 747,878  1.461 

~ 大 戸 瀬 村 729,450  863 

727073  1037 

第115表 出稼者の人員と稼高(昭和5‑9

就業種別 人 員 一人当

平 均

漁 夫 19,503  1775,834  450  10  91 

大 工 142  17,949  350  56  125 

鍛 治 15  1.745  250  50  116 

雑 夫 548  72,500  315  30  132 

20,208 1868,028  450  10  92 

漁 夫 15,250  1121.374  500  10  74 

大 工 92  9,865  350  70  107 

~ 鍛 冶 5  950  350  50  190 

雑 夫 703  64,678  215  30  92 

16,050  L 196,867  500  10  75 

漁 夫 16,629  1,048,326  700  10  63 

大 工 141  14,613  280  25  104 

~ 鍛 冶 5  440  200  25  88 

雑 夫 1.095  86,529  300  15  79 

17,870  1. 149,908  700  10  64 

漁 夫 18,851  1.229,068  700  20  65 

大 工 140  11.640  250  35  83 

鍛 冶 5  727  300  53  145 

雑 夫 926  73,372  370  10  79 

19,922  1. 314,808  700  10  65 

19,616  1. 242,824  1,000  5105   63 

大 工 199  23,450  200  118 

~ 鍛 冶 5  710  300  50  142 

雑 夫 L 754  16L 122  400  8  92 

2L574 1.428,106  1,000  8  66  C Ii'青森県統計協会報JJ

全体としては ︑決して不足していたのではなく︑むしろ生産過剰であった︒つまり﹁豊富のなかの貧困﹂なので あり ︑このような状況は冷害という ︑単なる自然条件によってのみおきたのではない︒都市における資本主義化

と農村部における半封建的土地所有関係のまさに板ばさみになったのが農民なのであり︑社会の矛盾が農民の肩

第九篇

に転化されたと言えよう︒それが︑まさに出稼ぎであり ︑婦女子の身売りなのであった︒

なお

︑七戸町における季節就労者の数及び職業は左記の通りである︒その内容をみると︑やはり平年よりも多

く ︑職種も漁夫・柚夫・土工といったものが大部分の割合を占めている︒

事 左 小 大 職 農 土 柏 漁

員 官 員 工 工 夫 工 夫 夫 ~U

‑ ーA ./L 一 一 五 二 九 五 一 七 六 二 四 二 五 八

一‑ー‑a喝 ノ 」 、 一 四 二 八 四 六 五 四 二 五 八

其 看 採 薬 害 女 女

ノ 護 炭 局

他 婦 夫 員 生 ~U

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二 一 一 二 一 五

一 一

一 一

第三節

恐慌と救

農 対 策

経済更生運動の展開

明治から大正の初期にかけての生産中心の農業政策は︑大正中期の経済変動の影響で ︑社会政策へ転換しはじ

めた︒大正六年の農業倉庫業法や一二年の米穀法制定で米価の安定をねらい ︑また小作争議が増える農村社会の

不安定な情勢に対しては︑一三年の小作調定法と一五年の自作農創設維持補助規則で対処した︒

しかし︑小作調定法も自作農創設規則も耕作権を正式に認めて小作関係を根本的に解決しようとするものでは

なく︑地主制の維持を前提としつつ小作争議を調停し︑あるいは融資で小作農の自作農化や自作農の小作転落を

防止しようとした︒当時としては農政が社会政策化したと言っても︑その程度の施策が限界であった︒

第二章 .昭和恐慌と凶作

しかし反動恐慌から慢性的不況となり ︑さらに昭和恐慌の段階になると ︑従来の制度を拡充して農村を根本的

に再建し ︑直接農民を救済する予算の計上や救済立法をす

るようになった︒

昭和七年に農村対策を主とする臨時議会が召集され︑種々の応急救済施策が講ぜられるとともに︑数億円の救

農資金が支出されることとなった︒救農議会と称された第六三議会を通過した対策のうち︑

特 に 注 目 さ れ た の

は︑いわゆる救農土木事業と農村経済更生運動であった︒

農村更生運動の大綱は ︑昭和七年一

O

月六日農林省訓令第二号をも

っ て

決定された

ので

あるが︑その目的とす

ると

ろは

農業恐慌によって打ちのめされた農村の経済生活を安定させ

さらに農家将来の福利を増進させる

ために経済復興を図ろうとするもので

専ら農村の自力によって遂行するとしたもので﹁自力更生運動

﹂の名称 が与えられた︒ 第九篇

しかし自力更生と言っても疲弊する当時の農村にとっては自力更生は到底期待できるものではなかった︒

そこで政府は次のような一連の援助的応急施策を考えたのである︒

産業組合法及び産業組合中央金庫法の改正

産業組合活動促進助成金の交付

農村経済更生施設費に係る農業倉庫建設奨励金の交付

農村負債整理組合法及び同施行規則の発布

農業動産信用法及び同施行令の発布

産業組合中央金庫特別融通及び損失補償法及び同施行規則の発布 一︑由民山漁村共同作業場奨励規則の発布

積雪地方農村経済調査所の設置 青森県においても中央の指示に基づいて

次のとおり知事論告を出し

①農村経済更生委員会設置奨励と連絡

統 一

②郷倉および貯蓄組合の設置奨励

③経済更生計画の実行

④農家負債整理指導

⑤地方団体の更生活動 助成

⑥金融の改善および低

資金の融通

l

ーなどを協議した︒

昭和恐凶作 第二章

&

現下我国は極めて多事多難真に未曽有の難局に直面せり︒殊に木県は昨年稀有の凶殺と金融の梗塞とに遭遇

し財界の不況は益々深刻となり︑商工業の萎燦沈滞長山漁村の疲弊因慾共に甚しく県民の生活に対し一大暗

影を投じつつあるの現況は真に県民の為めに深憂に堪へざる処なり︒葱に於て政府は時局匡救の為め衆智を

来め救済の策を練り各府県とともに鋭意目的の達成に努めつつありと難 ︑民心にして消極退嬰に傾き徒に他 力に依頼せんとするの弊風禰漫するに於ては凡百の救済施設も其の実効を挙ぐること難し ︑之れ国民更生運 動を強調する所以なり︒時局匡救の第一義は他なし国民一同内外の情勢と困難の実相とを真に認識し ︑我建

国の大義に立脚し愛国的熱情と信念とに加ふるに積極敢為の精神と自立独行の鋭気とを以て生活の確立向上

を企画するに在り︒殊に本県民は客歳凶作のため全国各地の同胞より甚大の救援を仰ぎ漸く小康を得たるに

鑑み

︑特に青森県永遠のため自奮自励更生の実を挙ぐるの要切実なるも存す︒宜しく県民一致敢為進取の大

脇の下に克く時局の匡救に念を致し克己自制以て旧来の阻習を一掃し︑更に勤勉力行以て産業の振興を策す

るに於ては蓋し国運の隆昌県民の福祉を期して侠つべきものあるを信ず︒県民夫れ相率いて奮励精進以て時

局に善処し更生の実を挙ぐるに遺憾なきを期すベし

昭和七年九月四日

(﹃

青森

県議

会史

﹄﹀

知事の︑このような諭告により︑各町村は積極的に︑これを推進することとなった︒

735 

七戸町は昭和七年度に経

ドキュメント内 七戸町 町史 3巻 昭和 (ページ 52-87)

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