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一 、

ドキュメント内 真宗研究5号全 (ページ 45-106)

より真蹟本は階つしか存寄せなかったのではないかと思考されるz

のゆ えは

西本願寺本法共に真横本として伝承されたのではあるが︑ぞれはそれぞれ建長七年︑議に文永十ニ

年の 古写 本で ある

︒ 一一

︑右 二本 の他 に専 修寺 には 附加 に真 毅本 があ った ので はな いか

の 説@

表﹀以外には︑たとしてでも︑奥鱗本の存在を仰れの吉文献にも怯えていない︒

能東 本の 成立 につ いて

ぞれ以前に吋原始教行信託いるべき原稿が容在し︑ぞれが浄支持増補改綴ざ

で恕筆訂読されたことは坂東本自らの謹拐するところであり︑縫って主ハ要紗﹄に

類家之後上人不幾帰寂之際本及再治﹂と

なき こ

ものであり︑隣年まで極め

主2

vU

Lれば

そ ︑

一応賦楠本の如くであるけれども︑而も清警本の性格安持って

数行信託研究序説

教行信証研究序説

いる

四︑現存古写本の整備されて行く過程は︑頭註が本文に入り︑標挙が内題の次に置かれる如き︑筆写の都度︑次第

に整備されて行ったようであり︑最も整備された形をもっている六要紗所釈本の如きは︑存覚師によって一段

と整備されたのではないかと考えられる︒

かくて坂東本が唯一の真蹟本であると承認されるならばここに﹃教行信証﹄の研究は坂東本

l l

己下

︑真

蹟本

と言

うー

ーに

依っ

てな

さる

べく

再出

発す

やへ

きで

あろ

う︒

勿論︑今日までも︑古くは結城称名寺蔵﹃教行信証音訓﹄︵伝宗

祖筆なれど恐らく直弟子叉は眠近者の作か︶

の存

在す

るこ

とを

始め

信珠院順芸師の真蹟本臨写本など数種の臨写

本︑その他真蹟本との校合本︑延室聞本等のあることは真蹟本の研究されたことを実証する一例ではあるが︑真蹟本に

依る﹃教行信証﹄の研究がなされたとは言い得ない︒

然るに宗祖七百回遠忌記念事業の一つとして︑真蹟本が解体修理されるに及んで︑料紙の紙質︑使用の文字︑行数

の差異︑朱訓の有無等に注意が払われ︑ここに聖人の増補改訂のあとが明らかにされたと共に︑更に進んで思想信仰

の発展のあとを跡付ける緒を得るようになった︒

今日までの﹃教行信証﹄の研究は整備された刊本を中心に︑固定した形においてなされたのであるけれども︑整備

されたそのことが聖人の手によってでないとするならば︑それに依る研究が果して聖人の真意に添い得るや否やを疑

聞とせざるを得ない︒然るに真蹟本の実態に依ることによって︑ここに流動発展的に研究し得るのみでなく︑かくす

ることに依つてのみ︑聖人の信仰に直参し得る道が聞かれるのではなかろうか︒

かかる意図のもとに︑現在︑真蹟本にては欠減せる個所ではあるが︑その余白から考慮して︑真蹟本に最も近い西

本願寺本によって復元してみると︑恐らく真蹟本も亦︑﹁大無量寿経盟許諾﹂の標挙は標列の前にあったと見て誤りな

いであろうと思考される事実を手がかりとして︑真蹟本に依る﹃教行信証﹄の構造を考えて見たいQ

因みに西本願寺本と同じく標列の前に右の標挙のあるものは専修寺本︑並に尊蓮書写本系と思われる寛永︑正保︑

明暦の三刊本︒其他︑存覚書写本︑存蓮両筆本等であり︑﹁教巻﹂内題の次に置かれであるものは﹃六要﹄所釈本を

初め︑寛文本︑智逼版︑渋谷本︑安永及び大正校訂御自釈本等である︒

(ニ)

﹁大無量寿経一一諸説明﹂と言う標挙が﹁教巻﹂内題の次に掲げてある﹃六要﹄のその筒処の釈義には

﹁問

︒上 標列 中載 ニ真 実教 吋其 義可 レ足

︒今 重挙 レ之

︒宣 非− 一繁 重吋 答︒ 土標 列者 広通 二部 吋今 標挙 者限 在− 一当 巻吋 況

標列

中雄

レ有

一一

真実

教之

名目

一未

レ顕

日義

体吋

今挙

一経

名一

明日

一其

教体

吋有

一一

総別

異一

更非

一一

繁重

︵会

本一

教!

一 a

と言うて︑既に標列の中に﹁顕真実教一﹂とあるから︑ここに更めて標挙する必要がないではないかと自問し︑これ

に答うるに︑先きの標列はただ名目のみを挙げたので︑経体を出していないから︑ここに経名を示して経体を挙げる

ので ある とし て︑

﹁教 巻﹂

一部に対する標挙としている︒これをもって思ふに︑言うまでもなく︑それは﹁化身土巻﹂

に相対するものであって︑真実教の経体と︑方便教の経体とが明確に分離されている形である︒然らば﹁標列﹂の下

に於ける﹃六要﹄の釈義は如何と言うに

﹁問

︒題

目所

レ標

在一

一教

行証

吋三

外更

加一

一信

真悌

土及

化身

土吋

於一

一首

題中

一難

レ摂

ニ此

等吋

然者

於レ

題有

一一

未尽

過一

如何

︒答

教行

証三

常途

教相

︒信

真化

土今

師所

レ加

︒任

ニ常

途教

相一

雄レ

標一

一其

一二

一依

レ為

−一

最要

一今

加ニ

後一

ニ吋

但至

レ云

ニ題

τ

レ余

者 行中 摂レ 信︒ 証中 広摂 ニ真 化悌 土こ

︵会 本一 教| 九

a

これに依れば標列には﹁教行証﹂の三の外に﹁信﹂と﹁真悌土﹂と﹁化身土﹂を加えて六法を示しているが︑ぞれ

教行信証研究序説

教行信託研究序説

では題号の﹁顕浄土真実教行証文類﹂の首題に摂せられぬから︑題号未尽の過があると言う聞を出して︑答ふるに︑

﹁教 行証

﹂の 三は 常途 の教 相︑

﹁信﹂と﹁化﹂とは宗祖の加うるところであるが︑①﹁行﹂の中に﹁信﹂を摂め︑②

﹁証﹂の中に広く﹁真﹂と﹁化﹂の悌土を摂するから題号未尽の過はないと言う︒即ち一真実中にすべてか︸摂し得る

と言 うの であ る︒

この二つの釈義を見るに前者は真実方便を相対峻別する釈であり︑後者は真実中に方便を摂する釈であって相矛盾

するを認めざるを得ない︒殊に︑証中に広く真化を摂するについての理由として﹃六要﹄には往生成梯︑分証極証︑

近遠差別してこれを証と身土に配する論理をもってしているが︑往生即成併を談ずる宗祖教義を解するには適切なる

解答とは言い得ない︒ここに於いて古来の先哲多く真実の巻を表顕とし︑方便の巻を遮顕として︑題号に真実の教行

証を挙げるのは真仮廃立を明確に示すので︑たとい内容に﹁化身土巻﹂があっても真実を妨げない︒即ち一真実をも

@ って総題としたのであると言うている︒併しかくの如く表顕遁顕と明確に分けるならば︑永く真実と方便は本質的に

対立するのみであって統一を見ず︑﹁化身土巻﹂に於いて宗祖が深酷な体験の事実を通して明らかにせられた真宗独

自の教義たる三々の法門はその生命を失うばかりでなく︑二尊の大悲摂化の意味が明らかにせられない︒或は言う︑

能釈所釈の語を用いて所釈の法義に約すれば要真の方便はあっても︑

③ がて弘願真実を顕すから総題に﹁顕浄土真実教行証文類﹂と︒これ亦よく考えた説ではあるが︑三願転入の体験の事 能釈の提繍に約すれば要真方便の法義はや

実との関聯に於いて注意が払われていない︒

④ 然るに大正・回和の交より三願転入は好個の研究課題として注意せられたのであるが︑けそれに関連してこの問題

についても研究が進められた︒即ち﹃教行信証﹄六巻の機構は全く三願転入の義と離し得︑ず︑コ一願転入の告白を通し

て方便引入の摂化を味わい︑弥陀救済の願意にまでさかのぼって︑ここに真実と方便の関係を明らかにせようとする

相対 差別 と絶 対統 摂︑

⑤ いわゆる相絶二面の見方にまで進展したのであるが︑これは共許されてよい説であろう︒併し

私は今︑この問題を新たに真蹟本の実態に即しつつ︑撰述の意趣と化身士巻開設の理由の面より捉えたい︒

(三)

﹃教行信証﹄撰述の意趣を述べるところは︑信巻別聞の意趣を述べる別序と︑六巻総じての意趣を述べる総序と後

序︑並びに三願転入の文である︒就中︑真蹟本で総序は七行書で最も新しい筆蹟であり︑後序は最も早い基本的筆蹟

の八行書の部分と︑それに近い筆蹟の端紙二枚より成り︑三願転入の文は最も早い筆蹟の部分であ旬︒併し︑最も早

い筆蹟の部分といえども︑脱字を欄外に補記しているところよりすれば︑それ己前に草稿があって︑それを書写せる

ものであることは明らかであり︑端紙二枚の部分は警き改めの証拠であるが︑如何ように書き改められたかは知るに

由ないけれども︑新しく附加されたのでなく︑恐らく醐除と見るべきであるから︑端紙の現文はあまり変動がなかっ

たと見てよいであろう︒それ故︑後序並びに三願転入の文について撰述の基本的意趣を汲み取ることが最も妥当であ

ろ ﹀ ワ ︒

⑦ 撰述の意趣については嘗て述べたことがあるから︑ここに於いてはこれを簡略にするが︑﹃教行信証﹄は宗祖の体

験せる歴史的事実を基礎とし︑回転軸として展開するものと考うべきであり︑従って後序の意味するものは︑その歴

史的事実たる承元の法難と︑師弟の芳契の順逆両縁に悲喜交流のあまり︑悌思の深重なるを念じて撰集したと言うの

であり︑三願転入の文に於いても︑コ一願転入を述べて次に

﹁愛

久入

一一

願海

一深

知一

一悌

思一

為三

報一

一謝

至徳

一接

−一

真宗

簡要

一恒

常称

一一

念不

可思

議徳

海こ

︵真

白釈

O

七 ︶

と言うのであるから︑これ亦︑本願に救済されたことを喜び︑悌恩の深きあまり撰述すると言うのである︒後序の唄

教行信証研究序説

ドキュメント内 真宗研究5号全 (ページ 45-106)

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